27話 チョコミルク
<登場人物>
・ルナ:月から来た魔法使い。月年齢で十歳
・葵星:異世界転移した在宅ぼっち。地球年齢で三十歳+α
・未心:初めて出会ったステラの住人。ステラ年齢で十七歳
・ピコ:持ち運びも可能な球体の投影機
・チョコ:星空の魔法で人間になった、元トイプードルの少年。
・イチゴ姫:星空を独占した王国のお姫様。チョコの元飼い主。
<前回のあらすじ>
チョコはお城の動物部屋で、昔馴染みのネズミから近況を聞く。
動物の願い星はなくなっていない。
猫のミルクが人間の姿になって、チョコに会いに来た。
寝静まった夜の廊下を、チョコとミルクは静かに歩く。
「ミルクは人になって、どう?」
「どうって、何が?」
「誰かに好きとか、言えた?」
「この世には犬派と猫派がいるんだよ」
「……どういうこと?」
ミルクは結局、どの質問にも答えてくれなかった。
とある部屋の前でようやくミルクが立ち止まった。
「ここは?」
「キッチン!」
ミルクが扉を開ける。サンドイッチやホットケーキなど、複雑な工程を必要としない料理を作る際に使用される、小さなキッチンだった。
木目調のテーブルに、瓶詰されたジャムやシロップが並べられている。
「何で?」
「チョコは不器用な男の子です。そうですよね?」
得意顔でミルクは指を立てた。
「例えば、お姫様を前にして声が出なくなっちゃうとか」
「お恥ずかしながら」
「不器用な男の子が気持ちを伝える方法。それはありったけの気持ちを込めて料理をすることです。でしょ?」
「う、うーん。それはどうなのかなぁ」
「えっ、違うの……?」
気軽に否定してはいけないことだったらしい。
ミルクはこれまでにない不安な目つきになった。
「ミルクの言う通り、これなら僕の気持ちを全部伝えることが出来るよ!」
「でしょ! 名案なんだから!」
善意に満ちた提案だったのだ。
チョコはミルクに習ってキッチンにつく。
机の上には瓶が置かれていた。
冷蔵庫には幾種類の飲み物がある。
「それで、何を作るの?」
「姫様の好きな飲み物を手作りするのはどうかな。これなら料理じゃなくても、気持ちを込めることが出来るよね」
僕の提案にミルクは無言で頷いた。
ミルクの耳がピンと立った。どうやら今まではずっと項垂れた状態で頭と同化していたみたいだ。
彼女の場合、表情を見なくても尻尾と耳を見れば、どんな気持ちでいるのかが分かるみたいだ。
「私とあなたの名前、知ってる?」
「知ってるけど?」
「言ってみて!」
「えーと……」
ミルクの手は冷たく、掴まれた部分がひんやりと心地よい。
真剣な眼差しと、真っすぐに伸びた状態の尻尾、手の力強さから、ミルクが大事なことを言おうとしているらしい。
「君がミルクで、僕がチョコ」
「名前をつなげて!」
「ミルク、チョコ」
「逆!」
「チョコ、ミルク……。チョコミルク!」
「そうなの!」
ミルクはぴょんと跳びはねた。
「姫様はチョコミルクが好きなのよ。午後の紅茶はいつもチョコミルク。チョコミルクが好きだから、私達の名前はチョコとミルクになったの。姫様って可愛いよね」
「うん。姫様は可愛いよ。笑った顔が特に、可愛かったんだ」
「そうねぇ、ちょっと前まではあんなに可愛かったのに。結婚って、よっぽど嫌な行事なんだね」
ミルクは顎に手を当てて考え込む。
「さ、姫様の笑顔を取り戻す美味しいチョコミルクを作るわよ」
「作り方は?」
「そんなの簡単。牛乳を温めてチョコレートを溶かすだけ」
チョコは冷蔵庫から牛乳とチョコレートを取り出し、フライパンで牛乳を温めた。
ぐつぐつと沸騰してきたとところで、砕いたチョコレートを入れる。
あっという間に完成だと思っていると、脇でミルクは目を丸くして観察していた。
「どうかした?」
「これだけだと味気ないわよね」
「そうかな?」
「そうよ。チョコとミルクだけじゃあなたの気持ちは込めたりないの」
そう言ってミルクはテーブルの上の瓶を物色し始めた。
「美味しそうなハチミツがあるわね。入れてみましょう」
蓋を外した瓶を傾け、ゆっくりと垂れる一塊のハチミツをフライパンに投入した。
「分量はこれで合ってるの?」
「美味しくなってるわ。きっと」
ミルクの目分量なのだろう。ミルクはまた新しい瓶を持ってきた。
「よく分からないものがあるわ。ジンジャーですって。ジンジャーエールみたいなコクが出るのかしら。だとしたら美味しくなるに違いないわね。入れてみましょう」
スプーンで一つ、二つ、三つと救ってフライパンに入れた。
「ちょっと待ってよ。これじゃあチョコミルクじゃない別の何かに変わっちゃうよ」
「チョコの目的はチョコミルクを忠実に作ることなの? 美味しいチョコミルクで御姫様を喜ばせることじゃなくて?」
チョコを諌めるミルクはイチゴジャムをスプーンで五杯入れた。
チョコミルクは仄かにピンク色が混ざり、純粋なチョコミルクよりもまろやかに見えた。
「うーん。美味しいわぁ」
スプーンで味見をしたミルクはほっぺたを押さえて悶絶した。
「本当に?」
「疑うなら黙って口を開けなさい」
ミルクの指示に従って口を開けると、ミルクは出来立てのスプーン一杯のチョコミルクを僕の口に入れた。
「あっつ!」
「あはは」悪戯が成功したミルクはご満悦だ。
「あ、でも」火傷しかけた舌から口いっぱいにコクの深い甘味が広がって、「美味しい」
「でっしょー」
ミルクと僕は顔を合わせて大喜びだ。
友達みたいに声を上げてハイタッチを交わした。
二人の歓喜の声が部屋の隅々に行き届いた。
「さてと」
ミルクは棚からボトルを取り出すと、フライパンにあるチョコミルクを手際よく移し替えた。
「はいこれ」
「ありがとう。必ず姫様に渡してくるよ」
ミルクからボトルを受け取ると、僕は踊り出さんばかりの勢い踵を返し、キッチンを跳び出た。
☆彡
姫様の部屋は確か高いところにあったはずだ。どうやって向かおうか。直接向かうと誰かに見つかるかもしれないから、近くに生えている木をよじ登って会えるだろうか。
姫様に会うための算段を立てていると、なんだかボクは一度立ち止まらなければいけない気がした。何故たちどまる必要があったのか、考え直してみた。
例えば、そうだ。ボクは何かに夢中になると、他の事が疎かになる。動きながらセリフを言うことができない。思い出すのに必死で、体が止まってしまう。
ボクは夢中になると、周りの事が見えなくなる。今がその時な気がしてならない。じゃあ僕は今一体何を見落としているのだろう。姫様を喜ばせるためにチョコミルクを完成させたボトルを見つめる。この中では熱を保った姫様を喜ばせる飲み物があって、ボクは、じゃなくてボク達は……、ボクとミルクがチョコミルクを……。
「そうだよ」
柄にもなく舌打ちがでた。
来た道を戻る。
キッチンの扉を開けた。
勢いよく開けられたドアの音に、ミルクは驚き肩を震わせた。
「何よ」
ミルクは後片付けをしてくれた。
こちらに背中を向けたまま、こちらを振り向こうともしない。
「ねぇミルク、こっち向いてよ」
「嫌だ」
ミルクは手を止めずに、洗い終わった食器の水気を布巾で拭き取っている。ボク達がいた痕跡が残らないよう、現状復帰しようとしてくれているのだ。
「片づけなら一緒にするから、もう一度顔を見せてよ」
「嫌だってば」
「今の姿を見せたがってたくせに」
「一回で十分だから」
チョコはボトルを置いてミルクに近づき、肩を掴んでこっちを振り向かせた。
「やだ。見られたくない」
ミルクはそれでも必死に手で顔を隠そうとするその手を押さえつけた。
顔を隠す手段がなくなると、ミルクは最後の抵抗のつもりか、目をぎゅっと閉じていた。
目元には、涙の痕が出来ていた。
「あのさ、ありがとう」
「さっきも聞いた」
「勇気づけてくれて、本当にありがとう」
ミルクは目を閉じたままだ。
「あのさ、目と目を見て話したいんだけど」
「眠いから無理」
ミルクは頑なだった。
ミルクが拭く前だった食器から、シンクにぽちゃりと垂れる水の音が響く。
「忘れ物もないのに何で戻ってきたのよ」
「猫に戻ったら、もうミルクと話す機会がなくなるかもしれない」
「急にいなくなったくせに、勝手だよ」
「違うんだよ。ボクは……」
本当のことを、伝えたくないと、チョコは思った。
多分、ミルクだって分かってる。
魔法だって無に帰す言葉。
自分は、星空を引き換えにしてここにいる。
「ごめん、なさい」
「ほら、こっち向きなさいよ」俯く僕にミルクはそう言った。
ミルクの猫目は赤く潤んでいた。
「最後に言いたいことが言えて満足したわ」
「うん。全部言ってくれてありがとう」
「それじゃあ、最愛の姫様のために、チョコは自分に出来る事全部やり切りなさいよ。猫に戻ったらあんたに言いたいことなくのんびりと暮らしてるけど、応援位はしてるんだから」
「うんうん。ありがとう。ミルクに応援されてるって思うと、不思議と勇気が湧いてくる」
「はいはい。それじゃあ頑張りなさい。愛してるよ」
チョコの頭をぽんぽんと叩き、にっこりと優しい笑顔を浮かべると、時計の針がカチっと触れた。ミルクが全身光に包まれたかと思うと、気付くとボクは、猫を抱きしめていた。猫のミルクだ。
ミルクは僕の腕を鬱陶しそうに体をよじって抜け出した。しなやか歩きでキッチンから出る間際、ボクに一瞥をくれた。
それはミルクからの応援だったのかもしれないし、何となく振り向いただけかもしれない。人間のボクには、猫のミルクの気持ちは分かりっこなかった。
☆彡
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