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29:<火曜日> コーンカレー3

(どうしよう……)


 元上司が、洋燈堂に来てしまうかもしれない。楓は焦っていた。


「何かあったの、楓ちゃん」


 キッチンから、染さんが心配そうに様子を窺っている。


「実は……」


 楓は電話のことを彼に正直に伝えた。

 杞憂であれば良いけれど、もしかすると染さんを巻き込む事態になるかもしれない。


「なるほどね。大丈夫だよ、楓ちゃん。僕に気を遣う必要なんてない」

「ですが、ご迷惑をおかけしてしまうかもしれません」

「かけてくれていい。これからを考えると、放っておける問題でもないしね。僕が力になれるといいのだけれど」


 染さんは、楓を励ますように微笑んだ。彼の気持ちが嬉しい。


「それにしても、君の会社の人は、思い切った行動をとるね。自主的に辞めた人を雇い直すなんて」

「本当に……」


 人手不足に陥ったのには理由がある。いくら人を入れても居着かなければ同じだ。

 会社側だって、それはわかっているのではないだろうか。


 ※


 火曜日はいつもより落ち着いている。

 無事に昼の接客を終え、夜の時間帯になった。

 この日は、田中さんと雛ちゃん、そして仕事帰りの理さんが店に揃っている。

 閉店前なので、他に客はいない。

 

(ものすごい身内感)

 

 ラストオーダーを確認し終えたタイミングで、突然店のウインドチャイムが鳴る。

 現れたのは、くたびれたスーツを着た楓の元上司だった。

 四十代半ばの肉付きがいい中年男性で、普段はにこにこと愛想を振りまいている。

 

(もう来ないかと思っていたのに。来ちゃったか)


 いつもなら、会社で残業している時間だろうけれど、それを押して店に来るなんて、人手不足はそこまで深刻らしい。

 それとも、楓のことをネタにして、社内の結束を高めたいのだろうか……?


「いらっしゃいませ」


 とりあえず、客として彼を出迎える。

 

「おう。天野、来てやったぞ!」

 

 ひらりと片手を上げた元上司は、カウンターの上に汚れた大きな鞄をどんと置いた。

 

(食べ物を載せる場所なのに)


 雛ちゃんが驚愕の表情を浮かべている。いたたまれない。


「ご注文は何になさいますか? こちらで、ラストオーダーになってしまいますが」

「まあ、待てよ。復職の書類を持ってきてやったぞ」


 鞄の中をゴソゴソとあさった元上司は、おもむろに書類と筆記具をカウンターに並べだした。本当に止めて欲しい。


「あの、他のお客様もいらっしゃいますので……」

「堅いこと言うなよ~。ほら、さっさと書け。印鑑はあるか?」


 彼は強引に私の手を掴み、自分のペンを持たせようとする。こういう人なのだ。

 明るく装いつつも、目下の者の意見は聞かず、自分の思い通りに物事を進めたがる。

 それでも意見が通らないと、高圧的な態度で怒鳴り散らす。

 あの先輩社員たちでさえ、彼の扱いには苦慮していた。


「電話でもお伝えしましたが、私は復職しません。店までご足労いただき申し訳ありませんけど、他を当たってください」


 必死に言いつのるが、彼は取り合ってくれなかった。

 電話と同じで楓の意志が通じていない。もしくは、向こうに聞く気がないのだ。


「なんでだよ~。どうせ、アルバイトだろ? いつ辞めてもいいじゃないか、こんな店」


 それを決めるのは、元上司ではない。

 しかも、染さんがキッチンにいるのに、なんてことを口に出すのだろう。


「ですから、私は望んでここで働かせてもらっています。あの会社には、戻りたくないんです。何度言えばわかっていただけるんですか!?」

 

 思わず声を上げてから、楓はハッと我に返った。


(私ってば、なんてことを!!)

 

 もっとオブラートに包むべきだった。冷静さを欠いた自分の駄目さ加減が嫌になる。

 大好きな洋燈堂を「こんな店」呼ばわりされ、つい頭に血が上ってしまった。


「なんだ。いつから、お前はそんなに偉くなったんだ。根性なしの底辺アルバイトの分際で。だいたい、俺は店の客だぞ! そんな態度を取っていいのか!」

 

 予想通り、元上司の機嫌は悪くなり、目の前で、ぐしゃりと復職の書類が握りつぶされる。

 低い声でうなる元上司の顔からは、作り物の笑みが消えていた。


「お前は、昔から仕事のできないクズだった……! それを拾ってやろうと来てやったのに、この恩知らずが!」


 店中に響く大声で楓を非難しだした元上司は、両腕でドンとカウンターを殴りつける。

 雛ちゃんが店の奥へ逃げているのが目に入った。このままではいけない。

 けれど、そのタイミングで染さんがキッチンから出て来て、楓を庇うように前に立つ。


「うちの従業員を脅す真似はやめてください。彼女は、この店に欠かすことのできない優秀な働き手です」

「はあ? お前も俺に文句があるのか!? 俺は客だぞ!!」

「僕は、あなたを客として認めない。他のお客様のご迷惑です。お帰りください」


 奥から出てきた雛ちゃんは、染さんの言葉に同意するよう、大きく首を縦に振った。

 続いて、理さんが席から立ち上がる。


「そうだ、黙って聞いていれば筋の通らないことばかり。……大体、あなたはなんだ。彼女が反抗できないよう、客として店を訪れておきながら、料理一つ頼まない。他人が食事しているカウンターに汚れた鞄を置いて、書類作業を始め出す。挙げ句の果てには迷惑な音量で怒鳴り散らして」


 理さんの正論を前に元上司は一瞬たじろぐが、開き直って声を張り上げた。


「うるさい! 何も知らない若造が生意気な口を利くな! こいつは、俺の部下なんだ、部外者は黙れ……っ!」


 元上司が叫ぶと同時に、今度は一番奥の席にいた田中さんが立ち上がった。

 理さんの向こうで大人しく食事していた彼だが、あまりの騒がしさに我慢できなくなった模様。楓の頭の中は、申し訳なさでいっぱいだ。

 大柄な田中さんは、のしのしと元上司の傍へ歩み寄り、彼を見下ろす体勢になった。


「詳しい事情は知らんが、これ以上店を荒らすようなら警察を呼ぶぞ。嫌なら、さっさと出て行け」

 

 柱の陰から、雛ちゃんが兄にエールを送っている。

 さすがの元上司も、強面の田中さんに正面から反論する勇気はなかったようだ。

 悔しげに鞄を持ち上げ、逃げるように店を去って行った。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 田中さん、ぐっじょぶ! 兄貴と呼ばせてください!
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