第10話 夜小鳥たちは静かに
綺麗な看板には、アメリカンダイナー『ナイトランチ』とあった。
D機関から少し奥に入ったビルの一階で営業しているレストランで、ファミレス風の外観をしている。
「莉子ちゃん、こっちでーす」
正面から入ろうとした莉子を、彩華が呼び止める。
学校から直行したらしい莉子は制服姿だった。思い詰めた末に彩華へ相談に来たら食事へ誘われ、ここまで来ている。
彩華たちは一階にある正面入口を通りすぎ、脇にある小さな階段から二階へ上がった。
一階正面に比べて素っ気ない入口から入ると、薄暗い階段室に繋がる廊下へ出る。奥には事務所みたいな扉があった。
ファミレスと聞いていた莉子が不思議そうな顔をする。
「あの……」
「その扉へどうぞー!」
彩華に誘われ、戸惑う莉子がそっと扉を開けると――ダイナー風レストランがあった。
広くはないが、白黒ツートンのフロアタイルに赤白の内装、ネオン、遊戯道具……と、一階よりずっと派手だ。
どうしてこんな作りにしているのか……と、莉子が不思議そうに店内を見回していると、メイドさん風の可愛らしい制服を着たホールスタッフが寄ってきた。
腰には、さりげなくD機関のバッチが飾られている。
「すいませーん、二階は会員制で……って、なんだ篠生か。あと犬蓼さんと双羽くん。――そっちの子は、お友達?」
「なんと、久しぶりの新人さんでーす!」
「「おー!」」
後ろから入ってきた彩華が莉子の肩をやさしく押し出すと、聞こえていた客の全員から歓声が上がる。
予想外のリアクションで萎縮してしまった莉子だったが、彩華と篠生に促されておずおずと挨拶する。
「よ、よろしく……お願いします」
そこかしこから、よろしくと返事がくる。
一通り歓待を受けてから、四人は奥のボックス席に座った。
篠生が奥の席に莉子を座らせると、自分はその横に陣取る。対面に座った双羽が莉子へメニューを渡した。
双羽の横には、彩華が嬉しそうに収まる。
「このお店のこの階は、元々マシスン病に罹った人たちの為に作られたんです」
「パンデミック初期は風評酷くて、ここが私ら罹患者の拠り所だった」
「個人情報を晒す酷い人も大勢いて、どこにも行けない状況だったんですよ!」
彩華の言葉に篠生がうんうんと頷いてから、ふふんと笑う。
ちょっと悪そうな笑いだ。
「悪質な連中は機関で全部訴えたけどね」
「そういう経緯もあって、このフロアは吸血鬼オンリーの会員制なんだ。スタッフもお客さんも全員が吸血鬼か、その協力者」
「へえ……」
莉子が興味深そうに、周囲の人たちをそーっとのぞき見る。
店内には多種多様な人間が揃っていた。
偶然目が合ったシルバーグレイのオジさま、オバさまが瀟洒にリアクションしてくれる。その両目は色彩が反転していた。
「た、楽しそうなお店ですね」
「注文決まったー?」
さっきのホールスタッフが注文を取りにくる。
莉子がスカートに付けられたD機関のバッチに気付いた。だが瞳の色は普通だ。
吸血鬼っぽい感じもない……
視線に気付いたスタッフの女性が、悪戯っぽく笑いながら自分の目を指さす。
莉子の見ている前で、白と黒の色彩が逆転していく。
「わっ!?」
「マオちゃん、イタズラしちゃ駄目だよ」
篠生の言葉に、マオと呼ばれたホールスタッフがニヤっと笑いかけた。
「ようこそ《吸血鬼》! メニューは会員向けのサービス料金で安いけど、《狼》に釣られると後で酷い目にあうから注意してね?」
「狼?」
「おっと、説明そこからか」
マオと呼ばれたホールスタッフが、どこまで説明したモノかと首をかしげた。
「簡単に言えば吸血鬼のタイプだけど……詳しくは、篠生たちから聞くといいよ。新人さん連れてきたってことは説明する気なんでしょ?」
「はい、相談されました!」
「それでオーダーは何にする? ここが初めてで、そこまでお腹空いてないなら……この辺おすすめかな」
ホールスタッフがメニューを促す。
軽くて明るい内装とは裏腹に、アメリカンの名のごとく料理はボリュームがある。
双羽、彩華、篠生はメニューを見ない。慣れてるんだろう。
「蒼井さん、何でも好きなモノをどうぞ。今日は僕たちだけのささやかな歓迎会だから」
「あの……お先に、どうぞ」
「じゃあ、僕はシーフードのガンボをセットで」
「私はミートボールパスタとガーリックブレッドのセット、トッピングのパルメザンチーズはたっぷりで。あとルートビア」
「私はいつものお願いしまーす!」
双羽と篠生が続けてオーダー。
彩華はいつもので通じた。
莉子は考えつつ、時間切れを自覚して空気を読む。
「ぱ、パンケーキセットを……クランベリーティーで」
結局マオのオススメになった。
セットのサイドオーダーとトッピングは明るくて可愛いのを選んだ。時間的に夕食なので、声にちょっと罪悪感が混じっている。
「オーダー入りますー」
マオが引っ込むと、莉子が横の篠生をチラっと見て小さく会釈する。
篠生が慌てて会釈を返した。
「――とと、そういえば自己紹介まだだったね。私は篠生マリア、D機関の保安部……系列の警備会社に努めてる」
篠生がよろしくと手を振ったので、双羽が続く。
そこから自己紹介が始まった。
「じゃあ改めて、双羽です。双羽璃久」
莉子が双羽を遠慮がちに見る。印象がまるで違――わなくもないが、でも何て言うか、その……と、混乱しているようだ。
双羽が苦笑いした。
「前のときはオトリ捜査のために変装していたけど、実際は見たとおり男だよ。歳は莉子ちゃんより少し上かな。よろしくね?」
「はいはい、次ですー! 犬蓼彩華です」
グイと手をL字に曲げた。
筋肉もなさそうな華奢な腕だが、彼女が怪力を発揮したのは間違いない。
「身体はちっちゃいけど、腕っ節には自信ありますよー! 歳は多分同じくらいですね」
「あ……蒼井、蒼井莉子です。普通の学生で……皆さん、よろしくお願いいたします」
しばらくぎこちなかったが、やがてぽつぽつと雑談が進み出した頃、食事が運ばれてきた。
何度か往復してやっと全員分が揃う。
マオがふへーと溜息をついた。
「彩華のオーダーはいつも運ぶのが大変だよ。じゃ、ごゆっくり!」
「先に食べちゃおうか」
「いただきまーす」
あ~むっ!
彩華が小さな口をグワリと開け、齧りついたのはハンバーガーだった。
ただし、サイズが凄い。
特大のバンズにはバターソースのかかったフライドチーズと分厚いミートパテ、さらにピクルス、トマトにレタス、アボガドが重なっている。
パーツの一つ一つが圧倒的だ。
しかも重層しているのだから!
それが次々と幸せそうな彩華の口のなかに消え、もっきゅ、むっきゅと咀嚼されていく。カロリーゼロではないラージのコーラにシーザーサラダ、ピーナッツオイルで揚げた大量のポテトも続く。
莉子が対面で繰り広げられる食べっぷりをポカーンと見つめた後、そっと双羽に呟いた。
「あの……普段から、こんな感じなんでしょうか」
いつものと頼んで出てきたのがコレである。
つまり、いつもこの量を食べてることになるわけで。
「健康診断の結果は良好だってさ」
「体重その物は増えましたけど、概ね常識的な重さと体型を維持してます。心臓が二つあるのは伊達じゃないと言うとこでしょうか」
ズゴーとコーラをすする。
莉子が「心臓が二つ」という単語に首をかしげたが、それより気になることがあった。
「あの……もしかして、私もこんな量のご飯を……」
莉子は泣きそうな顔をしていた。
彩華は心外だと言う顔で顎を上げ、大きな胸を張る。
「首の太さを見てください! お腹も引き締めれば割れますが、見ますか、触りますか」
確かに首は細い。
胸以外はスレンダーといってもいいだろう、実に我が儘なボディだ。
「彩華は特別かな」
双羽が苦笑いすると、ガンボに手を付ける。
アメリカ南部で生まれた濃いスープで、見た目と食べ方はカレーと同じだ。
セロリ、ピーマン、タマネギ、オクラ……と、野菜がたっぷり使われているのが特徴で、味はカレーよりずっとスパイシーだ。
この店での双羽のお気に入りだった。
「吸血鬼にも色々いるからね。食べる量に関しても、変異箇所も――」
最後は少し口ごもってから、篠生はトマトソースたっぷりのミートボールパスタを某怪盗のように食べていく。
ガーリックブレッドも美味しそうではあった。
「変異はどんなタイプがあるんでしょうか。調べてもよく分からなくて……」
「そうねだねえ……吸血鬼に関するサイトは、真面目なのとデタラメので極端に振れてるよね」
三人を代表し、篠井がやれやれと溜め息をつく。
「世間は最初ヒステリックに怖がり、罵った。でも異能が知れると妬み、嫉んでくる。挙げ句にわざと《マシスン病》に感染しようなんて連中も出てくる始末で……」
篠生の愚痴を聞いて莉子は身を固くした。
だがそれ以上の反応はなく、むしろ続きを促すような目で三人を見てくる。
双羽が代表して答えた。
「じゃあ最初から……吸血鬼は南米発祥の伝染病《マシスン病》に罹って肉体に変異症状が出て、なおかつ生き残った人のことを指す。出た変異――つまり後遺症によって大雑把に三種類のタイプに分けている」
グーを突き出し、説明しながら一本づつ指を立てていく。
「肉体強化の《狼》、拡大感覚の《蝙蝠》、そして神経変異の《鴉》。大抵の人は特徴が入り交じってるから適当に名乗ってるけどね。例外もあるし」
その説明を聞いた莉子が首をかしげつつ、双羽、彩華、篠生を順に見る。
ちょっと考え――
「双羽さんと篠生さんは鴉で、彩華さんは狼でしょうか?」
莉子が考えながら答え、何気なくパンケーキを口に運んだ。
そこで目を白黒させる。
思ってたよりずっと甘かったらい。
「僕と彩華は当たり。篠井さんは《蝙蝠》だよ。典型的なタイプかな」
「私が典型的かはともかく……それより彩華ね。この娘は実に狼だよ。鼻が利くから蝙蝠でも該当するけど、それより《狼》が似合う」
当人は無言。
代わりにもっきゅ、むっきゅ、ごくん。ズコー、という音が響く。飲んでても全然減らないように見えるコーラをテーブルに置いた。
「――私が蝙蝠を名乗らないのは、篠生さんみたいな人を見てるからですよ。空飛ぶし、口からビーム吐くし」
「人を怪獣扱いしないように!」
篠生と笑い合いながら、コーラの口休めが終わった彩華がポテトに移る。スコップで穴を掘るような勢いだ。
目を丸くしてる莉子に気付いた彩華が気を利かせてポテトを勧めたが、丁重に断られた。
「そういえば、皆さんは暗闇でも目が見えるんですか?」
首をかしげる莉子に、双羽が自分の目を指す。
色彩はまだ反転させてない。
「夜目が効くのは吸血鬼に共通する変異だね。目にあるゴブレット器官っていうのから、深海魚によく似た光感受性触媒が分泌されるようになるんだ」
「その……そういう変異が始まると、どうなるんでしょうか……」
どう言おうか少し悩んでいた双羽だったが、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「Mウィルスは天然の人体改造ツールと言ってもいい。だけど……副作用がある。潜伏期間を過ぎて変異が本格化すると、熱が出るんだよ。すごく高く」
珈琲を一口。
篠井と彩華も押し黙る。二人とも経験者だ。
「この高い熱と、変異で臓器が正常に動かなくなった人は……亡くなってしまう。生き残れたのは、ただ運が良かっただけ」
双羽の顔に陰が浮かぶが、すぐ晴れた。
晴らした――かも知れない。
「莉子ちゃんは感染してから時間が経ってるから大丈夫だと思う。変異の出ない幸運な人も多いんだ」
「はい……」
気付いた莉子は、間を開けるためかパンケーキをつつく。
やがて顔を上げた。
「あの……」
しばらく迷い、それからパンケーキをまた一口。
テーブルを囲む三人は打ち解けた雰囲気を維持しながら、莉子が喋る気になるまでじっと待った。
それが莉子の緊張を解いてくれたようだ。
「少し込み入った話になってしまいますが――ま、まず私の話を聞いていただけますか」
服のポケットを上から何かを押さえながら、莉子が身の上をとつとつと語り始めた。
母親のこと、父親のこと。
そして、二人との家庭のこと――
聞き終わるまで双羽たちは静かに、真剣に聞き役に徹する。
「……」
話し終えた莉子が小さく溜息をつく。
のしかかっていた重荷の一部を降ろせたような、静かな顔をしていた。
篠生が、莉子の話を咀嚼するように小さく頷く。
「感染が確認されたら、お母さんが莉子ちゃんを恐れるようになったんだ。今では家族がバラバラで……」
「病気を怖がるのは仕方がないと思うけど、子供を……!」
普段は感情を荒げたりはしない双羽が、珍しく感情を荒げた。
意外な一面に、彩華はオロオロするばかりだ。
「皆さんは感染してからどのようになったのでしょうか。ご家族とか、お友達とか……差し支えなければ、教えていただければ」
まず彩華が答える。
「幸いウチの家族は病気にとても理解がありましたけど、色々と迷惑かけてます」
ズズ……
彩華がコーラの残りを飲み干した。
でも、お腹はスッキリしている。
腹筋斜筋がガッチリ押さえているのだろう。
「友達は――色々かな。怖がって避けるようになった人も……確かにいます。あれ傷つくよね! もちろん全然気にしない子もいますけど」
当時を思い出した彩華が渋い顔になる。笑い話に転嫁するには、まだ少し早い。
篠生が続けた。
「こっちも似たようなものかな。私は麻痺が出たせいでリハビリ期間が長くて、大学に戻った頃には居場所がなくなってた。感染で亡くなった人もいて、それは私が感染を広げたせいだと言う人もいて……本当にそうかも知れないから、何も言えなかった」
なるべく軽く言ったらしいが、端々に重さが残っている。
彩華、篠生に続いて双羽が語り始めた。
「僕は南米で家族ごと感染したんだ。父が向こうの大学との共同プロジェクトに参画していて……そこで遺跡の発掘中に、父を含むチームと、その家族が一斉に感染した。発生国があそこだし、時期的にもしかしたら世界最初の感染者だったかも知れない」
それはつまり、双羽の家族が地球規模で大勢の人間が亡くなった発端であったということでもあり――
本人は何でも無いように言ったつもりだった。
でも本人には、それが成功していたかどうか分からない。
「僕は――僕だけは辛うじて生き残った。けれど、父や母、妹は……駄目だった。最初期で対処治療すら難しくて、昏睡から覚めたら家族は自分一人だけになってたな……」
双羽が目を伏せる。
あまりの重さに呆然としていた莉子が、ハッと気付いたように頭を下げた。
「無遠慮に聞いてしまって、ごめんなさい……!」




