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32:<水曜日> ラムカレー

 双子の弟である理が三階へ引っ越してきたその日、染は複雑な気持ちを抱きながら店に立っていた。

 良くも悪くも堅物な弟には、今まで浮いた話の一つも出ず、彼が好きになる女性は一体どんな人物だろうと思ったことがある。

 しかし、それがまさか自分と全く同じだとは。双子という関係を実感してしまう。


(堂々と楓ちゃんの連絡先を教えてもらっているし)


 何もなくても連絡していいなどと、露骨に彼女にアピールする理を目の当たりにして、染は焦燥に駆られた。あんな弟を見るのは初めてだった。

 自分も、うかうかしてはいられない。

 楓の番号は知っているが、それは業務で必要なので聞き出したという経緯で得たもの。

 プライベートで使用した経験は、ただの一度もない。仕事以外の理由で、彼女からかかってきたことも。


 そう、二人きりで居心地の良い洋燈堂という空間に甘え、染は今まで何も動いてこなかったのだ。自分の行動のつけが回ってきているだけで、今さら弟に脅威を覚えるなんて、我ながら身勝手だと思う。

 

(でも、このまま指をくわえて二人の様子を見守るなんてできない)

 

 他人からは「親切だ」なんて言われる機会が多い染だが、そこまで人間ができていないのは自分自身が一番わかっている。誰に対しても優柔不断な態度を取るのは、終わりにしなければ。

 悩んでいると、いつの間にか閉店間際になっていた。時間が経つのが早い。

 暇な時間帯なのを知ってか、荷物を出していた理が三階から店へ下りてきた。

 しかも、まっすぐ楓の方に話しかけに行く。何も行動に移せない自分とは違い、双子の弟は意外に積極的だ。二人の話が聞こえてくる。


「お疲れ様です、理さん。今日の晩ご飯は、染さんがラムカレーを作ってくださるみたいですよ。冷凍庫に少しだけ、お肉が残っていて……」

「そうなのか。嫌いではないが、羊は独特の香りがするな」

「羊肉に慣れない人もいますけど、ラムなので、マトンよりは食べやすいかと」


 ラムというのは、生後一年未満の仔羊のことで、臭みが少なく肉質が柔らかい。

 それ以上成長した羊の肉はマトンと呼ばれ、香りが強く身が引き締まっている。

 どちらがいいかは好みによるが、日本では楓のように「ラムの方が好き」という人が多い気がする。


「楓ちゃん、デザートが余っているよ。バルフィが何個か冷蔵庫に」

「本当ですか!?」


 染はといえば、気になる相手を食べ物で釣ることしかできない。自分の気持ちを伝えていいものか躊躇してしまう。


(万が一気まずくなれば、一緒に働けなくなってしまうのでは)

 

 そう考え始めると、動けなくなる。

 ちなみに、バルフィは牛乳を煮詰めたインドの菓子だ。とても甘いのが特徴だが、洋燈堂では甘さを調整して食べやすく工夫している。


「フィルニもあるよ。いる?」

「欲しいです」


 フィルニは南インドのライスプディングだ。ココナッツミルク、米粉、牛乳、砂糖にスパイスを加えて作る。楓の好物だった。

 ラムカレーを準備しつつ、頭を悩ませるけれど、良い考えは何も浮かばなかった。



 翌週の水曜日には、春休み中の雛が洋燈堂へアルバイトに来る。彼女の教育担当は楓だ。

 初めての教育係に重責を感じているのか、楓は神妙な面持ちで新人用ノートを作っていた。何もそこまでしなくてもと思うけれど、本人は「一つあれば今後も使えますから」と真面目に答える。

 洋燈堂は、カウンター席のみの小さな店だ。

 はたして、その「今後」は来るのだろうかとも考えたが、何も言わないことに決めた。

 一生懸命な楓の行動に水を差したくない。

 

 初対面の時に比べると、彼女はよく笑うようになった。

 慣れない相手と喋るのは今も苦手そうだけれど、接客はそつなくこなしているし、常連客と世間話もできる。

 彼女は成長したのだ。自分も、変わらなければならない。



 ※


 そうしているうちに、雛の初出勤日がやって来た。


「おはようございます、今日からよろしくお願いします」


 元気いっぱいの雛に、店のエプロンを渡す。ホームセンターで揃えた、柄のないエプロンだけれど、一応全員お揃いだ。


「わあ、洋燈堂のエプロン!」


 雛は嬉しそうに目を輝かせ、その場でエプロンを身につけた。

 朝の空いている時間に、楓が基本的な仕事の流れを彼女に伝えている。料理に関しての説明は、染が担当した。

 もともと、家族全員分の家事を一手に引き受けていたためか、雛は仕事の飲み込みが早い。楓は、雛に接客を任せてみることにしたようだ。


「じゃあ、次のお客さんが来たら、案内をお願いできますか?」

「はい! お姉さん、私はもうお客さんじゃないし、敬語を使わなくていいよ。普通に話して」

「いつもの癖で、つい……」


 微笑ましいやり取りを横目に、染もカレー作りの準備を始めた。

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