27:<火曜日> コーンカレー
だんだん明るくなってきた春空の下、部屋で朝の支度に追われながら、楓はいつになくドキドキしていた。
昨日の染さんの言葉が頭の中でぐるぐると回り続けている。
(いやいやいやいや、大して深い意味はないはずだから!)
染さんは優しいから、楓が店にいないと寂しいと言ってくれたのだ。
赤い顔をしていたけれど、照明の加減でそう見えたに違いない。
(染さんは、誰にでも親切な人だもの)
困っている人を放っておけない性格で、楓にも、雛ちゃんにも、理さんにも手を差し伸べてくれた。
(私、自意識過剰で恥ずかしい……)
濡れたタオルで顔を冷やし、軽く化粧をして後ろで髪を縛る。
「準備完了」
一階から錆びた鉄の階段を上がって、二階の洋燈堂へ向かう。いつも通りなら、染さんが先に三階から下りているはずだ。
少しずつ、気温が暖かくなってきて嬉しい。外は春の匂いがする。
「おはようございます」
扉を開けて店に入ると、カウンターの向こうでガタッと大きな物音がした。
「……染さん?」
そっと覗くと、染さんが食器棚の近くで足を押さえていた。
「大丈夫ですか? もしかして、棚に足をぶつけました?」
「お、おはよう。平気だよ、もう痛みも引いてきたし」
今朝の染さんは、なんだか落ち着きがない。
「今日は何のカレーですか?」
「コーンを使ったカレーだよ。楓ちゃんが提案した四色カレーに、もう一つ色を加えられないかと思って。期間限定メニューで出してみようかなと」
「面白そうですね」
染さんは、さっそくコーンのカレーを作り始める。
楓がふと台の上に目をやると、いくつかスパイスが並んでいた。皿が六枚あり、それぞれに異なるスパイスが盛られている。
「これって、数種類のスパイスを混ぜたものですか」
「そ、そうだよ、よくわかったね」
挙動不審な染さんは、棚からスパイスを取り出しながら答えた。
「これからは、楓ちゃんもカレー作りをするかもしれないから、慣れるまではミックススパイスがあれば便利かなと思って。僕も調理に追われることが増えたし、少しだけ工夫してみた」
楓は、しげしげと皿の上を見つめる。
「これって、チャイの材料ですよね?」
「うん、チャイマサラ。アッサムCTCとカルダモン、シナモン、ジンジャーを混ぜているよ。ちなみに、マサラっていうのは、様々な粉状の香辛料を混ぜ合わせたものの総称だよ。配合に決まりはなくて、作る人によって微妙に違う」
「こっちのお皿のスパイスも、知っているような?」
「ガラムマサラだよ。楓ちゃんも、使ったことがあるかもね」
染さんは、一つずつミックススパイスの説明を始める。
「こっちは、タンドリーマサラ。タンドリーチキンやバターチキンカレー用」
「なるほど。こっちは、なんですか?」
「ビリヤニ用の、ビリヤニマサラ。隣がチャットマサラで、野菜にかけて食べるとおいしいよ。ミントが入っているんだ。最後は、サンバルマサラといって、野菜と豆のカレーを作るときに使うんだ。今度、お店で出そうかと思って」
話していると、開店前なのに理さんがやって来た。
(店の入り口は開いているし、誰でも入店できるけれど。こんな時間にどうしたんだろう?)
不思議に思っていると、理さんは染さんを呼んで告げた。
「教師を辞めることが決まった」
あっさりした態度だったので、一瞬耳を疑ってしまう。やや置いて……
「ええっ!? 嘘でしょう!?」
染さんと一緒に、楓まで声を上げてしまう。
「そんな冗談を言って何になる。事実だ。もっとも、区切りのいい三月までは、しっかりと働くつもりだが」
まさかの話に驚いたけれど、理さんのことは心配だったので、これで良かったとも思った。
そうしているうちにコーンカレーが完成し、甘い香りが店に漂い始める。
「とりあえず、皆で一緒に朝ご飯を食べない?」
徐々にいつものペースに戻ってきた染さんは、笑顔でカレー皿を差し出した。




