武神 〜何故に彼女はこんなにも強いのか〜
戦闘中の騒然とした王宮の一画で、負傷した脚を押さえながらビヨルンは思った。
「この非常時に、このお嬢さんは一体何を言っているんだ!?」と。
「このお嬢さん」とは、今年新たにやって来た同盟国の大使の令嬢レティシア・ドラッフェイェーガー嬢だ。騎士団の訓練場によく見学にやって来る複数の令嬢達の中の1人だった。
多分、というより、確実にビヨルンのファンの1人なのだろう。恥ずかしそうに差し出される菓子やサンドイッチが入った籠と共に、美しい刺繍入りのハンカチや、ビヨルンの名を入れた肌触りの良い手ぬぐいを差し入れて来るので、ああそうなのかと思っていたのだ。
ビヨルンとて24歳の男子である。美しい令嬢に好まれるのは悪い気はしない。だが彼は、所詮は令嬢の気まぐれで、本気にしようものなら「そんなつもりじゃなかった」「こわい」等と言って尻込みして離れて行くのだと経験上知っていた。
カールグレン伯爵家の三男であるビヨルンは、熊という意味の名の通り、大きく頑丈な体躯を活かし騎士団に入って身を立てている。実家は伯爵家ではあるが、現在の住まいは騎士団寮だ。剣技ではこの国随一と言われ、今の所負け知らずの剣士ではある。だが…だ。
自分の力量で功績を上げ騎士爵は得ているが、頬には魔獣と戦った時に負った怪我の痕がはっきりと残っている。更に身体にも傷痕がたくさんある。
侍女付きで見学にやって来るような令嬢達からすると、遠目に見てうっとりするには良くても、実際に近くで関わるのは恐ろしいだろう。ましてや結婚など有り得ないと思う。
大使令嬢のレティシア嬢も同じだろうと思っていた。少しだけ、いやだいぶ他の令嬢達と違う事は、差し入れに入っている手紙の内容が、いわゆる恋文とは思えない事だ。
よくある「本日も素敵でしたわ」等の美辞麗句が連なる令嬢達の手紙とは違う。何度目かの差し入れに入っていた初めての手紙を読んだ時、ビヨルンは固まったものだった。
「遠目ではございますがカールグレン様の太刀筋を拝見致しまして、もしや右足の踏み込みで、ほんの少しですが外側に体重を掛けすぎる癖があるのではないかと思いました。些細な足元のバランスの崩れが、剣に伝わる時には大きなブレとなる事がございます。ご自分の癖に意識を向け、早い内に矯正なさるとよろしいかと存じます」
え?何?と思った。だが言われるように意識をしてみると、確かにそのような癖があることに気付いた。騎士団長に言うと笑いながら「なんだ、やっと気付いたのか」と言われた。
それからビヨルンはレティシアが気になるようになった。
どう見ても楚々とした大人しそうな女性だと思う。姿勢が良いのはダンスが得意なのだろうか。足さばきも流麗なのできっとそうなのだろうと結論づけた。
次にもらった手紙は、見学をしながらその場で急いで書いたもののようであった。訓練中に水を飲み過ぎだという注意だった。
「汗をかく分、水分をとることは大切ですが、カールグレン様は少々水分をとり過ぎとお見受けいたします。返って倦怠感を感じたり、時に筋肉のこむら返りなどの症状があるのではないでしょうか?飲む量を調節するべきです。または、時々塩を舐めるとよろしいかと存じます」
ビヨルンは自分の水の飲み方を反省し、時々塩を舐めるようにした。それだけで疲れ方が違うことに気付いた。
ますますレティシアに関心が湧いた。急にあの場で書いたのであろうあの手紙も、文字に乱れはなく美しい書体であった。頭も良い女性なのだろうと思う。差し入れの料理等も、自ら作っていると書いてあった。それが本当であれば味覚も優れていると思われる。
素敵な女性だ。ビヨルンは思う。だが相手は大使として我が国に来ているドラッフェイェーガー候爵の令嬢である。所詮は高嶺の花だと、一時の甘やかな思い出になるだけだと思っていた。
ところが、だ。
王都への魔物の急襲というこの非常時に、彼女は思いも寄らない事を叫んだ。
騎士団や魔道士達以外は、皆建物の中に逃げ、隠れているはずであった。なのに、ビヨルンの危機にどこからともなく飛び出して来て、仮にも騎士団副長である屈強な大男ビヨルンに向かって、「下がっていろ」と言ったのだ。
そして、空から迫りくる巨大な異形の化け物ワイバーン達を見据えて、逃げ惑うでもなく泣くでも無く、ましてや失神するでもなく、レティシアはその美しい口元に挑むように笑みを浮かべた。しかも負傷したビヨルンを庇うようにしながら。
ビヨルンより頭2つは小さいのではないかと思われる、細く華奢にしか見えない肢体。すらりとなよやかな両腕。花や扇を持つのが相応しいその手には、誰かが戦闘中に落とした物を拾ったのか、彼女の身長程もある槍が握られている。
豪奢な長いドレスを纏った、金色の髪のまだ少女とも言える美しい令嬢と槍。
似合わない。全く似合わない。違和感満載だ。
唖然としてその姿を見つめるビヨルンは「ココは何処?私は誰?」と、まぬけな自問自答をしてしまう。
言いたかった事は「俺は夢を見ているのか?」なのだが、自分が何を言ったかもわからない程に混乱していたのだろう。
そんなビヨルンの驚きを他所に、ナイフとフォークより重い物など持ったことがなさそうなレティシアが、少し腰を落とし堂に入った構えを取ってから口を開く。
「カールグレン様、あなた様はしとやかで笑顔が優しい女性をお好みと伺っております。一生懸命頑張ったのですが、残念ですがやはりわたくしはどうあってもあなた様の好みにはなれないようです」
レティシアは辛そうに続ける。
「あなた様をお慕いしておりました。こんなわたくしを、あなた様に見られたくはなかった…。でも、あなた様を守る為であれば致し方ありません。
わたくしは悲しい。そして、我が淑女の仮面を引っ剥がしに来た魔物どもが、そしてあなた様を傷つけたあのワイバーンめが憎い!」
思いがけないストレートな告白と、徐々にその身にまとう殺気を濃くしていくレティシアの姿に息を呑むビヨルン。
「たかが羽虫程度の小者風情が、良い気になってわたくしが居る場に攻め入るなど笑止千万!ひねりつぶしてくれるわ!」
そう言って、レティシアはドレスの腰から下の部分を引きちぎる。いや、元より取り外し可能になっていたようだ。どういうドレスだ。何故そうなのだ。
重なる布を剥ぎ取り、レティシアは身軽に膝上までの短いスカート姿になった。
淑女が脚を出すなどと言うことは、破廉恥極まりないというのが周知の世界である。ビヨルンは「あ!」と目を覆おうとする。だが、大丈夫だ。心配ない。
彼女のすらりとした脚はその肌をさらけ出す事無く、足首までの細いトラウザーズを履いている。下着ではない。ズボンだ。
そして、令嬢が履く華奢で華美なハイヒールと見せていた靴は、しっかりと足首をホールドする革のブーツだった。見せかけの令嬢シューズだったのだ。
一瞬、切なそうな目をビヨルンに向けたレティシアは、「さようならわたくしの恋…」と呟き儚く微笑んだ。その目に光るものがあったのは見間違いではないだろう。
「レティシア嬢…」
そう言ってビヨルンが手を伸ばそうとしたその時、すでにレティシアの目は、大きな口を開けて迫ってくるワイバーンに定められており、そこには一瞬前の儚げな様子はなかった。
今そこにあるのは怒れる戦士の眼差し。力強く凶暴な、いや獰猛な絶対強者のそれであった。
彼女は唸るように言う。
「ハエにも満たぬクソ羽虫めが、小賢しい」
その言葉に、伸ばそうとした手を止めてビヨルンは再度思った。
「こ、このお嬢さんはワイバーン相手に一体何を言っているんだ…?」
そんな彼の問いをかき消すかのように「ハァッ!!」と声を上げ、レティシアは一瞬で宙に舞う。
ビヨルンは思った。
「え?何であんなに飛べる?」
そう、レティシアは有り得ない跳躍をし、建物をピョンピョンと飛び移りながら王宮の屋根まで一気に上がり、そしてそこからまず一匹目のワイバーンに向かって飛んだ。
身軽であるが故か、魔法を操っているのか、いずれにしても美しい令嬢が躊躇なく、醜悪で恐ろしい巨大な怪物に突進していく様は、ビヨルンだけではなく、見ていた者達全てを震撼させた。
夢か?夢を見ているのか?全ての者がそう思った。いや、正確には二人を除いて。
その二人とは、レティシアの父である大使とその従者である。
「…ああ、お嬢様、出ちゃいましたね」
「うん、出たね。こっちに来てからは大人しくしていると思っていたが、やっちゃったな」
「騎士団に好みの殿方がいるって、いそいそとお洒落に精を出していたんですが、ぶち壊しですね」
「まあ…、仕方ないだろうな。あんまり被害が大きいと良くないからね」
「どうなさいます?」
「あの子が出たなら大丈夫だろう。私は今一度書類をチェックしようかな。午後一で外務大臣と会わないとならないからね。トマス、お茶をいれてくれ」
「畏まりました」
呑気である。
外では人々が逃げ惑い、騎士団や気概のある貴族達も総出で魔物たちに立ち向かおうとしている。負傷者も出ているようだ。
だが大丈夫だ。レティシアが出たのだから。程なく事態は収まるであろう。それも圧倒的な勝利で。
大使は、決してこんな事が起こると見越して、今日王宮に娘を連れて来たわけではない。
国内では娘を娶ろうとする男がいないので、この国に赴任した時に「上手く行けば良い人材=婿を確保出来るのではないか」と思った。なので、ただ頻繁に娘を伴って王宮に顔を出していただけだ。
「あれを見てしまったら、この国でも婿取りは無理かなあ…。まあ、仕方あるまい。うちの陛下に奏上して来年はあまり魔物などが出ない平和な国にでも行かせてもらうかなあ」
そんな事を思う大使。
「レティシアは我が娘ながら、美しく愛らしく性質も良い子だ。ただ、強過ぎるからなあ。そもそも、何で武神の加護もらっちゃったかなあ…」
そう、レティシアは武神の加護を持っていた。それも「極大」。
この世界では、稀にその手に神の加護持ちの印を持って生まれて来る子がいる。神聖な大きな力を得るという証である。
レティシアが生まれた時は、それを見て皆が喜んだ。加護持ちは希少であると、国王からも祝いが届き、いずれ王子の嫁にどうかと打診があった程だ。
だが、加護持ちとは言え、どの神が加護を下さるかは5歳になるまでわからない。有り難いが婚約は5歳まで保留として欲しいと願い、その時を待った。
5歳になり神殿で洗礼を受け、そして目の前に並べられた各神の象徴である選別の聖具を見たレティシアは、全く迷わずに嬉しそうに武具を選んだ。
「あの時は思わず声をあげちゃったなあ。何で武具?!って」
大使は懐かしそうに笑う。
レティシアには愛と生命を司る女神の加護を得て欲しかった。なのに望んだのは武神だ。おまえは英雄にでもなるつもりか?と思ったものだ。
しかも、武神がそれを受け入れた。
聖具を選ぶのはその者の意志であり、神がそれを受け入れるかどうかはわからない。神が受け入れなければ、再び聖具を選び、そして違う神の加護を得る事になるのだ。
「武神様も受け入れちゃうんだもんなあ…」
大使は乾いた笑いをこぼす。
武神は140年ぶりに女子が自分の加護を望んだと知って、珍しいと歓喜した。父である大使が「極小でお願いします」と祈ったにもかかわらず、大盤振る舞いで「極大」を下さった。その瞬間、妻は倒れた。
その場にいた(倒れた妻以外の)者達は、特殊な力を持った巫女でなければ聞こえないはずの神の御声、「わははははは!」と言う野太い満足そうな笑い声が聞こえたような気がした、というか聞いた。かなりはっきりと聞こえた。
神殿の前を通りかかった人まで「え?何?」と立ち止まり空を見上げる程に武神は喜んだ。
そして、それに応えるように幼いレティシアは剣や槍を持ってキャッキャと無邪気に笑ったのだった。
レティシアは決してただの乱暴者ではない。淑女として礼儀作法は完璧に身に付けているし、刺繍もダンスも上手い。歌は…まあ残念だ。だが、気の利いた会話が出来る機知もある。
成人してからは母と共に使用人を使い、茶会や夜会等も上手に仕切るようになっている。親の欲目なしに素晴らしい女性である。
ただ誰よりも強い、それだけなのだ。
魔力はなかったはずだが、いつの間にか浮遊術を使いこなしていた。主に仕留めた獲物、いや魔物を運ぶ為に覚えたらしい。飛ぶ魔物と戦う為に自らを浮かせる事もある。どういうことかと思った。
そしてある日、楽しそうな声が庭から聞こえてきて何だろうと見に行くと、使用人がお嬢様やめてくださいと泣きべそをかいているのを無視して、素手で木を切り倒している娘を見た。その時は、妻よりも先に大使が倒れたものだった。
後で聞くと、「手刀を極めたいと願ったら、手の周りに回転する鋭い刃のようになった風を纏えるようになったのです!」と嬉々として言われた。
どうやら、レティシアが望めば武神様が気前よく次から次へと力を与えてくれるらしい。
「もうやめて」
大使は何度そう思ったことだろう。だがもう諦めた。仕方ない。何と言っても相手は神だ。
願わくば、レティシアがレティシアらしく居られる婿をお願いしたい。いずれ親がいなくなっても、あの子を愛し支えそばにいてくれる誰かを。
ここ数年の大使の祈りの大半はそれであった。
「この国に連れてくる時に、また武神様の笑い声が聞こえたような気がしたから、良いご縁があるのかと思ったんだけどなあ…」
「なんです?」
「いや、何でもないよ。そろそろレティシアの方は終わるかな」
その言葉に従者が窓から外を見る。
「もう終わったみたいですよ。ワイバーン8体中の6体をお嬢様が落としたようです。瞬殺でしたね。まあ、所詮ワイバーンですからね。他のは騎士団が押さえたようですよ」
レティシアの所業に慣れている者からすれば軽く言える言葉だが、本来はワイバーンは簡単に退治できるような魔物ではない。1体でも大変なことなのである。
それが8体が急襲して来たなど、騎士団が総出でも倒せるかという事態だったのだ。そのうちの6体を可憐な少女がやっつけた。何も知らない者が聞いたら冗談だとしか思わないだろう。
レティシアが空の魔物を片付けたおかげで、騎士団は地上の魔物に集中できた。そちらはオーガとミノタウルスがそれぞれ一体だったようなので、トマス曰く「騎士団でも楽勝でしょう」だ。
言っておくが大間違いである。トマスの基準はおかしくなっている。
「それにしても、今日はいつもよりも早かった様だな」
「調子が良かったんですかね?」
そうではない。失恋の八つ当たりだ。
その頃レティシアは、驚愕のあまりにシーンと静まり返った人々の中で、大して息も切らさずに面白くなさそうな顔で立っていた。
戯れに槍で突き、とどめに首を落とし(手刀で)、またはぶん殴り、次々と空から叩き落としたワイバーンの巨体が、下にいる人達を潰さぬようにと落ちる前に浮かせる余裕もあった。いや、既に癖になっていると言ってもいい。
以前、森で飛行系の魔物を落とした時に、危うく愛馬が下敷きになりかけて以来、常に気をつけるようにしているのだ。気配りの出来る優しい娘なのだ。
「魔物が浮いている!」と驚く人達に「下ろします、どいて下さい」と言って誰も潰さぬようにそっと下ろした。
そして呟いた。
「足りぬ…」
ワイバーン6体程度では足りぬ。この悲しみをぶつけるには足りぬのだ。
このまま森にでも入ろうか。レティシアは思った。しばらく1人で籠もって、その辺の魔獣共を根こそぎ蹴散らそうか。ミノタウルスあたりに的を絞って片っ端から潰すのもいいかもしれない。しかし、果たしてそれでこの胸の痛みは消えるのだろうか。
何故わたくしはこんなにも強いのか。好きになった人達は皆離れて行った。最初は笑顔で花を贈ってくれた人達が、やがて顔色を悪くして逃げ隠れするようになった。
噂を聞いて巨人のようなゴツい大女であろうと笑っていた男達が、目の前の華奢な美少女が件の武神の加護を持つ女と知るや、噂は噂でしかないのだろうと近付き甘い言葉を囁いた。
だが、一度緊急事態が起こりレティシアの勇姿を目の当たりにすると、その身を守られた側であるにも関わらず、感謝をするよりもその力に恐怖した。中には夜会で会った際に「ひぃぃ、捻り潰さないでっ」と失禁する者もあった。
それでも僅かながら親しい女性の友達は出来た。そして、近付いては来ない男女も、実は密かにファンクラブを作り遠巻きにではあるが、レティシアを応援しているのだと教えてくれた。
年頃になり周囲の娘たちがどんどん婚約をしていく。そういえば、レティシアを王家に迎えてはどうかという話も保留になったままだったが、大きくなった王子自身が「良き友人にはなれるかも知れませんが、妻としては…」と言った事で完全に消えた。15歳の時の事だ。
結果、ただ強いというそれだけで、18歳になってもレティシアの縁談はまとまらないままだ。
そんなレティシアだったが、父に連れられてやって来たこの国で、初めて「もしかしたらわたくしよりも強い…って事はないか。でも、結構いい太刀筋してる」と思える男を見つけた。戦闘力だけでなく、笑顔や話す声、そして真剣に己を鍛える姿勢など全般的に素敵だと感じた。それがビヨルンだった。
この国ではビヨルンとは熊という意味なのだと知って、毎日せっせと熊のぬいぐるみを作り、顔にはビヨルンと同じ傷痕も刺繍した。特大からマスコットサイズまで、とにかく沢山作った。部屋中が熊だらけだ。もちろんバッグに付けて持ち歩いてもいた。
ビヨルンの事を「わたくしの可愛い小熊ちゃん」などと密かに呼んでいるレティシアを見て、侍女のマリーは「なにいってんすか。あれは小熊じゃなくてヒグマでしょう!」と反論したが、レティシアは「わたくしにとっては小熊ちゃんです」と譲らなかった。
彼の好みはしとやかで笑顔が優しい女性だそうだ。レティシアは頑張った。楚々とした仕草で一生懸命にアプローチをした。得意な刺繍でハンカチを飾り、更に訓練後に汗を拭う手ぬぐいもビヨルンの名入で何枚も贈った。日々の訓練には一枚では足りないのだ。
彼が手ぬぐいを使ってくれているのを見た時は喜びに手が震えた。マリーと一緒にピョンピョン飛んで喜んだものだ。
手作りのランチを差し入れした後に、「ありがとう。美味かった」とメモが入った籠をマリーが持ち帰る度に手応えを感じた。今度こそ良い感じに進んでいるのではないかと思っていた。
だが、そこに現れやがったクソ羽虫ワイバーン。そしてその他の魔物ども。
最初は手を出さず見守ろうと思っていたのだ。きゃーこわいぃとか何とか言って震えて隠れていれば良い。
訓練を見ていたので、この国の騎士団の力量であれば、時間はかかっても余程のことがなければ死者を出すこともなかろうと思った。
そして、付かず離れず邪魔をせず、愛しいビヨルン様の姿を追ってひたすら背後で見守っていた。
レティシアから見てもビヨルンの戦い方は悪くはなかった。「ああ、やっぱりわたくしの目に狂いはなかったわ。中々素晴らしいですわ、ビヨルン様!(ハート)」とワクワク見ていたのだ。
思った通り騎士団の動きも良い。民を避難させる誘導も上手くやっているようだ。このままで行けばミノタウルスもオーガもそのうち仕留められるだろう。
空を飛ぶワイバーンは面倒くさいとは言え、それも問題なく討伐出来そうだ。トータルで3〜4時間程度かと推測し、その間ビヨルンの勇姿をたっぷり眺める事が出来ると、レティシアはホクホクしていた。
しかし、ワイバーンめの尾がビヨルンの真上にそびえていた塔を崩し、ビヨルンとその他の上に崩れた塔が落ちて来たのだ。これはいけない。
レティシアであれば素早く飛び退くか、降ってくる瓦礫をひたすら打ち砕き、何ならついでにワイバーンに向けて飛ばし、攻撃に変える事も出来る。
だが、ビヨルンとその他は普通の人である。通常、自分よりも大きな石が幾つも降って来たらやられてしまうのだ。
そしてレティシアは飛び出した。
迷っている場合ではない。ビヨルン様を守らねば!ついでにその他も。
正にビヨルンを直撃しようとしていた大きな塊を、その拳で砕き、ビヨルンの身体を背負って安全な場所に移動した。そして、その他も同様に次々と背負って救出しビヨルンのそばに運んだ。
何が起こっているのかわからない様子の騎士達を素早くチェックし、怪我の有無を確認する。ビヨルンが脚を負傷をしていると気付いたのはその時だった。
ああ、もうだめだ。こうなってはのんびりと見物をしているわけにはいかない。あのクソ羽虫を許すわけにはいかぬ。
レティシアは、近くに落ちていた槍を拾い、威嚇の奇声をあげて迫ってくるワイバーンを睨みつける。そしてビヨルン達に叫んだ。
「わたくしが出ます。あなた方は下がっていなさい!」と。
そこで冒頭に戻るというわけだ。
数時間はかかると思われた戦闘は、レティシアの参戦によりあっという間に片がついた。
既に魔法医師団が負傷者を治療し、無事な者達が後始末に忙しく動いている。巨大なワイバーンの死骸は、魔法騎士や魔法省の者達が運んでいる。
もう、レティシアがすることはない。父の元へ報告に行こうか、それともやはりこのまま森へ暴れに行こうか。
レティシアは孤独だった。このような時、恐れずに自分と話す事が出来るのは父か母か、または慣れている身近な者達だけなのだ。
この時も、殺気を放ったまま立っている彼女に声を掛ける者はいないと思えた。だがそこへ1人の男が近づいて行く。
「レティシア嬢」
ビヨルンが負傷した脚を庇いながらレティシアに近付き背後から声を掛けた。
その声にビクッとしただけで、俯き振り返らないレティシア。ビヨルンが言葉を続ける。
「ありがとう。貴女のおかげで助かった。貴女は怪我はないか?素晴らしい活躍であったが、私などが気にせずとも良いのかと思うが、だが…大丈夫だろうか?」
優しい声だ。恐れではなく、レティシアを気遣う言葉と声。このように言葉を掛けられる事はこれまでになかった。思わず胸がつまり、涙が溢れる。
返事をせず後ろを向いたままのレティシア。その肩が小さく震えている事に気付いたビヨルンは、はっとして前に回りレティシアの顔を覗き込む。そして声を出さずに泣いているのを知り「どうした?どこか痛いのか?大丈夫か?」と心配する。
「どこも…痛くはありません…。恐れず…わたくしに声を掛けて下さった方は…初めてなので…。ごめんなさい…わたくし…」
泣きながらも問に答えようと、途切れ途切れにそう言うレティシアのいじらしさに、ビヨルンは思わず彼女を包むようにそっと抱き締めた。
なんと細い肩か。ビヨルンの腕の中にすっぽりと入ってしまう、こんなにも華奢で小さな女性が頼りなく泣いている。
先程の驚くべき強さを見せた女性とは別人のように、震えながら泣いているレティシア。いや、別人ではない。彼女は恐ろしく強いが、しかし同時に大切に守るべきか弱い女性であるのだ。
ビヨルンの心が騒ぐ。素直なこの男は、思ったままを言葉にした。
「レティシア嬢、その…貴女のように強い方に私などがこのような事を言うのは失礼なのかも知れない。だが、私がいる時にはその様に声を押し殺して泣かず、どうか安心をして頼って頂きたい。貴女は、なんというか、非常に強い、だが、私は騎士として貴女をお守りしたいと思う」
慰めたつもりが、レティシアが更に泣き出したのでビヨルンは慌てる。
どどどど、どうしよう…と思っていると、そこに彼女の父である大使がやって来た。娘を抱きしめて泣かせている男に怒るでもなく、何か嬉しそうにも見える穏やかな顔で近づいて来て、そしてレティシアを引き受け、ビヨルンに名と所属を聞くと「娘が世話になった。追って御礼をさせて頂きたい」と言って立ち去ろうとする。
「御礼をするのは私の方です!あの…素晴らしいお嬢さんです、と思います!」と大きな声で言うビヨルンの言葉を後ろに聞きながら、「レティシア、良い男がいたな」と赤くなる娘に囁く大使であった。
数日して魔物襲撃の事後処理があらかた済んだ頃、正式に面会の打診をしていたビヨルンがレティシアの元を訪れる。
髪を撫で付けお洒落をして、花束と贈り物を抱え、緊張した面持ちで従僕に案内されて、大使夫妻とレティシアの待つ部屋に入って来る。
そして赤い顔をして汗をかきながら挨拶をし、レティシアの前に進み出て片膝をついて花束を差し出した。
「貴女の強さと愛らしさに惚れました。私は強い貴女の理解者であり安らぎの場となりたい。貴女とあたたかい家庭を築いて行きたいのです。あ、もちろん私は貴女と共に戦う事も出来ます。足手まといにならぬように精進します。レティシア嬢、どうか私の妻になって下さい」
レティシアは花束を受け取り美しい笑顔で答える。
「はい」
恥じらいながらも嬉しそうにレティシアが答えた瞬間。どこからともなく野太い声が聞こえた。
『よしよし。我が見込んだだけはあるぞ。めでたいことである。祝いにお前にも我が加護を与えよう。夫婦共に来たるべき時に備え、より一層精進するが良い』
そして、ビヨルンには武神の加護「中」が与えられた。
「ここで中か…」と大使は思う。だが、ビヨルンは武神の加護がなくとも剣技では国一番と言われる程の男だ。中で丁度いいのかも知れないと思った。そして、来たるべき時とは一体何のことか?と思ったがすぐ忘れた。
「良かったわね、レティシア。あなたにぴったりの方だわ」
「はい、お母様、ありがとうございます」
「おめでとう。武神様のご加護も得て、何重にもめでたい事だ。カールグレン殿、娘を末永く頼むよ。
で、君は伯爵家の三男だったね。我が家に婿に入ってもらう事になるが、そこは大丈夫なんだろうね?」
「は、はい!既に家には伝えてありますので問題はありません!」
「良かった。こちらからも御挨拶に行かないとならないね。ところで、君が武神様から加護を賜った事は、しばらく内緒にしてはもらえまいか?」
「まあ、お父様、何故ですの?お揃いで嬉しいのに」
「うん。レティシアの婿として、行く行くは我が国に来てもらう事になるだろう?だが、武神様の加護持ちである事が知られると、この国が手放さない可能性がある。それでなくてもカールグレン殿は国一番と言われる剣士だ。
しかも、今回の事でレティシアの武力を知られている。この国に2人共に引き止める為に、君たちの結婚を使われる可能性もあるからね」
「わかりました。私もこの国は大切ではありますが、私一人がいなくてもこの国が滅びるわけでもない。私はレティシア嬢と共に生きたいと願いますので、加護の事は誰にも言わずにおきましょう」
「まあ、カールグレン様。わたくしと共に生きたいだなんて…嬉しい。わたくしも同じ気持ちですわ」
「レティシア嬢、どうか、ビヨルンと呼んでください」
「それでは、わたくしの事もレティシアとお呼び下さいませ」
「レ、レティシア…」
「はい、ビヨルン様…」
見つめ合い、甘い雰囲気が醸し出される恋人達の世界。素敵なことだ。だがここには娘の父親もいる事を忘れてはいけない。
「はい、そこまで。それ以上は近づかないようにね。手を握るのは許すが、この前みたいに抱き締めたりはしないでくれよ。あれは緊急事態だっただけだからね。
さあ、では2人ともこの書類にサインをしなさい。婚約と結婚の許可申請書だ。双方の国に出さねばならぬからね。書いたら庭園でも散歩してくると良い。トマスも連れて行くんだよ。2人きりはダメだぞ」
・・・・・・・・・・・・・・・・
それから1年後、2人は結婚する。
ビヨルンは婿入りをしてビヨルン・ドラッフェイェーガーとなった。この姓が「竜殺し」という意味なのだと知ったのは結婚してから3日目のことだったそうだ。レティシアが、ビヨルンのハンカチ全てに竜をぶちのめす熊の意匠を刺繍したのである。熊・竜殺し。…どんな熊なのか。
大使は、娘の結婚と共に大使の役目を他の者に託し、自国で外務大臣として働く事になった。
レティシアの国の国王は「いやあ、王子の嫁にはちょっとどうかと思ったけど、強くて良い婿さんを連れて来てくれて戦力アップで助かるわー」と喜んだ。
ビヨルンの国の国王は、割と…いや、とてものんびりした御方であったので、特に何も考えてはいなかったようだ。大臣達が進言しても「おめでたいよね。よかったよねー」と言ったという。
その後、この国は平和で安泰だったそうなので、結果オーライだから良いのだろう。
やがて、レティシアとビヨルンは「夫婦武神」という二つ名で知られるようになり、あちこちに行っては仲睦まじく討伐をして周るので、色々な国からも感謝をされた。
彼等を引き込んで利用しようとする者達も多かったが、夫婦パワーでことごとく蹴散らされたという。
そして、展開がベタ過ぎてドン引きだが、この数年後に、なんと魔王が現れ世界の脅威となり、夫婦武神が仲間達と討伐に向かう事となる。
そのお話はまたいつの日にか…。
まずは一旦、めでたしめでたし。
一生懸命見直して、誤字など気をつけたつもりですが、恐らく見落としている所もあるかと思います。
見つけちゃったら教えて下さると助かります。いつもありがとうございます。