28話 冠と仮面
<登場人物>
・ルナ:月から来た魔法使い。月年齢で十歳
・葵星:異世界転移した在宅ぼっち。地球年齢で三十歳+α
・未心:初めて出会ったステラの住人。ステラ年齢で十七歳
・ピコ:持ち運びも可能な球体の投影機
・チョコ:星空の魔法で人間になった、元トイプードルの少年。
<前回のあらすじ>
ミルクの手助けを借りて作ったチョコミルク。
それを届けにチョコは行く。
お城の庭には背の高い桜の木が生えている。幹が太くて芯がしっかりしている。猫みたいに高い跳躍力があれば格好良く一発で枝に飛び乗れたのだろうけど、僕にはそうもいかなかった。
僕は木にしがみついて、少しずつ、少しずつ、力一杯懸命によじ登るだけだった。梢の隙間から降り注ぐ星屑の明かりが、目的の場所へと僕を誘うように語り掛ける。
立派な桜の枝は僕一人が腰かけてもびくともしなかった。興味本位で地面を覗き込むと、下から見上げるよりも結構な高さがあった。足を滑らせたら骨折するかもしれない。
木の枝は、姫様の部屋の窓へと伸びていた。先端は細く、僕が行けるのは手を伸ばせばぎりぎり窓の指が触れる程度が限界だった。
両開きになった窓は固く閉ざされている。まるで、中には誰もいないように沈黙していた。ここで大声を出して他の人に気付かれる訳にも行かず、指先で窓をノックしても気付かれないだろう。
それに、真夜中に木の枝に登る僕は、相当危険な人間なのではないだろうか。今頃になって僕は不安が込み上げてきた。
腕の中でボトルが揺れた。ボトル腰に作ったばかりのチョコミルクが熱を持っている。僕の勇気は落ち着いても、チョコとミルクが二人で込めた気持ちは少しも冷めてはいなさそうだ。
「僕は僕に出来る事をやるんだ」
指先で窓をノックする。肩から指先まで伸びきった腕はプルプルと震えた。小声でも姫様を呼ぼうとすれば、心臓は暴れて僕の口を固めてしまう。指先の腹だけで何度も窓に触れた。
「ちょっと、そんなところに登ったら危ないよ」
窓の内側から姫様の声がした。誰かに向かって話しかけている。
「ねえってば、ミルク」
目を凝らすと、カーテンで遮られた窓には薄いシルエットが浮かび上っていた。細長い尻尾らしきものが左右に揺れている。
「お外に何かあるの?」
姫様の声が窓へと近づく。
僕の心臓はとくんと脈打つ。声は出せそうになかったけど、鼓動は大きいままに心の準備は不思議と出来ていた。
カーテンが左右に開くと、姫様が僕を見て目を丸くした。窓の際から内側へ飛び降りる猫の尻尾らしきものが視界に入った。
ミルク。最後の最後まで、ありがとう。
取るべき対応に困った姫様は、恐る恐るといった様子で両開きの窓を開けた。暖房の効いた部屋の暖かい空気と、外の冷気が溶け合った。
「その仮面、偶然じゃないよね?」
お姫様はやっぱり、この仮面に気づいてくれた。
「久しぶりだね。ステージ以外で会うのは初めてだ」
「……」
「そういえば、話したことなんて一回もなかったっけ」
対峙しているだけで緊張をしているのだが、イチゴ姫からも言葉の節々に緊張が伝わってくる。
「あの、さ、ずっと聞きたかったことがあるんだけど」
僕が何も話せなくても、イチゴ姫は滔々と話を続けてくれる。
「いや、本気で言ってるわけじゃないんだけど、君って、人間じゃなかったり、しない?」
僕は、思わず首を振ってしまい、正体を仄めかすチャンスを不意にした、
「そう……。変なことを聞いちゃったね。それで、そこで何をしているの? 木登りがしたかっただけ?」
僕はまた首を左右に振った。
逐一手振り身振りで反応する僕の様子がおかしいのか、姫様は僕の挙動を暖かい目で見守ってくれる。
僕はチョコミルクの入った、僕とミルクの色々な気持ちが詰め込まれたボトルを姫様に差し出した。
「これは?」
興味深そうに姫様はボトルを観察する。
僕は飲み物を飲むジェスチャーをした。
「飲んでほしいってことね? でもごめんなさい。得体の知れないものは口につけられないの」
姫様はボトルを僕に返した。
「チョコさんのことを疑っている訳じゃないの。ただ身分的に、私は毒殺されてもおかしくないのですよ?」
そう言いながら姫様は口元に手を当てて笑っていた。自分が言った毒殺という言葉が可笑しかったのだろう。人を愛する姫様ならではのツボだ。
僕にできること。僕はボトルの中のチョコミルクを、口をつけずに口いっぱいに流し込み、目の前で飲み込んで見せた。
にかっと笑って見せ、もう一度姫様に気持ちを渡した。
「毒なんてないから大丈夫ってことね」
姫様はボトルに口をつけた。
「これって」
目を瞠った姫様に、僕は犬のようにまたこくりと頷いた。
「チョコミルクね。私が好きなのを知ってたのね」
姫様は美味しそうにもう一口つけ、ボトルを机の上に置いた。
チョコレートとミルクとその他ミルクの気まぐれが溶け合った飲み物は姫様の胃袋を掴んだ。ミルクの気まぐれが功を為した結果だ。
「とても一息には飲みないわ。ボトルごといただいてもよろしいかしら」
頷いて見せた。勿論、僕の複雑な気持ちが伝わることもなかったし、それが何かを救う事もなかった。
けれど、姫様のささやかな笑顔が見れて満足した僕は、木の枝を降りようと思った。男女の逢瀬は去り際が肝心だからだ。
「お待ちになってください」
姫様の声は穏やかだった。雨の降る丘で泣いていた時とは違って。
「そこは寒いでしょう。こちらへ上がっていはいきませんか」
僕は振り返る。枝のぎりぎりまで近づいたが、極上の甘美を受け取る資格は僕にはない。心を殺して僕はかぶりを振った。
「それなら顔を近づけてはいけませんか」
姫様の言う通りに動いた。
「少し頭を下げて」
僕は頭を下げる。
すると、仮面を剥ぎ取られた。
顔を隠したところ、もう、騙せないだろう。
「仮面で変そうだなんて、大胆なのね」
「……申し訳ないです。主役が緊張で逃げ出しちゃったので、代役で来ました」
葵星が話す。
遡ること数分、お城を出てきたチョコが裏庭から木に登ろうとしていた。
我々劇団ピコ・ボックスは遠くから、星空のように、チョコの行動を見守っていた。
そして、足を踏み外したチョコの元にかけつけた。
「緊張で手と足が同時に出た」
遺言を残して、チョコは気を失った。
ここまできて引き下がるわけにはいかず、葵星が意思を受け継ぐことを強制された。ルナによって。
「あおくんの出番だね」
「年齢が違いすぎない?」
「雰囲気で押し通せるよ」
仮面をつけて、葵星は木を登った。
「……という訳なんです」
「うーん、嘘っぽいかなぁ」
イチゴ姫は素直に疑った。
「ずっと会いたかったダンサー君があなた達と知り合いで、私に会いにくるつもりだったけど、足を滑らせた、なんてねぇ」
「はは、我ながら嘘っぽいですね。ただ、チョコミルクは飲んであげてください。友達としての、お願いです」
「分かったわ。お腹を壊しでもしたら、冤罪をふっかけるからね」
「ええ。それは責められてても仕方ないですしね」
イチゴ姫は対外的に笑ってくれた。
器量の良い、優しいお姫様だ。
「興味本位で聞きたいのですが、結婚は、したくないものなんですか?」
葵星が聞いた。
稚拙な質問だと思いながらも、結婚を控えた人に聞いてみたいことだった。
「したくない訳じゃないけどー」
お姫様は笑顔を貼り付けた。
笑顔は、感情を隠すのに最も便利な表情だ。
「会いたいやつがいるんだよね。会えっこないって分かってるんだけど、期待しちゃうんだ。結婚したら、それまでになっちゃう気がしちゃうの。願い星がどこにも行かず、薄くなって消失するんじゃないかって」
不自然なほど完璧な笑顔が続く。
「なぁんて! つまららないマリッジブルーだねっ」
☆彡
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