お菓子たべたい!
ミライの案内の元、梓は車を走らせた。幼子の案内であるが故に急停車に急発進を繰り返し、佑樹は一人車酔いに苦しんでいた。幼い頃に乗り慣れていないと乗り物に弱くなる。双子は勿論、ミライも車に酔わないのは、カーニバルの除草のために乗り慣れているからか。梓は奥歯を噛み締めて、ブレーキを踏みしめた。
「どうも。この屋敷で一番偉い人に会えるかしら?」
二人の門番に向かって梓は不遜に言い放った。その後ろでは佑樹が口を押さえている。アタッシュケースを二つ持った秀太の後ろにミライが隠れる。
「うっぷ」
「ユウキだいじょぶ?」
「た、ぶん…………」
「ミライは俺の横離れるなよ」
さりとて門番も黙って通す訳にはいかない。だが梓はさらに上手だった。秀太が持っていたアタッシュケースの一つを開き、門番に見せつける。
「10分以内に会えたら1000万。そこから1分経つごとに10万引くわ。ここで待つ。伝えなさい」
「あ、え、しょっ、少々お待ちください!!」
門番の一人が携帯電話を開いてからは速かった。佑樹の車酔いが治まらない中、大慌てで案内された部屋にて佑樹は座り込んだまま梓の嘲笑を聞いていた。
「20分経ったわね。じゃあ900万あげる」
「あ、あの、なんの御用で……?」
細身の男が汗をかきながら梓たちの前に座った。
「この子が欲しいの」
「はっ」
そこで初めて、男はミライに気づいた。梓がどこまで勘付いているのかは分からない男は、不用意な発言を避けるべく慎重に、されど動揺しながら口を開いた。
「その子に何を吹き込まれたかは知りませんがこちらも色々ありましてね」
ミライはまだ幼く、さして大きな仕事をしているわけではない。せいぜいが豚の飼育の補助とカーニバルへの豚移送の補助程度。大人が何をしているかなど説明できまいと踏んだのだ。
「なんだって良いわよ。私この子が気に入ったの」
「……スラムで拾った身寄りのない子をここまで育てたのです。そう簡単に―――――」
「はいこれ」
梓は机の上に札束を投げた。
「足りない?」
もう一つ。机の上には200万円が並び、男は喉をならした。梓はその後も札束を投げ続ける。雑に放られた100万の束が地面に落ちた。男は焦って拾いに動く。
「な、あ、あなた……!」
梓に視線が集中する間、秀太は発信機と盗聴器を水槽の端に取り付けた。佑樹は吐き気を抑えている。
「ほ、本物か確かめさせていただきます!」
「どうぞ?」
カーニバルを除草し建物を建てて収益を得るには相当の時間がかかる。梓は男の経営が躓いていることに屋敷を見て直ぐに気がついた。
カーニバル専用除草剤があまり用いられていないのには相応の理由がある。
(大方この男も別の人間に騙されたんでしょーけど)
梓は子供が逃げ出せるほど杜撰な管理をしているのもそのためだとあたりを付けた。カーニバルが表れて以降食材の値段は高騰し、月の食費は平均的な庶民で20万かかる。この男の痩せ細り具合は、それすら払えないことを示していた。
「本物だったでしょ?」
男は喉を鳴らした。
「彼女もらうわ、いい?」
「ははっははははははは」
放心状態にあった彼はいそいそとお金を引き下げさせた後、門番二人を呼び、高笑いを始めた。
「有り金全部置いていけ」
「バカなの? あんた大金扱えるタマじゃないわよ知能が足りないもの」
「やれ!」
「はっ」
梓の暴言に気を悪くした男は、門番二人に命令を下した。しかし門番が動くよりも速く、佑樹が動いた。
「うぁ」
車酔いで限界だったが、それでもなお門番は佑樹の敵ではなかった。
的確に喉を狙って蹴りかかり一人を沈め、その反動で回転し、もう一人の体を沈め股間を躊躇なく踏みつける。
造作もなかった。いつもの佑樹であれば。
「お、おぇええええええええ」
「き、貴様!」
しかし、車酔いに苦しんでいた佑樹は、急激な運動により胃の中が乱高下し―――――
「ふざけるなよ!!」
――――――男の胸に、盛大にゲロをぶちまけたのである。
「ぎゃはははははははははははっ」
「梓あんまり笑ってやるなって」
床には門番が二人とゲロまみれの男が一人倒れ込んでいる。梓は迷惑料だと500万円を追加で投げた。
「うぇ、え? あっごめんなさい」
「貴様、貴様ぁああああ」
幸運にも佑樹の服は汚れていなかった。使用人がいそいそとやってきてはその惨状に目を皿のように細め、机の上の大金を見ては笑みをこぼした。
「そこのあなた、この子の親権を証明するもの持ってきて」
「かっ、かしこまりました」
「俺は認めていない!」
佑樹は秀太とミライに背中をさすられ、吐いてスッキリしたのか、震えが止まっている。使用人が来るまでの待ち時間、彼らは呑気に水槽のブラックバスを見て過ごした。
「失礼します」
「あれ? なかった?」
「はい、くまなく探したのですが見つからず……おそらく、そもそも戸籍がないのではないかと」
「そ、やっぱね。じゃあこれで私たちは誘拐犯にはならないっと」
佑樹たちは吐瀉物に塗れた男を放置し、使用人の案内のもと扉を出ようとする。
「あ、そうだ。その金はあげるわ。端金だしね」
最後に呪いとも取れる言葉を残して、梓たちは車に戻った。
「よかったの?」
完全に回復した佑樹が梓に尋ねる。
「あんな嫌な奴に金渡して」
「ああ、良いのよ。秀太が発信機と盗聴器つけたもの。それだけあれば北海道からちゃんとした警察が派遣されるはずだし。あれだけの金は不利になるわ」
車は舗装された道に乗り、梓たちは今度こそ鳥取へと向かっていた。
「それに俺たちの株も上がるし、ついでに会社の評判も良くなる! そんでお金がまたやってくるってわけよ。完璧だな」
「っはは」
佑樹はこの双子だけは敵に回さないとこの時決めた。そうしてこの双子に会ったことは、自分の人生で何よりの幸運だと思った。
「ミライ、もう大丈夫だぞ」
「へへっ」
秀太はミライに頬を突かれ愛好を崩している。
「お前を苦しめた嫌な奴はいなくなるし、お前の仲間はみんな北海道で暮らせるように取り計らう。お前も鳥取で降ろしたら直ぐにまた会えるからな」
「ほっかいどー?」
「ああ。楽しみにしてろ。それまでやりたいこと何でも叶えるぞ」
秀太はいそいそとミライの髪を結んでは解いて煩わしいとポコスカ殴られ、だらしない笑みを浮かべていた。
「じゃあお菓子!」
ミライは笑った。
「お菓子たべたい!」
こういう経緯で、佑樹は50万円分のお菓子を買い込み、鳥取砂丘への旅道中はお菓子に埋もれた幸せなものに早変わりする、はずだった。
それを壊したのは一本のニュース。
車が萩に着き、一旦仮眠をとることが決まったその時、そのニュースは飛び込んできた。
「佑樹」
片手で眠っているミライの頭を撫でた秀太が、もう一方の手で携帯を持ったまま目を見開く。いつになく固い声に佑樹の体まで固くなった。
「悪いニュースだ」
「え?」
「富の反逆者の手助けで模倣犯が逃げ出した」
逮捕劇の時、周囲にいた人々の叫びが蘇って頭に響く。ずいぶん昔のことのように感じて何も言えずに茫然としていると、携帯の画面をスクロールしていた梓もしばらくして顔を上げた。
「もっと悪いニュース」
梓は一枚の写真を佑樹に見せた。見覚えのある顔だった。佑樹の目が限界まで開かれる。
「犠牲者が新たに出た」
携帯に表示された写真には、一日佑樹に賭け事を教えてくれた―――――平凡な金持ちを自称する彼が写っていた。