40:<金曜日> ゆで卵のカレー2
その日の夜、楓は染さんに昼間話していた一階の件について尋ねてみた。
洋燈堂はすでに閉店しており、染さんが三階から連れてきたヘメンが、店の中を歩き回っている。
「あの、染さん。私、もう一人暮らしできる資金は貯まっているので、一階の改装の際に立ち退くこともできますよ。工事の予定は知りませんが、必要ならすぐにでも……」
「楓ちゃん、そんなのは気にしなくていいんだよ? 理も、倉庫部分だけ改装するつもりだし。それだって確定したわけじゃない」
カウンターに腰掛けていた楓の隣に、染さんも座る。
「でも、客席を増やすなら、広い方がいいと思うんです。倉庫だと、二人掛けのテーブルが四席入るかどうか」
せっかく改装しても増える席は僅かだし、スペースも取れない。
「……十分じゃない? 座席を増やしすぎたら、店を回せなくなるよ。理だって、いつまで洋燈堂を手伝ってくれるかわからないし。それにね、僕はギリギリの状態で店を回して稼ぐより、一人一人のお客さんを大事にしたい」
染さんに言われて、楓はハッと顔を上げた。
(そうだ。染さんは、こういう人……だから、私も彼に救われた)
必死にカレーを作り、それを一皿でも多く売れば儲けが増える。
メニューの価格が決まっている洋燈堂では、お客さんの数が売り上げに直結するのだ。
けれど、それを実行すれば、今までのように丁寧な仕事は難しい。
お客さんに向き合うような仕事にはできず、会話もなく、ただカレーを出すだけの店になってしまう。
お店の空気もピリピリするだろうし、染さんが過労で倒れてしまうかもしれない。
それは、楓の好きな洋燈堂の姿ではなかった。
(私の前の会社みたい……それは駄目だ)
あれだけ辛い目に遭ったというのに、同じことをしてはいけない。
「すみません。私も、染さんの意見に賛成です」
「楓ちゃんなら、そう言ってくれると思った」
素直に答えた楓の頭を、染さんはぽんぽんと撫でる。
「それに、君が一階からいなくなったら、僕が寂しいし」
不意打ちされて、楓の鼓動が早くなる。
足下では、探検を終えたヘメンが満足げに眠り始めていた。




