36:<木曜日> 牛・豚・鶏のカレー3
楓はずっと思い悩んでいた。
どうして、染さんに別の男性を勧められるのがショックだったのか。
自分が彼の眼中にないと考えるだけで、胸が痛んでしまうのか。子供扱いをされたくないと思うのか。
突き詰めて考えれば、答えは至ってシンプルだ。きっと、そういうことなのだろう。
(たぶん、私は……)
二人きりの静かな車内に、楓の声が響く。
「染さん……あの、さっきのお話ですが、私で良ければ喜んで」
心臓がものすごい早さで脈打っているのがわかる。
ぎゅっと両手を握りしめたまま、楓は染さんの様子を窺った。
彼はぽかんと口を開け、驚いたように楓を凝視している。
「本当にいいの? 断っても仕事に支障はないんだよ? 正直、店主が従業員に告白するのってどうかと思うし」
早口で喋り始める染さんは、楓の言葉を信じられない様子。
「撤回するなら、今のうちだよ? 本気にしてしまうよ?」
スパイスの知識だと、あれだけ流暢に話すのに、自分の恋愛に関しては不器用な人だ。
「本気にしてくださっていいです。そんな悪質な嘘はつきませんから」
染さんへの気持ちは自覚したばかりだから、楓は彼への好意を態度に出せていなかった。
だから、不審がられるのも無理はないのだ。
彼にわかってもらえるよう、つたないながらも言葉をつなげる。
「私も今、染さんのことが気になっています」
「え……ええっ!? 僕のどこが!?」
染さんは、まだ信じられないというような目を楓に向ける。
「最初は親切なお兄さんだなと、それだけでしたが。働いているうちに、徐々にという感じです。どこがと聞かれると、難しいのですが」
「わかりにくいよ、楓ちゃん」
「最近まで、自分でも気づいていませんでしたから」
自覚したのは最近というか、先ほどだ。
きっかけはおそらく、染さんに理さんを勧められ、ショックを受けたこと。
理さんは嫌いじゃないけれど、好きな人に別の相手を提案されるのは、なかなか辛いものがある。
ようやく楓の言葉を信じてくれたのか、染さんがはにかんだ笑みを浮かべた。
「ありがとう、すごく嬉しい……」
体の力が抜けた彼は、ぐったりと椅子の背もたれにもたれる。
「僕はてっきり、楓ちゃんは理と付き合うのかなって思っていたから。堂々と連絡先の交換なんてするし。それが気になって、仕事に手が着かなくなるし、棚に脚をぶつけるしで」
楓はまさかという思いで、染さんを見つめた。
(もしかして、理さんの名前が出たのも、彼を勧めていたわけではなく、二人の関係に探りを入れたかっただけなの?)
ショックを受けていたのが馬鹿らしくなった楓も、背もたれに体を投げ出す。
「染さんも、思っていることがわかりにくいです」
「……ごめん」
お互い恥ずかしがっているせいか、また車内に沈黙が訪れた。それを破ったのは、染さんだ。
「あの、せっかくだから、もう少し一緒に過ごさない? ドライブとか、別の場所へ出かけるとか……楓ちゃんさえ良ければ」
「い、行きましょう」
嬉しいけれど、いつもと違う空気に楓は戸惑う。
そしてそれは、染さんも同じのようだった。




