自衛隊のスカウトマン
「ミナミ、今いいか?」
頭の上から自分を呼ぶ声がしたので、南3曹はデッキ塗装をする手を止めて顔を上げた。
「南、すまんけど、今からCPO来てくれ。甲板には俺がゆうといたから」
1分隊先任海曹の吉田1曹だった。吉田は「ツナギでいいからな。待ってるで」と言って艦内に戻っていった。先任が作業中に呼び出しに来ることはほとんどない。何か悪いことだろうか。南は最近の自分の行動を振り返ったが、CPOに呼びだされるようなことをした覚えがない。少し不安を感じながら、塗装道具のハケとデッキ塗料を入れていた空き缶を片付け、左舷で作業指示をしている甲板海曹の横田2曹に「行ってきます」と一言かけてから、CPO室に向かった。ハッチを開けて艦内に入るとひんやりとして心地よい。もうすぐ3月とはいえ、鋼鉄で作られている護衛艦は天気が良い日は鉄板が熱せられて熱を持つ。熱い甲板の上の塗装作業はしゃがみこんでの無理な姿勢で行うことも相まって、冬でも汗ばんでくる。ラッタルを一つ降りて2甲板の後部に進むとCPO室が見えてきた。南はCPO室のドア付近でツナギのチャックを上げ、少し髪を整えてから開けっぱなしのドアの前に立ち「南3曹、入ります。」と申告した。中から「おう」と返事が帰ってきた。ここに入るのはいくつになっても緊張するもので、少しぎこちなく入室する。
「おう、南、おつかれさん」そう声をかけてくれたのは右舷に設置されているソファに腰をかけていた吉田だった。「まあ座れ」とうながされ、南はソファの右斜にある椅子に「失礼します」と会釈してから着席した。いったい、どんな要件だろう。わざわざCPO室に呼び出すということは、やはり、悪い話だろうか。
「今日は天気いいから熱くてペンキ塗り大変やろ。ブラックでいいか?」
南が着席するより少し早く、吉田がソファから立ち上がり通路側にあるコーヒーメーカからカップにコーヒーを注いでくれた。「あっありがとうございます」といいながら、南は会釈した。
「まあ、まずは飲んでくれ」
吉田に促されて南はカップに口をつけた。
・・・一体、なんの件だろう。今までもCPOに呼び出されたことはあったが、大抵は説教で、コーヒーを出されたことは一度もない。カップ越しに吉田の様子を伺うも、苛立っているように見えず、平静そのものだ。吉田は部下指導に厳しい方で、裏表がなく、怒っているときはひと目で分かる。しばし沈黙が流れたが、南はコーヒーを大きく飲むと、思い切って切り出してみた。
「1分先、どのようなお話でしょうか。」少し上ずった声が出てしまった。
「ん?ああ、それがな・・・ちょっと先任伍長がもう少しで来られるから。それから話すから」
「へ?先任伍長もですか?あっはい」
予想外の吉田の返事に南は驚く。これは説教のレベルではない。何か大きな話だ。先任伍長が同席することなど、自分の関係する業務ではありえない。南は脳をフル回転させ、ここ数ヶ月の出来事の細部まで思い返そうと目を閉じて考えはじめた。
「いや、そう構えんでもいい。悪いことじゃない」
南の様子から察したのか、吉田は穏やかな口調でゆっくりと話した。
「おー、スマンすまん。もう来とったんか。ゴメンな」
大きくよく通る声で「ばんだい先任伍長」後藤曹長がやってきた。
「おつかれ様です」南は即座に立ち上がり、後藤に10度の敬礼をした。
「おつかれさん」後藤は答礼し、座ってと南に促した。
「よっさん、もう南に伝えた?」
「いえ、まだです。先任伍長が来られてからのほうがいいと思いまして」
後藤は「そうか」というとじゃあどうぞ、と吉田に手の平で促した。
「はい。それでは。南、実はな」
「はい」いよいよか・・ゴクンと唾をのむ
「お前に転出の話がきてる」
「へ?」
「いや、俺も驚いている。なんせ、お前はまだ2年しかウチで勤務してない。海曹課程入校ならまだしも、転出だからな」
転出?転出ってなんで・・予想もしていなかった言葉に南は困惑した。吉田の言うとおり、3等海曹に昇任してから入校を義務付けられる「初任海曹課程」を修業し、この護衛艦「ばんだい」の砲雷科に着任してから丸2年しか勤務していない。幹部自衛官でもない、ましてや3曹になりたての隊員が2年で転出するなど、聞いたことがない。
なんで・・へっ・転出?
予想にもしていなかった吉田の言葉にしばし放心した。
「それでな・・転出先は、大阪の浪速地方連絡部で時期は3月末なんや」
「はっ?」
「はっ?てなんや」吉田はむっとした目で南を睨む。
「あっ、すいません。失礼しました・・
ナニワチホウレンラクブ・・?
そんな部隊、あったか?
しかも、時期が3月末って、もう2月も終わりだぞ?
「・・・いわゆる地連だ。そこで広報官として話がきてる」
・・地連・・広報官・・?・・
なにか聞いたことがあるような・・なんだったか・・
南が頭の中でチレン、コウホウカン、と繰り返し検索していると、いつの間にか吉田の右隣に座っていた後藤が体を対面の南の方に乗り出し、口を開いた。
「南、お前が願書を出して入隊試験を受けるときの手続きとか入隊のときに教育隊まで一緒にきたりとか、面倒見てくれた人がおったやろ、アレや」
・・ああ!
そうだ、自分がまだ高校生だった頃に親切に接してくれたあの人が確か、広報官と・・・
頭の奥がぴかっと光ったかのような感覚と高校生だった頃に接した広報官の顔がおぼろげながらに思い出された。
・・いや・・待てよ・・たしか、自分の面倒を見てくれた広報官・・・欄間さんだったか・・・たしか子供が二人いて、歳も40過ぎだったような・・それに試験場で欄間さんが雑談していた他の広報官も欄間さんと同じぐらいの歳で、みんなベテラン自衛官のような気がしたような・・・
南はおぼろげな記憶を手繰っていた。
「思い出したか?」後藤がにこやかに言う。
「あっ、はい。なんとなくですが」
そうかとゆっくりうなずきながら、後藤は胸ポケットから煙草を取り出し、口の右端に咥えると、ジッポライタで火をつけた。ふーと煙を履きながら、煙草を持った親指でこめかみあたりを軽く掻いた。
「よっさん、口挟んでいい?」ちらりと吉田をみながら後藤が言う
「はい。お願いします」吉田は後藤に会釈した。
うんと後藤がうなずき、火のついた煙草の灰を灰皿に
「とん」としたあと、後藤は南に話しだした。
「じつはな・・・俺も驚いてんねん。お前みたいな若い者が広報官て・・」
「はい」南は無意識で相づちを打った。
「俺もこの話を砲雷長から聞いたときに言うたよ、ふつうに考えたら、2曹以上で歳も・・なんぼ若くても30代後半、イヤ40そこそこのベテランがいくとこやと。南はこれからいろんなこと覚えなアカン。他のにしてくれって」
後藤が自分の気持をすでに代弁してくれていたのか。
さすがは先任伍長だ。俺たち曹士の気持ちをわかってくれている・・
「はい」
「そしたらな、砲雷長が. ”先任伍長と同じ疑問があったので、私も鶴監人事課に若い隊員がなんで広報官に補職されるんだ?と質問しました”って聞いてくれてたの」
「ええ・・」
「それでな、ゆうなよコレ」
「はい」
「鶴監人事課は”年に一度の警備区内地連部長連絡会の席で浪速地連部長が白鶴総監に”海自から地連に派出されてくる隊員が広報業務を担うのには不適隊員が多い。広報官は隊員確保の根幹であるので、適正な隊員を派出していただきたい”と言うたんやて」
「はあ」
広報を担うに不適な隊員?そもそも広報業務をよく知らない南は広報に適した隊員の意味がよく飲み込めなかった。
「ほんでな、そこに琵琶湖地連と能登地連も乗っかってな、浪速地連部長とおんなじ主張をしたんやて。浪速、琵琶湖、能登の部長ゆうたら陸将補と1陸佐や。それが鶴総監である泉海将に会議の場で直訴したわけや」
「はあ」
「白鶴総監は多分、1海佐で自分の防大の部屋っ子やった越前地連部長にフォローしてほしかったんちゃうかな?”越前はどうかな”って振ったんや。・・越前は”正直、変わった隊員が多いです”て返しおってな。そしたら白鶴総監も”わかった。会議終了後に検討し、回答する。人事課長、後で私のところまで”って動かれたわけよ」
・・総監や地連部長等の自分の階級では到底、口も聞けない上位者の話を聞かされ、南は自分の人事と結びつける事が出来ず、どこか遠いところの話ではないだろうかと後藤の話に追いつけていなかった。
「で、会議終了後に総監が現在の鶴監警備区へ地連に派出されている隊員のリストを出せって人事課長に言うて、確認されたわけ」
「・・ええ」
「そしたらな・・ふっ、さすが総監やで、赤表紙も持ってこいゆうてな」
後藤は口元を緩めると、手で覆った
「アホで有名な蒸気の41歳3等海曹、赤表紙が真っかっかな航空機体の2等海曹、階級は曹長やけど昇任試験の点数が良いだけでコミュ症のGT員・・あっコイツは俺の同期やけどな。・・まあ、艦や航空隊で”いらん”ゆわれる奴のオンパレードやと気づかれたわけや」
後藤は話し終えるとがっはっは”と大口を開けて笑いだし、吉田も苦笑した。
・・入隊して8年に満たない南でも、後藤が話した隊員の経歴から、その危険度が容易に想像がつく。実際にそういう隊員は艦艇・航空部隊に配属されても、数ヶ月で艦からいなくなり、白鶴に数箇所ある陸上部隊のどこかに配置換えされ、面倒見の良い定年退官前の准尉や曹長の庇護のもと、簡易な業務に従事することになる。そんな聞くからに問題のありそうな隊員ばかりが派出されていたら、受け取った部隊はたまったもんじゃないだろう。
「はよゆうたらな、地連はこう言いたいんや。”海自はアホばっかり広報官に送り込まんと、まともな奴をよこせ”っちゅーこっちゃ」
「・・はあ」
「・・そこで、正月明けた頃に砲雷長からワシと吉田1分先が部屋に呼ばれて”だれか適任者を選出してくれ”ってことで下調整してたんや。いろいろ検討した結果、ウチからはお前を出すことで考えてる」
・・・それで・・・俺?・・・なんで?
南は成績は優秀でもないが、平均以下でもない。いわゆる普通の隊員だと自己評価している。周囲に比べて昇任が遅いわけでもなく、物覚えが悪いわけでもない。かといって秀でた何かがあるわけでもない。後藤の話からすると、地連は優秀な隊員が欲しい。後藤と吉田はその選抜にあたっていた。なのに、なぜ自分なんだ?同程度の入隊歴で優秀な隊員は「ばんだい」にいるじゃないか・・・
釈然としない南は膝に置いた拳を強く握りしめていた。
「なんで自分なんだという顔だな」
吉田の静かな声にどきっとし、思わず顔を上げた。
「・・・先任伍長が言われたとおり、ウチからは南を考えてる。・・もちろん、最初からお前の名前が挙がったわけじゃない。誰とは言わないが、私は広報官という業務上、階級は2曹以上で年齢も35歳以上ぐらいの隊員を考えてた」
「・・・はい」
「ただ、こちらが適任と思っても、浪速地連だと転居することになる。人によっては単身赴任になるだろう。・・・そのぐらいの年齢であれば子供もまだ小さい等の理由で白鶴市から離れにくい事情もある。そこはわかってくれるか?」
「・・・それは・・まあ・・はい」
確かに35歳頃というと、結婚して子供がおり、家を建てて数年という隊員が多い。自分がその立場だったら、安易に承知することはできないだろう。それに陸上勤務になるということは”乗組手当て”という本俸に約40%をかけた金額の手当てが、丸々もらえなくなっつてしまう。40歳頃ともなれば月に15万程度の減額になる。実際に艦の先輩隊員で陸上勤務に転出の内示が出た際、隊員自身は割り切れても、奥さんが納得せず、揉めに揉めた事例もあった。
「今回の話を受けてくれたら、私から砲雷長に1年間だけの勤務にして貰うように打診する。私としてもまだまだ学ばなければいけない隊員を何年も艦から離れるような人事は受け入れられない」
自分の将来を考えてくれているのか・・
吉田の真っ直ぐな言葉に胸が温かくなった。
・・・1年か・・・1年だったら・・・入隊してから海外派遣や入校で、実家にまともに帰ったこともないしな・・・
思っていたよりも短期間で艦に戻ってこれるんだな・・それなら・・いや、でも、艦を離れると技術が落ちる。同期との差がつく・・・
南があれこれ考え込んでいると、後藤が短くなったタバコをひと飲みし、煙を吐き出しながら灰皿にきゅきゅっと押しつけた。
「返事は明日の分隊整列後で頼む。正直なところ、考える時間が少ないが、もう2月も終わりだ。お前がダメだった場合、他の隊員を調整する時間がなくなるんでな」
後藤は南の肩を持ちながら”じゃ、明日な。今日はもういいぞ”と言って退出を促した。吉田も”うん”と南をみて頷いたので、席を立ち、CPO室の入口に進んでから回れ右をし「南3曹、帰ります」と10度の敬礼をしてから退出した。腕時計をみると、10時42分を指している。30分もCPO室にいたのか・・・
今から分隊作業に戻っても、すぐに昼食になる。南は自分の配置である主砲の揚弾機室に戻ることにした。
1甲板を艦首方向に進み、揚錨機室の手前に揚弾機室の扉がある。計8箇所のケッチを締めなければいけないが、停泊中は持ち手横の1箇所のみ締めている。真鍮製の受け皿をステンレス製にケッチを滑らせ、”シュッ”という気圧のかすかな抵抗を感じて扉を開けた。揚弾機室では砲台長兼班長の小田1曹が1人で砲台旋回部の油拭きをしていた。南は「おつかれさまです」と挨拶した。小田は「おつかれさん」と返すと、油拭きに使ったウェスをビニール袋に入れ、安全柵をよじ登って南の前に立った。
「コーヒー飲むか?」革手袋を外しながら小田がいう。「いえ、私が入れます。台長は座っててください」南はいいながら揚弾室の隅にある何年も前の乗員が作成したと思わしき作業台との横にコンデンサパッキンで軽く固縛されているカラーボックスを模したと思われる棚からコーヒーメーカを取り出し、ポリタンクの水をコーヒーメーカに入れてから、慣れた手つきでコーヒーフィルタに挽き豆を入れてスイッチを入れた。南がコーヒーを入れている間、小田は作業台に立てかけてあるパイプ椅子を広げ、タバコに火をつけて一服してからパイプ椅子に静かに座った。
「・・・それで・・分先から話し聞いたか?・・地連の」
やはり知っていたのか・・小田は班長なんだから当たり前か。南は小田と自分のコーヒーカップを準備しながら小田を見ずに答えた
「・・・はい。聞きました・・・」
「そうか・・・それで、どうや?自分ではどうしたい?」
「・・・本音を言えば行きたくありません・・・正直、なんで自分なんだと思ってます・・・」
「そうやろな・・・まあ・・・それが当たり前やろな。俺も先任から昨日、帰る前に聞いたときはなんでや?と思った」
「ほんとですか!」
小田は虚を突かれたような表情をした。
「当たり前やろ?せっかく戦力になってこれからやっちゅうときに・・・”他にもおるやろ?”って先任には言うたわ。・・・せやけど・・・先任がゆう、ホンマにウチから出せる奴がお前しかもうおらんゆうんも理解できた」
・・・理解できた?
・・・ということは小田は納得してるということか・・・
南は頭の後ろがどんよりと重くなるように感じると、”じわじわ”と気持ちが萎えてくる気がした。それでも、思い切って小田に疑問をぶつけてみた。
「あの、台長、”お前しかおらん”ってどういう理由なんですか?」
「ああっ?」と顔をしかめてから小田は”あーあー”と小さく頷いてからタバコをひとつ吸い込んだ。
「なんや、お前、なんで自分なんか聞かんかったんか?」
「あっいえ、少しは」
と言いつつも、転出の話で頭が一杯になっていたため、理由は聞いてなかった。小田に返事をしながらほんの10分ほど前の後藤と吉田とのやり取りを頭の中で思い出していた。
「・・・たしか・・・地連に派出されてる隊員はアホばっかりとか・・海自はまともな奴をよこせって上の人ばかりの会議で各地連部長に白鶴総監が言われたとか」
しどろもどろになりながら、CPO室でのやり取りを断片的に思い出しながら答えた。
「そうや。それ」言うなり小田は立ち上がり、南の横にあるコーヒーメーカから、サーバを取り出し、南が準備したステンレス製のカップに注いだ。”ほい”と小田がコーヒーの入ったカップを南に差し出す。”ありがとうございます”とお礼を言い、カップを両手で受け取った南はコーヒーを一口すすった。
「・・・まあ・・・アレや・・・海自は”つけ”を払うときがきたんや」
「つけ?つけってなんのです?」
「お前にゆったかも知らんけど、俺も神戸地連に3年おったんや」
「えっ?マジすか!」
予想もしなかった小田の言葉に南はコーヒーをこぼしそうになった。
「ゆうてなかったか?俺も37のときから3年、神戸地連で広報官やっとった」
「・・・初めて聞きます」
小田の思いがけない過去に南は動揺した。小田は砲台の整備はもちろん、部下の面倒見もよく豪快で、同年代の隊員から漏れ聞く小田の若い頃の話では相当な武勇伝を持つ「いかにも艦艇乗り」という隊員だった。その小田が陸上勤務経験者でしかも広報官とは思いもつかなかった。
「そーか。まあ、俺も希望したわけちゃうからな。当時の分隊長に”神戸地連いけ”って言われた時はビビったわ」
「・・・やっぱり、突然言われるんですね」
「まあ、人事の話はいつ聞いても突然やと思うけど。けど、俺の場合は艦艇から出されたんや。いわゆる”懲罰人事”ゆうやつや」
小田は煙を長く吐き出すと目を伏せて薄くった。
「懲罰ですか」
「おお。そん時「きりかぜ」に乗っとってんけどな、次席が嫌な奴でよ。俺は3席やってんけど、やれ”若い奴に指導してない”とか”物事をきちんと考えてない”とか嫌味ばっかりでな」
「はあ」いつの話かは忘れたが、過去の飲み会の席で席でこの話は小田から聞いたことがある。
確か、揚弾機室内で口論になって頭にきたから殴りつけたとか・・・
「ある日、あんまり腹たったから揚弾機室で二人のときにしばいたったんや。そしたら、そいつ、次の日は何にもなかったような顔しとったけど、台長と分隊長に報告しとったんやな」
「はい」
「そしたらそっから1ヶ月ぐらいで”神戸地連行ってこい”やったからな・・・まあ・・・しゃあない。手出したんは俺やからな。処分もらわんかっただけ、ありがたいわ」
「そうだったんですね」小田の年代は暴力事案が多いとは聞いていた。今だったら減給以上は間違いない。下手すれば停職もありえる。それが人事異動で済むのだから、やはり”時代”なんだろう。
「まあそれでな、神戸地連に行ってみたら、陸・空から派出されてる隊員は”まとも”なんや」
「・・・まともとはどういうことでしょうか?」
「たとえばな、俺が勤務した灘募集事務所は所長が陸自の3佐、本部員いうて総括業務を担当する陸自の曹長、広報官が陸の1曹、俺、空自の2曹の5人やってんけど、仲良なって話聞くと、所長は幹部やから別として、総括は40歳、陸の1曹は38歳、空自の2曹は27歳やってんな」
「えっ!みんな昇任早いですね」
「そやろ?俺が当時、1曹なりたてやったから、みんな早いわな。正直、驚いた」
「私もです。こういってはなんですけど、CPOで聞いた海自から地連に派出されてる隊員とは違いすぎて・・・」
「そや、俺も神戸地連に行く前に勤務経験のある人に話し聞いてから転出準備しようと思ってな、地連勤務したことある人、何人かに話聞いたけど”あそこは陸の組織で海は居場所がない”とか”嫌々行かされたから、適当に勤務した”とか、何の足しにもならんかった」
”ははは”と笑ってから、小田は短くなったタバコを吸うと、灰皿に押し付けた。
「・・・つまり、そんだけ海自は地連にアホかキズモノ隊員ばかりを送り込んだ。陸・空から派出されてる地連勤務者からすれば”なんでこんな隊員ばかり地連にくるの?”と言いたくなるやろ」
小田は2本目のタバコに火をつけ、深く吸い込んで吐き出した。
「各地連が海自の人事課に何度調整しても、変なヤツばっか送り込んでくるから不満が爆発して白鶴総監に直談判したんやろ。”ええかげんにせい”ってな」
小田が”ははは”と笑ったが、南はとても笑う気になれなかった。それよりも、自分とは到底関係のない負の遺産の積み重ねを、なぜ自分が精算しなければいけないのか。今までまともな人材を地連に送らなかった人事課の隊員が責任を取って地連で勤務するべきじゃないのかと、怒りがこみ上げてきた。
「だからな、逆を言えば、お前は周りにそこそこ認められてるわけやな」
「・・・はあ・・・」素直に喜べなかった。釈然としない感情を抑えながら、南は小田に切り出した。
「台長、ハッキリ言ってこの話は断りたいです」
「そやろな」小田は表情を変えずにタバコの先を見ている。
「まだまだ艦で勉強したいですし、海曹課程にも同期より早く入校したいです」
「うん」
「断っても良いものでしょうか」
小田は”うーん”と頭をかいた。
「南」
「はい」
「お前が明日どんな返事するかはお前が決めるこっちゃ。他人がとやかくいうことはできん」
予想通りの、小田らしい答えだった。
「ただな」
「はい」
「変なやつばっかり派出されてるからって、地連全体がレベルの低い隊員ばかりかと言うと、そんなことない。つか、民間人と調整するんやから、少なくとも陸・空はマトモな隊員が多い。地連勤務の経験もない隊員がイメージだけで地連のマイナスな部分ばかり強調してくることには振り回されるな。勤務したこともないのに分かるわけない」
「!はっ、はい!」
「俺は、まあ自業自得で地連勤務になったけど、正直言うて学ぶことが多かった。・・・地連で勤務していると、自分はええ年こいて、社会常識がなかったんやなあと気付かされた」
「・・・どういうことでしょうか・・・?」
南から見て小田は、特に非常識な人物とは思えない。若い隊員がミスをしても、真剣に取り組んだ結果であれば「そんな日もある」と感情的に怒鳴りつけたりせず、何が原因でミスをしたかを指導してくれる。職務に対しても真摯であり、礼儀正しい人物と認識していた。
「・・・台長が非常識とは思いませんけど」
小田は”ふっ”と笑いながら右手を左右に振った。
「ちゃうちゃう。俺がゆうたんは”社会常識”・・・そうやな・・・例えばお前、スーツの正しい着かた、知っとるか?」
「えっ?」
「だから、スーツの正しい着かたや!知らんやろ?」
「・・・はい」
スーツという聞き慣れない言葉に即座に反応できなかった。
「お前、いくつや?」
「今年で25になります」
「最後にスーツ着たんはいつや?」
・・・いつだろう・・・最後にスーツを着たのは・・・そうだ、3年前に掌砲長が定年退官されるときの送別会で着て行った気がする。そのときもたしか、当時の班長に言われて着て行ったのだ。南は当時の班長に言われるまでは転勤者の送別会と同じと考えていたため、ジーパンにポロシャツで参加するつもりだった。その日の送別会は白鶴市内のホテルで行われ、参加者もスーツ着用はもちろん、掌砲長を慕う元部下から、他部隊の艦長まで出席していた。自分の常識のなさへの反省と助言をしてくれた班長へ感謝の念を持ったのだった。
「・・・3年前の送別会のとき以来、着てません」
「3年前?・・・ああ、大村さんの退官パーティのときか?」
「あっはい。そうです」
小田は”そうか”とつぶやくと、タバコを一つ吸った。
「・・・まあ、そんもんやろな。いや、コレはお前だけやない。幹部でもない限り、通勤時のカッコなんか春、夏はポロシャツにチノパンかジーパン、靴はスニーカーで冬は上がパーカとかセータにコートかジャンパを上に着るくらいやろ。カジュアルってゆうたら聞こえはいいけど、スーツなんか着る機会ないもん」
「・・・そうですね」
南は相づちをうちながら、自分の通勤時の服装を思い返した。乗員、特に曹士は小田の言うとおりの服装で上陸している。教育入隊中の外出は制服上陸だったし艦に着任して先輩から”上陸時の服装は襟付きシャツだ”と指導を受けてから、ポロシャツにジーパンで通勤するようになった。周りも似たりよったりの服装のため、特におかしいとは思っていなかった。
「けどな、シャバの人や役所に勤めとる公務員なんかはスーツ通勤が当たり前やねん。俺らがちょっと異質や」
・・・異質とまでは思わないが。
「仮にお前がシャバの会社員としよう。25才やったら大学新卒で入社しても3年、新人とはいえん。スーツを着用して当たり前、着こなせて当然というところに、お前はそんな知識がないまま、なんも知らんと行くわけや」
「・・・はい」
小田の”何も知らない”という言葉に少し”むっ”としたが、そのとおりだった。
「お前は兵隊としては7年勤めたかもしれん。けど、正しい敬礼はできても正しいお辞儀は知らんやろ?申告の仕方は知ってても名刺の渡し方を知らん。冠婚葬祭のマナーもようしらん、ちゃうか?」
「それは・・・おっしゃるとおりです」
小田のいう”正しいお辞儀”や”名刺の渡し方”など、今まで考えもしない事だった。海上自衛官のましてや曹は仕事上で民間人と接する機会など殆どない。南のような艦艇勤務者はなおさらである。
「何が言いたいかと言うと、シャバに関しては世間知らずやということや・・・」
「・・・台長も 、そうだったんですか?」
「そうや、37歳までシャバの常識は全く知らん”シャバ2等海士やった!」
なははと笑いながら小田は煙草をまた一つ吸った。
「南よ・・・お前の場合は艦で使いもんにならへんから地連に行くんとちゃうぞ。少なくとも俺はそう思ってない。・・逆に考えたら、給料もらってビジネスマナーとか世間の空気を学べるんやで。他の自衛官が定年退官後のええ年になってゼロから学ぶことをやで?お前にとって、ホンマにマイナスしかないか?」
「それは・・・」
「オレも艦では”仕事のできる面倒見のいい先輩”を何人も見てきた。けど、そんな人でも定年後に再就職してから、ものの数ヶ月で退職する人が多い。それは、民間と自衛隊とのギャップを受け入れられない、まあ言うたら、いい年になってから自分を変えたり、へりくだったりできんからや」
「・・・たしかに」
「地連は調整先は民間人が9割や。民間の空気感を若い時にしれるんは、俺はプラスやと思う」
小田の言葉は南にとって驚きだった。てっきり小田は”地連なんか断われ”と言ってくれるだろうと思っていた。なんなら先任伍長や分隊長である砲雷長に掛け合ってくれるのではないかと密かに期待もしていた。それだけに、小田から地連勤務を後押しするような発言がでたことに驚いた。
「・・・ですが」
南が答えを言い淀んでいると、艦内マイクからサイドパイプの”ホヒーヒホー”という笛の後「配食用意」の号令が入った。
小田は号令を聞き終えるとタバコを灰皿に押しつけ、コーヒーを飲みほし”ごっそさん”とカップを洗い桶に入れた。
「今日しかないけど、考えて答え出せ。それしか言えん・・・もうメシやぞ。着替えてメシいけよ」
小田の言葉に反応して、揚弾機室の壁に掛けている水晶時計を見ると、1140を指していた。南は洗い桶にカップを入れると、揚弾機室のケッチを回し”失礼します”と会釈してから通路にでた。
食事をするため、シンナーくさいツナギから作業服に着替えようと居住区である1Lに向かった。
”行くしかないのか・・・”と諦めにも近い感情と気だるさを感じていた。
午後の整備作業はまったく気が入らず、ペンキを塗っていたことしか覚えていない。単純作業ということもあるが、自分の転勤話が原因だ。自宅である白鶴市内のアパートに戻り、シャワーを浴びてから何もする気がおきず、ソファに寝転がってから1時間は経つ。
地連で広報官か・・・考えてもいなかった。浪速地連ともなれば大阪へ引越しもしなければいけない。今の部屋は3曹に昇任してから長く住むことになるだろうと探し歩き、家賃は少々、高いものの、築浅のマンションにした。家具も良いものを揃えた。近所付き合いも大事だろうと、地域の清掃やイベントにも積極的に参加していた。それらに使った金、時間、労力が無駄になるとは思ってもみなかった。また、それ以上に自分は艦から必要とされていないのだろうかとの考えが頭から離れなかった。
・・・いっそ、退職するか・・・
白い天井を眺めながら無意識につぶやいていた。
・・いや、だめだ。前向きに考えよう・・誰かに相談してみるか。リビングの白い壁に掛けてある時計をみると、6時を少し過ぎていた。
南は携帯を取り、教育隊からの気心の知れた同期である浜田に電話をかけた。流行りの着うたが流れた。新しいもの好きの浜田らしい。
「おつかれ、どした?」
浜田らしい軽い感じの受けごたえになぜか安心した。
「おつかれ。いや、今時間ある?」
「おー、大丈夫よ」
「急やねんけど、ちょっと飲みに行かへん?」
「本当に急やな。いいけど。どしたん?」
「いや、会ってからいうわ・・・」
南の声のトーンが無意識の内に落ちた。
「・・・そっか、そしたら東駅前の「まこと」でもいく?」
浜田は声から何か感じたのか、少し間が空いた。
「うん。充分」
「そしたら今から出るわ。店の前で合流しよう」
「わかった。多分15分ぐらいで着くと思う」
「おー了解。またあとで」
言うなり電話が切れた。
南はふーと、ため息に近い空気を吐き出したあと、頭のモヤが少し残った状態で、携帯と財布をジーンズのポケットに入れてから玄関に向かった。
まだまだ雪がちらつく日もある白鶴市は寒い。先週も脛の半ばぐらいまで雪が振り、朝から雪かきをした。積もりはしないものの、3月半ばに雪が降った年もあった。そんな白鶴から、あと少しで出ていくことになる・・・朝、CPO室で後藤と吉田からされた転出話を思い出しながら、道路脇に雪が残る人影の少ない東駅前を「まこと」に向かって歩いた。
「まこと」の立看板が見えたと思ったら、こちらに気がついた浜田が笑顔で手を振り「おつかれさん」と声をかけてきた。
南は小走りに駆け寄り「早いね」というと「家、駅の裏だから」といつもの調子で返ってきた。
二人は「まこと」の店内に入り、おかみさんに促され、席を衝立てで仕切っている座敷に通された。
浜田は席に着くと、おしぼりと注文を取りに来た店員に「生中2つ」と注文した。
「・・・1ヶ月振りくらい?」
浜田が明るく声を掛けてきた。
「・・そんぐらいかな。前がリフレッシュウィーク終わったころに飲んだっけ」
「あー、そうね、そんぐらいね。いやー、一昨日まで2周間出航してたから。早く感じるね。やっと代休もらえたわ。」
浜田はイージス艦「あそ」の乗組員だ。南とは教育入隊時に同じ班だった。同い年ということもあり、教育隊修業後もよく一緒に遊びに行く仲だ。明るく社交的で気遣いも上手く、射撃管制員としての評判も良い。人間関係が上手な同い年の浜田を少しうらやましいと思ったこともある。
お互いの近況を話していると、店員が生ビールの中ジョッキとお通しを持ってきたので、乾杯することになった。
「おつかれー」
「おつかれ」
グラスを軽くこつんと合わせると、お互いにジョッキの中頃まで一気に飲み干した。ビールの苦味と酸味、「しゅわしゅわ」とした刺激が気持ちいい。「ごつごつ」と机にジョッキを置く音が軽く響くと、浜田はおしぼりで口を拭いながら、「いやー美味い。寒くてもビール美味い」と目を閉じながら吐き出した。
浜田は割り箸を唇に挟んで割り、お通しの赤なまこの酢の物をつまんで一口食べ、ビールを煽るように飲み干した。カウンターの方を見ながら「すいません!生中おかわり。2つで」と注文してから浜田は南に向き直り、飲むだろ?と確認した。
「それで、どしたの」一息ついてから浜田が切り出した。
南は浜田に促され、うつむき加減に話した。
「実は今日、転出の話があって・・」
「へっ?なんで?」浜田は目を開き、前のめりになった。
「いや、なんでか分からんけど」
「そうなの・・どこいくの? ・・もしかしてウチ?」
それだったらどんなにいいか・・南の脳裏に浜田と「あそ」の上甲板で並んで甲板作業をしている姿が浮かんだ。
「いや・・ それが・・」
「・・どしたの、嫌なとこなの?」
「嫌なとこというか・・よくわからないというか・・」
「・・・もしかして、陸上?」
浜田の問い掛けに南は力なく頷いた。
「マジか!なんで?」
なんで?か。それは俺のセリフやな・・
「陸上ってどこよ?教育隊班長とか?」
「いや・・それが・・浪速地連やねん」
「は?なんて?」
「いや・・だから浪速地連。広報官だって」
浜田は「へ」と漏らした後、目線だけ天井の方向に動かし、腕を組んだ。記憶を探っているようだ。
「なにわちれんってどこ?そんな部隊、あったっけ?」
「大阪にある。ほら、入隊する前に試験の手続きとかしてくれた人がおったやろ。あれよ」
浜田は「おー」と合点がいったのか机を手のひらで軽く2回叩き「あー、はいはいはい」と小さくつぶやいた。
「アレ、でも俺の面倒見てくれた人は陸自の人で、年も40超えてたぞ」
「・・・そうやねん。俺も言われたときはベテランがやるもんやろって思った。」南は残りのビールを飲み干すと、今日の「ばんだい」での出来事を話した。浜田は相づちを打ちながら、話を遮らずに最後まで聞いてくれた。
「・・・ということで、考えがまとまらんくて」
「そりゃあまとまらんよな。突然すぎると思うよ。しかも、3月転出だろ?おかしいよ」
自分に対して同情的な浜田の様子に、少し安心した。そうだよな。どう考えても理不尽だろう。話してる間に届いた二杯目のビールをすすった。
「つーかさ、断ったら?」
「うん・・・」
「いくら総監が言ったことでも、南が直接、指名されたわけじゃないんだろ?他の部隊にも同じような話をされてる人もいると思うし。その中の誰かが行くっていったら、転出はなくなるんじゃない?」
「えっ?」
「いや、だから「ばんだい」は南が適任って言ってるけど、他の部隊でも選抜された人がいると思う」
浜田の言葉にハッとなった。そうか、確かにそうだ。希望者が少ない配置に転出させるのだから、自分だけに声を掛けているわけがない。当然、断る人もいる。それも踏まえて調整をかけているならば他部隊でも自分と同じ境遇の隊員がいると考えるべきだ。南は浜田の方に向き直った。
「そうやんな。・・・浜田、ありがとう」
「えっ、おお、よくわかんないけど」
「いや、そうやんな。「ばんだい」では俺だけど、他の部隊にも調整かかってるよな。あせった」無意識のうちに声が大きくなっていた。自分でも気分が高揚しているのが分かる。
「まあ、取り敢えず断って、それでも行けって言われたら返事を引き延ばしてみたら?上手く行けばその間に誰か決まるかもしれんし」
そういうこともあるか。確かに浜田の言うことは一理ある。上官への返事は急がなければならないと無意識に思っていたが、すぐに返事をするばかりがいいことではない。自分が悩んでいる間に決まるかもしれない。本音を言えばあまり受けたくはない話なんだから、他の候補者に決まれば、こんなにいいことはない。物事を一方向に考えがちな南は、浜田の柔軟な考え方にこれまでも何度か助けられた。今回も浜田の言葉に霧が晴れたような心持ちになった。
すっかり気を取り直した南は料理をいくつか注文し、浜田とぱくついた。いつの間にか二人とも、飲み物は焼酎に変わっていた。
「よし、明日の返事はお断りしますでいこう」
「おお。いいんじゃない」
「うん。今日はありがとうな」
「いーえ。どういたしまして」
そろそろお開きにしようかと腕時計を見ると、時間は9時になる少し前だった。最後にもう一杯、焼酎水割りを注文した南は「浜田ならどうするのだろう」と、なんとなく気になり浜田に尋ねた。
「あんな、もし浪速地連の話がお前にきたらどうする」
えー?とグラスに残った焼酎を飲み干してから浜田が答える。
「あー、多分、受けると思う」
「へ」きっと「ないない」とにこやかに流すだろうと予想していた南は浜田の予想外の言葉に間の抜けた返事が漏れた。
「えっ、なんで?」
「・・・なんていうか、お前んとこの台長が言ったことが気になるというか・・そのとおりというか・・・」浜田の言葉に昼間、揚弾機室での小田とのやりとりが浮かんだ。
「なんていうかさ、俺もスーツの着こなしとか正しいお辞儀の仕方とかよくわかってないし・・・実は夏の休暇の時に、2歳上の従姉妹の結婚式に行ったんだけど・・・御祝儀の額もなんとなく3万かな?とか持ってるスーツに白ネクタイでいいんかな?とか、よくわからないけど、親父のマネしとけばいいかな?って思って参加したんだ」
「うん」浜田が目線を下げたまま続ける。
「従姉妹はさ、東京でいいとこのOLしてるから、参列してる従姉妹の友達も会社員が多いのね・・・それで従姉妹の友達は同じ白ネクタイでも銀色っぽいやつとか・・・カフリンクスつけてたりとか、スーツも体にあったスーツというか。上手く言えないけどみんなおしゃれでさ・・・なんか、年はあんまり変わらないのに、引け目を感じるというか、浮いてるというか」
「・・・うん」
「それに、南は芳名帳の書き方って知ってる?」
「ほうめいちょう?何それ」
「ほら、結婚式の受付で書くやつ」
なんとなくイメージできたが、書いたことがない。名前を書くぐらいの知識しかない。
「アレって一人づつ書かなきゃいけないみたいで、俺、母さんに「一緒に書いといて」って言って「何いってんの!自分で書くのが当たり前でしょ」って注意された」
「えっそうなの」
「うん。それで、母さんが書いた紙の裏に書いたら「何やってんの!次の紙に書くの!」って注意されて・・・後ろに並んでた俺と同年代の人もニヤニヤしてたから、恥ずかしかった。そういうの知らないとだめだなって」
浜田が歯切れ悪く話す。同じシチュエーションなら、自分はどう考えるだろう?きっと、居心地の悪い思いをしたのではないか。浜田の言葉が胸の奥に染みてくる。それと同時にいつも明るく前向きな浜田が、いかにも自信なさげな態度に驚きと新鮮さを感じた。
「けど、そうゆうのって・・どこで勉強すればいいのかわかんないし、少なくとも艦の先輩達は知らないだろうし、マナーとか載ってる本を読むぐらいしか思い浮かばない・・・少なくとも、このまま白鶴で兵隊を続けてたら、あんまり必要ないから、何も変わらないままかなって」
「・・・うん」
「そう考えると今から一年間、給料もらいながら勉強するのは自分にとってプラスかなって・・・ごめんな、引き伸ばしたら?とか言っといて」
浜田がぺこりと頭を下げた。
「いやいや、ええよ。全然!」
「そうか。まー、一番大事なのは、南の気持ちだから」
そういうと、浜田はいつもの笑顔に戻っていた。
店の前で浜田と別れて、街灯の少ない大通りを自宅に向かって歩いた。空気がつめたく澄んでいて気持ちいい。南はアルコールで鈍くなった頭で浜田の「自分なら受ける」から始まったやりとりを反芻していた。
・・・浜田は台長と同じ考えか・・・確かにスーツの着こなしとか冠婚葬祭のマナーの正しい知識はない。けど、それって民間人はみんな知ってることか?・・・そんなに頻繁に行くものでもないし・・・そりゃあ、知ってれば恥ずかしくはないけど・・・地連勤務終了後は艦艇勤務に戻るのだから、そんなに必要じゃないんじゃないか・・・むしろ、今から術科をどんどん勉強しなければいけない時期なのに・・・
そう自分に言い聞かせながら自宅に戻り、一直線にベッドへもぐりこんで眠った。
いつもどおり5時に起きた。昨日は着替えもせずに眠ったので、服と枕からヤニと脂の匂いがする。つい「スーッ」と匂いを嗅いでしまう。ぼんやりとした頭のまま、浴室に向かった。熱めのシャワーを浴びると、段々と頭が冴えてくる。今日は返事をする日だ。浜田と話して一度は目の前が開けたと思ったが、また暗礁に乗り上げた。・・・結局、自分で決めるしかない。悩まなくてもいいんだ。自分がどうしたいかを伝えよう。今までもそうしてきたじゃないか。その結果、望まない道に進むとしても、いやでもやるしかない。
「よし」と気持ちを入れて、浴室を出た。
「おはようございます」桟橋を登りきり、当直海曹の青山2曹に挨拶をした。青山は敬礼しながら、挨拶を返し「そうそう」手敬礼をした右手を軽く振った。
「南、1分先が甲板掃除前にCPO来てくれって言ってたぞ」
「あっ、はい。ありがとうございます」
「朝から呼ばれるってなんかあったのか?」
青山は興味津々といった表情だ。
「いや、ちょっと」舷門札を取り終わり、会釈しながら返す。
「そうか、おつかれさん」
南は舷門を足早に立ち去り、作業服に着替えるために居住区である1Lに向かった。「おはようございます」と挨拶をしながら1Lのドアを開けると、水測員の福島1士が洗い終わったカップを食器棚に片付けていた。
「おはようございます」
「いつも早いね。今日、海士は福島だけ?」
「いえ、茅野と船場がいます。茅野はシャリ番で船場は多分、VLS管制室です。」
南はそうかといいながら、隔壁に貼ってある当直割りを見た。約1カ月の訓練からつい先週戻ってきたばかりのため、大半の乗員は代休を取って休んでいる。今日の1分隊は当直員の5人しかいないようだ。
「南海曹は代休じゃないんですか?」
「・・ちょっと仕事が残ってて」
「えー、大変ですね。小田海曹もさっき来られてましたよ。射撃は忙しいんですね」
「えっ、台長が?」
「はい。ちょっとやったらすぐ帰ると言ってましたよ」
「・・・そうか」
福島と言葉を交わしてから、作業服に着替えるために自分のベッド横にあるロッカーまで進んだ。南は着替えながら、ひょっとして小田は自分の事が気がかりで、わざわざ代休日に帰艦したのだろうか。なんにせよ、挨拶に行くか。着替えが終わると南は給弾室に向かった。
給弾室のハッチを開けると、油とコーヒーの匂いが鼻に入ってきた。奥を見ると小田がパイプ椅子に腰を下ろし、アルミカップで何かを飲んでいる。きっとコーヒーだろう。
「おはようございます」
「おはようさん」
南が挨拶をすると、小田はカップを軽く振り、微笑んだ。
「どうや、どうするか決めたか?」南目をじっと見つめて小田が聞く。南は意を決して答えた。
「はい・・・やっぱり、断ろうと思います」
「そうか。わかった」
「・・・えっ」
「なんや?えって。断るんやろ?」
「あっ、はい」
「ええんちゃうか。お前が決めてんから」
「・・・はい」
意外だった。昨日の小田は地連勤務に好意的な印象だった。南はてっきり、説得されるものと思っていた。
「取りあえず1分先と先任伍長に返事してこいよ」
小田はカップを持った右手をハッチの方に向けた。
「はい・・・行ってきます」
南は給弾室を出て、後部にあるCPO室へ向かった。小田の反応が意外とあっさりしていたので、拍子抜けした。昨晩の浜田が言っていたとおり、他に候補者が数名いて、自分は優先度が低いのかもしれない。1分先と先任伍長も艦への残留をあっさり認めてくれるのではないだろうか。そんなことを考えていると、少し足取りが軽くなっていた。
約50メートルぐらいの通路をまっすぐに進み、右舷後部にあるCPO室の前に着いた。身だしなみを確認してから、開放されている入口に立った。
「南3曹、入ります」
中から「はい」と返事があったことを確認し、入室した。
「おお、おはよう」先任伍長の後藤はソファに深く沈んでいた。
「おはようございます。分隊先任に用件があり、参りました」
1分隊先任の吉田は制服姿だった。今日は当直のためだろう。
「来たか、まあ座れ」吉田はテーブル横の椅子を南に勧めた。
「失礼します」南は姿勢を正して着席した。
「・・早速だけど、返事を聞かしてくれるか」
吉田は南に正対し、姿勢を正して聞いた。
「浪速地連への転出は、お断りします」
南が言い終わると吉田は「フーッ」とため息を漏らし、首を「こきこき」と音がするぐらいに振ったあと、腕を組んで尋ねた。
「・・・断る理由を聞かしてくれるか」
・・・やはり聞かれたか。南は朝から繰り返し考えていた理由を述べた。
「1番は艦艇勤務でまだまだ経験を積みたいです。正直、術科技能が未熟なのに、自分の職域を離れたくありません」
「・・・そうか・・・そりゃそうだな」
ウンウンと頷きながら吉田が頷いた。怒っているようには見えない。これは・・自分の気持ちが通じたのだろうか。
「他には理由があるか?」
「はい?」
「いや、他には何か断る理由はないか?」
「・・他は・・」
ほか?他の理由?立派な理由だと思うけど・・・
南はてっきり吉田が納得してくれたものと思い、頭に空白ができた。南の思案している様子を見て、吉田が言う。
「例えば近々、結婚予定であるとか。もしくは借金があって乗組手当がないと金銭的につらいとか」
「えっ、いえ、ないです」
南は予想外の吉田の言葉に即座に返した。
「・・・そうか」
言い終わると吉田は組んでいた腕をとき、あごを掻いてからテーブルの上で掌を組み前のめりになった。
「つまり、私生活も金銭面も問題ないってことでいいんだな?」
「はい」
「であれば、さっきお前が断る理由は個人的な感情になるわけだ」
「はあ?いえ、違います」
「何が違う。じゃあ聞くが、艦艇勤務で経験を積みたいと言ったが、それは「どこまで」積めば未熟じゃなくなるんだ?」
「どこまで・・」
「そう、どこまでだ?」
「それは・・・」
南は言い淀んだ。どこまで経験を積めば未熟ではないのか・・・
確かに吉田の言うとおり、あやふやなものだ。
「・・・まあ、お前の気持ちもわかる・・・まだ25なのに広報官とは、私も意外だった。正直、来年か再来年あたりの海曹課程入校まで、ウチにいるものと思ってたからな」
吉田もそう考えてくれていたのか・・・南は少し安堵した。
「けれども、人事は「ひとごと」とも言うとおり、個人的な感情では動かない」
吉田の言葉に頭の後ろのほうが熱くなった。同時に目に力が入り、考える前に言葉が出た。
「・・・でしたら、なぜ1日考えてこいとおっしゃったんですか」
「あっ?」
「1分先なら、私に借金や結婚の予定がないこともご存じですよね? 初めから聞く気がないんなら、休みの日に呼び出さなくてもいいんじゃないですか?」
「・・・おい」
「転出させるありきで「形だけ」の面談なら無駄じゃないですか!」
「おい!俺に言ってんのかそれは!」
吉田が語気を荒げた。
「他にいてるんですか!」
南も荒げた。もう止まらないことが自分でわかる。とことん言ってやる。そう決心して立ち上がろうとした南は両肩に重さを感じた。
「みなみ〜まあ、座ろうか? なあ〜?」
振り向けば先任伍長の後藤の顔が南の目の前にあった。慌てた南は立ち上がろうとしたが、後藤に肩を抑えられて立ち上がれない。
「まあまあちょっとエキサイトしすぎたな?よっさんもよ」
吉田は立ち上がりかけた状態から姿勢を正し「すいません」と目を伏せながら、小さくつぶやいた。
後藤は「いい、いい」と手を軽く吉田に振った。
「南、お前も今の態度はないぞ?」
後藤のたしなめに興奮が少し収まってきた。心臓が早く打っていることを感じる。上位者に対して確かに失礼だった・・けど・・
「俺のへやにいこうか」後藤はソファから立ち上がり、吉田に「ちょっと行ってくる」と伝えてCPO室を出た。
南は吉田に「失礼しました」とつぶやきながら会釈した。吉田にも「いや」と返した。
南は後藤の後をついて、先任伍長室に向かった。
先任伍長室は2甲板の左舷後部にある。先任伍長室に到着するまで、後藤は無言だった。
先任伍長室の扉前につくと「まあ、どうぞ」と後藤に促され、入室した。先任伍長室は士官寝室を割り当てられたもので、士官寝室と作りは同じ。2段ベットに縦型ロッカー、洗面シンクと支給されたポットがある。本来は2人部屋だが、先任伍長は曹士の心情把握、個人面談を行う機会も多いため、1人部屋となっている。
「ソファにどうぞ」
隔壁に背もたれが備えつけられた赤い座面のソファに着席を促され、南は「失礼します」会釈してから静かに座った。
後藤は回転椅子に腰掛け、天井を見ながら「ふーっ」と漏らした。
「南・・・ちょっとは落ち着いたか?」優しく微笑みながら後藤が言う。
「・・・はい・・すいませんでした」
「いい、いい。そういうこともある。まあ、吉田も言い方がちょっと性急だからな・・・けど、真面目なんだよ。嘘はつけないし」
「はい・・それは・・」
「まあ、俺も横で聞いてたけど、浪速地本に行きたくはないんだな?」
「はい」
「けれども、理由はまだまだ艦艇で経験を積みたいから以外はないんだよな?」
「・・はい」
後藤は「うーん、まいった」と空をみてつぶやき、腕を組んだ。