31話 舞踏会
<登場人物>
・ルナ:月から来た魔法使い。月年齢で十歳
・葵星:異世界転移した在宅ぼっち。地球年齢で三十歳+α
・未心:初めて出会ったステラの住人。ステラ年齢で十七歳
・ピコ:持ち運びも可能な球体の投影機
・チョコ:星空の魔法で人間になった、元トイプードルの少年。
・イチゴ姫:星空を独占した王国のお姫様。チョコの元飼い主。
<前回のあらすじ>
王都中の期待を受けて、チョコは言葉を取り戻す。
劇団ピコ・ボックスはゲリラ公演へと乗り出した。
王国の繁栄を祝う花火は、暗闇への狼煙のようだ。
等身大の王様と王女様が描かれた画が飾られた額縁のかけられた扉。
免れざる追放者は忍び込むだけだ。
優雅な音楽が流れる広間。
幾つもの紋様が描かれた天井からぶら下がったシャンデリアが正方形の室内を金色に輝かせる。
踊っている人達は権威ある顔ぶれだ。オートクチュールのドレスを纏った女性と、恰幅の良い貴族姿の男性がくるりひらりと踊っていた。楽しむための踊りではなく、しきたりとしての舞踏が繰り広げられている。
「先ほどは、どうされたのですか?」
「いいえ。トラブルを未然に防ぐのは、国を治める姫の務めですから」
玉座のある最上段では、姫様と例の王子様が手を取り合って眼下に広がる光景を眺めていた。
踊る者達が姫様と王子様に目が合えば必ず会釈をし、例外なく微笑みを振り返していた。
群衆は心からの笑顔を忘れたものばかりだった。
道化の集団に、一人一人の気持ちなど初めから存在していない。
「それも、<星空収集兵器>の力なのですか?」
「ええ、半分は、そうですね」
「素晴らしいよ。是非、我が国の平和と幸せも底上げできないだろうか」
「勿論ですよ。我が国の責務を担ってもらうのですから、それくらいのことはさせていただきます」
高身長の爽やか金髪のハンサム王子。
カッコいい要素を並べるとなんとも滑稽なものだが、彼もまた政略結婚の駒にすぎないのだ。
あまりバカにしてやるのも可哀想なことだ。
彼もまた、イチゴ姫と結婚する運命を生きてきたに過ぎない。
一国を背負う立場として、輝かしい未来を捨てる未来など選択肢になかった。
それができるのは、文脈を無視することのできる愚か者だけだ。
「噂によると、イチゴ姫もダンスがお好きなのだとか」
「民が好きなように慕っているだけです」
「でしょうね。舞踏なんて、儀式にすぎないのですから」
「王子は、先ほど舞台は楽しめましたか?」
「ええ。セレスティの文化の力を堪能しました」
タイルに映る規則的な足取り。かつかつと鳴る足音すらも規律的だ。
少年は、心の中に淡々と、異国で見た潮騒を思い浮かべた。
引いては寄せる。
広大だけど小さな僕を見捨てない。
渦巻く権威や秩序に飲み込まれないように、まるで迷路のような舞踏会の真ん中を歩いた。
慈愛と悲哀を想起させる曲調に合わせて、サイドステップを踏み、ターンを織り交ぜては人の波を避けて渡る。
決められた動きからはみ出ると人と人がぶつかってしまうため、自分という異物がいても彼らは取り乱すことが出来ないのだ。
外では幸せを称える国民の声、中ではしきたりに忠実に従う貴族民、その頂点では一人くすんだ笑顔のお姫様。
「何用ですか」
王子に似て細身である刀身の切っ先が僕の眉間に突き付けられた。
チョコは王子に向けてにかっと笑って手を広げて見せた。武器を所持していないことを証明するためだ。
王子の表情が緩んだすきに姫様を盗み見て、一つ柔らかく微笑んで見せた。
「またお前か」
「……それは、どうでしょう」
「おどけていないで質問に答えろ」
わおぉーーーーん!
遠吠えが轟く。
王子を含め、貴族達は不快音に耳を抑えた。
耳を塞がなかったのは、イチゴ姫だけだ。
「帰りなさい」
本当は、目を合わすのも難しかった。
こんな攻撃的な目、犬には見せない敵対心を、真正面から受けたくない。
姫様の五指が、チョコの有無を無視する。
「<運命の決定>」
「わおぉーーーーん!」
支配には、気合いで対抗した。
期待を背負っているのだから、できることは全部やる。
「姫様、ボクは言いたいことが」
「だったら喉が枯れるまで」
あ、手は二つあって、指は十本あった。
呼吸が間に合わない。
そりゃ、片手と両手じゃ演奏のレベルは違うよな、とチョコは思っていた。
無謀だった。一人だけなら。
「あ、あ、わん、つー、わん、つー、マイクテスト」
姿のないルナの声が響き渡る。
「ちょっと、次は何?」
「劇団ピコ・ボックスの解散公演です」
足元の床がせり上がる。
勢いよく光が地下から天井に突き刺さるように、少女が飛び出した。
スモッグが巻き上がり、いつの間に細工を施したのか、まるで舞台迫りから現れるように、彼らが姿を現した。
ラメの入ったピカピカで赤、青、黄、緑と一人一人が彩豊かなスーツに身を包んだ、彼らなりの正装だ。
「まったく、ダンスまでつまらないんだから。お高いって、やだやだ」
優しくも熱のこもったルナの声が、右手のマイクから空間を支配する。
「ようこそ、ルナのプラネタリア・ステージへ!」
陽気で賑やかな音楽に包まれたこの静謐な謁見の間。
この空間を包み込む音楽は全て、静謐な空間には似合わない賑やかな演奏だった。
ドラムやらトランペットを使った豪華生演奏は、ものの見事に張りつめた空気を打ち砕く。
「おい主役―、早くこっち来いって」
トランペットから顔を外して、葵星がチョコにウィンクで呼び掛ける。
ご主人に呼び出された犬の如く、チョコは姫様達の前から軽やかに飛び降りた。
猫でもなければケガをしていたかもしれない。この僕、チョコを除いては。
騒ぎを駆けつけた門衛が数名駆けつけてきた。これが異例の事態なのかどうかを見極めているうちに、未心のコーラスを耳にする。彼らは一様に恍惚としただらしない顔になった。未心のレベルの高さに、正式なショーとして認識されたことだろう。
チョコは踊った。
音に身を委ね、本能のままに。踊り狂った。
本能は、犬の時に培ってきた。
姫様、これが僕に出来る唯一の事なんだ。
姫様と一緒に踊りたかったけれど、もう叶わない願いだってことは分かってる。だから、姫様と一緒に踊ったこの踊りを、最後に目に焼き付けてほしい。
「君ならできる」未心は歌った。
「君ならできる」葵星が奏でた。
「君ならできる」ピコが光った。
「君ならできる」会場が声を揃えた。
「君なら出来る」マイク越しのルナの声。
そして、
「ボクならできる!」
チョコは三段跳びを決めた。舞台の上を飛び回るように軽やかに、ホップ、ステップ、ジャンプを使って、再び姫様の前に相まみえた。
王子は姫様の前に立ち再び切っ先を僕に向けた。
「この騒ぎは何毎だ説明しろ」
「えっと、<???に変身する能力……?>
未心のアシストで、王子の持ち物がホットドッグになった。
「ナイス、未心ちゃん」
「私、すごいな」
自分の掌を見つめ、未心は自分に関心していた。
「お下がりください」
「ですが、私はあなたを」
「ホットドッグでも食べて見ていてください」
ホットドッグに戸惑う王子に、ルナは差し入れをする。
「<月の裏返し魔法>」
「うわっ」
「ホットドッグに合うよ」
「……あぁ、こりゃいいな」
コーラとホットドッグを手に、王子は観戦ムードになった。
隣でルナも、コーラで喉を潤している。
少年とお姫様が、対峙する。
「あの……、」
チョコは、お姫様の前に立っている。
予感する。実感する。これが最後だと。
そうおもっtあ時、胸の奥でせき止められた言葉が勇気を持って飛び出してきた。
「姫様」
「はい」
二人の身長は同じ位だった。肩の高さも、目線の位置も。二人は今、目線を合わせて言葉を交わす事ができる。ずっと望んでいた当たり前の事が、今なら出来る。
心臓は速く脈打ちして、それでいて落ち着いていた。
「一緒に、踊りませんか」
「……どうして?」
「せっかくなので」
「それだけのために、ここまで来たの?」
「これがボクの、願い事だから」
チョコは右手を差し出した。
今この手は、地面を歩くためにあるのではない。
大好きな人の手を取るためにあった。
(もう一声……!)
野次馬席から、ルナの助言が聞こえた。
チョコは言葉を付け足す。
「姫様は、踊るのが好きだから」
「好きじゃないよ」
イチゴ姫は言った。
「得意だっただけ」
「そして好きになったのでしょう?」
「そもとも言えるんだけど」
曲調が変わる。
ゆったりとして、時間を引き延ばしてくれるようだ。
照明も変わる。
灯りは消えて、淡い光が浮かび上がる。
「<星空の魔法>」
二人が唱えてくれた。
幻想的な景色は外の世界から借りてきたものだけど、これ以上ないプレゼントだった。
イチゴ姫が一歩踏み出し、チョコの手を取った。
一歩一歩、二人は確かめるようにステップを刻む。
わずか三歩、最初の三拍子で、二人はお互いを理解した。
スピードアップする曲に合わせ、自由気ままに踊り出した。
二人の間に言葉なんてなくて、動きの一つ一つがまるで会話だった。
きっと、最初からそうだった。
チョコが犬の時から、ずっと。
「<文脈を無視する才能>」
星空の空間は外と中の境界線を壊した。
二人の踊る姿を、王都中に届けて見せる。
それは、民の願いが叶う瞬間だった。
お姫様と仮面のダンサー。
誰もが望んだ、二人のダンスだ。
「お話しも、出来るのですね」
集中すると周りが見えなくなる性質。
音楽はまだ演奏されていたのか鳴りやんでいたのか、チョコの耳には姫様の美しい声だけが届く。
「ずっと、伝えたいことがありました」
チョコの目には、翳りを残した姫様の笑顔だけが映る。
この空間に、チョコは姫様と二人きりでいる気がしていた。
一つ一つの言葉を噛みしめて、ずっと伝えたかった言葉を大切に届ける。
「ボクはチョコ」
一つ、呼吸を整える。
「姫様の事をずっと好きだった、犬のチョコです」
言葉の真意を信じてもらえたのかどうかは分からない。
絶対など何もないこの世界でただ一つ、チョコだけが確信を持てたことがある。
姫様は昔と同じようににっこりと笑ってくれたんだ。
「ありがとう」
☆彡
姫様の美しい笑顔が戻ったのは一瞬だけだった。
この瞬間にチョコは理解した。人間の複雑さを。
姫を愛することができるのは、その複雑さを全て理解できる人じゃないといけない。
必用な時に嘘をつき、合理性を取り、その中で 愛情を可能な限り救い上げる人でなければ。
好きでいることしかできないチョコにその感情はない。
足りない感情がいくつもある。
一つの角度からの「好き」しかチョコは持ち合わせていない。
チョコがほしいのは愛情だけだ。
ペットに対するご主人様からの、純粋無垢な愛。
それでも、チョコはこの気持ちを伝えずにはいられなかったんだ。
姫様に頭を撫でてもらえることもなく、姫様の笑顔が陽炎の中ゆらゆらとぼやけてはチョコの視界から消えていった。
消えゆく最中に動いた姫様の口からは言葉も聞こえなかった。
チョコは、光も音もない世界にいた。
☆彡
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