8 作戦決行
今回から物語が大きく動きます。要注目です。
数日後、エドワードは再び彼らを召集した。最初にサード・ジェネレーションが集められたときと同じ、少々手狭な倉庫が集合場所だった。
「全員揃ったな」
前回とは違い、エドワードは早々に姿を見せた。二階部分の細い通路を歩く彼の手には、何枚かの書類が挟まれたクリップボードがあった。
「先日行ってもらった模擬戦の結果を踏まえて、襲撃作戦のメンバーを選抜した。今から名前を読み上げる者が、その部隊の構成員ということになる」
クリップボードへ視線を落とし、エドワードが続ける。
「相田京介。岩本里美…」
どうやら五十音順らしいな、と村上は思った。自分の名前が呼ばれるのは、随分後の方になりそうだった。
この時点では、村上は作戦のメンバーに選ばれるのを当然のことのように思っていた。事実、彼は模擬戦で新田を倒し、成績を残したのだ。
「新田恭一郎。田中悟…」
けれども新田の名前が呼ばれたとき、その予想は外れた。聞き間違いではないことが分かり、村上は愕然としていた。
(何故だ。俺は奴に勝ち、俺の方が強いことを証明したはずだ。なのにどうして、奴がメンバーに選ばれている?)
人員不足で、あまり能力的に優れていない者も作戦に使うことにしたのだろうか。しかし、今までに名前を呼ばれているのは全体の半分にも満たない。それに、エドワードは確かに「選抜」という言葉を使っていた。
「三浦怜奈」
怜奈の名前も呼ばれた。五十音順なら、次に来る姓は「村上」になると考えてほぼ間違いないだろう。
「…渡辺理沙。以上」
ついに村上の名が呼ばれぬまま、エドワードはメンバーの発表を終えた。
その後も説明は続き、作戦の概要が事細かに語られた。だが、村上の頭にはこれっぽっちも入ってはいなかった。彼はもっと別のことを考えていたのだ。
集会が終わるやいなや、立ち去ろうとしたエドワードを村上は追いかけた。階段を使って倉庫の一階へ下りてきた彼の前に先回りし、行く手を塞ぐように立った。
「何か用かな」
不快そうに眉をひそめたアジア系の男へ、村上は食ってかかった。
「どういうことだ。何故、模擬戦の敗者が作戦のメンバーに選ばれて、勝者が選ばれないなんてことが起こるんだ」
「ん?ああ、新田君のことか」
手元の資料をパラパラとめくり、エドワードが僅かに目を細める。
「私としても、模擬戦で優秀な成績を残したものを構成員に組み込みたいとは思っているんだよ。基本的にはね。しかし、何事にも例外はつきものだ」
「例外?」
顔をしかめた村上をなだめるように、彼は落ち着いた口調で言った。それがわけもなく気に食わなかった。
「新田君の能力は、近接戦闘を想定した今回の作戦にはまさにうってつけでね。試合にこそ負けているが、あの跳躍力とキック力はなかなかのものだ」
「じゃあ、俺の力は襲撃作戦に向いていないとでも言いたいのか」
納得できず、村上はなおも引き下がろうとしなかった。
「端的に言えばそういうことになる」
エドワードはあっさりと認めた。もはや資料を見ようともしておらず、彼にとって当たり前の事実を述べていることが分かる。
「そもそも君の異能は、水上戦での活躍を目的として私が設計したものだ。白兵戦メインの戦いでは、その力を活かし切れない。違うかね」
「それは…」
科学者の言ったことは、必ずしも間違いではなかった。村上が新田に勝てたのは、機転を利かせて相手に水道管を破壊させ、自身に有利な環境をつくりだせたからである。毎回そう上手くいくとは限らないし、敵が銃などの飛び道具を持っているのならなおさら村上には不利だろう。確かに、水のない場所で軍人を相手に戦うのは、自分にとって相性の良い任務とは言い難い。
束の間言い淀み、苦し紛れに続ける。
「でも、近接戦闘が不得手なわけではない。事実、俺は新田に勝っている」
「苦し紛れの勝利は評価するに値しない。私が求めているのは、より確実に敵を葬ることのできる力なんだ」
突き放すように吐き捨てると、エドワードは村上を押しのけて立ち去った。村上も、もうそれ以上後を追うことはしなかった。
「村上君」
まだ倉庫内に留まっていたらしい怜奈が、慮るような面持ちで歩み寄ってきた。
「怜奈…」
あの夜以来、彼女のことを下の名前で呼ぶようになった。もっと彼女を近くに感じていたい、と強く思ったからだ。
「すまない。俺は一緒に行けないみたいだ」
ばつが悪そうに言うと、怜奈は心配ないよ、というように微笑んだ。
「村上君の分まで頑張ってくるから、大丈夫」
エドワードが作戦の構成員を発表するまでは、自分が襲撃に加わって軍の施設を襲い、報酬を得ることを村上はごく当たり前のこととして受け止めていた。しかしメンバーから外され、第三者の立場から事態を改めて眺めると、自分たちがいかに異常なことに関わろうとしているかが明白になった。
軍を攻撃するということは、すなわち国家への反逆行為である。作戦が失敗すれば重刑を課されるのは想像に難くない。いくら莫大な報酬を約束されたからといって、それに対してのリスクが大きすぎる。
負傷したり刑に処されたりするだけならばまだいいが、最悪の場合、軍にその場で射殺されるかもしれない。命を落とすかもしれないのだ。
何より、そんな危険な任務に彼女を巻き込ませたくなかった。
「怜奈、やっぱり止めよう。作戦に参加するのなんかやめて、エドワードの目の届かないところへ逃げるんだ」
「急にどうしたの」
困ったように見つめる怜奈に、村上は真剣な表情で訴えた。
「エドワードがやろうとしていることは、間違いなくテロ行為だ。そんなのに関与したら、どうなるか分からない」
「心配し過ぎだよ。こう見えて私、結構強いんだから」
そう言って、彼女はふふんと笑った。しかし、村上の不安は全く払拭されなかった。
自分に自信を持つのは決して悪いことではない。だが、過剰な自信はときにミスを招く。怜奈との初デートで能力を操り切れなかった村上が、その良い例だ。そして今回の作戦は、小さな失敗が命取りになりかねないのだ。
「…村上君?」
表情を曇らせた彼女を、村上は必死に説得しようとした。
「頼む、この件からは手を引いてくれ。君を危険な目に遭わせたくないんだ」
「そんな悲しそうな顔しないで。ちゃんと無事に戻ってくるから」
にっこりと笑って、怜奈は上目遣いに彼を見た。ちょっと背伸びをして、ごく短いキスを交わす。
その唇の感触もよく覚えていないほど、村上は先行きの見えない不安で押し潰されそうになっていた。予防策が必要だ、と密かに思った。
作戦決行はその一週間後だった。
都営バスに偽装した一台の大型車が、目的の施設へ向けて国道を進んでいく。エドワードがこの日のために用意した車両だ。言うまでもなく、乗客は皆能力者である。
村上は漆黒のバイクに跨り、その車の後をこっそりとつけていた。彼は襲撃作戦のメンバーではないが、怜奈から大体の内容は聞いている。日程を把握し、尾行するのは造作もなかった。
もし自分が後をつけていることに怜奈が気づけば、きっと良い顔をしないだろう。けれども、村上はどうしようもなく不安だった。自分たち能力者は、何か途方もなく巨大な力に翻弄されている。エドワードの言葉に踊らされるまま、都合のいいように利用されていると感じていた。
彼女が自分の説得に応じていてくれれば―そう思わずにはいられない。しかし、怜奈は案外意志の強いところがある。自身の異能を信じ切っている彼女が、簡単に考えを変えることはなかった。
(万が一怜奈の身に何かあれば、そのときは俺が必ず助ける)
全ては、エドワード率いる能力者の多数決で決定される。自分だけが不平の声を上げても、かき消されるだけなのは自明だ。多少の危険を覚悟してでも、自分自身の力でどうにかするしかない。悩んだ挙句に村上の出した結論は、彼女を見守り、状況が悪化すれば援護するということだった。
やがて、バスは軍施設の手前で停まった。能力者たちが素早く車から飛び降り、建物正面の正門へ向かう。村上もその数十メートル後方にバイクを停車させ、エンジンを切った。スロットルに上半身をもたせかけるようにして、早足で歩き去っていく彼らの背中を見つめる。
その中には怜奈の姿もあった。動きやすさを重視したのだろう、今日はスカートではなく短めのジーンズを履いている。ゆったりとしたデザインのブラウスは、普段はあまり着ていない暗色だ。汚れるのを嫌ったのかもしれないな、と村上は勝手に想像した。
彼の視線に気づくことなく、彼女は仲間たちに続いて施設へ近づいていった。後ろ姿がバスの影に隠れ、見えなくなる。
今のところは特に問題なさそうだ。村上はバイクを降り、自分も建物の方へ少し歩いてみることにした。施設は高い塀で囲まれているため、怜奈たちが中に入ってしまえば様子を探るのは困難になる。その前にもう一度だけでいい、彼女の姿を見ておきたかった。
歩道を歩き角を曲がったとき、女の悲鳴が聞こえた。一人ではない、複数人の声だ。怜奈のアルトの声も混ざっているように思えた。
間違いない。能力者たちが向かった方向からだ。詳しいことは分からないが、何かが起こったのだ。必死の思いで通りを駆け抜け、後を追った村上の視界には、信じられない光景が飛び込んできた。
軍服の上に真っ黒な防弾チョッキを着こんだ男たちが、バスから降りたばかりの能力者らを包囲している。彼らは一様に、白い手袋に革靴という格好をしていた。腰にはライフルとコンバットナイフが装備されている。対スパイダー用ではなく、人を殺傷するための武器だった。
軍人たちと能力者は何やら言い争い、一触即発の気配が生じていた。あまりのことに状況が理解できず、村上は一旦足を止めて頭を整理してみようとした。電話ボックスの影に身を隠し、様子を見守る。
まるで、怜奈たちが待ち伏せされていたみたいだった。しかし、何故軍はエドワードの襲撃計画に対して先手を打つことができたのか。
成り行きを窺っていると、軍の方が先に動いた。彼らの纏っている手袋が膨張し、頑丈なグローブ状の武装へと変化する。革靴は厚底のブーツに変形した。それぞれ、蹴りと殴打の威力を平均的な能力者のレベルまで高める装備である。
村上にも見覚えがあった。対能力者用装備―普通の人間が装着することで、能力者と同等の身体能力を発揮できる画期的な武装。マスコミがしきりに話題とし、それによって政府軍から能力者が追放されたことが肯定的に語られていた。自分が能力者となってから、そういう話題には敏感になっている。
あまり好ましい状況ではない。エドワードの選抜したメンバーはせいぜい十人程度。対して特殊装備の軍人たちはその倍近い人数を揃えていた。しかも彼らは、能力者に匹敵する力を振るうことができるのだ。
こうなった以上、黙って見ているわけにはいかない。電話ボックスの影から身を踊らせ、村上は怜奈たちに加勢しようとした。
全力疾走して仲間の元へ向かおうとした彼を、突然に殺気が襲った。咄嗟に身を屈めた村上の頭のすぐ上を、抉り取るような強烈な蹴りが通過する。
反射的に後ろへ飛び退き、村上は襲撃者の顔を見た。それは、本来この場にいないはずの人間だった。
「…何でお前がここにいる。俺の代わりに、作戦のメンバーに選ばれたんじゃなかったのか」
「あんな馬鹿げた計画に乗る気なんて、最初からなかったんだよ。今日は体調不良ってことにしてある。もちろん、嘘だけど」
気だるげに首をゴキゴキと鳴らし、新田恭一郎は吐き捨てた。振り上げた足をゆっくりと下ろし、油断なく構える。その様子だと、既に自身の異能を発動させているらしかった。この場所で何が起こるのかあらかじめ知っていて、見物するために待機していたという風だった。
嫌な予感が胸を掠めた。無意識のうちに、村上は声を震わせていた。
「まさか、お前が」
「察しがいいな」
残忍な表情を垣間見せ、新田は楽しそうに笑った。
「そうだ。俺が軍にエドワードの計画を流したのさ。それにしても、メンバーに選ばれたのは幸運だった。あいつらの詳細な動きを、完璧に把握することができたからな」
「…どうしてだ」
もはや、能力の起動にコマンドは不要。激しい怒りの感情が、村上のもつアメンボの異能を解き放った。白煙と衝撃波の中から姿を現した彼は、歩道を蹴り飛ばし、新田へと殴りかかった。
「どうしてそんなことを!」
勢いよく繰り出された拳を、新田の掌が力強く受け止める。両者の力は拮抗していた。
「おたくだって、国家反逆罪に問われて刑務所送りにされるのはごめんだろう?そういうことだよ」
涼しい笑顔で、新田が答える。時折、村上のパンチを止めている腕が僅かに震えた。
視界の隅では、軍と能力者たちが交戦を開始していた。ついに恐れていた事態が起きてしまったのだ。
このままでは怜奈が危ない。焦燥に駆られ、村上は新田を睨みつけた。
「そこをどいてくれ。俺はあいつらを助けに行かなくちゃならない」
「そうはさせるかよ」
腕を離し、横に跳んで間合いを保ってから、新田は見下したように笑した。
「軍人の皆さんには大活躍してもらわなくちゃならないんだ。能力者どもを完膚なきまでに叩き潰し、全員に処罰を与えてもらわなくちゃいけない。そうでなきゃ、俺がわざわざ匿名で電話をかけた意味がないんだよ。エドワードが使える手駒を半減させて、一泡吹かせてやるんだ」
初めて召集をかけられたとき、この男は能力者の中でただ一人、エドワードに反発しようとした。そして脅迫され、しぶしぶながら従った。おそらくあの日から既に、新田は自分の受けた屈辱に対しての報復を考えていたのだろう。国家反逆罪に問われたくないのも理由の一つではあろうが、彼はきわめて個人的な復讐のために動いているのだ。
理解はできても、共感はできない。あまりに大勢の人間を巻き込み過ぎている。
「エドワードを見返したい気持ちは分からなくはない。でも、その結果あいつらはどうなる。お前の復讐のために、大勢の人間が犠牲になるかもしれないんだぞ」
「構うものか。エドワードの口車に乗せられた馬鹿どものことなんて、考えたくもないね」
その台詞を聞いた瞬間、村上の中で何かが吹っ切れた。人を殴ることを、蹴りつけることをどこか躊躇っている自分は消え、燃え上がるような闘争心が湧き起こる。憎しみが身体のリミッターを解除した。
「…お前だけは、絶対に許さない」
「あ?」
眉をぴくりと動かしたバッタの能力者を、村上は激しい怒りを露わに見据えた。
「能力者たち全員を助け出す。そのために、今ここでお前を倒す!」
両腕を体の前で構え、アメンボの能力者が動く。アスファルトを強く蹴り、村上は渾身の力を込めて新田へ殴打を繰り出した。