毛根みたいに死んじまえ
包丁は小気味良い拍子を刻み、鍋はグツグツと蓋を揺らす。旅館についていた簡易的なキッチンに立つのは、いつも通り秀太だった。梓はせっかちが祟って食材が生のままであることがままあったし、佑樹は検索した通りに作れるものの、その通りの材料が揃っていなければ作れない。それに秀太は料理が好きだった。今もピザだけでは栄養が偏ると料理するくらいには、摂取する食べ物にこだわりがある。
梓は兄が料理する姿を見ながら物思いに耽った。佑樹――裕太と似た顔をした彼の顔を直視できない気分だったから。
『どうしよう』
北海道を出て7日目、強盗殺人で銀行内の人々を18名殺したのちに逃亡中だった男を梓は捕まえた。カーニバルの群生地に迷い込んでいたらしく、彼は放っておけば死が確定していた。
『どうすればいい?』
刀を彼の首に当てて、彼女は固まっていた。
『私、コイツを殺せない』
両親の顔が、友人の顔が、友人の両親の顔が、今までの経験が、どうしても手を引き止める。
『だって、私、一人じゃ』
梓は生まれてからずっとたくさんの人に囲まれてきた。どんな時にも双子の兄がそばにいた。それは秀太も同じだった。
『一人じゃない、から。裏切れないから』
梓はそこで顔を上げた。ピザが届いたからだ。
「梓並べといて、佑樹はこっち」
マルゲリータピザとサラダ、コーンスープ。チーズはたっぷり。そこは譲れない。梓は端がカリカリのピザが好きだった。ふわふわ好きの兄の希望により、ピザは生地違いで2種類が並んでいる。
「「「いただきます」」」
佑樹は生まれて初めて食べるピザに小躍りしている。地下では、和食――というより、粗食を食べていたから。
「ずっと気になってたんだけどさ」
佑樹がピザを飲み込んで言った。
「スラムって何?」
「知らなかったのかよ」
「逆に知っていると?」
「あぁまあそうだな、佑樹が知るはずないか」
秀太はスープを掬うスプーンを置いた。スープの残滓がポトリと落ちる。
「そこで生きる人の健康と安全が保障されてない場所。電気とかご飯とかが他の一般的状態と比べて不十分っていうか、そんな感じ?」
「僕がいたとこはどうなるの?」
秀太の予想通りの質問だった。自分が佑樹でも、同じ疑問を持つ。
「僕がいたとこだって、電気とか発電するために男は夜通し自転車乗ってたし、ご飯は一日一食だったじゃん。僕、外に出るまでそんなもんだと思ってたけど、違うんでしょ」
「そだな。でも、あれは別。あれはスラムって言わない」
「え?」
「見たらわかる。あそことスラムは別物だよ」
それ以上、秀太は何も教えなかった。
「「「ごちそうさまでした」」」
旅館自体をチェックアウト。富の反逆者を追うためにカジノに隣接したホテルを使うことを判断したのだ。荷物を下ろして車で着替え直す。佑樹と秀太はあえて見目を整わせた。つまりは、襲われやすい見た目を作り上げたのだ。
「じゃあ待ってる、気をつけて」
スラム街から二本手前の路地で二人を下ろして梓はホテルへとUターンする。
「とはいえ、気をつけることなんてそうそうないよな」
「どうだろう?」
そこは、50年前の旧市街地だった。街にはところどころ今ではあまり作られないようなアルミ製の看板が散らばっている。カーニバルも近くに生えている。
「カーニバルなんで襲ってこないの? 見えるところにいるのに」
「除草剤つきの豚でも食わせたんだろ。しばらくその土地には生えてこなくなるからな」
「でもその方法だとまた生えてくるんでしょ」
「でもしばらくは生えない」
佑樹は石を蹴飛ばした。石は跳ねて住居の一つにコツンと当たった。小さな子どもが集まって遊んでいたらしく、その住居から顔を出した。
「北海道に連れて行けないの? 今までみたいにさ」
「無理だよ。彼らの保護者は犯罪を犯してるわけじゃない」
「親ごと連れていけばいいじゃん」
「地域の経済が一気に壊れる」
「めんどくさいなー」
「めんどくさいから見に来たんだよ」
ポリポリと頭を掻いて、佑樹は秀太の半歩先で止まった。絵画を描くことが好きで、勉強は嫌い。考えることが多くて全てが面倒になった。
「うーん」
「佑樹」
「ん?」
「つけられてる」
秀太は声を顰める。見るとはなしに見た先に、知っている顔があった気がした。
「秀太」
「ああ。撒くぞ」
模倣犯。富の反逆者の模倣犯ににた背格好の男だった。佑樹と秀太は二手に分かれた。男がおったのは秀太。佑樹は気配が消えたのを感じ取り、秀太の元へと引き返す。
「なるほどなるほど、確かにね」
佑樹は、模倣犯とは別に襲ってきた男を蹴り上げながら進んだ。
「これは地下とは違う」
位置情報は割れている。佑樹は秀太のいる場所までの最短経路を検索しながら、倒れた男の頭をぐりぐりと踏みつけた。
遠くに煌びやかな街が見える。鳥取砂丘付近。近くに富が溢れる場所があるのと無いのとでは心の貧しさが違う。ご飯がないのには耐えられる。けれど、ご飯をたらふく食べて残してるやつがいるのは耐えられない。
富の反逆者はそんな圧倒的な貧しさに、その昔に負けた男なのかもしれない。
だから。
だから?
佑樹は頭を捻った。佑樹は梓や秀太のように、法を寄り辺に立ってはいない。それを寄る辺にできるほど、法制度を知らないのだ。
「秀太?」
位置情報が指し示す位置に着いたものの、秀太の姿が見えない。佑樹は、地面に落ちていた携帯電話を拾い上げた。見覚えがある。秀太のものだ。
右後ろから飛んできた凄まじい殺気を腰から左に体を引いて避け、佑樹はそのままの手で反撃に転じた。
「何者だテメェ」
「お前が名乗れよ!」
佑樹は怒っていた。気づいたのだ。彼が動画に写っていた男の一人だと。
「死にたいみたいだねぇ」
彼らは知らなかった。温厚そうに見える佑樹が、先に捕まえた厳つい男よりも遥かにキレやすい人間であることを。
子供っぽく、精神が成熟しておらず、それでいて喧嘩が強いことを。
「隠れてる奴らもまとめてきなよ。弱いものいじめは趣味じゃない」
「目ん玉ひん剥いて代わりに飴玉詰めてやる」
「じゃあ君の髪で筆を作ってあげよう。薄毛だけどギリギリ足りそうだしね」
佑樹はハゲに向かってそう言った。周囲のビルから降りてくる少年少女たちは総勢20人。これで以上とも思えない。
「じゃあ、毛根みたいに死んじまえ」
佑樹は地面を蹴った。




