ビバ北九州!
カーニバルに挑む前に双子はいくつかのアドバイスを佑樹に施した。
『いい? 蔓に捕まったら花の中に何でもいいから物を投げること。奴らは反射で花を閉じるわ。その時に蔓なり茎なりを切るの』
『切り落としてもすぐに生えるから動物を犠牲にして逃げられるなら走って逃げる。周囲が大火事になっても火から逃げられるなら火をつける』
『消化液が体に付いたら体が溶ける。飛んでくる水っぽいのは全力で避けろ』
『消化管を破いたらもう人間を食うことはないわ。だけど消化管は中からしか破けない。一回でもナイフを当てたら帰ってきて良いわよ』
全てのアドバイスを総括して佑樹が思うことは、勝てる気がしない、ということだった。戦闘経験なんて、地下で少しやっていただけ。それでも苦手に感じていたから佑樹は絵ばかり描いていた。
「佑樹は大丈夫なの?」
「だーいじょうぶだって!」
車の中で双子は佑樹を見守っていた。冷や汗を垂らす佑樹に対して、秀太は余裕の表情を浮かべていた。
「見てればわかる。佑樹を知ってるやつならみんな大丈夫って言うぜ? ただ友達だからって理由だけで危険なところに連れてこねーよ、俺だって」
「そ、まぁどうしようもなかったら助けられるか」
梓は秀太とは違って心配でたまらなかった。カーニバルの捕食能力は尋常ではない。初めてカーニバルに襲われた時の恐怖を梓は覚えている。佑樹を挑ませると決断したのももしもの時は麻酔銃を持っているから大丈夫だと言う秀太の説得に応じてのことだった。
「心配性だな。まぁ見てろ」
梓はいつでも助けに行けるようにハンドルを強く握った。
「ちょっとでも危なくなったらすぐ動くから!」
「はいはい」
しかしそれは杞憂に過ぎなかったと彼女は直ぐに知ることになる。
獲物を見つけたカーニバルは、蔓を伸ばして佑樹を捕まえようと動く。
――――――ザシュッッッッッッッ
佑樹は両手に構えたナイフで左右から飛んできた蔓を切り落とした。
コンマ数秒の出来事。蔓は地面にバサリと落ちる。
「は?」
オドオドと戦闘能力の無さを零した姿と今の背中が重ならない。佑樹は臆することなくまた伸びてきた蔓を今度は引きちぎった。
「な? 言っただろ?」
なぜか得意げな秀太に舌打ちして梓は身を乗り出す。
「ありえない。なんであれであんなに自信がないの!?」
「まぁ佑樹も知らなかったんだろ。戦闘訓練もずっと他者の二倍の重しつけてやってたからな。それで自分より遥かに年上と戦ってたんだ」
そう、佑樹は自分の戦闘能力の限界を知らなかった。【強い子を生贄に捧げた方が神は喜ばれる】と星諾教は考え、佑樹にありとあらゆる対人戦闘経験を積ませ、尚且つ佑樹がそれを自覚しないように洗脳した。
生贄を強い子に育てると決めていた彼らが戦闘訓練の時間を絵を描く時間に当てても文句を言わないほど、佑樹の戦闘能力は育っていた。知らぬは佑樹ばかりである。初めての戦闘訓練で、秀太はその才能を見出した。
「ようやくだ」
秀太は佑樹の勇姿をみて微笑む。
「最後のピースが集まった」
佑樹はこの時初めて、重しのついてない体で敵と対面した。そうして自らの力を知ったのである。
――――ダンッッッッッッッッッッ
このままでは埒が明かないと佑樹は飛び上がる。不規則に飛んでくる消化液を全て避けながら、佑樹は蔓の上を走ってカーニバルの消化管、壺型の袋にナイフを投げた。
ナイフが跳ね返って地面に落ちる。カーニバルの体は硬い。投げた勢いをもってしても刺さらなかった。しかし、これで任務は完了。
佑樹は楽しくて思わず笑った。戦闘特化の化け物が、この瞬間生まれたのだ。
―――――スタンッッッッッ
佑樹は消化管を蹴り付けてバク転しながら地面に着地した。
「え、で、どうすれば良いんだっけ」
「乗れ佑樹!」
叫び声に導かれるまま、佑樹は少しずつ走り出した車に手を伸ばした。ドアは空いている。自動運転ではスピードが出ない。運転席の梓が佑樹とカーニバルの距離を目算する。佑樹はドアをつかんで勢いそのまま車に飛び乗った。
「乗ったね、飛ばすわ!」
カーニバルによって崩れかけた標識には久留米市という文字が書かれている。家に阻まれてカーニバルは減速し、どうにか佑樹たちはカーニバルを振り切った。今日の目的地は北九州。水上住宅が栄える街までこのまま梓が運転する必要はない。梓は一度車を止め、自動運転に切り替えて後部座席に移動した。
「佑樹すごいじゃない!」
「言ったろ?」
「なんで秀太が偉そうなのよ」
双子は佑樹に飛びかかって抱きつこうとして車の天井で頭を打った。
「や、そんな、僕、全然…………」
佑樹は自分の手をじっと見つめる。そんな佑樹に双子は肩を竦めた。
「まぁ聞きました奥さん、あれでこの子自分は大したことないと思ってるようですよ?」
「聞きましたわ奥さん、流石に嫌味ですよね〜?」
「い、いや、僕、戦うの、得意じゃ……」
双子は呆れ顔で続けた。
「少なくとも俺よりは強いぞ、佑樹」
「自信持ちなよ、佑樹は強いわ」
「カーニバルに食われたら骨も残らない。多くの殺人鬼はよっぽどの快楽殺人鬼以外はカーニバルを殺人に使う」
「対人戦闘とか縄抜けとか練習しないといけないことはあるけど、この調子なら大丈夫ね」
体が軽かった。思考を体が追い越していた。絵を描くことしかできないと思っていた。だけど。
「そうかな」
佑樹は笑んだ。
「力になれるのなら、よかった。二人にはたくさん優しくされたから」
枷を外してくれた。空を見せてくれた。美味しいご飯を食べさせてもらった。寝床を用意してくれた。服を用意してくれた。一緒に話してくれた。笑顔を見せてくれた。
佑樹は、もらってばかりだったから。
「返せるものがあるならよかった。僕がいる意味があってよかった」
佑樹は、もらったスケッチブックと色鉛筆を抱きしめた。そんな佑樹を見て大笑いする双子に釣られて、思わず声をあげて笑う。
(描きたい)
佑樹はそうしてスケッチブックを開いた。この姿を永遠に覚えていたかったから。
「北九州着いたら何食う?」
「金ならあるんだし、最高級のを食べましょうよ。佑樹頑張ったし」
「そうだな。じゃあリッチェ入るか。あそこなんでもあるし。情報も入るだろ」
双子は腕を組みながらあーだこーだと話し合いを続けている。車の天井に吊るされた小さな電球に照らされて、二人の瞳が輝く。佑樹は忠実にその状況を絵に描いた。
「佑樹、喜べ」
「んー?」
秀太は親指と人差し指を擦り合わせた。
「教主は富の反逆者の居場所を吐いた。俺たちは奴に襲われたところをカウンターするつもりだ」
「…………それの何が喜ばしいの?」
「富の反逆者は金持ちを殺して金を奪い、貧しい人々に配るのよ、思い出した?」
そんな富の反逆者に襲われる有効な方法は一つ。
「ここからは豪遊するわよ、佑樹。ちゃんと殺人鬼に狙われるように、鳥取砂丘の前に北九州で予行練習しましょ」
自分たちが金持ちであると他者に印象付けることだ。佑樹は色鉛筆を動かす手を止めた。
「さぁ佑樹は何したい?」
「えぇ、別に絵描ければ良いんだけど……」
「欲張れよぉ!」
特にやりたいことが思いつかない佑樹の代わりに双子は意見を出し合う。佑樹はくすくす笑って絵を描き続けた。その絵が完成したのは、ちょうど北九州は水上都市に着いた時だった。
「「ビバ北九州!」」
秀太と梓は車の天井を開けて立ち上がり、佑樹にも立つように促す。佑樹が恐る恐る立ち上がった先には、沈みゆく夕陽に照らされてゆらゆらと揺れる水上都市があった。
海にはランタンが所狭しと浮かび、小舟が建物同士を繋いでいる。
「カーニバルの猛威から逃れるためにこの辺りは土地を崩して水上都市になったの、綺麗でしょ」
佑樹は感嘆のため息を漏らした。その場所は、夢のように美しく、非現実的なまでに光に溢れ、それでいてとても暖かかった。