39:<金曜日> ゆで卵のカレー
雑誌の力なのか、ここ数日、お客さんの数が一気に増えた。
階段の下にずらりと行列ができている日も珍しくない。
(嬉しいけれど、あまり列が伸びすぎるのもなぁ。お客さんを待たせるのも悪いし)
とはいえ、洋燈堂の座席数は限られている。
スパイスカレー店は回転が早いほうだけれど、昼食時にはどんどん列が長くなる現象も起きていた。通行の邪魔にならないよう、整理が必要なほどだ。
理さんや雛ちゃんがいてくれて良かった。
お昼が過ぎるまで、店は満員御礼状態である。
座席数が少ないので、三人で働けば大丈夫だけれど……
「すごい効果だね、雑誌って」
夕方の料理の下ごしらえをしながら、染さんが苦笑いを浮かべる。
「本当ですね。お客さんが、ひっきりなしに来てくれるなんて」
店の奥で食事しながら、楓は染さんのほうへ顔を向けた。
今日のカレーはゆで卵入りの一品。
長時間スパイスにじっくり漬け込み、味が染みた卵のたくさん入ったカレーだ。
卵は山ほど作ったので、別のカレーにトッピングすることもできる。
好評だったら、常時トッピング用に備えようかという案も出ていた。
(卵とカレーって、どうしてこんなに合うんだろう!!)
まかないを堪能していると、染さんが近づいてきて、机の前で楓を見つめた。
好きな相手から至近距離で眺められるのは、心臓に悪い。
しかも、染さんはかなりの美形なのだ。
「楓ちゃんは、本当においしそうにカレーを食べてくれるから嬉しいよ。近くで見ていたくなる」
さらっとそんなことを言えるなんて……
楓と言えば、顔を火照らせながら、ゆで卵を飲み込むしかできないというのに。
ドキドキしながらカレーを口へ運んでいると理さんが来て、ものすごい勢いで染さんをカウンターの外に引っ張っていく。
「食事中にすまないが、こいつを借りていく」
「あ、はい」
二人は、慌ただしく外の階段を下りていった。
食べ終えた皿を洗い、客席に出ると、染さんと理さんが外から戻ってきた。
真剣な顔で、何かを話し合っている。
どうしたのだろうと、少し離れた場所から様子を窺う。
「だから、今の調子が続くなら、下の倉庫を開放すればいいんだ。車の他はガラクタばかりだろう。下にも座席を作れば、待たせる客も少なくなる」
彼らは、店の座席を増やす話をしているようだ。
「そうは言っても、倉庫は古いし汚いよ。お祖父さんも、一階部分は店にするつもりで建てたわけじゃないだろうし」
「その辺りは、田中さんに相談してみる。資金は必要だろうが、なるべく自分たちでDIYすればいい」
田中さんはとび職人だけれど、彼の働く会社には内装担当の人もいるそうだ。
理さんと田中さんは仲が良いので、いろいろな話をしているみたいだった。
「階段の上り下りは大変だが、資金が貯まればダムウェーターを設置する手もある」
ダムウェーターとは、小荷物専用昇降機とも呼ばれる、荷物専用のエレベーターだ。
これを使えば、階段の上り下りの手間や事故を減らすことが可能。
しかし、九十万円以上もする高価な機械なので、今は手が出ない。
一階席ができても、しばらくは階段の上り下りが続くだろう。
「とはいえ、工事が必要だから、今すぐに一階をいじるわけにはいかないよね。雑誌の効果でお客さんが増えているところだし。今、店を閉めるのは得策じゃないと思う。特に夏場は、カレー屋の一番の繁忙期だから」
染さんは難しい表情になっている。
この店は二人のお祖父さんのものなので、楓は口を挟まず聞き耳を立てる。
(一階の改装が必要なら、私が出て行ったほうが、広く店を作れるんじゃないかな)
などと、考えながら。




