結婚式が婚約破棄の会場となった理由〜式目前に婚約中の彼の浮気を知りました〜
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※2024.01.20
日間総合3位
日間総合短編2位
ありがとうございます。
扉が開かれ、本日の花嫁となる私が姿を現すと、式場内が一気にざわめいた。
列席者たちは皆、私の姿に大きく目と口を見開き、驚愕の表情を浮かべている。
そして私が隣にたどり着くはずだった彼もまた、式場中の人々と同じで、驚き困惑しているようだ。
天井から差し込む日の光が真紅色のドレスに陰影を落とし、私の登場を一層際立たせている。
視線の遥か先にいる彼を見据え、長く伸ばした葡萄色の髪を優雅に手で払うと、一歩、また一歩と、私は新郎となる彼へと歩みを進めた。
バージンロードの中央の手前で、私は足をピタリと止める。
ご列席の皆様の向かって左側、右側の順にカーテシーをする。続いて神官様に深々と一礼してから、新郎となる彼に目を向けた。
彼はこの状況に戸惑いながらも、眉をひそめ納得できないという顔で私を見ている。
私は一度瞼を閉じ、息を吐き出した。その後で、大きく息を吸い込み目を開く。
彼と視線が重なると、私は赤みのある黄色の瞳を潤わせ、瞬きもせずに彼を見据える。そして、温度のない強い口調で言い放った。
「ディーン・ヒラティス公爵令息様。私は今を以てディーン様との婚約を破棄とさせていただきます。よって今から行われるはずでした結婚は取り止めとさせていただきます」
◇◇
扉が開かれるとき、私の心臓は破裂しそうだった。深呼吸を繰り返しても、ドキドキと波を打つ音は鳴り止まなかった。
列席者の方々が私を凝視しているのを見ると、全身が小刻みに震えだし、緊張で冷や汗が背を伝った。
……皆、びっくりしてるわね。それもそうよね。花嫁が純白のドレスじゃないんだもの。
というか……昨夜、今日のことを話していた両親まで、顎が外れるくらい驚きの表情って? ……あっ、ドレス? ドレスの色までは話してなかったかも?
ユン兄様は笑いを堪えているみたいだし、弟のライルなんかお腹を抱えてクスクスと笑っているし。もう少し緊張感を持って欲しいわ。
私なんか、心臓がドキドキからバクバクに変わって口から飛び出てきそうなのに――。
私が結婚式で『婚約破棄』を言い渡したのには理由がある。私だって、結婚式の当日にこんなことになるとは思わなかった。
本当ならばウエディングドレスを着てバージンロードを歩き、神官様の手前で私を待つ彼の隣に並んで立ちたかった。
私は、婚約者の彼のことを五年前に出会ったあのときから慕っていたのだ。
そう、五年前のあの日は、ユン兄様が学園に入学した日のことだった。
入学式を終えて帰ってきた両親とユン兄様。明日から学園で使用する準備物に足りない物があるといい、今から王都に買い物に出るといった。
そして、入学式の間に邸で留守番していた私と弟のライル。私たちも、ユン兄様の買い物に連れて行ってもらえることになったのだ。
我がリディアロー侯爵家では、家族全員で出掛けることなどほとんどなかった。だからその日は、とても嬉しくて胸を弾ませた。
ユン兄様の学園で使う参考文献を取り扱う書店につくと、たくさんの本棚に色々な本がところせましと並んで陳列されていた。
私は弟のライルと、絵本や児童書などが並ぶ区間で本を物色していた。
棚の本を取ろうと、私は踏み台に登った。手を伸ばした瞬間、足がズルリと滑り体勢が崩れる。はっとする間もなく、視界が本から天井へと移動した。そう、落ちたのだ。
「あっ!痛い!」
……あれ? 痛くない。
衝撃に備え目をギュッと閉じるが、痛みはこなかった。
私の下から「……うっ!」と声が聞こえた。驚いて見てみると、私の下で男の子がクッションのように下敷きになっていた。
慌ててその子から降りると、私はすぐに謝った。
「キャー!ご、ごめんなさい」
下敷きになった子は、金髪緑眼の王子様かと想うくらい容姿が整った男の子だった。
……なんて綺麗な男の子なんだろう。それが彼との初めての出会いだった。
私の叫んだ声に、両親は慌てて駆けつけてきた。
次に両親の後ろから「ディーン?」と言って、男の子にそっくりな大人の男性が現れた。
両親は振り返ると、その男性の姿を見て目を丸くした。
「ヒラティス公爵! もしや、そちらにおりますのは、ご子息様でいらっしゃいますか?」
「おぉ。リディアロー侯爵ではありませんか。うちの息子が何かやらかしましたか?」
私は、両親とヒラティス公爵に、事の経緯を伝えた。その後で、ディーンの左手首が赤く腫れあがっているのに気づいた。下敷になったときに、左の手首を捻ってしまったようだった。
後日、謝罪とお見舞いを兼ねて、両親と私はヒラティス公爵邸を訪ねた。ディーンとは同じ年齢ですぐに仲良くなれた。
そうして彼と出会ってから1年後、学園に入学するひと月前に、私たちは婚約を結ぶことになった。
◇◇
「婚約破棄? 突然何を……。結婚を取り止めるってどういうこと? フローティア、答えて?」
ディーンは顔を引きつらせながら、その口調は驚きと悲痛に満ちていた。
「ディーン。申し訳ありません。私が貴方を信じようとしていたばかりに、式当日の婚約破棄となってしまい……」
「フローティア! 突然どういうことだ。破棄と口に出したのだ。それ相当の理由があるのだろうな?」
私が話をしている途中で、鋭い声が響き渡った。
怒りを抑えきれなかったヒラティス公爵は席から立ち上がり、私に納得のいく説明を求めた。顎をしゃくり上げて強い口調で問い詰める、元王弟殿下であったヒラティス公爵の威圧感は半端ない。
「はい。ございますわ」
私は拳を固く握りしめ、ヒラティス公爵の気迫に負けじと見返した。
◇◇
学園に入学してからも仲の良かった私たちは、休日にはよくデートをした。お互いに本を読むことが好きで、彼の家で本の内容について話をする時間を楽しんだ。
だが、学園最高学年になると、1年後の結婚を控え、公爵夫人となるための教養を身につけるために休日を費やすことになった。そのため休日デートをする時間もなくなった。
クラスの違うディーンは、廊下で出会ったときは「頑張って」と優しく微笑んでくれる。でも、その笑顔の期待に応えたくて、弱音さえ吐けずに私は笑顔で応え続けた。
それなのに……。
突然その日はやってきた。
冬季休暇前に、本を借りようと休憩時に図書室へと向かった日。
私は受付を済ませ、図書室へ入室した。
今回は、いつもと違った分野の本を借りてみようと、奥の古本を物色していたときだ。
本を取り出すときに、彼の声が聞こえたような気がしたのだ。
『ハハッ、静かに……ここは図書室だよ』
『ふふっ、静かにね』
耳を澄ませると、ディーンの小さな笑い声がした。
そして笑い声は二つ。もう一つは、私の友人であるマリアの声に聞こえた。
驚かそうと思い、本棚の隙間からそろりと確認する。が、驚かされたのは私の方だった。
視界に入ってきた光景に、一瞬にして赤面した私は同時に絶句し、急いでその場から離れ教室へと戻った。
……確かに、後ろ姿の男性は、彼と同じ金髪だった。でも、顔を見ていない。
……確かに、友人の声だった。髪の色も茶色だった。でも、顔は見ていない。
私は複雑な気持ちで午後の授業を迎えた。
マリアは、授業に遅れてやってきた。食後お腹が痛くなり、しばらく保健室で休んでいたと、マリアは先生に話をしていた。
保健室にいたのであれば、先ほどは見間違いだったのだろうと、私は胸を撫で下ろした。
放課後、マリアは職員室に用事があるといい別れたが、私は本を借りに図書室へともう一度足を運んだ。
入室の受付を済ませると、本を選び貸出しの受付をする。すると、受付の女性が憐れむような表情で私を見ていることに気がついた。
彼女のその表情に心がざわつき、来室名簿へ視線を落とした。本日の入退室の受付表を上から順に目を走らせる。
「……え?……ディーンの次にマリア?」
私が声を漏らすと、受付の女性は首を傾げて眉を下げた。
「毎回、困ってます」
「ま、毎回ですか?」
「えぇ。そうです」
……毎回、困ってる?
……毎回、あれを?
あの光景が頭をよぎると、一瞬で血の気が引き、心臓が凍りついた。
毎回だという彼女の言葉に対し、以前の受付表を見せて欲しいと頼むと、彼女は受付の後ろにある部屋へ私を案内した。
『記録室』と書かれた部屋の扉を開くと、一人の学生が立っていて、奥のテーブルにもう一人学生が座って本を読んでいた。
立っている学生にチラリと横目で見られ、私は軽く頭を下げてから入室した。すると、テーブルで本を読んでいた学生が顔をあげてこちらを見た。その瞬間、私は言葉を失った。その学生は、この国の第三王子であるルイス殿下だった。王子は確か、私より一つ下の学年だったはず。どうしてこんな場所にルイス殿下が……? そう疑問に思いつつも、余計な詮索は良くないと思い直して、学園内なので軽く頭を下げるだけに留め、私はすぐに視線を逸らした。
受付の女性が空いているテーブルの上に受付表の束を置いて、私を手招いた。
「フローティア・リディアロー様。こちらが今月分の受付表ですわ」
私はそちらに移動すると、すぐに受付表を確認することにした。
先にディーンの名前を見つけ、その上下に書かれている名前を調べる。今月書かれている彼の名前は6回。そして、続けて書かれていたマリアの名前は3回だった。でも、調べたことによって、私はさらに首を捻ることになった。
『……ジョシュア・マルロー? この人も前後に3回も名前が続いているわ』
「ジョシュア・マルロー男爵令嬢は、二年生の一般クラスだ」
漏れ出た言葉の疑問に、ルイス殿下の声が被さるように響いた。
顔を上げると、前のテーブルに座っていたルイス殿下は立ち上がり、そのまま私の隣にきて受付表の束に手を伸ばした。
「ディーンか……調べるのなら、入学してから今日までの長期間を見た方がいい。冬季休暇中も図書室が利用できるから、じっくり調べることができる」
受付表を見ていたルイス殿下の深いブルーの瞳が動き、私を捉えた。
その瞳に吸い込まれるようで、彼から視線が外せなくなる。艶のある薄い金色の髪に、魅力的な端整な顔立ち。彼から微かに漂う爽やかな香りが、私の鼻腔をくすぐった。
ルイス殿下を見すぎたためか、殿下は気まずそうに微笑んだ。私は慌てて「ありがとうございます」と、お礼を告げて視線を外した。
退室する際、ルイス殿下から伺ったことを受付で伝えると、冬季休暇までに過去の受付表を準備してくれることになり、私は図書室を後にした。
そうして、私の冬季休暇は、受付表を確認するために毎日のように図書室へ通うことになった。
休暇中、ディーンは何度か『一緒に過ごそう』と誘ってきた。でも、断った。今までなら喜んで誘いを受けていただろう。けれども、図書室での出来事を知ってしまった私には、彼からの誘いは胸を締め付ける苦しいものに変わってしまった。
休暇中に図書室で過ごせる時間は、一日2時間程度だが、過去の受付表の日にちを遡るごとに確信が深まり、日を追うごとにディーンへの想いが怒りに変わっていくのだ。
一方で、私の心には別の感情も芽生え始めていた。
そこに毎日のように訪れるルイス殿下は、私の気持ちを和らげてくれる存在となっていった。
初めて記録室で言葉を交わした高貴な王子様という印象は、日を追うごとに砕けていった。実際は明るく陽気で、相手の表情を読み取り、さり気なく気遣いをしてくださる方だった。
受付表を見ながら眉間にしわを寄せていると、「今日はもう見るな。来たときより5歳も老け込んだぞ」と殿下は笑い、私の頭を一撫でし、気を紛らわせてくれる。
そんな殿下の手に癒やしを覚え、「リディアロー嬢」と呼ぶ声に胸が温かくなるようになった。そうして殿下の微笑みは、私の瞼の裏に深く刻まれていった。
ルイス殿下が私を「リディアロー嬢」から「フローティア」へと呼び方を変えた時、私は殿下に惹かれている自分に気がついた。
だが、殿下への想いに気づいたところで、受付表の確認はそろそろ終わりを迎え、もう記録室へと足を運ぶ必要もなくなるのだ。
……どうして彼と出会ってしまったのだろう。
私には婚約者がいるのだ。
たとえディーンに問題があろうと、自分の現在の立場とは別問題だ。そう考え、私はこの芽生えたばかりの恋心を胸の奥にしまい込むことにした。
記録室を訪れた最終日。
受付表を見終えると、私は呟きながら、その束を棚に戻しはじめた。
『ディーンって、凄いのね。5人の名前があるということは、5人と関係を持っていたんだわ』
「フローティアも大変だな。2か月後の学園卒業と同時に、ディーンと結婚するのだろう?」
後ろから発せられた殿下の声に、独り言を聞かれたことが恥ずかしく、私は口を尖らせた。
「したくないです。でも……。2か月後の結婚式までに気持ちを切り替えられるかしら? 愛人は5人までにして下さいって、笑って言えるようになりたいわ。ふふっ」
気まずそうに微笑みながら受付表を棚に戻すと、ルイス殿下に後ろから抱きしめられた。
突然、殿下の腕にすっぽりと包み込まれ、私はあまりの驚きに、ただ殿下の腕を見つめることしかできなかった。
……これは夢? そう思うと、殿下は私の耳元で囁いた。
「無理に笑わないでくれ」
心臓が跳ね上がると同時に気持ちが溢れ、一瞬で視界が曇る。
でも……。
私は決めたばかりだ。
この恋心を胸の奥にしまい込むと。
頭の中で警報がなり響き、私は殿下の腕の中からするりと抜け出し、精一杯の笑顔を作った。
「ルイス殿下……ありがとうございました。この冬季休暇の間、辛い日々の代わりにルイス殿下と楽しい時間を過ごすことが出来たことを、一生の思い出にさせていただきます」
「フローティア」
「この部屋に来るのは今日で最後にします。……残り2か月、頑張って足掻いてみますわ」
◇◇
ヒラティス公爵を見返した後で、私はディーンへと視線を移動する。
すると目が合った瞬間、ディーンの瞳が大きく揺らいだ。
私が5人の令嬢の名前を口にしただけで、彼の顔色は蒼白になる。
「……」
ディーンが何も言えずにいるのをよそに、ヒラティス公爵は彼を見向きもせず、険しい顔で私を問い詰める。
「その令嬢たちがどうしたというのだね? 何が言いたいのだ?」
私は冷笑するかのように、ヒラティス公爵に視線を戻し、口角を上げた。
「私に聞くよりも、ディーンにお尋ねしたほうがよろしいのではないでしょうか? せっかくお聞き下さったので、今名前を挙げた令嬢を呼びましょう」
私はそう言って、友人のマリアを呼んだ。
「マリア。私の隣に来て下さいますか」
マリアは私の友人として結婚式に列席していた。私に名を呼ばれると、青い顔のまま俯いて動こうとしなかった。
「マリアとは? どこのどいつだ? 家を潰されたくなかったら、さっさと出てこい!」
そう言って、ヒラティス公爵が怒鳴り散らすと、マリアはふらりと立ち上がり、おどおどしながら私の傍まで進み出た。
「そなたがマリアという者だな? して、この娘がなんだと言うのだ?」
「マリアのお腹には、ディーンのお子がいます。妊娠3ヶ月目くらいになりますわ」
「はっ?……子供だと?」
「はい。マリアは私の友人なので、結婚式に出ていただきましたが、先ほど名を挙げた中にもう一人、ディーンのお子を妊娠している令嬢がいらっしゃいます。ジョシュア・マルロー男爵令嬢ですわ。その令嬢は妊娠7ヶ月目らしいのです。お腹が目立つため、学園をお休みしていたそうです。……彼女たちの話では、ディーンは愛人として生涯面倒をみると言っているそうですわ。私からも了承を得ると約束しているようですが、全くそんな話はされていません。まぁ、話があったとしても、ですが――」
私の言葉を聞き、ヒラティス公爵がディーンを振り返った。ディーンは死にそうな表情で公爵の顔を見ると、膝から崩れ落ちた。
「……フローティア。許してくれ。愛しているのは、君だけだ。分かるだろう? ずっと君を愛していたことを。君だって、私のことを愛しているはずだ」
「ディーン。私は貴方のことをお慕いしていたこともありました。でも、貴方は私を裏切った。友人からも裏切られ、深く傷ついたその時、私を励まして下さった方と出会い、初めて本当の恋を知ることができたの。ただ、私には婚約者がいるために、その想いは諦めたわ――」
◇◇
3日前、私は最後の悪足掻きと思い、マリアの邸を訪ねた。
そのときに、「愛人になっても友情は変わらないわ」マリアにそう言われ、私は理由が分からず彼女に尋ねた。
「……愛人って? マリアは誰の愛人になるの?」
「えっ? ディーン様から私のことを、何も聞いていないの?」
何も知らされていなかったため、私はただ首を振ることしかできなかった。そんな私を見て、マリアは心配そうな表情を浮かべた。
「どうして愛人なんかに? ディーンのことが好きなら、愛人ではなく夫人になりたいと思わなかったの?」
そうマリアに問うと、彼女は震える声で「妊娠しているの」と告げた。
「爵位が低いから結婚はできない、そう言われたわ。でもね、ずっと一緒にいたいって言てくれたの。彼は、フローティアを公爵夫人として立て、恋人としての人生は私と歩みたいって……。了承はフローティアから得ておくと、そう言ってくれたのだけど――」
「そうディーンが言ったのね? ……ねぇ、マリア。私を除いて、ディーンの彼女が5人もいることは承知しているの? あぁ、その内の1人はあなただけど」
大きく目を見開き、彼女は衝撃を受けた表情を浮かべた。そして何度も首を左右に振り、泣き出した。
「全員に話を聞いてみましょう。友人として一緒に付いてきて欲しいの。私が話をするから、マリアは黙って聞いているだけで構わないわ」
その日のうちに、3人の令嬢に話を聞くことが出来た。1人の令嬢は、留守にしていて会うことができなかった。
話を聞いた後、マリアの憔悴しきった姿に、私は言葉を見失った。
……一体、何と言えばいいのだろう。彼女は、婚約者がいる男性と関係を持ち、その男性には複数の恋人がいて、さらにその婚約者というのが、他ならぬ私なのだ。
もちろん、私も図書室での一件を知ったときは激しい怒りを覚えた。私の婚約者と過ちを犯したマリアの行動は、自業自得と言わざるを得ない。だからこそ、慰めの言葉など、見つかるはずもなかった。
帰りの馬車の中は、終始無言となった。
マリアの邸に到着し彼女が馬車から降りると、私は車窓から声をかけた。
「マリア。結婚式には必ず出席して。もしかしたら、その日があなたとお腹の子供が、公爵夫人や公爵家の跡継ぎになれる運命の日になるかもしれない。だから証人となって、その瞬間をあなた自身の目でしっかり見届けて欲しいの――」
「あなたは? フローティアはそれでいいの?」
「えぇ。私は彼を捨てます」
ディーンの彼女たちの話を聞いているうちに、私は気づくことができた。
彼に裏切られたと思っても、私には嫉妬の念が湧かなかった。
話を聞けば聞くほど気持ちは楽になり、『やっと別れられる』と、そう思ってしまう自分に気づいたのだ。
それならば、私の選択肢は一つ……『ディーンの花嫁』になりたくない。でも、式まで時間がない。そのためには、マリアを証人としたその場で婚約を破棄するしかない。
◇◇
私の視界がぼやけていく中、父が立ち上がって私に近づいてきた。後には母、ユン兄様、ライルも続いている。
「ヒラティス公爵。そちらの有責での婚約破棄を認めて下さいますね」
初めて聞く、父の唸るような低い声。式場内は静まり返る。その後で、ヒラティス公爵の言葉を待った。
「……あぁ。うちの有責での婚約破棄としよう」
怒りに肩を震わせ、息子を睨みつける公爵。元王弟殿下であった彼の威圧感は、もうそこにはなかった。
列席していた両陛下が席を立つと、護衛としてついていた騎士を呼び寄せた。
騎士が姿を消すと、両陛下が私たち家族の元までやってきた。突然の出来事に慌てて臣下の礼をとる。
「リディアロー侯爵。ディーン・ヒラティス公爵令息とフローティア・リディアロー侯爵令嬢の婚約は今をもって破棄を認めよう。……して、王家からフローティア・リディアロー侯爵令嬢に婚約を申し込みたいのだが――」
「ハッ!……こ、国王陛下……今、何と? 婚約でございますか?」
父だけではない。家族全員が国王陛下の言葉に驚くと顔を上げていた。
「うちの一番下が五月蝿くて敵わんのだ。本人次第だと言ってあるので嫌なら断わってくれて構わん――」
国王陛下の言葉を最後まで待たずに、突然音を立てて式場の扉が開いた。誰もが扉に視線を向ける。
「フローティア!」
私の名を叫んだ彼は、ルイス殿下だ。
図書室の受付表で婚約者の名を見つけるたびに落胆する私を見て、『破棄見つけた!』と笑わせてくれた。笑顔で『大丈夫だ』と私の頭を一撫でし、いつも心に寄り添い辛い日々を忘れさせてくれた、唯一の人。
正装した見目麗しい姿の殿下が、扉から駆け寄ってくる。
「ルイス殿下」
「フローティア。だ、抱きしめてもいい?」
「えっ?」
私の目の前まで駆け寄ってきた殿下は、ピタリと動きを止めると、突拍子もない発言をした。その言葉に、瞬時に固まった私の手を取ると、手の甲に唇を落した。
「あの後、フローティアが来なくなった図書室で、君が図書室に何回通ったのかを調べた。3年間で81回図書室に来ていた。私は、頑張り屋のフローティアのことをずっと考えていた。幸せになれるように祈ろうとしたが、祈りじゃ駄目だ。幸せにするのは私だ」
私が顔を真っ赤にすると、彼はもう一度手の甲に唇を落し柔らかな微笑みを向けてきた。
「フローティア。私が君を幸せにしたい。君を幸せにするのは、私でもいい?」
殿下の言葉に、心の奥にしまい込んだはずの気持ちが溢れ出し、私はコクリと頷いた。
すると殿下は、「抱いても?」と告げるが早いか、返事も待たずに瞬時に抱きついてきた。
ギュッと締め付けられ、「好きだ。結婚するぞ!」といって、顔を私に近づける。そのまま私の唇に唇を重ねた。
「ル、ルイス殿下! こんな大勢の前で! 私のファーストキスがぁ――」
「あっ。えっ? フローティア……ファーストキス?」
「当たり前でしょう!」
殿下はニタリと微笑むと、更にギュウギュウ抱きしめる。
「私との一生の思い出が増えたな」
そう言って、殿下は再度唇を重ね、思い出を増やした。
記録室での思い出だけで終わると思っていたけど、恥ずかしい思い出が新たに増え刻まれた。
……これから何度も思い出すだろう。
これからも、幸せな思い出を増やし続けると約束してくれる殿下に、私は心が華やいだ。
fin
〜おまけ ルイス視点〜
学園に入学すると、毎日をうんざり過ごしていた俺は、以前兄から聞いた言葉を思い出した。
「五月蝿いハエから逃げるには、図書室の中にある一室がいいよ」
そのときは、ハエから逃げる? なんて思ったが、日に日に群がる女子生徒に「なるほど」と言葉を思い出すと納得した。
女子生徒たちをハエに例えるのもどうかと思うが、仕方ない。だって、俺が動くたびに付いてきて『キャーキャー、ワーワー』。朝、正門前で馬車を降りてから帰りの馬車に乗り込むまで、それが毎日続くのだ。
初めて図書室へ行った日のことだ。
扉を開けると受付の年配の女性が顔を歪めて俺を見た。入室するのが初めての俺に受付表に名前を記入するようにと言ってきた。
名前を記入していると『次からは入室すると同時にドアの鍵を閉めて下さい』と言われた。図書室に入室するときは、一度ドアの鍵を閉めることになっているらしい。
「以前、兄から聞いたのですが――」
「こっちよ」
俺が話を始めると、彼女は受付の後ろにある部屋のドアを開いた。受付には棚が並んでいるためその後ろにドアがあるとは思わなかった。
「第一、第二王子から聞いたの?来るのが遅かったわね。では、ごゆっくり」
『記録室』と書かれたその部屋入ると、彼女はそう告げて出ていった。
それからは、ここに毎日通うようになったのだ。
ある日、いつもの様に昼食を済ませて図書室の扉を開いたときのことだった。いつも沈黙を貫いている受付の女性が珍しく声をかけてきた。
「ねぇ、このディーン・ヒラティスという方は殿下の従兄よね?」
受付表に書かれた名前を指して呆れ顔で俺を見た。
「はい。そうですが」
「図書室に女を連れ込んで···本当に毎回呆れるわ」
そういって俺を旧本の置いてある棚へと促した。棚の脇からチラリと見れば『マジか』と思い、俺は記録室へと戻った。
そうして季節は何度も過ぎ去ったある日、受付の女性が初めてこの部屋へ女子生徒を招き入れた。
その女子生徒は、長く伸ばした艷やかな葡萄色の髪が印象的で確か一度見たことがある『ディーンの婚約者』だ。赤みのある黄色の瞳がチラリと俺を見た。見た目は艶めかしく美しいが冷ややかな表情をしていた。美人なのに勿体ないと思った。しかし、違った。話しかける度に彼女は表情をコロコロと変える。笑顔がとびきりいいし、控え目な口調もめちゃくちゃいい。いつの間にか俺は、次々と顔を変える彼女の虜になっていた。
『フローティアもディーンとあんなことを……?』以前、図書室で見たディーンと女子生徒の姿に彼女が重なる。
フローティアがディーンのものになるなど許せない。
「父上! 王命でフローティア・リディアロー侯爵令嬢を私の妃にすることは可能でしょうか?」
夕食の席で国王である父上に問うと、母上と兄二人も一緒になって吹き出した。
「ルイスまでもフローティア・リディアロー嬢を欲するとは――」
「ハハッ、リディアロー侯爵令嬢は王家に大人気だね」
父上の言葉に続けて上の兄が笑ってフローティアが大人気だといった。
下の兄は呆れ顔で俺を見下すかのような表情を浮かべている。
「ルイス。リディアロー侯爵令嬢には婚約者がいます。そして、約一月後に結婚式を控えているのですよ」
母上がそういうと、下の兄が付け足した。
「兄上のときは既に内々で決まった婚約者がいたし、俺のときは婚約者が決まった後だったからな。令嬢に婚約者がいてもまだ結婚していない訳だし。ルイスは婚約者がいないし王命でいけそうだな!」
ん?···兄上のとき?···俺のとき?
「はぁー。王命でいけるわけがないだろー。それに、かの令嬢の婚約者はお前達の従兄弟だぞ!無理だ」
「兄上のときとは?」
「あー。二人ともルイス同様、リディアロー侯爵令嬢を妃に望んだのだ」
兄上二人とも無理だったのか。でも俺は違う。絶対にあんなクソディーンには渡さない。毎日彼女が一人で泣くのは目に見えている。父上が無理なら、俺自身が動けばいいだけだ。
「無理ですか。分かりました」
そういって食事を再開すると、また新たな目標ができたと思い、彼女を奪う略奪計画を頭の中で弾いた。
その様子を、家族全員がジト目で見ていることは承知の上だ。
結婚式の当日、俺はディーンの言動記録を元に式場へと馬車を走らせた。
フローティアを娶りたいと夕食の席で話した次の日から、俺はディーンに影を付けた。
この後、とある男爵家からメイドが1名証人としてやってくる。
「手筈は整った」
そうして、式場につき馬車から降りようとすると、突然馬車の扉が開かれ宰相が乗り込んできた。
「ルイス王子、降りてはなりません。お待ち下さい」
息を切らして宰相が急いできたのが分かった。なにかあったのだろうか?
息を整えた後で、宰相は父上からの伝言を話し始めた。
今朝方、火急の知らせがあるということでリディアロー侯爵当主が登城した。その内容とは『式の初めに娘が婚約破棄を申し出る』ということだった。その話に父上が経緯を聞くと、ディーンは5人の女性と関係を持っていて、その内の2人の令嬢は彼の子供を身籠っているということだ。
証人と証拠を揃えた上で、式での婚約破棄にフローティアが臨むという内容だ。
「フローティアが――」
俺の集めた証拠と、同じ内容を知ってしまったんだな。今日、この日を迎えるまでに、彼女はどれだけ絶望を味わったのだろうか。
自ら婚約破棄を言い渡すことなんてさせたくなかった。
父上からは、婚約破棄を承認するまでは俺に馬車の中で待つようにということだった。
下手に出ていって、フローティアが不貞をしていると疑われたら元も子もない。
出来ることなら、その場で彼女の隣に立って支えてやりたいが、彼女が決めたことだ。
俺は祈ることしかできないのか『彼女の行動が幸せの道に進むように』。
「婚約破棄が成立したら、騎士にルイス王子を迎えにこさせるということです」
最後にそう告げると、宰相は馬車から降りて式場へと向かった。
急いで式場の扉を開くと、真紅のドレスを身にまとった彼女の姿が目の前に――。
俺は彼女に駆け寄ると、目の前で足を止めた。『あぁ、やはり泣いたのか』頬にある涙の跡を見れば、君の隣にいられなかった自分に腹がたった。
「抱いても?」
そんな俺に資格があるのか?
それでも俺は君を誰にも渡さない。
俺が君を幸せにする。
「抱きしめるよ」
フローティアがコクリと頷いた。
床に転がっているディーンに見せつけるかのように、フローティアの唇を俺の唇で塞ぐ。
頬を染めて初めてのキスだという彼女。俺はディーンに、感謝を込めて視線を送った。
『ディーン。お前の選択は正しかった』
最後までお読み下さり
ありがとうございました。
誤字脱字がありましたら
申し訳ありませんでした。
m(_ _)m




