31:<水曜日> サーモンと菜の花のカレー2
「染さん、大丈夫ですか?」
「えっ? ううん、なんでもないよ」
気のせいだろうと思い過ごしていたけれど、やはり、少し前から染さんの様子がおかしい気がする。
食器棚に足をぶつけたり、挙動不審だったり、悩み事でもあるのだろうか。
心配していると、彼は愁いを帯びた瞳を向け、とんでもない質問を投げてきた。
「楓ちゃんは、彼氏いるの?」
「いきなりどうしたんですか? いませんけど」
「そっか。じゃあ、気になる相手は? 理とか」
「言うほど、理さんのことを知りませんし」
どうして、そこに理さんの名前が出てくるのだろう。
(もしや、染さんは、さりげなく理さんを私に勧めているのでは?)
そう思い当たると、なぜか胸が痛んだ。
染さんは楓を子供扱いするし、異性として見られていない自覚はある。
なのに、本当に彼の眼中にないのだと突きつけられた気がして、そのことでどうしようもなく落胆する自分がいる。
(私、なんか変……)
そんな気持ちを抱く理由がわからず、楓は悶々としたまま仕事に励んだ。
※
修了式の日は、始まりも早いが終わりも早いようで、お客さんの少ない時間帯に理さんが再び店へ現れた。時刻は午後で、ランチタイムが一段落したところだ。
遅めの昼食を食べていた染さんが顔を上げ、双子の弟をまじまじと見つめる。
「理、また来たの?」
「悪いか」
「大丈夫だけど。そうだ、荷物が三階に届いているよ。箱のまま並べているから、勝手に出して」
「わかった、ありがとう」
三人で喋っていると、制服姿の雛ちゃんがやって来た。
「ああっ! 賀来先生、やっぱりここにいた。卒業した女子たちが探し回っていたよ」
「昼過ぎまでは、校内に残っていたのだが」
「そういう意味じゃないよ。先生も退職だから、一緒にカラオケでお祝いをしたいってさ。モテるね~」
英語の勉強を頑張った雛ちゃんは、無事受験に合格し、この春から外国語を学べる大学への進学が決まった。
加えて、エアライン系の授業を受けられるスクールに通うらしい。
染さんの授業が実を結び、雛ちゃんも嬉しそうだ。
「それでね、今日はお兄さんにお願いがあって来たの」
瞬きした染さんと楓は、急に改まった雛ちゃんの態度に戸惑う。
「私をこの店で雇ってください。学生アルバイトとして」
真剣な表情を浮かべる彼女は、矢継ぎ早にまくし立てる。
「最近はお店が混雑していて大変でしょう? 私がいれば、お姉ちゃんが副菜や飲み物を作っている間に接客ができるし、宅配の準備も整いやすいと思うの」
雛ちゃんの猛アピールを前に、染さんは迷っている様子だ。
確かに、最近はお客さんが多く、洋燈堂は嬉しい悲鳴を上げている。もう一人くらいいてもいいかなと感じるくらいには混み合っていた。雛ちゃんが協力してくれれば心強い。
とはいえ、予算の問題もある。
「雛ちゃん、うちは時給が高くないけど、大丈夫かな? 田中さ……お兄さんは同意してくれているの?」
「ここがいいの! お兄ちゃんも、洋燈堂なら心配ないって」
田中さんにも相談済みなら問題ない。染さんは、今度は楓を見る。
「楓ちゃんはどうかな? そろそろ、二人で店を回すのも大変になってきたし」
染さんに尋ねられた楓は、笑顔で応える。
「大歓迎です」
楓は他人とのコミュニケーションが得意ではない。けれど、雛ちゃんとなら喋れる。
どこの誰かわからない人と働くよりも、彼女の方が安心できた。
「なら、決まりだね。雛ちゃん、いつから店に来られる?」
「もう春休みだし、いつでも大丈夫」
雛ちゃんは顔を輝かせ、鞄から可愛らしいスケジュール帳を取り出す。
「来週からはどうかな? こちらでも、準備を進めておくね。必要なものは、追って連絡します」
「やった! それじゃあ、これからよろしくお願いします!」
元気よく頭を下げる雛ちゃんは、翌週からアルバイトに来ることが決まった。




