表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/47

25:<月曜日> イカスミカレー

 染さんは、鈴木さんの出すいくつかの質問に答えていた。話を受けるみたいだ。

 鈴木さんは、カレーフェスの際、この店を発見したのだという。


「お店で売られていたカレーが、とても可愛くて。食べてみると、想像以上においしくて……できれば、今日も同じカレーを注文したいのですが」

「申し訳ありません。本日のカレーは三色カレーではないんです。日替わりなものですから」

「あら、本当ね。イカスミカレー……ですか?」

「はい、カレーフェスでは赤・白・緑でしたが、今日は黒です」

 

 楓は、染さんの後ろから「イカとタマネギとトマトが入っていて、おいしいですよ」と、メニューをアピールする。

 イカスミを敬遠する女性もいるけれど、これがまたカレーと合うのだ。

 大丈夫、怪しい味はしない。普通にシーフードカレー風だ。


「それじゃあ、イカスミカレーと……同時にマンゴーラッシーをお願いします」 

 

 楓の発言が功を奏したのか、鈴木さんはイカスミカレーを注文してくれた。

 ちなみに、マンゴーラッシーは、新メニューである。

 染さんと楓は、料理とドリンクを出すためにキッチンへ戻った。

 この日のカレーは、白ワインやバターを加えた、いつもと少し違う味わい。

 すぐに、店の中にバターとスパイスの香りが漂い始める。


「おまたせしました! イカスミカレーとマンゴーラッシーです」

「すごく、いい香り」

 

 鈴木さんは、さっそくカレーを口に運ぶ。


「おいしい、食べやすい……」

 

 あっという間にカレーを完食した彼女は、仕事の話を再開する。


「そうしましたら、後日撮影に伺いますね。写真で押し出したいカレーをご用意いただけますでしょうか」

「わかりました。よろしくお願いします」

 

 鈴木さんは、お会計を済ませて帰って行く。

 雑誌の人が訪れるなんて、染さんのカレーは、やはりすごいと思う楓だった。

 

 別の日に再来した鈴木さんは、新しく考案された「四色カレー(イカスミプラス)」を撮影し、そのカレーは「本日のカレー」だけだった洋燈堂の「定番メニュー」になった。

 

 ※

 

 そして、寒さのピークが過ぎ、温かくなってきた頃――

 夜、ヘメンに餌をあげている楓のもとへ、染さんがやって来た。

 彼はいつもと違い、困った表情を浮かべている。珍しいことだ。


「どうかしましたか?」

「え、うん。もうすぐ、春になるなと思って」


 なんとなく歯切れの悪い染さんを前に、楓は首を傾げた。

 足下では、ヘメンが熱心にキャベツを頬張っている。食い意地の張った兎は顔を上げ、次のキャベツを楓に強請った。

 新しいキャベツを与えながら、楓は彼に答える。

 

「そうですね。春のメニューは桜えびやキャベツを使ったカレーはどうでしょう? ホタルイカのカレーも、おいしそうです」

「ではなくて……」


 視線を彷徨わせた染さんは黙り込み、意を決した様子で楓に質問した。


「その、楓ちゃんは、将来はどうするのかなと思って。店に誘ったのは僕だけど、春に向けて新しい正社員の求人も出始めたし、ずるずると君を束縛するのは良くないかと」

 

 染さんは、楓を心配し、今後の希望を確認してくれたらしい。

 けれど、楓の心は、もう決まっている。


「実は、私も、そろそろ染さんに話さなければと考えていたんです」

「えっ……?」


 染さんの顔に不安がよぎった。


「お誘いを受けたときは、洋燈堂を一時的な繋ぎの職場にするつもりでした。いずれは、正社員として自立しなければって考えが、頭を離れなくて」

「…………」

「でも、働いているうちに気づいたんです。自分がここまで打ち込める仕事、楽しいと思える仕事に巡り会えるのは奇跡じゃないかなって。私、洋燈堂も染さんのカレーも大好きです。だから……」

 

 楓は彼の目を見て、しっかりと自分の意見を告げる。

 普段は弱気だけれど、今日はきちんと伝えなければならない。


「私を、この先も、洋燈堂で働かせてください! 店の一階を出て行けと言うなら、新しい部屋を探しに行きます。節約すれば、アルバイトの給料でも、やりくりできるとわかりましたから。もちろん、染さんが良ければですけれど……」


 染さんはパチパチと瞬きしたあと、がくりとその場に崩れ落ちた。


「わあっ、染さん!? 大丈夫ですか!?」

 

 慌てて、助け起こそうと動く楓だが、彼は左右に首を振って「平気だ」と告げる。


「てっきり、最後通告を突きつけられるかなあと思っていたから、安心して……気が抜けちゃった」


 染さんは、「ああ、良かった」と床に座り込んでしまう。


「いつの間にか、楓ちゃんがいて当たり前になっていたから、いなくなってしまったらどうしようかと心配だったんだ。もちろん、そのときは快く送り出そうと決めていたけれど。やっぱり、辞めて欲しくなかったし」

 

 自分が染さんから必要と思われていることに、楓は嬉しさを噛みしめた。


「大丈夫ですよ。仮にそうでも、次の人に、仕事の引き継ぎはちゃんとする予定でしたし」

「仕事の件じゃないよ。僕は、楓ちゃんがいなくなってしまうのが寂しくて。楓ちゃん以外のバイトなんて考えられなくて……!」


 つい語気を荒らげてしまったとでも言うように、染さんは両手で口元を押さえる。

 自分で自分の行動に驚いているようで、そんな彼の顔は傍目にもわかるほど、赤く染まっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ