怖いのは人
佑樹は迷わず秀太の手を掴んだ。彼は光の中、地上へと持ち上げられる。秀太の手から伸びた蔓が、佑樹をキャンピングカーまで運んだ。
「今まで黙っててごめん」
秀太は佑樹が地上に着くなりそう言った。
「俺、あの死刑囚を牢屋に戻すために潜入してたんだ」
「そう」
「あの、教団のみんなは無事だし、これから国の保護下に置かれると思う。今俺たちの仲間が向かってるはずだし。大丈夫。どうにかなる」
「うん」
「あの、だから、その…………」
秀太はガックリと肩を落とした。
「ごめん、怒ってるか?」
「え?」
心外だと言わんばかりに佑樹は目を見開いた。
「違うよ、ただ、ワクワクしてる」
今度は秀太が目を見開く番だった。
「こんなに世界が綺麗だったなんて。本当は、だんだん嫌になってたんだ。生贄になりたくないって思ってしまってたんだ。秀太が教えてくれた世界を、ちゃんと知りたくなっちゃったから」
言いながら、彼は重しのついた手で太陽に手を伸ばした。
「描きたいな」
そんな佑樹の元に教主を捕縛した秀太の仲間が戻ってくる。彼女はワイヤーでぐるぐる巻きにされた教主を引きずっていた。佑樹と秀太は互いの手足についていた重しを外す。佑樹は教主がかわいそうに見えて軽々と抱えた。
「えっと、どうすればいいのかな?」
口を塞がれた教主が叫び声を上げている。
「色々聞きたいことはあると思うけど、とにかく一先ず移動するわ。乗って!」
見れば大きな車が1台止まっている。佑樹はそのキャンピングカーの後ろに、見よう見まねで足を踏み入れた。ワイヤーででぐるぐる巻きにされた教主も強引に押し込む。
「ナニコレナニコレ!」
「佑樹、シートベルト」
「シートベルトって何!」
女衆たちが攫われた教主を取り返そうと次々に地下から出てくる。
「飛ばすわ! Go!」
その全てを振り切って、キャンピングカーは走り出した。
「見て秀太! あれ何!?」
「あれが肉食植物だよ」
「動いてる、進んでる!!」
地上は緑で覆われていた。建物は概ね全て緑で覆われており、生き物の気配がしない。
「2023年に無人探査機が持ち帰った石が由来の植物なんだ、あれ。はじめに緑に覆われちゃった国々から安全な日本に大勢の人が押し寄せたんだが、その時靴についてた植物の種子が日本でも発芽したんだ。北海道っていう一番北の大地以外は全滅だ。今いる場所は分かるか?」
「大分でしょ、経典に書いてる」
「ああ。北海道以外に人が住めるところは限られてるし、その間を移動するのも難しい。北海道以外の土地を見捨てて日本は生き残った。だから北海道以外の土地は犯罪者が多いんだ」
現在は2072年。2025年からは47年もの時間が経っている。首都機能は北海道に場所を移し、北海道は著しい繁栄を遂げている。人口が2000万人を割った日本において、その全員分の食糧を担保できる北海道は魅力的だった。
一度北海道に住む人が全滅したのちに、少しずつ土地を燃やして肉食植物を根絶やしにし、種子を運ばないようなチェックを何重にも重ね、日本はようやく北海道という安息地を得たのだ。
他に栄えているのは、砂丘や硫黄が多くでる温泉地帯くらいのものだった。
「美味しいからか人の方がいいみたいだが、肉ならなんでも食うから。出会ったら肉投げて逃げるのが定石だ。油断したら骨も残さず死んじまう」
「燃やしたらダメなの?」
「そりゃ植物だし燃やせるけど、あまりにもすぐ燃え広がるから大火事になったんだ。初めの頃はそっちの死傷者も相当多かったらしいぜ。しかも、その跡地にも種子が根付いたらすぐ生えるし」
考えただけで地獄絵図。その植物は建物を覆ってしまっている。これが一気に燃えてしまったら、地下にいる人でも生き残れないかもしれない。
なんて恐ろしい植物だろうと思うと同時に、佑樹はその怪しさにゾクゾクしてしまう。
「だけど、怖いのはカーニバルじゃない。人だ」
秀太は携帯を触って、佑樹に4人の写真を見せた。
「俺たちが追っているのはこの4人。その中の一人がここに乗ってる教主だ」
運転している秀太の仲間が後部座席にいる佑樹に聞こえるように声を張り上げる。
「私たちは肉食植物が破壊した牢獄から脱獄した死刑囚を捕まえるために動いてるの」
佑樹は逃げられないように縛られている教主をみた。佑樹と同じ、長い髪をしている。抵抗を諦めずに声を上げ続けている彼女は、佑樹と目が合うと涙をこぼした。
「一人目が国の反逆者。こいつが霞ヶ関に肉食植物の種子を放って日本の政治体制を一時崩壊まで追い込んだ男」
「二人目が善の反逆者。肉食植物が現れて以来最悪の殺人鬼。23名の高校生を殺害した男」
「三人目が富の反逆者。金持ちを殺し回った奴で、殺した人数で言えばこいつが一番多いんだ。貧乏人に金を配ったからカルト的な人気がある」
「最後が神の反逆者。星諾教の教祖にして多数の信徒を生贄として殺した女――つまりコイツ」
転がった教主が苦しげにうめき声をあげた。聞きたいことは沢山あるようで全くないような気もした。なんで死刑囚を同年代の彼らが追っているのかも、気にならないと言えば嘘になる。
「…………勢いで連れ出してゴメンな。一応、説明するのが筋かと思って。不自由ない生活ができるようにも計らえる。望むなら北海道にだって入国させられる。だけど、その……」
秀太はよほど反省しているらしく眉を下げた。佑樹は笑って頬を掻いた。
「僕はさ、秀太に着いていけるならついていきたい」
自分の絵を褒めてくれた親友と、一緒にいたかった。父は死んだ。母とは何年も会っていない。情もない。佑樹には秀太が全て。秀太と共に絵が描けるならそれが一番なのだった。
「秀太のそばに居たい。一緒にご飯を食べたり絵を描いたりして過ごしたい。もう一人は嫌だ」
秀太は窓の外をふいっと見た。
「あっそ」
それが照れ隠しであることはすぐにわかったから、佑樹は身を乗り出して運転手である彼女に話しかけた。
「いいですか? 僕なんでもします」
「ええもちろん。敬語はやめて。同い年でしょ」
「あ」
「佑樹、女に敬語使わないといけないのは常識じゃないぞ」
佑樹は生唾を飲み込んで軽く笑った。
「そうなんだ」
秀太たちは、宗教から抜け出すよりもよりも地上の価値観と染まった思想を擦り合わせて暮らしていく方が、佑樹にとっては難易度が高いかもしれないと予想した。
(だけどまぁ、そんなものは自分がサポートすればいい)
秀太はここ一年の地下生活を思い出して眉を顰めた。
(もうコイツは一人じゃない)
生まれた時から地下で過ごしていた佑樹は、その価値観を疑うことがなかった。
男損女肥。
悪名高いその思想が彼の根源にある。彼の自己肯定感を取り戻すには、国の運営する施設に預けると言う手段があることも知っていた。
「一応、国に言えば安全に保護されるぞ、危険も少ない。絵だってかける。本当にいいのか? 俺は、お前についてきて欲しいけど、強制はできない」
「そこに秀太はいる?」
「い、ないけど……」
「じゃあいい。秀太がいたほうが楽しいから」
佑樹に迷いはなかった。運転手をしていた少女が改めて名乗りをあげる。
「そうと決まれば、戦う力をつけてもらわなければいけないわ。少なくとも、カーニバルから逃げられるくらい。よろしく、佑樹。私は梓。秀太の双子の姉よ。聞いてた通り、本当に似てるのね」
「え?」
「なんでもないわ。よろしく」
それ以上梓は何も言わなかった。自己紹介を終えると共に、車が目的地である別府温泉地帯に着いた。
地獄、という看板がテラテラと夕方の空に浮かぶ。草木の生えないその場所には、緑化されていない建物がいくつかあった。車を停めた梓が、その一つを指差す。
「降りましょ。ゲロクズババァを押し込むの手伝って」
「うぃー、終わったら?」
「温泉温泉!」
「じゃあ頑張るかぁ」