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堕天使たちの愛  作者: 瀬川弘毅
12/13

11 安息

 病院の待合室にあるベンチに、村上と蓮は並んで腰かけていた。サード・ジェネレーションの能力者で作戦に参加した者は全員、手当てを受けて病室で安静にしている。

 軍に情報を流していた新田については、村上の意見であえて助けることはしなかった。今頃は政府軍の取り調べを受けていることだろう。

 今彼らは、お互いの事情を話しているところだった。蓮がかつてNEXTと戦った能力者の一人であると知ったときには、度肝を抜かれたものだ。世界を救った本物のヒーローに比べれば、自分はまだまだ未熟かもしれないと感じた。

「なるほど、大体は理解できたよ」

 深く頷いて、蓮は前を向いたままの姿勢で言った。

「多分、そのエドワードという人物は、君たちを能力者にして利用しているんだと思う」

「間違いない」

 苦い表情で村上は答えた。彼の巧みな弁舌に操られ、自分たちは今回のような事件を引き起こすに至ってしまった。

もっと早くに縁を切ればましな結果が待っていたのかもしれないが、一方では、じゃあ誰に相談すれば良かったんだという気持ちもある。確かなのは、全ての元凶はエドワードだったということだ。能力者に対して過剰な暴力を振るった軍も問題ではあるものの、そもそも第三世代が攻撃を仕掛けるように彼が誘導しなければ、混乱は起きなかったのだ。

「彼のことは父さんに伝えて、しかるべき処分を下してもらうようにするよ」

 目の前の相手が何を言わんとしているのか、村上には分からなかった。

「言ってなかったっけ?俺の父さん、政府軍の最高司令官なんだ」

 蓮があっけらかんとした口調で明かし、村上はさらなる驚愕の渦に呑まれることになった。

 

 それから色々と話し合った結果、村上たちサード・ジェネレーションの存在は政府に伝えず、秘密のまま葬ることとなった。彼らはエドワードの洗脳下に置かれ、客観的な判断をするのが困難な状態だったと判断された。

襲撃作戦を実行したのは、決して褒められたことではない。今後力の誤った使い方をしないことを条件に、彼らは人間社会の中で生きていくことを許された。

何より今、世間では能力者への風当たりが強い。今回の事件を受けて軍がどう動くのかはまだ分からないが、下手に新たな能力者の存在を暴露してトラブルを助長するよりは、無難に騒動を収束させる方が良い選択肢だろう。

最低限決めなければならない方針をまとめ終えると、蓮はおもむろに腰を上げた。家に戻ったら、父にこのことを伝えなければならない。そして、神原派の思惑に対抗するような施策を行ってもらうのだ。

「本当にありがとう。あんたがいなかったら、俺たちはやられていた」

 再三感謝の意を示し、村上が頭を下げる。蓮は照れくさそうな笑みでそれに応じ、ふと何かを思い出したような顔つきになった。

「なあ」

 壁際にもたれるようにして立っていた澤田と松木へ、真剣な表情で向き直る。彼らに数歩近づき、蓮は意味深に声をひそめた。

「事件が起こっていることを、電話で教えてくれたのは澤田だよな」

「それがどうした」

 眉をひそめ、澤田が聞き返す。

「もしかして、その前に匿名のメールを送りつけたのもお前の仕業か?」

「メールだと」

 訳が分からん、と澤田は肩をすくめた。松木も身に覚えのない様子である。

「大体、緊急時の連絡にメールを使うなど悠長すぎる」

「それもそうか」

 相槌を打ちつつも、蓮は腑に落ちないといった顔をしていた。では、彼にメールを送ったのは一体誰なのだろうか。能力者と軍が衝突したのをいち早く察知しているところを見ると、やはり政府軍の関係者か。澤田が事件を知ったのも、仲間からの連絡によるものだという。

 彼ら第一世代の能力者が何について話しているのか、横で聞いている村上にはいまひとつ理解が及ばなかった。

 ただ漠然と感じていたのは、まだ事件は終わっていないのではないか、という危惧だった。


 報道陣に一斉にカメラを向けられ、神原康成は居心地が悪そうに見えた。長机に腰掛けた彼はマイクを手にし、姿勢を正している。

 やがて意を決したように、神原は話し始めた。

「今回の事件において、私の指揮した部隊が不適切な行為に及んだことを謝罪します」

 フラッシュが眩しく光り、深々と頭を下げた彼の姿を克明にとらえた。

 襲撃事件の後、敵勢力に明らかに不必要な暴力を加えたとして、神原の部下たちは責任を問われることとなった。軍内部での神原派の立場は日を追うごとに悪くなり、やむを得ず彼自らが謝罪会見を開いたという次第である。

「一部の者が行き過ぎた制裁を下そうとし、謎の能力者たちに怪我を負わせてしまいました。本来ならば、あってはならないことです。政府軍の信頼を損なってしまったことについても、改めてお詫び申し上げます。なお、襲撃者たちの正体については、現在調査中です」

 はたして、神原はどの程度本心で語っているのか。離れた席からじっと見守る零二には、判断がつかなかった。

 ただ、時折見せる悔しそうな表情からは、あまり反省の色は読み取れない。能力者は不要だという仮説も、心の中ではまだ捨てきれていないに違いなかった。今以上のバッシングを受ける前に、先手を打って誤っておこうという魂胆かもしれない。

「真偽は不明ですが、現場に元政府軍の能力者がいたという目撃情報もあります。しかしながら、もし真実だったとしても、この件に関して彼らを罰するには至らないという考えを、私たち政府軍は持っております。彼らは、襲撃者に対し暴力を振るっていた私の部下を制止しようとしたとのことです。能力者たちの介入がなければ、事態はますます深刻なことになっていたでしょう」

 そこで一旦間を空け、神原は彼にとっては最も屈辱的な、零二にとっては最も理想的な方針を明かした。数時間前、軍上層部の話し合いにおいて決定された事柄だった。

「一連の騒動を受けて、軍は能力者との向き合い方を改めることとなりました。今回の件ではっきりしましたが、能力者が暴動を起こした場合、政府軍がそれを鎮圧できるとは限りません。対能力者用装備の性能はまだまだ彼らには及ばず、さらに改良する必要があるのです。対スパイダーを想定する上でも、少々心もとないと言えるでしょう。やはり今の段階では、軍は能力者の力を必要としています」

 その後も彼の会見は続いた。追放していた能力者たちを軍に呼び戻すことが語られると、会議室にはほっとしたような空気が流れた。

良かった、と零二は思った。市民たちは、かつて世界を救った能力者たちのことを忘れたわけではなかったのだ。自分の息子とその仲間たちは、彼にとっても英雄であり、誇りだった。

 遠い未来、軍の装備が能力者の身体能力に追いつく日が来るかもしれない。そのとき、能力者の立場は再び危ういものになるのだろうか。退席しようとした神原になおも質問を重ねようとするマスコミを眺めつつ、零二はふと思った。

(いや。きっとそうはならない)

 人々が覚えている限り、能力者は皆にとってのヒーローであり続ける。必要とされなくなることはない。街の平和を守るため、彼らはこれからもスパイダーと人知れず戦うのだ。

 窓から差し込んだ日差しが、やけに眩しい。零二もおもむろに席を立ち、会議室を後にした。その背中を、先日軍に復帰したばかりの三人が追いかける。真面目だがたまに抜けているところのある秘書と、頼りになるボディーガードたちだ。

「それにしても、本当によかったですね!またこうして、一緒に働けるようになるなんて」

 にこにこと幸せそうに笑って、白石が言う。神原の部下に負わせられた傷もすっかり癒え、今では普段通り元気いっぱいである。

「しみじみするのもいいが、さっきの会見の内容は記録しておいたんだろうな。もし今後神原が妙な気を起こそうとした場合、言質をとっておいた方が良いかもしれん」

「あっ…わ、忘れてました」

 隣を歩く澤田に指摘され、彼女はたちまち真っ赤になってしまった。零二が僅かに肩を落とし、松木がため息をつく。澤田までも呆れ顔になったところで、白石は弁明するように手を顔の前で振った。

「ちゃんと頭の中に入ってますから、問題ないです」

「だといいんですけどね」

 茶々を入れた松木に彼女が言い返し、わあわあと言い争いが続く。零二が「静かにしなさい」と困ったように注意するまで、再開したばかりの能力者たちはにぎやかに語らっていた。

 何はともあれ、零二を権力の座から引きずり降ろそうとの神原の企ては、これで完全に白紙に戻ったのであった。


「色々と世話になったな」

 懐かしい軍施設の門をくぐり、佐伯は礼を言った。

「いやいや、当然のことをしたまでだって」

 照れくさそうに答え、蓮も後に続く。荷物の詰まったスーツケースを提げた彼らは、今しがた和泉家を出発して政府軍に戻ってきたところだった。

 部屋に向かうより前に、いつもの面々がわっと駆け寄ってきた。

「二人とも、無事で何よりやね。うち、心配で仕方なかったんよ」

 少し寝不足そうに見えるのは、気が気でなくて眠れていなかったからだろうか。微笑を浮かべた森川の横に、岸田も並んだ。

「まあ、俺は大丈夫だろうって踏んでたがな。お前ら、そんな簡単にやられるような奴じゃねえからさ」

 飄々とした口調は相変わらずである。ちなみに岩崎はユグドラシルの相手をするのに忙しく、のちほど挨拶に来るとのことだった。

「皆、ただいま」

 笑みを返して会釈してから、蓮はあることを思い出した。

「そういえば、井上はまだ帰ってきてないのか?」

「あー、渚は…」

 小首を傾げ、森川は親友の予定を思い出そうと努めた。

「確か、今日の午後には帰ってくるはずよ。もうすぐなんちゃうかな」


 バスから降りると、うだるような暑さが襲ってきた。彼女の実家は北関東で、都心よりももう少し涼しい。季節はいよいよ夏本番を迎えようとしており、日に日に湿度と気温が上昇している。

 帰ってきたんだ、という実感が湧いた。気候はちょっといまいちかもしれないけれど、これが私が生きていくべき現実なんだ、と思えた。

 着替えと日用品を入れた旅行鞄を持ち、井上渚は正門から軍施設へ入った。

 数日前に綾音から事情を知らされたときは、衝撃が走った。それと同時に、何で今まで教えてくれなかったのか、と軽い怒りを感じた。

『ほんまにごめん。渚も今大変な時期やと思って、あまり気苦労をさせたくなかったんよ』

 思わず問いただすと、電話口の向こうで彼女はしきりに謝っていた。悪気はなかったのだと悟り、渚はそれ以上追及しなかった。

『ううん、私の方こそごめんね。綾音の気持ちも考えないで、変なこと言っちゃって』

 そして時間は流れ、現在に至るというわけである。

(まずは、帰ってきた二人に挨拶しなきゃ)

 自室に荷物を置いてから、真っ直ぐに彼らの部屋へ向かった。控えめにドアをノックすると、すぐに開いた。

 ガチャリと扉が開かれ、和泉蓮が姿を見せた。訪問者を見て、彼は少なからず驚いたようだった。

「もう帰ってたのか」

「うん。今さっき戻ったところ」

 早く二人に会いたくて、と言いかけて、渚は慌てて口をつぐんだ。他意はないにせよ、これではまるで恋する乙女のような台詞だ。

 もっとも、蓮に対して恋愛感情らしきものが全くないといえば嘘になるのだが。

「あれ、佐伯君は?」

 そういえば、部屋の中に彼の姿がない。あいつか、と蓮は苦笑した。

「森川に連れ出されたよ。ずっと家にこもってたんだから、少しは気晴らしした方がいいとか言われて。多分、服でも買いに行ったんじゃないかな」

 綾音らしいな、と渚も笑う。討伐隊と軍との協力体制が始まってから、はや二年。その間に森川は以前よりお洒落に気を遣うようになり、少し積極的になった気がする。

彼女が佐伯に想いを寄せていることには、だいぶ前から気づいていた。本人はあまり意識していないようだが、森川は感情表現豊かで、考えていることが顔に出やすいタイプである。ルームメイトの渚が、当然気がつかないはずがない。

「…和泉君、大丈夫だった?こっちでは大変だったって聞いたけど」

 心配そうな面持ちで尋ねる。蓮は平気だと言わんばかりに、笑顔で首を振った。

「色々あったのは確かだけど、結果的にはうまくいった。父さんの立場が脅かされることも、もうないと思う」

「私、何だか申し訳なくて。皆が一生懸命戦ってるときに、自分だけ別のところにいたから」

「そんなことないって。井上は、井上のすべきことをやってただけだろ」

 委縮してしまった渚を励まし、蓮は束の間言い澱んだ。聞きづらい質問だったからだ。

「それで…実家の方はどうだった?」

 伏せられていた目が蓮の顔を見上げ、少し迷うような素振りを見せてから、彼女は告げた。

「勝手に家を出て討伐隊に入ったことは怒られたし、学校はどうするのかとかも言われた。お母さんともいっぱい喧嘩した」

 蓮には想像もつかないが、久しぶりの家族との再会は、渚にとって決して楽しいことばかりではなかったはずだ。むしろ辛いことの方が多かったに違いない。そのときのことを思い出したのか、彼女の瞳は湿り気を帯びて潤んでいた。

「でも、私が学校のことで本当に苦しんでいて、だから逃げるように討伐隊に入ったことは理解してくれたの」

 静かに頷いて、蓮が先を促す。はにかんだように笑って、渚は続けた。嬉しい反面で張り詰めていた気持ちが緩み、泣き笑いのような表情になっていた。

「認めてもらえたよ。これからも、討伐隊にいて良いって」

 零れそうになった涙を拭う。また皆と一緒に過ごせることが幸せすぎて、安堵のあまり自分の感情がぐちゃぐちゃになって。渚は静かに泣いていた。

「通信制の高校で勉強しながら、っていう条件付きではあるけど、今まで通りここにいられることになった、からっ」

「…本当に、頑張ったんだな」

 華奢な背中をそっとさすってやりながら、蓮は労いの言葉をかけた。

 それぞれの場所で、二人はそれぞれの戦いを終えた。今、新しい日々が始まろうとしていた。

 午後の眩しい日差しが、二人の若者を照らしていた。


 花束を左手に、果物の入ったかごを右手に持ち、見舞客は病室を訪れた。

「…村上君」

 ベッドに横になっていた怜奈が、ぱっと笑顔になった。ベッドの傍にある丸椅子に腰掛け、村上は笑いかけた。

「だいぶ元気になったみたいで、よかった」

 慣れた手つきで花瓶に花を生け、サイドテーブルの上に果物かごを置く。

 幸いにも、怜奈の怪我は大事に至るものではなく、命に別状はなかった。医者からはもうじき退院できるだろうと言われていて、こうして見舞いに来るのも何度目かである。

「いつもありがとう。高かったでしょ」

 慮るようにこちらを見つめる怜奈は、本当に優しい女性なのだなと思う。

「いいんだ、これくらい。大したことじゃない」

「村上君、いつもそんな風に強がるんだもん。私の方が心配になっちゃうよ」

「おいおい、それじゃ俺が貧乏学生みたいじゃないか」

 頬を膨らませた彼女に苦笑すると、つられて怜奈も吹き出した。あはは、と二人して笑い声を上げる。

 しかし、幸福な時間はいつまでも続くわけではない。時に中断されることもある。

 彼らが談笑を始めて十数分経った頃、不意に村上の携帯が小刻みに振動した。ちょっとごめん、と端末を取り出し、通知をチェックする。

 そこに表示されている文字列を見て、村上は一瞬、呼吸することを忘れていた。椅子から立ち上がり、トートバッグを肩にかける。

「悪い。俺、行かなくちゃならない」

「どこへ行くの?」

 何となく不穏な気配を感じ取ったのか、怜奈は声をひそめて問うた。

「やり残したことがあるんだ」

 きわめて曖昧な答えを返し、村上はふっと笑みを浮かべた。病室を出て、愛車を停めてある駐輪場へと走る。

 諸悪の根源を倒すため、彼は最後の戦いに臨もうとしていた。




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