1話 星空のない世界
<登場人物>
・ルナ:?
・葵星:異世界転移した在宅ぼっち。地球年齢で三十歳+α
・ピコ:持ち運びも可能な球体の投影機
<前回のあらすじ>
在宅勤務中の葵星は、異世界転移の兆しを受けた。
いつの間にか、寝そべっていた。
上体を起こすと、背もたれが一緒に起き上がってきた。リクライニングシートの力だ。
大きな壁が目の前に広がっている。湾曲していて、天井と一体になっていた。
……ピコもいる。
球体の彼女は、奉られていた。
ピコ専用のような台座の上で、浮かんでいる。
「それ、食べてもいい?」
返事をする前から、華奢な白い腕が伸びてくる。
隣の席には女の子がいた。
ウェーブがかった蒼い髪と、くるくるした前髪から覗かれる瑠璃色の瞳。
幼く見えるけれど、洋画の天才子役のような存在感がある。
星柄のワンピースが、彼女の纏う不過ぎな浮遊感に拍車をかけていた。
「……どうぞ」
「では一個。……もぐもぐ」
「しけってるかも」
「もう一個いい?」
「好きなだけいいけど」
「いただきます。……もぐもぐもぐもぐ」
「しけってない?」
「これは、やめられないね」
可憐な少女からサクサクとした音が止まらない。
風格から大人びて見えるが表情はあどけない。
佇まいには厳かな神秘性を纏っているが、話すと友達のような親近感が滲み出る。
チャットだと素っ気なかった外国人が、通話をしてみると話しやすかった時みたいだ。
映画よりも見ていたいと思う人と出会うのは初めてだった。
葵星は、手に持っていた缶を指し出した。
「ぬるくても良ければ、飲み物もどうぞ」
「どうやって開けるの?」
「プルタブをくいっと上に引っ張って」
「プルタブ……」
「上についてる輪っかを引っ張って」
「これかな……。わっ!」
プシュっという音に彼女は子供のように驚いていた。
庶民の飲み物など知らないお嬢様なのだろうか。
「何か弾けた」
「炭酸だよ。コーラだから」
「コーラっていうのか。では一口。……ごくごく」
「本当は冷えてた方が美味しいんだけど」
「このお菓子は何ていうの?」
「ポップコーンだよ。ポップコーンとコーラは合わせるとポップコーンセットになるんだ」
「なるほど。これは、こういうことになってしまうのか。……むしゃむしゃ。……ごくごく」
少女は庶民の答えに辿り着いた。
コーラとポップコーン。甘い炭酸としょっぱいお菓子が作る輪廻だ。
「あの、君は何ていうの?」
「何が?」
「名前」
「……自己紹介がまだだった」
空になったバスケットと缶を反対側の椅子に置いて、少女は佇まいを直す。
「私はルナ。十歳。星空が大好き」
「ポップコーンよりも?」
「むむむ。難題だ」
「気に入ってくれて何より」
「でもやっぱり、星空が好きだよ」
「だろうね」
「どうして分かったの?」
「だってここ、プラネタリウムでしょ?」
ルナを纏う空気が華やいだ。
静電気がパチパチとするように、ルナの髪が逆立つ。
「流石、異世界人!」
「プラネタリウムを知っているだけで?」
「当然!」
ルナが葵星の手を取った。
至近距離で輝く瞳は、人付き合いの少ない葵星にはひどく眩しかった。
「この世界には星空がないんだから」
「……どういう意味?」
「夜空が真っ暗なんだよ」
「外が明るいからってこと?」
「逆。外は真っ暗なんだよ。だって星がないんだもん」
「えっと……。え?」
「百聞は一見に如かずでいくよ。ついてきてっ」
座席は段差上に連なっている。
ルナに続いて階段を上がり、扉を抜けるとロビーに出た。
閉館時間を過ぎているためか誰もいない。
手書きのポスターや、プラネタリウムの模型が展示されてる。
ルナが入り口の扉を開けると、少し冷たい風が入ってきた。
促されて外に出る。二、三歩歩いたところで突然、足が竦んだ。
「……帰りたい」
あまりの暗さに、異世界に来た高揚感が即座に萎んだ。
背後で扉が閉められ、外が真っ暗になる。
明かりがなくなり、大自然の夜は暗闇そのものになる。
自分の体がかろうじて見える程度。
外に出たのに、地下に閉じ込められ気分だ。
小屋の中に戻りたくなって、振り返る。
けれど、本当に振り返ったのかも分からない。
手を伸ばしても、扉に触れることができない。
半周したのか、一周したのかさえも分からなくなる。
「ルナ、どこ……」
迷子の子供がそうなるように、声を大きく出すこともできない。
「ねぇ、ルナってば……」
「こっちだよ」
明かりの差し込む方に、ルナの姿があった。
葵星は強力な磁力に引っ張られるように、小屋の中にかけこんだ。
「はぁ、はぁ、はぁ……。何これ……、終末を迎えた世界……?」
「真っ暗なだけだよ」
「どうして明かりが一つもないのさ」
「説明するから、先にハンカチ使ってよ」
「なんでハンカチ?」
用途不明のまま受け取ると、自分の手に水滴が落ちてきた。
瞬きをする程に水滴が振ってくるので、目元を力強く拭いた。
自分が涙を流していることにも気づいていなかった。
「怖がらせてごめんね。これがこの世界、ステラの夜なの。星空が存在しないから、真っ暗になっちゃうんだよ」
星のない世界。
地上の灯りがないと、空は闇に覆われてしまう。
「街明かりの一つもないなんて、ここはど田舎なの?」
「近くに賑わってる村があるよ。皆、早寝早起きなんだ」
「……健康的なんだね」
「真っ暗な夜は怖くて起きてられないんだよ」
葵星は周囲を見た。
殺風景で薄暗いロビーでも、今は明かりがあるだけで安心する。
「どうして電気もつけないだんろ」
ルナは微笑み、高級な紅茶でも嗜むように、まだ持っていた缶コーラを一口飲んだ。
「想像してみてよ。明るい部屋から外に出て、楽しい気持ちで空を見上げたら何も無かったとしたらどうなるか」
「えっと……」
想像は難しかった。
だって、星空が貴重な景色になるほど外はいつでも明るいものだったからだ。
たまに田舎に行くと、見上げた夜空は星がいっぱいで感動する。
明かりがないと星空が現れる。だから暗闇はなかった。
もしも、星空のない世界だったら。先ほどのような暗闇を一度でも経験してしまったら……。
「日常が、”死”に見張られているみたいだね」
明るい都心での生活は息苦しくて、怠惰な己が惰性で進んだ生活を送っていても、夢や希望が完全に消えることはなかった。
映画を見て、物語に陶酔して、自己投影をするだけの心の隙間があった。
そんな微かな隙間を、暗闇が全て覆い尽くしてしまう気がした。
「命あるものとして、死ぬことは最大の恐怖だよね」
「僕も、子供の時に初めて考えた時は怖かった」
そのことを親に相談したら笑い飛ばされて悲しかった。
今になって思えば、親なりに励まそうとしてくれたのだろう。
親の方が、長く生きている分、死に近かったのだから。
「手伝ってくれる?」
ルナが言った。
「この世界に、星空を取り戻したいんだ!」
「……」
「いやねー、魔法だけじゃ出来ないことって世の中にはたくさんあるわけで……」
ふん、とルナは鼻息をついて踵を返し、元いたプラネタリウムの部屋へと駆け込む。
振り回されてばかりだと思いながらも、少女の趣についていくしかなかった。
再び上映室に入る。
ルナは最前列に鎮座する球体の前に立っていた。
「本当は、この子さえいればよかったんだけど」
ピコを優しく撫でて、こちらを見る。
「どうやらこの子は君にしか動かせないから、どっちも連れてきちゃった」
「連れてきたって、それがルナの魔法なの?」
「その通り!」
ルナは、もう食べ切ったはずのポップコーンのお代わりを持っていた。
「<月の裏返し魔法>。これが私の魔法だよ」
☆彡
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