4 仲間
「作戦を行う日程は、また後日連絡する。今日はこれで解散にしよう」
エドワードがそう告げ、束の間ほっとした空気が漂った。一人、また一人と能力者たちが倉庫から出て行く。村上も彼らに倣いかけたが、少し思うところがあって足を止めた。
自分たちは普通の人間とは違い、異能を発揮できる非常に珍しい存在だ。能力者が一堂に会するせっかくの機会なのに、一人の知人もつくらずに帰るのはもったいないように感じた。同じ境遇の仲間がいた方が、何かと心強いことも多いだろう。
それに、村上はエドワードを信用していなかった。彼は人を操ることに長けた、非常に狡猾な人間だ。出会ってからさほど長い時間が経ってはいないけれども、村上は既にエドワードの本質を見抜きつつあった。
辺りに視線を走らせ、村上の目は一人の女性のところで留まった。丸みを帯びたデザインの赤い眼鏡をかけた、同年代の女だった。艶のあるストレートの黒髪が綺麗だが、それ以外に目立った外見的特徴はない。スタイルもごく平均的なものだ。
もし大学で同じサークルに所属していても、村上が自ら声を掛けることのなさそうなタイプだった。彼がよく絡んでいる女子大生たちは、もっと垢抜けていて煌びやかだ。
だが、村上は何故か、その女性に心惹かれていた。彼女が醸し出す、ある種の神秘的な雰囲気に魅了されていた、と言えばいいのだろうか。
「あの」
倉庫の隅の方に立っていた彼女に声を掛けると、赤い眼鏡の女はきょとんとしたようにこちらを見た。近くに歩み寄ってみると、思いのほか目が大きいのが分かる。
「えっと、君も能力者なんだよね」
「そうですけど」
女は答え、やや怪しんでいるような表情を浮かべた。村上のような、チャラついた雰囲気のある男と接するのにはあまり慣れていないのだろう。
一方の村上は、ナンパに関しては多少の経験と実績がある。女性の扱いには慣れているつもりだった。警戒を解こうと、笑顔をつくって言う。
「俺もだよ。夜中にバイクで走ってるところを捕まえられて、言いくるめられちゃってさ」
「バイクに乗られてるんですね。私は、バイト先からの帰りに話しかけられました」
控えめに微笑んで、彼女が応じる。礼儀正しく丁寧な言葉遣いは、村上が普段話している女子大生たちが決して使わないものだった。彼女たちの頭はトレンドを追いかけることと、格好良い男と付き合うことで占められている―もっとも、これはあくまで村上の主観であり、若干の偏見が混じっていることはご了承願いたい。
ともかく、目の前のこの女性にそうした俗っぽい雰囲気がまるでなかったのは、確かであった。
並んでゆっくりと歩きながら、二人は簡単な身の上話をした。
彼女の名前は三浦怜奈といい、某女子大の一年生らしい。学部は文学部で、英米文学を勉強している。大学近くのカフェでアルバイトをしているという。
「じゃあ、同い年か。タメでいいよ」
「はい」
こくりと頷いてから、怜奈は慌てて言い直した。
「あっ、じゃなくて…うん」
僅かに頬を染めて恥じらう仕草が可愛らしくて、村上は思わずくすりと笑ってしまった。
「…村上君、今笑ったでしょ」
むっとした表情の怜奈は、顔を赤くしていた。
「笑ってない」
「絶対笑った!」
軽口を叩き合いながら、やがて村上がバイクを停めてある空き地に辿り着いた。漆黒のボディーに跨り、何とはなしに怜奈の方を振り向く。
「ここで会ったのも何かの縁だ。良かったら、近くまで送らせてくれないか」
ふと思いついて提案してみたことだった。少し考えて、怜奈は遠慮がちに首を振った。
「いいよ。何だか、申し訳ないし」
そうは言いつつも、彼女の視線は興味津々でシート後方の辺りをさまよっていた。二人乗りなんてしたことないんだろうな、と思う。自分よりずっと健全で、平凡な人生を歩んできたのだろう。それは、ある意味では羨ましいことだった。
「ドライブ、気持ちいいぜ」
にっと笑いかけ、もう少しだけ粘ってみる。はたして怜奈は、困ったようにもじもじしていた。
「お願いしてもいい?」
「ああ」
後ろに座るよう身振りで示し、彼女にヘルメットを手渡す。スロットルを握り、村上は軽く後ろを振り返った。
「しっかりつかまってて」
「うん」
緊張した声音で、怜奈が答える。それを確認し、村上はバイクを発進させた。徐々にスピードを上げ、車道の左端を疾走する。今日は同乗者がいるため、普段ほど飛ばしてはいない。それでも、怜奈にとってはかなりの速さに感じられたようだ。
腰へ手が回され、強張った体が背中に押し当てられる。少し怖がらせてしまっただろうか。柔らかい感触を味わいながら、村上はカーブを切った。
エドワードに召集されたのは東京都郊外で、交通量は比較的少ない。市街地に近づくまでの間、二人はドライブを満喫した。
「今日はありがとう」
バイクから降り、怜奈が脱いだヘルメットを返してくる。揺れた黒髪が夕日にきらめいていた。
「おう」
それを受け取って収納し、村上は微笑した。ファーストコンタクトはまずまずの成功を収めたといえるだろう。
「村上君、運転上手いね。びっくりしちゃった」
すぐには立ち去ろうとせず、彼女はにっこりと笑って言った。無垢な笑顔、というやつか。
「まあ、これが趣味みたいなものだからな。最近じゃ、能力者の力を使ってるときの方が楽しいけど」
運転技術を褒められて悪い気はしなかった。おどけてみせたところ、怜奈は村上の台詞の後半部に興味を引かれたらしかった。
「村上君は何の能力なの?」
「アメンボ。水の上を滑ったりできる。…そっちは?」
「私はカマキリだよ」
強そうでしょ、と怜奈は得意げに言った。気弱そうなイメージに反した肉食の昆虫だったのが、何となく意外だった。一体どんな能力を発動するのだろう。
「三浦は、趣味とかあるのか」
別れるのがどうも名残惜しくて、村上はつい質問を重ねた。もう少し話をしていたかった。
「…詩を書いてる」
忌まわしい言葉を口にするように、怜奈は不自然に小さな声で答えた。かろうじて聞き取れる程度の声量だった。顔を俯き気味である
生憎、村上には文学が分からない。というより、文学への関心がない。読書はたまにしかしないし、人文系の講義はあまり受けていない。日頃触れていない領域の話題になって、彼は咄嗟にどう返していいか分からなかった。
「あっ、じゃあ、私そろそろ行くね」
一瞬の気まずい沈黙ののちに、怜奈は顔を上げて努めて明るく言った。軽く手を振り、おもむろに歩き出す。
「気をつけてな」
こちらも手を振り返し、再びバイクを発進させる。走り出して一分もしないうちに、村上は激しい後悔に襲われた。
(しまった。連絡先を交換し忘れた)
エドワードからまた連絡があったとき、相談するなどできれば良かったのだが。しかし、まさか今から後を追いかけるような無粋な真似はできまい。
ひとまずは、良好な関係への第一歩を踏み出せたことに満足するしかないだろう。連絡先は、次に会ったときに聞けばいい。
そう自分に言い聞かせて、村上はぐんと速度を上げた。一人で走っている分には、気兼ねなくスピードを出すことができた。
「なかなか良い家に住んでいたみたいだな」
都心に屹立する、高層ビルの最上階。エレベーターから下りた二人は、目的の号室に向かって歩いていた。
「まあね」
ドアの前に立ち、和泉蓮はバッグから取り出した鍵をそこへ差し込んだ。鈍い手応えと共に扉が開く。彼ら二人を出迎えたのは蓮の母、恵梨だった。
こんなことを言えば怒られるだろうが、しばらく見ないうちに顔の皺が増えたように蓮には感じられた。自分が父と対立して長い間家に帰らなかったせいで、苦労をかけたのだろう。もちろん謝りもしたけれども、未だに母には悪いことをしたと思っている。
親孝行を積み重ねてその償いをしようと考えていた矢先に、今回の事件が起きた。タイミングが悪いことこの上ない。
「いらっしゃい。大変なことがあったばかりで不安だろうけど、ゆっくりしていってね」
「すみません、お世話になります」
蓮の隣で、佐伯が深く頭を下げて感謝の意を示す。
「お茶でも入れるわね」
そう言って恵梨はキッチンへ引っ込んだ。二人は蓮の部屋に荷物を置いてから、居間のテーブルについた。話すべきことがたくさんあった。
軍が能力者の排除を始め、当然ながら蓮と佐伯もそのターゲットになった。かろうじて荷物をまとめる時間だけを与えられて、文字通り彼らは軍の宿泊施設から放り出された。
討伐隊の仲間たちは、軍上層部の決定に抗議しているらしい。しかし、神原康成率いる一派は大衆に支持されており、一度下された決定を覆すのは至難の業だろう。
ひとまず事態が鎮静化するのを待つしかないだろう、というのが佐伯の意見だった。仮に今後状況が改善されるとしても、それなりの時間はかかる。蓮も彼に賛成した。
問題はどこで待機するかだ。蓮の場合は、実家に戻れば良い。零二の勤務先と自宅はさほど離れてはおらず、したがって帰るのも容易である。だが、佐伯の家は軍の施設からかなり遠いという。両親をスパイダーに殺された後、彼は関東内陸部にある親戚の家に引き取られて育った。
「親戚連中には俺が討伐隊に入ったことは伝えてあるが、能力者になったことまでは知らせていない。もし向こうに戻ることになったら、説明するのが億劫になりそうだ」
施設を追い出されてすぐ、今後のことを話しているときに、佐伯はうんざりした顔でこうぼやいていた。世間が能力者に厳しい眼差しを向けている今、佐伯が能力者であることが親族に知られれば、面倒なことになるのは間違いなかった。
彼の口ぶりからすると、親戚たちとの関係はあまり良好ではないようだった。突然転がり込んできた佐伯は厄介者扱いされていたのではないか、というのが蓮の推測である。
家に帰らせるのもどうかと思い、蓮は咄嗟に思いついたことを提案してみた。
「そうだ。俺の家に来ないか」
「和泉の家にか」
急な申し出に驚いたのか、佐伯は眉をぴくりと動かした。
「しかし、迷惑にならないか」
「何言ってるんだ。困ったときはお互い様だろ」
幸い、電話で事情を説明したところ、零二も恵梨も承諾してくれた。そんなわけで、蓮と佐伯は和泉家にしばし滞在することになったのである。
恵梨の入れてくれたお茶を飲みながら、三人は今後の方針をざっくりとではあるが決めていた。
「それで、どうなるのかしら。軍の決定は変わらないの?」
「何とも言えません」
心配そうな表情を浮かべ、恵梨が二人を交互に見やる。苦い顔つきで、佐伯が答えた。
「今、俺たちの仲間が異議申し立てをしてくれています。確かに神原長官の影響力は大きいですが、彼の決定はあまりに急進的です。反発する勢力も少なくはないと思いますし、いずれは何らかのかたちで修正が入るのではと思っています」
「だといいけれどねえ…」
恵梨が悩ましげにため息をついたとき、玄関のドアがガチャリと開いた。ただいま、という声に続いて零二が姿を見せる。
「おかえりなさい。こんな状況だから、もう少し遅くなるかと思ってたわ」
目をぱちくりさせ、彼の妻は意外感を隠さなかった。零二の分のお茶も用意しようと、席を立ってキッチンへ向かう。
「久々に息子が帰ってきたんだ、今日は特別だ。佐伯君も来てくれたことだしな」
スーツの上着を脱いで、零二は笑ってみせた。恵梨も戻ってきて、四人が同席するかたちとなる。
「…できれば、もう少し別の理由で帰ってきてほしかったが」
カップの中のお茶を一口啜り、零二は苦々しげに呟いた。苦悩する横顔に、蓮はたまらず問いかけた。
「父さん、今軍の内部はどうなってるの。討伐隊の皆は?」
「私もできる限り手は尽くしているんだが、かなり厳しい状況だ」
ため息を一つつき、零二はカップをソーサーに静かに置いた。
「神原派は訴えにまるで耳を貸していない。澤田たち三人も、身動きが取れない状態にある。すぐに打開するのは難しいかもしれない」
その後も喜ばしい知らせがもたらされることはなく、重い空気を無理矢理振り払おうとするように、彼らは自然と明るい話題を選んだ。零二が蓮の小さい頃のエピソードを持ち出すと、蓮は赤面し、佐伯は笑った。
(これが、家族というやつか。懐かしいな)
蓮の家出によって一時は軋轢も生じていたが、今や和泉家には温もりに満ちた空間がある。ひと時の団欒を楽しみつつ、佐伯はふとそんなことを考えた。自分に対してどこかよそよそしい態度を取り続けた親戚連中とは、本当の意味では分かり合えなかった。
昔の自分ならば、和泉家にお邪魔することもなかっただろう。心の底から憎んでいる異形の存在、スパイダー。彼らの保護に関与した軍の最高司令官と寝食を共にするなど、断じて許しがたいことだと思ったに違いない。
けれども、零二は脅されて利用され、民を守るためにやむを得ず一連の政策をとったに過ぎなかった。諸悪の根源は、国際研究機関NEXT。今の佐伯にはその辺りの事情が理解できている。自分たちは、共通の敵を倒すため一緒に戦った仲間なのだ。過去のしがらみにとらわれず、手を取り合うべきときだった。
必ず、軍に平穏を取り戻してみせる。蓮が、佐伯が、零二が、各々が自身の心に決意を刻んでいた。