6 処遇
他の能力者たちの中には、まだ戦闘を続けている者も多かった。
むしろ、村上たちのペアの決着が早すぎたのかもしれない。カウンターで殴打を喰らわせて一撃で勝負を制するのは、良く言えば鮮やか、悪く言えばいささか乱暴な手際だった。
周りの様子を見ると、無意識に怜奈の姿を探してしまう。彼女は今、村上から少し離れたところで模擬戦を行っていた。
両の手首から、三日月に似た形の刃が長く伸びている。ガラスのように薄いそれを交互に振るって、怜奈は果敢に戦っていた。普段の大人しそうなイメージとは裏腹に、今の彼女はどこか、戦いを楽しんでいるように見えた。そのことが村上には意外だった。
相手の男は、おそらくクワガタムシの能力者か何かだろう。両腕の肘から先の部分に、細く鋭いブレードが生じている。彼も懸命に刃を振るっていたが、怜奈にはまるで敵わなかった。
男が突き出した切っ先を、三日月型の刃が軽々と受け止め、横に払い除ける。がら空きになった胴に、怜奈は両手首から伸びるナイフで連続で切りつけた。男のシャツを浅く切り裂いた時点で、彼女は手を止めていた。
「こ、降参だ」
情けない声を上げた相手の能力者に、怜奈は微笑んで一礼した。それから村上に気がつくと、嬉しそうにててっと駆け寄ってきた。
「村上君。私、勝てたよ」
「おめでとう。俺もだ」
そのときの彼女は、今まで見せたことのない晴れ晴れとした表情をしていた。村上も笑顔で応じ、お互いの健闘を称え合った。
試合が済んだ者から、順次解散とする。エドワードは大体こういった意味を指示を出し、彼ら二人も他の者に続いて倉庫を後にした。
自分の対戦相手がどんな奴だったか、どうやって倒したのか。歩きながら、しばらくはそういった話題で盛り上がった。だがしばらくして、村上は気にかかっていたことを尋ねてみたくなった。
「なんか、今日の三浦はいつもと違ってた気がする」
「…え?」
戸惑ったように投げかけられる視線に気づき、村上は慌てて説明を加えた。
「いや、良い意味でだ。普段より明るくて、活き活きしてたって言うかさ」
「そうかなあ」
怜奈が小首を傾げる。やや間があって、彼女がぽんと手を叩いた。
「あっ、もしかして模擬戦のときのこと?」
「ああ」
合点がいったらしく、怜奈は少し気恥ずかしそうに打ち明けてくれた。
「うまく言えないけど、力を使っていると本当の自分になれた気がするの。村上君がいつもと違う印象を受けたのも、それでかな」
「…本当の自分?」
「うん」
わけもなく興味を引かれて、オウム返しに問う。対して、彼女はこくりと頷いた。
「私、今までずっと周りに流されて生きてきた。進学先も親に勧められるまま選んだし、クラブ活動やアルバイトだって、友達に合わせて何となくで決めた。自分の意志で何かをしたことが、ほとんどなかったの」
視線を虚空にさまよわせ、怜奈はいつかの過去へ思いを馳せているようだった。
「そんな感じだったから、自分の人生に意味があるのかな、なんて思っちゃったりして。でもエドワードさんがこの力をくれたから、私の取るに足らない人生がちょっぴり刺激的なものになった。あの人のことは正直よく分からないけれど、そういう意味では感謝してるんだよ」
一言一言が自分に突き刺さるようで、村上は襲いかかる衝撃にじっと耐えていた。驚きはやがて、共感へと変わった。
「俺と同じだ」
「村上君と?」
今度は、怜奈が問いかける番だった。彼女は意外そうな表情を浮かべていた。
「俺も、人生に退屈していた。色んなことを試したし馬鹿なこともやったけど、本当の意味で満たされたことは一度もなかった。エドワードが力を与えてくれて、俺は新しい刺激を得た。初めて満たされた気がしたんだ」
詳細は省き、彼は自身の短い人生を簡潔にまとめて語った。話を聞き終え、怜奈は何事か考えているようだったが、ふと顔を上げてにっこり笑った。
「じゃあ、私たち似た者同士だね」
優しく無邪気な笑顔に、村上は思わずどきりとした。同時に、彼女の言った言葉の意味が心へ染み渡ってくるようだった。
そう、彼はもう一人ではないのだ。自分と似た境遇の、お互いを理解し合える仲間がいる。
「…そうだな」
自然と、村上も笑顔になった。
前回会ったときと同様、村上がバイクを停めてある空き地まで行きついた。漆黒のボディーに跨り、ヘルメットを被る。怜奈の方を振り向いて、何でもないように笑いかけた。
「送っていくよ。家、同じ方向だし」
以前彼女を送り届けたとき、距離的にあまり離れていないことは把握していた。怜奈は心なしか頬を赤く染め、ふるふると首を振った。
「いいよ。いつも村上君に乗せてもらうのも悪いから」
「別に減るもんじゃないんだけどな」
同乗者用に持ってきていたヘルメットを宙に投げてキャッチするのを繰り返し、村上は苦笑した。それから唐突に、それを怜奈へ向けて軽く放った。
驚いた素振りを見せつつも、彼女はそれを両手で受け止めた。
「乗って行けよ。それとも、嫌か?」
これはちょっとした賭けだった。男女関係において、男性側がある種の強引さを発揮した方が上手くいくという局面はいくつか存在している。少し押しが強いくらいの方が、かえって好印象を与える場面もある。少女漫画に登場する貴公子たちなどは、少々やり過ぎなくらいだが。
村上はそういった状況判断が、比較的できる方だと自己評価を下している。良い方向に転ぶ確率が六割から七割だろうと踏んでいた。
「ううん」
彼を上目遣いに見て、怜奈は照れたように言った。結果は上出来で、内心ガッツポーズをしたいくらいだった。
渡されたヘルメットを被り、村上の後ろに座って腰に手を回す。前はやや強張った感じだった掴まり方が、今日はだいぶリラックスしているように思われた。柔らかで温かい感触が背中に伝わる。
別れ際に連絡先の交換に成功したことも、村上にとって大きな収穫だった。
カプセルホテルの一室で、澤田は椅子に腰かけていた。見つめる先には、ベッドに横たわり眠り続けている白石の姿がある。
何故彼らが今ここにいるのかは、説明すると少々長くなるかもしれない。
あの後、黒服たちに追い立てられるようにして、澤田らは荷物をまとめた。怪我をしている白石を手伝っていたため、思ったより時間がかかった。スーツケースを携えて部屋の外に出ると、神原の部下が待ち構えていた。
「そこの階段を下りろ」
男たちにそう命じられて、澤田は不審に思った。彼の指差す先には、地下へと続く階段がある。施設の内外を隔てる正門とはまるで反対方向だ。
「どういうつもりだ。俺たちを追放したいんじゃなかったのか」
「神原様のご意向だ」
取り付く島もなく、黒服の男は冷徹に言った。
「お前たちは能力者であるだけでなく、軍の決定に対して暴力をもって抵抗した。これは反逆行為であり、追放処分では生温いと神原様はお考えだ。よって、一か月の謹慎を課す」
謹慎と言えば聞こえは良いが、要は軟禁するということだろう。この国の軍は警察と緊密な協力関係にあり、非常時に共同で利用できる設備もいくつか用意していると耳にしたことがある。自分たち三人を収容できる留置所じみたものも、当然あるはずだ。
そのとき、澤田に体を支えられていた白石がぴくりと身を震わせた。先ほどよりもさらに顔色が悪くなっているように見えた。
「待って下さい。抵抗したのは私だけのはずです。澤田さんや松木さんまで処分する必要はないと思います」
事態を悪化させてしまったことについて、彼女は自分自身を責めていた。思いつめたような表情を浮かべる白石を、黒服の一人が乱暴に澤田から引き剥がした。
「舐めた口をきくなよ、小娘が」
容赦ないジャブを頬に叩き込まれ、白石はか細い悲鳴を上げた。力なく倒れた彼女の腹部をブーツで踏みつけ、男が愉快そうに笑う。
「お前たちに決定権はないんだよ。いい加減に…」
台詞を言い終わる前に何かが風を切って迫り、彼の体は宙を舞っていた。
「すみません。あまりにも腹が立ったもので」
ショルダータックルを喰らわせた姿勢のまま、松木が人の悪い笑みを浮かべる。能力を完全に開放してはおらず、人間の姿を維持した状態。そうであっても、能力者はある程度の力を引き出すことが可能なのだ。
「貴様!」
反旗を翻した松木に目を剥き、黒服たちが一斉に襲いかかろうとする。しかし、彼らが対能力者用装備を展開するより先に、熊の能力者が動いた。剛腕を唸らせ、次々に殴打を叩き込んで相手を無力化する。神原の部下全員が気絶するまでに、さほど長い時間はかからなかった。
一仕事を終え、澤田は白石を助け起こした。
「大丈夫か」
「澤田さん…」
「落ち着け」
泣きじゃくってうまく話せない様子の彼女を、軽く撫でてやる。それから、松木の方を振り返った。
「お前が熱くなったところを見るのは、久しぶりな気がするな」
「できれば、クールなキャラでいきたいと思ってるんですがね」
束の間笑みをこぼし、松木は真剣な表情に戻った。
「とにかく、神原派が追ってくる前にここを出ましょう」
「もちろんだ」
澤田は頷き、白石の華奢な身体を抱えると高く跳躍した。施設の塀を飛び越え、松木と共に脱出する。
そして白石を病院まで送り届け、手当てをしてもらった。処置が済んだ後は偽名を使ってカプセルホテルに泊まり、こうして身を潜めているというわけだった。
なお、白石の看病をする者が必要だろうと考えて部屋はシングルとツインを一つずつ取っている。
「…ん」
ゆっくりと瞼を開け、白石はまだぼんやりとした瞳で澤田を見つめた。薄い掛布団にくるまった彼女は、徐々に意識を覚醒させていった。
「私、眠ってしまっていたんですね」
「だいぶ長い時間寝ていたぞ。無理もないことだ」
苦い表情で澤田が応じる。幸いにも白石の怪我は打撲で済んだが、当たりどころが悪ければ内蔵に傷がついていた、と医者には言われている。
微かに震える手で布団を払いのけ、白石は体を起こそうとした。前屈みになった拍子に、寝巻の下の肢体に巻かれた包帯がちらりと見える。露わになった鎖骨が女らしさを主張していた。
「ぐっ」
顔を歪ませて腹部を手で押さえた彼女へ、澤田は急いで駆け寄った。
「大丈夫か。まだ安静にしておいた方が良い」
「はい。すみません」
再びベッドに横になった白石は、しょんぼりしていて普段の快活さを失っていた。そのことが澤田のペースを妙に狂わせた。
しばし沈黙が流れ、やがて彼女は沈痛な面持ちで口火を切った。
「私、自分が情けないです。いつも澤田さんたちに助けてもらってばかりで、自分では何の役にも立てなくて」
「思い詰めることもないだろう。それに、俺は大したことをやったわけじゃない。今は怪我を治すことに専念しろ」
「でも」
瞳を潤ませて、白石は僅かに声量を上げた。大声を出さないよう自制しているのは、隣の部屋で休んでいる松木に聞かれたくないからか。
「処分されるのを待つ身だった私を、澤田さんは助けてくれました。今回だって、皆さんがいなければ私は今頃どうなっていたか分かりません」
「―確かにあのとき、俺はお前を助けた」
軍の訓練施設で終わりなき戦いに明け暮れた日々を回想しながら、澤田は呟いた。そこでは、模擬戦の対戦成績の悪い能力者は失敗作として処分されていった。生きるためには勝ち残らなければならず、好成績を収めた選りすぐりの猛者たちが特殊部隊の一員となった。
白石は例外的なケースで、戦闘技術は低いものの跳躍力を仲間のサポートに活かせるとして隊員に抜擢された。
「だが本当ならば、白石以外にももっと多くの能力者を助けてやりたかった。上に提出しても受理されなかった申し出も数多い。今でも、消えていったあいつらの顔が夢に出てくるよ」
長いため息をつくと、空調の行き届いたはずのツインルームの空気が淀んだように感じた。
「彼らだけじゃない。運良く特殊部隊に選ばれた奴らも、藤宮を含むそのほとんどがNEXTとの戦いで散った。もしかしたら救えていたかもしれない、かけがえのない命がたくさんある」
話の行きつく先が分からないのだろうか。やや戸惑った表情を浮かべている白石へ、澤田は疲れた笑みを向けた。
「何のことはない。俺はただ手の届く範囲で、守れる限りの人々を守ってきただけだ。守れなかった命なんかいくらでもある」
さて、と反応を窺ったところ、彼女は熱を帯びた視線をこちらへ投げかけていた。頬が上気しているように見えるのは気のせいか。さっきまで目元を潤ませていたのが嘘のようだ。
「いや、全然すごいじゃないですか。やっぱり隊長…澤田さんは私のヒーローです!一生ついて行きます」
「お前、ちゃんと人の話を聞いていたか?」
自分は大した人間じゃないという話をしていたのにもかかわらず、それまでと同じ調子でべた褒めされたのだ。澤田がげんなりしたのも無理はない。
それにしても、この女は「一生ついて行く」だのとインパクトの強い言葉を平気で使う。聞いているこっちが気恥ずかしくなるくらいだ。以前松木が白石について「愛想は良いが頭の回転は鈍い」と評していたことがあった気がするが、あれもあながち間違ってはいないのか。
聞いてますよー、とむすっとして言い張る彼女が可笑しくて、思わず微笑んでしまう。確かに松木の言う通り単純なところはあるけれども、素直で喜怒哀楽が激しいのは白石の魅力かもしれない。
場を仕切り直すべく、咳払いを一つしてから澤田は言った。
「まあ、ともかくだ。俺はこれからも、この手の届く限り人々を守り続ける。もちろん、お前や松木を含む仲間たちもだ。もう絶対に誰も死なせない」
それから、ふっと表情を和らげて付け加える。
「それと、さっき白石は自分が役に立っていないと言ったが、そんなことはないぞ。傷ついた仲間を連れて撤退する役目を担ってくれたことには、本当に感謝している。お前に助けられた奴らが大勢いるんだ」
「えへへ…そう言ってもらえると嬉しいです」
途端に照れてはにかんだ彼女は、やはりとても表情豊かだった。