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堕天使たちの愛  作者: 瀬川弘毅
13/13

12 掴んだ幸せ


 一台の高級車が、山あいの道をひた走っていた。運転席に座るアジア系外国人の男は、きわめて冷静なハンドルさばきを行っている。

 エドワードは研究所を後にし、自家用車で逃走しているところだった。襲撃事件の重要参考人として、彼は政府軍のお尋ね者となっている。自宅に軍人が押しかけて捕縛しようとする前に、先手を打って逃げ出したというわけだった。

 研究の拠点として使えそうな場所は、他にもいくつか目星をつけてある。この道をしばらく進んだ先に、そのうちの一つがあるはずだ。仮にその拠点が使えなくなったとしても、また次に移ればいいだけのこと。替えはいくらでも利くのだ。

 正直なところ、今回の襲撃作戦はエドワードにとっても予想外の結果に終わった。だが、何のバックアップも用意していなかったわけではない。事実、和泉蓮に匿名のメールを送りつけて状況を知らせ、第三世代を援護するよう促したのは彼だ。エドワードの優れたハッキング技術をもってすれば、これくらいは容易いことだった。また、バスに偽装した大型車には小型カメラが取り付けられていて、彼は戦況を逐一確認できたのだ。

 その甲斐あってか、能力者部隊の壊滅という最悪の事態は回避することができた。今となっては彼らが自分に接触してくることもないが、エドワードには考えがあった。

 連絡用のメールアドレスを含め、彼は能力者たちの様々な個人情報を手中に収めている。さすがに向こうも警戒してくるだろうから、これまでと同じように報酬で釣っても応じまい。しかし、従わなければ個人情報をばらまくと脅されればどうか。「この人物の正体は能力者だ」と身内に暴露されれば、はたして反抗的な姿勢を保てるだろうか。能力者の多くは自分に従うだろうと、エドワードは踏んでいた。市井の人々の中には、能力者を厄介者扱いしたがる者もまだ少なからず存在する。世間知らずの若者たちは、そんな逆風に耐えて人生を生き抜いていけるほどタフではない。

 もちろん、彼らを再び手駒として使うだけでは戦力不足だ。補充する方法も考えてある。新しい研究拠点で、新たな能力者を生み出す。大っぴらに動けない立場になった以上、施設内に子供をさらってきて手術を施す方法が適していると思われた。コスト増大は必然であるし、結局NEXTのやり方を真似るようでやや不本意ではある。けれども仕方ない。地道に部隊を再構成していくことこそが、エドワードが野望へ向かって再び歩み始めるために必要なステップなのだ。

 そのために犠牲となる被験者のことなど、彼はまるで考慮していなかった。

(時間はかかるかもしれないが、私の率いる部隊は必ず復活する。そして今度こそクーデターを成功させ、この国で最高の権力を手にするのだ!)

 まず解決せねばならないのは、部隊の構成員が太刀打ちできなかった対能力者用装備にどう対抗するか。それから、残っているメンバーから誰を新たな襲撃作戦に参加させるか。

 エドワードは既に未来へと思いを馳せ、目の前のミッションを楽々と切り抜けられるものと錯覚していた。部隊再編に比べれば、軍の追跡を振り切ることなど彼にとっては赤子の手をひねるようなものだ。

 だからだろうか。全く予期していない、乱入者の姿を認めるのが遅れたのは。

 脇道に逸れ、山奥へと続く細い道を車が走り出したときだった。突然、進行方向に飛び出してくる漆黒の二輪車があった。

 器用に高級車の横をすり抜け、大型バイクはほとんど音を立てずに停止した。行く手を塞がれて、エドワードもやむを得ず車を停める。

 相手がその場を動く気配はない。ため息をつき、エドワードは窓を開けた。上半身を乗り出し、警戒心を隠さずにバイクの運転者へ話しかける。

「誰だか知らないが、そこをどいてくれないか。急いでいるんだ」

「―これでも、誰か分からないって言えるのか」

 俯き気味に呟き、青年はヘルメットを脱いだ。そこから覗いた金髪を見て、エドワードはあっと声を上げていた。

 どこかやさぐれたような、陰を感じさせる表情。ドロップショルダーにネックレスを合わせた服装。彼がよく知る人物だった。

「何故、君がここにいる。どうして私の居場所が分かった」

 漆黒のバイクに跨り、気だるげに前髪をかき上げているこの男は、エドワードが最初に異能を与えた人間―村上蒼真であった。


「車に発信機を取り付けておいた。あんたの動向を探って、先回りするのは簡単だったよ」

 何てことなさそうに言ってのけた村上に、エドワードが目を剥く。彼の気づかないうちに、内部構造の露出した小さな機械が車のトランクに取り付けられていた。自分で作ったものらしかった。

「君が、手先が器用だとは知らなかったな」 

「チンピラの知恵さ」

 答えながら、村上はゆっくりとバイクから降りた。首にかけた十字架型のネックレスが、僅かに揺れる。

「一体、いつ発信機を仕込んだ」

「襲撃作戦のメンバーが発表されたときだ。あんたのことは前々から怪しいと思っていたからな」

 エドワードの冷たい声音にも、彼は臆することがなかった。飄々とした態度を崩さない。

「…君の目的は何だ。私を止めることか?」

 じっくりと観察するように、科学者は油断なく村上を見つめた。その視線を、真っ向から受け止めて睨み返す。無言で首を縦に振った彼を見て、エドワードは怒りの形相になった。

「恩を仇で返すつもりかい」

 運転席のドアが静かに開き、スーツ姿の科学者が降り立つ。右手には大型の機関銃が握られていた。黒い銃身が、沈みかけた夕日を反射して無機質に光る。

 政府軍が創設されるにあたって、銃刀法は大幅に改正されている。しかし、武器の携帯を許可されたのは軍か警察の関係者のみ。明らかに法律違反だった。

「私は君に力を与えてやったんだぞ。君は常人には決してできない体験をした。自分の力に酔いしれ、大きな快楽を得た。それを忘れたとでもいうのか」

「…確かに、あんたには感謝してる部分もあるよ」

 エドワードが銃を取り出しても、村上は怯む様子を見せなかった。能力者を指揮する立場にあった彼が、異能の者へ何らかの対抗手段を持っているのは予想の範囲内だった。

「あんたから貰った力のおかげで、俺は退屈から抜け出せた。大切な仲間にも出会えた」

 脳裏をよぎるのは、今は病室で休んでいるはずの怜奈のことだった。

 あてもなくバイクを走らせ、悪友たちと娯楽に興じる虚しい日々は終わりを告げた。今まで一人孤独に走らせていた愛車に、一緒に跨ってくれた怜奈。能力者として出会い、互いに共鳴して惹かれ合った怜奈。時に涙を浮かべ、時に笑い合い、苦楽を共にしてきた。

 彼女は村上にとって、かけがえのない存在になっていた。形式ばった告白こそしたことがないが、彼は怜奈を心から愛していた。

 だからこそ、エドワードが許せなかった。

「だが、あんたは俺たちを利用し、自分の野望を叶えようとした。多くの仲間たちが傷つけられた。そのことを見過ごせるほど、俺はお人好しじゃないんだよ」

 政府軍の部隊と交戦し、怜奈はひどい怪我を負った。彼女だけではない。たくさんの能力者が負傷し、和泉蓮らの助けを得て病院へ搬送された。軍に情報を流した新田も、流血沙汰を引き起こした一因ではある。しかし、やはり最たる要因は、対能力者用装備を奪取するという計画を立てたエドワードにあった。

「あんたが軍の追跡を逃れ、新たな悪事に手を染めようというのなら、俺が絶対に止める。もうこれ以上、罪を重ねさせはしない」

「…笑わせないでほしいな。君一人の力で、何ができるというんだい」

 嘲笑するエドワードに向かって、村上は両腕を体の前で構え、戦闘にそなえた。

「俺一人で十分だ」

 能力解放、と短く呟く。コードが身体に眠る力を呼び覚まし、彼の肉体は立ち昇った白煙に包まれた。純白のヴェールのようなそれを引き裂くようにして、アメンボの能力者が姿を現す。

「面白い」

 科学者の表情から笑みは消えていた。代わりに、冷徹な光が目に宿る。実験動物を見る目だった。

「従順な態度を見せていれば、次回の作戦で使ってやったものを。私に逆らったことを、あの世で後悔するがいい!」

 機関銃を両手で構え、銃口を真っ直ぐに村上へと向ける。何のためらいもなく引き金が引かれた。


 すぐ後ろに立つ木の幹を蹴り飛ばし、村上は斜め上へと跳んだ。ブーツの足裏を弾丸が掠め、僅かな熱が伝わる。

 腕を振り上げ、そのまま躍りかかろうとしたアメンボの能力者を、エドワードは内心せせら笑っていた。

(馬鹿め)

 この場所は、村上が本来の能力を発揮できるフィールドには程遠い。川や湖、海の類は付近に存在せず、ただ樹木が群生しているのみだ。滑走能力を使えない彼など、敵ではなかった。

 それに加え、エドワードには科学者としてのアドバンテージもある。村上を含むサード・ジェネレーションの能力は全て、彼が設計・開発したものだ。能力者たちの使える手札は例外なく知り尽くしている。

(彼が達成可能な跳躍距離は、最大で六メートル。跳んだ角度から計算するに、攻撃を仕掛けてくるポイントは…そこか) 

 頭脳をフル回転させ、刹那の間に演算を終える。エドワードは村上の動きを予測し、自分の真上にあたる位置へ機関銃を向けた。ゼロコンマ一秒ほど遅れて、能力者の体がそこへ移動する。

「さらばだ、被験者第一号」

 トリガーが連続して引かれ、辺りに銃声が轟いた。


 けれども、それらは一発として命中しなかった。

 エドワードの予測よりも遥かに速い速度で跳躍し、村上は銃弾が当たるより先に、彼の背後の地面へと降り立っていたのだ。

「何⁉」

 完全に意表を突かれ、科学者は狼狽していた。振り返り、機関銃を構え直そうとするも虚しく終わる。彼よりも先に、村上が動いた。

 想定を上回る速さで相手の懐へ潜り込み、村上は姿勢を低くした。そして、下から蹴り上げるような鋭いキックを放った。ブーツの裏がエドワードの胸部をとらえ、衝撃で大きく吹き飛ばす。

大木に体を強く叩きつけられ、エドワードは低く唸った。もはや力は残されておらず、固く握っていたはずの機関銃は近くの草むらに転がっていた。

「どういうことだ。理論上、君がこれほどの力を発揮できるなどあり得ない」

荒い呼吸を繰り返しながら、彼が尋ねる。憎悪を剥き出しにして見上げてくる瞳を、村上は涼しげな表情で受け流した。蹴り上げた足を静かに下ろす。

「何てことはない。あんたに頼まれていたことをやってみただけさ。正確には俺じゃなくて怜奈が、だけど」

 青年の言わんとするところが分からず、エドワードは数度瞬きした。視線を落とし、ようやく理解する。彼自身が奪取を命じた代物が、目の前にあった。

「対能力者用装備か…!」

 村上が今履いているのは、普段から使っているスニーカーではない。怜奈を連れて撤退する際にこっそりと拝借してきた。政府軍の装備だった。脚力を強化する特殊なブーツを装着し、彼は自身の身体能力を底上げした状態でエドワードに挑んだのだ。科学者の想定を超えた力を発揮し、見事な勝利を収めた。

 今回ばかりは、周囲に全く水辺がない。不利な状況で上手く立ち回るには、それ相応の工夫が必要だったというわけである。

 それに、村上にはある考えがあった。すなわち、エドワードは「自分が対能力者用装備を使うかもしれない」と予想しないだろうというものだ。この装備は元々、一般人が能力者に匹敵する力を使えるようにと開発された。能力者がそれを利用し、掛け算をするように能力を増幅させるなどとは考えもしなかったろう。学者肌の人間には、往々にしてそういうところがある。

 悔しそうな吐息を漏らし、エドワードはうなだれた。かと思えば。次の瞬間にはぐらりと倒れ、体を横たえていた。どうやら気を失ったらしい。

 敵の無力化に成功したのを確認し、村上は携帯電話を取り出した。面倒なことになってもいけないので、名前は名乗らない。状況だけを端的に説明していく。

 通話を終了し、彼は黒いバイクに跨った。あとは警察の仕事だ。さっさとここから立ち去らなければならない。

 高級車の脇を巧みにすり抜け、走る。村上の姿はやがて小さな点になり、見えなくなった。


「…終わったの?」

 病室に戻った彼を、怜奈は優しい笑顔で迎えた。彼女には何も話していないはずなのに、全てを知られているような気がした。

 理由は分からない。強いて言うなら、心が通じ合っているからだろうか。

「ああ。全部終わったんだ」

 微笑み、村上は頷いた。エドワードの引き起こした混乱は完全に収束し、平穏な日々が戻ってきつつあった。

 そしてここから、二人の新しい日々が始まるのだ。


「退院おめでとう」

 あれから一か月が経った。怪我が治癒した怜奈を、村上は病院まで迎えに行っていた。

「私の方こそ、ありがとうね。いつもお見舞いに来てくれて嬉しかった」

 照れたような笑みを浮かべて、彼女は感謝の意を示した。その手を引いて、村上は病院のすぐ側にある駐車場へと歩き出した。

 バイクに二人乗りするのは久々で、懐かしい感覚がよみがえる。腰に手を回し、華奢な身体をもたせかけてくる怜奈のことを、村上は愛おしいと思った。

 向かった先は、いつだったか二人で行った川辺だった。初めてデートをして失敗した、苦い思い出の場所でもある。

「今度は大丈夫だよね」 

 村上のことを信じてはいるものの、ちょっぴり不安そうな様子の怜奈。細い腰を抱き寄せ、村上は笑った。

「心配ない。念入りに練習してきたからな」

 水面に足を乗せ、最初はゆっくりと、徐々にスピードを上げて滑り始める。それでいて、前回のような危なっかしさとは無縁の滑りだった。もうバランスを崩すこともない。

 村上の腕の中で、怜奈もまた安心して身を預けていられるようだった。時折、わあ、と歓声を上げてはしゃいでいる。

 夕日が水面に反射し、美しく光る。その幻想的な輝きの中で、彼女は特別綺麗だった。

 平和を取り戻した世界の片隅で、恋人たちはようやく幸せを掴んだ。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。よければ感想等お寄せください。

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