2話 魔法と才能〜フリップ&フロップ〜
<登場人物>
・ルナ:月から来た魔法使い。月年齢で十歳
・葵星:異世界転移した在宅ぼっち。地球年齢で三十歳+α
・ピコ:持ち運びも可能な球体の投影機
<前回のあらすじ>
月の魔法使いを名乗るルナによって、星空のない世界、ステラへ転移した葵星は、ステラに星空を取り戻す手伝いを依頼される。
<月の裏返し魔法>
その力で葵星はステラに呼び出された。
ルナが両手に抱えているコーラやポップコーンと同じように。
「言っとくけど、僕にもピコは動かせないよ」
「どうして? あおくんのプラネタリウムでしょ?」
「そうだけど、動かし方を知らないんだ」
ピコは元々、祖父の経営していたプラネタリウムで働いていた。
星空が特別好きだったというわけでないが、子供の頃はよく遊びに行ったものだ。
時代遅れの商業施設で、お客はいつも少なかった。
閉業する際に、投影機の本体であるピコを受けとった。
以来、ここまで大事にしてきた。
「ルナの魔法でどうにか出来ないの?」
「魔法じゃ機械は動かせないんだよ。<月の裏返し魔法>は、何かを呼ぶ魔法なの」
「なら、プラネタリウムの専門家を呼んだ方がいいよ」
「うーん、やってみる?」
ルナは指先一つで魔法を使い、外人のおじさんを召喚した。おそらくはドイツ人だ。
プラネタリウムで有名な企業の社員証を首に掲げていた。
目を覚ましたおじさんはピコを一目見ると、眉間の皺を深くして、大きなジェスチャーと共に深いため息をついた。
ルナはもう一度魔法を使い、おじさんを元の世界に戻した。
「ほら、ダメだったでしょ」
「まぁ、今ので納得するとして……」
「ピコとずっと喋ってたんでしょ」
「あれは、独り言のようなもので」
「その声はきっと届いてるんだよ」
葵星は、奉られらたピコを見る。
彼女を見ていると、不思議な気持ちが、心の奥底から染み出してくる。
まるで、昔、不思議なことがあったような気持ちが、湧いてくる。
「自分の才能を信じてよ」
「才能のない人生だったよ」
「生まれた世界が悪かったんじゃない?」
ルナは突然、ポップコーンを盛大に振り撒き、空中で止めた。
白い牡丹雪のようなお菓子が、重力を失ってあたりに浮かんでいる。
「あおくんには魔法がないけど、才能があるんだよ。それはね……」
<文脈を無視する才能>
そう、ルナが言った。
葵星は期待に膨らんだ胸を、大人の理性で押さえ込んだ。
「何、それ……」
「あおくん、仕事で使いまくってたよ。どんなシステムにも手を入れちゃって」
「あれ、才能だったんだ……」
元の世界でシステムエンジニアだった葵星は、専門システムの連携先のシステムが起こした不具合ももまとめて面倒を見ていた。勘と勢いさえあれば、誰にでも出来ることだと思っていた。
「なら、俺の才能があっても、ピコは動かせないってことだろ」
「だから、生まれた世界が悪かったんだよ」
ルナは視線をピコに移し、一人呑気にまたポップコーンを食べ始めた。
映画でも見るかのように、葵星の行動を見物する。
「魔法じゃなくて才能って、どうやって使うものなんだ」
質問を兼ねた独り言だったが、ルナには無視された。
葵星は、ピコにおでこを寄せてみた。
「やーやー、こんにちは」
「……」
いつも通り、返事はない。
見物人がいることで、何を話せばいいのかも困ってしまう。
「初めまして、僕は葵星」
「……」
「君の名前は?」
何も起きるはずはなくて、内部でじりじりと流れる電気の音が聞こえるだけだ。
当然だ。相手は機械なのだから。
「いつも一緒にいてくれて、ありがとう」
「……。」
電気の音が波を打った。
「……え?」
葵星は聞き返した。
聞き取れなかった言葉を聞き返すように。
『……Pi』
電気が鼓動のように弾む。
『……co』
鼓動は、言葉のように波形を描いた。
「…………ピコって、言ったの?」
「……」
「ぐへっ、本当に、喋れたの……? ぐへへっ」
……シュルシュルシュル!
ピコは急激に負荷が高まったパソコンのように音を荒げた。
葵星はよだれを吹いて、正気に戻った。
「ピコ! 大丈夫!?」
「早く制御しないと! あっち!」
ルナは後方を指差した。
「あっち!?」
「コンソール!」
「コンソール!?」
客席後方に設けられたプラネタリウムの作業スペース。
そこが葵星の新たな作業空間となる。
最後列よりも後ろに、DJブースのような作業空間が設置されていた。
プラネタリウムを操作する人のためのスペース、それがコンソールだ。
ピコの電子音に急かされるままに階段を駆け上がり、コンソールに腰掛ける。
いくつものスイッチやつまみが搭載されている、触れば音量や照明を調節できるのだろうが数が多い。
各箇所に名前が書かれているが、だからといって扱い方はわからない。
けれどなんてことはない。キーボードとモニターがあるならメイン操作はここになる。
葵星はすかさず電源ボタンを探した。
「早く、電源を落とさないと」
「ピコの機嫌がいいのに?」
後ろからルナが画面を覗く。
「機嫌?」
「あおくんが起こしたんだから、そのまま動かしてあげようよ」
「あおくん!?」
「葵星だから、あおくん」
……いや、呼び方を気にしている場合ではなかった。
「この音は異常だよ」
「ピコなら少しくらい大丈夫だって」
「少しってどれくらい?」
「なる早で頑張れば間に合うくらい!」
曖昧すぎて、上司からのチャットを思い出す。
指示も期限も不明確で、何を期待されているのか分からないことが腹立たしかった。
ただ、ルナのような子からの無茶振りだと、ストレスを感じないのが不思議だ。
ピコはキュルキュルと、コンデンサーに電気を蓄え待機している。
卓上に分厚い本が置かれた。
「はいこれ、ウサギ言語の教科書」
「何言語って……?」
「ウサギ言語だよ」
「ウサギ言語って……?」
「プラネタリウム専用の言語だって聞いてる」
「またそういうのか……」
パフォーマンス最適化のために言語そのものから新開発されるシステムがある。
葵星が仕事で専門にしていたのもその類の言語だった。
周りから理解を得られない代わりに、重宝される人材となるので、単価の水準が高かった。
「どこか、バグってるんじゃない?」
ルナがマウスを操作し、開発ツールを立ち上げる。
統合開発環境と似た画面にソースらしき文字が表示される。
見知らぬ言語。これが、ウサギ言語なのだろう。
そしてルナからマウスを受け継いだ。
「あおくんの才能があれば大丈夫!」
「……ふっ」
目覚めろ! <文脈を無視する才能>!
心の中で決めポーズを取った葵星は猫背になって、モニターと向い合った。
まず、ソースの全体を眺めた。
「うん。分かりっこない」
そして笑みをこぼした。
こういうパズルは好きなのだ。
無茶振りをしてくる上司に萎えるだけで、無茶振り自体は好きなのだ。
ルナの用意した参考書は分厚く数百ページもある。
こんなものを一から読むのはバカらしく、基本構文を一通り確認したら、後はつまづいた時だけ見ればいい。
まずは実行と、デバッグモードと、変数の味方を探しだす。
それらの機能を抑えたらまず実行して、エラーの出力箇所を辿り、今度はデバッグモードで実行し、おかしな変数がないか見る。
そして、トライアンドエラーだ。
例えば、英語を勉強するのに日本語を挟まずに理解する原理に通じる。
プログラミング言語の習得も、ある程度の基礎を抑えたらデバッグで動きを理解した方が早い。
……個人的な流儀なので、あまり真似ないでほしいが。
葵星のカタカタ音が、ピコのキュルキュル音と重なり合って、心地よいハーモニーを奏でている。
そのことを、ルナだけが知っていた。
☆彡
ぶくぶくぶく。
ぶくぶく。
……ぶくぶくぶく!
「わっ! 何!?」
顔を上げると、ルナの顔が前にあった。
少女は前の席の背もたれに身を乗り出して、葵星の作業を覗いていた。
紙コップから伸びたストローに口をつけ、頬に蓄えた空気を送り込んでいる。
「待ちくたびれた」
「え? まだ少しも時間経ってないでしょ」
「朝になるよ」
「……それ、どうしたの?」
「缶より紙コップの方が飲みやすいと思って、持ってきた」
「どうやって?」
「魔法に決まってるじゃん」
「……へぇ」
「あおくんにも差し入れしといた」
ルナが手元を指差してくる。
同じ紙コップのコーラと、バスケットにいっぱいのポップコーンが置かれていた。
「好きなだけあげる」
「ありがたいけど、作業中はあまり飲食したくないんだ」
「沢山エネルギーを補給してよ」
「気持ちだけいただいておく」
「早く星空を作ってほしいんだよぉ」
ルナは自分の抱えているバスケットからポップコーンを取り出し、葵星の口に狙いを定めて、投擲した。
見事、反射的に葵星は口でキャッチした。
「うっ、ビックリした」
「まだまだっ、沢山食べてパフォーマンスを上げてよ」
「ちょ、ちょっと待って」
二粒、三粒とルナは連射する。
狙いが確かなもので、避けようとしない限りポップコーンは葵星の口に入ってくる。
「ストップ! しょっぱいから喉が渇く」
「オッケー! 次はコーラだ!」
ルナは自分のストローを葵星に向けた。
コップにはコーラという飲み物が入っていて、ストローの口が狙いを定めている。
嫌な予感がした。
「コーラ弾っ」
ポップコーンと同じ軌跡を描いてきた。
鮮やかな黒い液体がぷよぷよとした球体の形状をして、ポップコーンと同じように飛んでくる。
しかも狙いは定かで、呆然とする葵星の口に入り、破裂した。
口の中で弾けて香りが広がった。
「あ、美味しい」
「まだまだ!」
「待って待って! もう自分で飲み食いするから、打つのは止めて」
「……ルナは急には止まれない!」
液体も個体もルナの手からは同じ勢いで飛んでくる。
葵星はそれらを十回ずつ口でキャッチすることとなった。
狙いの腕が確かでも、数打てば外すものだ。
ベトベトとした口周りを袖で拭う。
「それだけ補給すれば、ペースアップするよね!」
コーラやポップコーンと一緒に、ルナは期待をかけてくれているのだった。
「ピコも待ちくたびれてるんだよ。やっぱり動かせないの?」
「もう動くところだよ」
「本当に!?」
「多分、ほら」
べとべとになった口元を拭って、葵星はエンターキーを叩く。
ちょうど、トライアンドエラーの最後の一回にするところだった。
これで失敗したら、また一つ前提を崩して、さらに多くの検証が必要になる。
けれど、これは成功する。
確証はもちろんないが、経験は沢山ある。
突然動かして、ルナを驚かせるつもりだったが、先回りされてしまったのだ。
ずっと睨み合っていた画面には、青い文字が大量に流れ始めた。これには確かな手応えを覚える。
この空間にいると時間感覚を忘れそうになっていたが、食べ物を摂取したことでお腹の虫が正直になった。
ちょうど天辺を超えたあたりだろう。
青い文字が一度止まる。
命令を待っているように点滅している。
葵星はもう一度、エンターキーを叩いた。
微かな予感を、ルナはいち早く察知した。
振り返る。
空間の前方で鎮座する投影機が、今までにない呼吸をしていた。
部屋の明かりが消えて、ピコが、眠りから覚める。
天井に、淡い光が二つ現れた。
「あおくん」
ルナが言った。
「始まるよ、私たちのプラネタリウム」
たった二つの光は、けれど、自信を持って輝いている、
星空と呼ぶには星の数が少なかったけれど、決して暗闇ではなかった。
☆彡
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