ただの平凡な大金持ちさ
北九州は水上都市を有する街として名高い。その中心にはカジノがあった。水上に浮かぶ真珠を模したそのカジノは、北九州の非公式のシンボルであり、北海道以南でカジノで稼いだ金は使い切らなければいけないと言うのにも関わらず、北海道からも訪れる金持ちがいるほどだった。
「じゃあ、私と佑樹はカジノ楽しんでくるわね〜」
「あー、くっそが!」
「後でリッチェで会おうね秀太」
「せいぜい情報集め頑張れよぉ」
佑樹と梓はカジノで豪遊するべく茶色いスーツと赤いドレスに身を包み、髪を整え、大金持ちを装った。対して秀太は擦り切れた服に無造作な髪、そして丹念なメイクにより、貧相な外見を作り上げていた。それもこれも、スラム街を回って富の反逆者を探すためである。
男気ジャンケンで勝った秀太がスラム街に行くことが決まったのだ。
「行きましょ?」
梓は妖艶ささえ感じさせる声を出しながら佑樹の腕に自らの腕を絡めた。
「そうだね、違う、そうだな行こうぜ!」
「……無理せず素で行きましょ。気張らないで大丈夫。鳥取でうまくやるための予行練習に過ぎないんだし」
「あ、ほんと? よかったぁ」
佑樹はへにゃへにゃと眉を下げた。
「うん、まぁ、顔だけはキリってして。未成年感すごいから」
「うぃ!」
そんな佑樹と梓のやり取りを、秀太はいじけながら聞いていた。
「俺だってカジノ行ったことないのにぃ」
「ははははは、ドンマイドンマイ」
「案外佑樹も容赦ないよな!?」
入り口のセキュリティの横を素通りして、二人はカジノの中へと入った。梓が隠し持っていた銃は取り上げられた。2020年代ものの銃にセキュリティはしばし魅入った。佑樹はその高額さを梓に囁かれて顔を覆う。そんな佑樹を見て梓はコロコロと笑った。
血のように赤い絨毯の上に、コウモリのように黒いルーレットが鎮座している。ルーレットの周りは見物人だらけで盤上を伺うことはできない。ただ、ゲームはその熱気に当てられそうなほどの盛り上がりを見せていた。あたりにはその他にも机が乱立し、そのすべてで何かしらの賭け事が行われているようだった。
「換金はこっちよ」
呆然と突っ立っている佑樹の耳に囁いて、梓はどんどん進む。佑樹も人混みを縫うようにしてどうにかついていった。ひとまず500万円を換金所のスタッフに渡す。レートは一枚一万円。250枚ずつのチップを手に、二人はバカラの台へと移動した。
バカラは「BANKER」と「PLAYER」のどちらが9に近い数かを予想し賭ける単純なゲームである。その上奥が深く、玄人にも愛されるカジノの王様。佑樹はルーレットの横で大勢を集めるそのゲームに惹かれたのだ。
「うぁ、まただ」
流れるように佑樹の前に道が開き、佑樹は迷いもせず選んだ。
そうして流れるように負け続けた。4連敗。手が震える。
「おいおい坊ちゃん、やめとけ」
「え?」
気づけば佑樹は、100枚のチップを失っていた。チップにしているから現実感がなくなっているものの、その総額は100万円。そう容易に溶かせる金額ではない。佑樹はチップが消えていくにつれて失った額の大きさに賭けをやめれずにいた。
「一文無しになっちまうぞ」
梓はそうそうにルーレットに移行し、佑樹ほどではないものの、同様に50万円をカジノに寄付している。ようやくここで佑樹は自分に運がないことに気がついたが、それは梓も同じだった。
彼らはほとほと運がなかった。
「え、ええ、次は勝てるかもしれないじゃないですかぁ」
「今は流れが来ていない。一旦去って立て直せ。流れを引き寄せろ」
佑樹は自分の体を囲うように両手をデスクに乗せて肩の位置で話す男を縮こまりながら伺い見た。
パリッとしたシャツにはシワひとつなく、腕時計はシャンデリアの光を反射して眩しいほどだった。髭面だからか50ほどに見えるが実際のところはわからない。自信に裏打ちされた彼の表情は彼自身をより魅力的に見せていた。
佑樹は自分より圧倒的に年上の男で気の強いものにあったことがなかった。彼にとって未知の生物でしかないその男は、佑樹にとって新鮮で興味深く、佑樹は一目で彼に魅了された。
「でも今更退けませんよ。僕もう百万失ってるんです。このままズカズカ帰れと?」
「サンクコスト効果」
「え?」
「取り返せない損失を未来の判断材料にすべきじゃないぞ、坊ちゃん?」
確かにその通りだと佑樹は目を見開いた。損失は戻らない。これ以上大きな損失を出す前に撤退するのが合理的だ。今は流れが悪い。それはわかっていた。分かってはいた。
「ま、とはいえそう合理的には動けないわな。俺が取り返してやる。まぁ見てな」
「あなたは……」
「ただの平凡な大金持ちさ」
彼は緩慢な動作で佑樹を立たせ、優雅に着席した。
「PLAYERだ」
そこからの快進撃は目を見張るものだった。佑樹は顔を引き攣らせては顔を青くし、時に赤くし、その偉業を讃えた。
「言ったろ? 流れはあるんだ」
短いウィンクが様になっている。片側の唇の端だけをあげて、彼は愉悦に酔いながら上機嫌に佑樹の肩を叩いた。
「1000万。取り返してお釣りがくるぜ。坊ちゃん来いよ、色々教えてやる」
「は、はい!」
彼は余計なことは聞かなかった。ただ佑樹に賭けを教え、佑樹の負けを嘲笑い、佑樹の勝ちを褒め称えた。佑樹が懐くのも自明。梓と合流する時間ギリギリまで、佑樹は彼と行動を共にしていた。
「何? この子お前のガールフレンド?」
梓を見るなり彼は大笑いして佑樹の背中を二、三度叩いた。
「別嬪さんじゃんか」
褒められて気をよくした梓も笑った。
「ガールのフレンドではあるけどね、彼が世話になったわ」
「その顔だと嬢ちゃん随分負けたな」
「バレちゃった?」
「取り返せない損失を取り返そうと躍起になるタイプだ、この嬢ちゃん」
「Exactly 」
その時、どこからか悲鳴が上がった。
「あれまー」
時を待たずして、佑樹はカジノの入り口から悲鳴の上がった方へと駆け出した。佑樹の前に道が開ける。佑樹は小柄な体を活かして縫うように進む。色とりどりの布が視界から捌ける。無我夢中で手を伸ばす。
「セキュリティが動くのが早いだろうにな」
「どうかしら。彼強いから。銃は入り口で取り上げられてるでしょ」
「そ。面白い奴だな。よろしく伝えて。俺は帰るぜ」
「ええ、もちろん、また会えたら良いわね」
「会えるさ」
急に佑樹の視界が開けた。黒いドレスを着た女が地面に横たわっている。その腹部にはナイフが刺さっていた。カバンは開けられている。その横には別のカップルが。飾りの取られたネックレスが無惨に転がっている。
佑樹は女物の財布を持って人混みに紛れる男を前方に視認し駆け出した。人混みに紛れる前に確保するべく。
『流れを引き寄せろ』
平凡な金持ちを名乗った男の言葉。流れは今、佑樹にあった。カジノでは、流れを掴んだものが勝者になる。
「こんにちはぁ」
佑樹は犯人の肩を掴んだ。無理やり振り向かせる。犯人の顔が笑みで歪む。佑樹は喉を目掛けて蹴りかかった。
「あれぇ? えーと、富の反逆者、じゃ、ない、よね?」
梓に見せられた指名手配の写真と顔が異なる。随分と若い。富の反逆者は写真では40ほどだったのに、目の前の男はどうみても20代。
「かはっ」
足技が彼の喉を掠める。佑樹は追撃すべく彼の股を膝で打つ。彼は倒れた。喉と股間を腕で抑えて声を出せずに呻いている。佑樹と彼を遅れてやってきたセキュリティが囲む。佑樹は意にも介さず犯人の前にしゃがみ込んだ。
「君だーれ?」