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男損女肥

 宗教はアルコールのようなものだ。

 過剰摂取は健康を損なう。未成年なら特に。そのことに、斎藤佑樹は未だ気づいていなかった。


 その日も佑樹は呑気に絵を描いていた。地上に一度も出たことがない彼は、想像上の地上を描くのが好きだった。娯楽がない地下では、絵画を描くか戦闘訓練をするかしかなかったのだ。佑樹は戦闘訓練が苦手だったし、強制的に戦闘訓練をさせられる時以外は常に絵を描いていた。


「上手だな」


 いつも、いつでも一人だった。そんな折に、急に彼は現れたのだ。


「はじめまして」


 だから、どれだけ佑樹がその声に驚いたか、きっと彼は想像もできないだろう。


「俺は松山秀太。18歳。星諾教会に入会したばかりで作法とかあんまりわかってないから、色々聞くと思う。よろしくな」



 思い詰めた真っ青な顔色をした彼は、どう見ても佑樹と同い年には見えない。外の世界から来たと紹介された彼に興味が尽きない佑樹は、その手を差し出した。嬉しくてたまらなかった。



「僕は斎藤佑樹。18。なんでも聞いて! 生まれ育ちがここだから僕より詳しい人はそういないよ! 同年代の男の子に初めて会ったから嬉しい。外の世界のこと教えてね!」

「生まれ育ち?」

「うん、母さんと亡くなった父さんがここで僕を産んだから」

「外の世界に出たことないのか?」

「危険だからない!」



 佑樹の重しがついた手を秀太の手が掴む。二人はこうして出会った。地下の一室、仄暗く声の響くその場所で、彼らは初めて話したのだ。テンションが上がりすぎて自分でも少しウザいような気がしたけれど、佑樹は自分の感情をコントロールできなかった。



「あ、重し! 手足に付けてないじゃんか!」

「なんで付けないといけないんだ?」

()()()()()()() 女より力が強いからね。平等のためにつけないといけないんだ。男は危険だからさ」

「…………なるほどな」



 男性居住区域の説明を終えると、祈祷の時間になった。時刻は16時20分。二人は礼拝所へと駆け出した。彼らが住む地下は、男女で居住区域がはっきりと分かれ、その真ん中に礼拝所がある。礼拝堂は細長い白い布が天井から吊るされ、祭壇の横に立った女が団扇で起こした風が、その布を揺らしている。地下に住む人々は皆、礼拝所に集まって正座をしていた。


 祭壇の前には老婆が座っていた。16時30分を知らせる鐘が鳴ると、一斉に人々が頭を下げ老婆だけが立ち上がる。


(違う、あいつじゃない)


 秀太は頭を下げたまま下から老婆を睨み上げた。


(教主じゃない)

 

 怪しげな文言を唱える老婆の声など聞かないまま、秀太は考え続けた。


(奴はどこにいるんだろう)




 祈祷が終わって居住区に帰る時、秀太はありがたい言葉に涙を流す人もいることに気がついた。


「あぁ、新しく来た人は大体ああなるんだ」


 そんな秀太の目線に気づいて佑樹は笑った。


「よっぽど、外の世界は辛いんだね」


 秀太は目を伏せた。相槌は打たなかった。秀太にとってはこの場所の方がよっぽど辛かったから。来て1日ですでに心が折れそうだった。重しをつけて動き回るのも、娯楽の一つもない生活も。女と話す時の禁止事項を長々と説明された時には気が狂いそうだった。




 その夜は二人でコソコソと話していた。佑樹は外の様子を聞きたがったし、秀太は地下のことを知りたがったからだ。


「へー、じゃあ、外には人を食べる植物がいるんだね!」

「ああ。肉食植物(カーニバル)な。まぁ、肉さえ持ってれば大丈夫だ。人だけを食べるわけじゃないから。犬一匹とか豚半分とか食ったら大人しくなる」

「でも怖いね。この中は安全だからいいけどさ。それもこれもお祈りと教主様のおかげだね」


「教主様? 知ってるのか?」


 秀太は目を見開いた。


「もちろん。かのお方が10年前にここに来てくださった話は何度か聞いてるから。日本中の星諾教の元を移動してるらしいから、あんまり会えないのが残念だよね」


 秀太は自分のことを打ち明けるべきか悩んだ。


 この教団を破壊するために潜入したことも、外の仲間との連絡手段があることも。


 生まれた時からこの教団に囚われた彼に、自由を教えてあげたくて。大切な人によく似た顔をした彼を救たくて。



「…………そうだな」


 だけど止めた。それは今ではないと信じたから。


「もう寝よう」


 それぞれの部屋に戻る。電気を消した佑樹と違って、秀太はコンセントを抜いて携帯電話を充電し始め、今日の結果を報告した。














***


 一年後。2072年。


「秀太、今僕の分の肉取っただろ!!」

「ははっ、悪い」

「悪いって思ってないじゃんか!!!」


 佑樹の存在が、秀太がこの地下で住み続ける唯一の希望になっていた。外の仲間は耐えるようにと言うが声は聞けない。佑樹以外とは自由に話せなかったから、秀太は佑樹と必然的に仲良くなった。佑樹も同様だった。


「ったく、もー。はい魚もーらい!」

「おいおいおいおい!」


 男性用食堂は人が少ない。教団に入ってる男性がそもそも少ないからだ。一番年下が彼らだった。15歳以下は家族部屋で暮らし、家族連れ用の食堂を主に利用するから当然ではあるものの、1年経ってもなお、秀太は慣れなかった。


「んで、教主様が来てるってマジ?」

「らしいよ。納品しに行ったら千紗さんたちが話してたから」

「あーそりゃ本当くさいなぁ」


 秀太は味噌汁で喉を潤す。先に食べ終えた秀太は手を合わした。


「ごちそうさまでした! 一旦部屋帰るわ! 先礼拝所行っといて!」

「えー」

「ごめん!」


 バクバクと動く心臓に気づかないふりをして秀太は早足で部屋へ戻って携帯で仲間に連絡をした。


《準備を開始してください》


 その頃ようやく昼飯を食べ終えた佑樹は、そそくさと礼拝所に向かい、礼拝所の横の黒板に絵を描きながら秀太を待っていた。


「おお、流石だな」

「大婆様!」

「あんたは本当に絵が上手い」

「そうでしょうか」

 

 照れ隠しに首の後ろを掻きながら軽く笑う。大婆はにっこりと笑った。


「あぁ。そうだ、教主様に見せたら喜ばれるだろう。よく伸び伸びとここまで大きく育ったと」


 大婆は佑樹の手を取った。


「もうすぐ参られる。神の元へ行くのをここからみておるぞ」


 その声を、ようやくそこにやってきた秀太は聞いていた。悪夢だと思った。


「佑樹」

「おー、早かったね」

「まあな」


 腕を引いて大婆と十分な距離が離れたことを確かめ、小さく耳元で囁く。秀太はこれからのことを思うと眩暈がした。


「わかってるのか?」

「何が?」

「神のもとへ行くってどういうことか」

「知ってるよ」

「嫌じゃないのか?」

「…………」


 秀太の耳元で佑樹は笑った。


「それで平和は保たれるんでしょ?」


 秀太はそんなものはインチキだと叫んでしまいたかった。そんな力があるのなら、世界から肉食植物(カーニバル)はいなくなっている。


「僕は一瞬でも外に出てみたいんだ、空が一瞬でも見られるなら、それで十分」


 1年間一緒にいたと言うのに彼の母親だという人を秀太は見たことがない。聞けば佑樹も見た記憶はないのだと言う。その両腕両足につけられた重りが合計で8キロあることを聞いた時は空いた口が塞がらなかった。他の男の2倍の重さだ。寝る時と自分の部屋以外ではいつも重しをつけたまま、彼は絵を描く。


(外に出たいのも無理はない。教主を疑わないのもそう教育されてきたから仕方ない)


 秀太は唇を噛んだ。


(だから、俺が救う)


 秀太はずっと隠してきた。肉食植物(カーニバル)のせいで刑務所から脱獄した死刑囚を追っていることも、その死刑囚の一人が教主であることも。彼女が教団員を何百と殺したのだということも。



「そっか」


 だから彼は諦めろと言う代わりに小さく小さく呟いた。





―――――――パチパチパチパチパチパチパチパチ





 拍手の波が後ろから押し寄せてくる。涙を流しながら手を叩くもの、満面の笑みで一定のリズムを刻むもの、手だけではなく体までも震わせるもの、人々はそれぞれのやり方で拍手をした。


「教主さまぁあああああああ!」


 どこかで女が叫んで、それからは叫び声で耳が割れそうになる程に声が伝播する。教主はゆっくりと祭壇へと近づいていく。秀太は横を通り過ぎようとする彼の足に縋り付く人々に混じって、小さなチップを彼の足に貼り付けた。


(よし)


 ドクン、と音を立てる心臓を無視して、秀太はガッツポーズをした。対して佑樹は、強烈な違和感を覚えていた。大声で叫び、我先にと教主の足元へと手を伸ばす彼らが悍ましく見えたのだ。


 粗相を犯すたびに行われた体罰により強く頭を打ち続け、佑樹は10以下の時の記憶がない。だから、こんなにも気持ち悪い人々を見るのは初めてだった。


 それはただの生存本能。


 得体の知れない冷たい目線を感じて佑樹は縮こまる。


「ありがとうございますありがとうございますありがとうございます」

「教主様のおかげで幸せですありがとうございます幸福に生きていけます」

「安全に暮らすことができております私に奇跡を! 御声を聞かせてください!」


 教主はゆっくりと祭壇に上がった。


「名前を呼ばれたものは壇上に上がりなさい」


 大婆がゆっくりとしゃがれた声で名前を呼ぶ。


「斎藤佑樹」


 佑樹は異様な空気に戸惑った。このような状況を想像していたわけではなかった。壇上に上がって、絵を見て褒められて、才能があると言われて、外の世界を見せてくれるような、そんな状況を予期していたのに。


「特別な子! 星の命を諾(ほしのめいをうべな)う子!」


 佑樹は壇上に上がり、促されるままに祭壇の裏にある階段を見た。階段は13段。外の世界に繋がっている。秀太はゾッとした。歓声と拍手が鳴り止まない。戸惑いに佑樹が顔を歪める。


 大丈夫だと、幸せだったと秀太に向かって笑いかける。


 秀太はポケットに入れておいた携帯電話で開始を告げた。もうこれ以上は見ていられない。人をかき分け、佑樹の元へと這うように進む。





――――――――gGRRRRRRRRRRRRRRRR!!


 



 その時、頭が割れるような音がして祭壇の奥の天井が割れた。


「秀太! よくやった!」


 現れたのはワイヤーを手から伸ばす一人の女。


「神の反逆者! あんたを刑務所にぶち込みに来たわ!」


 佑樹はどうしようもなくこの状況に困惑しながらも、自分のすべきことがすぐに分かった。佑樹は秀太を探しだす。友の無事を確かめることが、彼がするべき唯一のことだった。教主は彼女の言葉に一目散に撤退を決め込む。人々はあわあわとその場でこの未曾有の事態を飲み込めずにのたうち回っていた。


「佑樹!」


 大好きな親友の声がする。力の限り手を伸ばした。


「秀太!」


 そうして佑樹は気がついた。


「こっちだ!」

 

 宗教はアルコールのようなものだ。


「逃げるぞ!」

 

 酔っている人は素面の人よりも幸福そうに見える。


「秀太! 秀太!」


 実際に幸福なのかとは関係なく。


「つかまれぇえええええええ!!!!!」


 この時、彼は生まれて初めて酔いから覚めた。彼を閉じ込めていた天井が割れて見えた空はどこまでも青くて、今まで夢見た空よりもっと、美しかった。

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