25:<月曜日> イカスミカレー
染さんは、鈴木さんの出すいくつかの質問に答えていた。話を受けるみたいだ。
鈴木さんは、カレーフェスの際、この店を発見したのだという。
「お店で売られていたカレーが、とても可愛くて。食べてみると、想像以上においしくて……できれば、今日も同じカレーを注文したいのですが」
「申し訳ありません。本日のカレーは三色カレーではないんです。日替わりなものですから」
「あら、本当ね。イカスミカレー……ですか?」
「はい、カレーフェスでは赤・白・緑でしたが、今日は黒です」
楓は、染さんの後ろから「イカとタマネギとトマトが入っていて、おいしいですよ」と、メニューをアピールする。
イカスミを敬遠する女性もいるけれど、これがまたカレーと合うのだ。
大丈夫、怪しい味はしない。普通にシーフードカレー風だ。
「それじゃあ、イカスミカレーと……同時にマンゴーラッシーをお願いします」
楓の発言が功を奏したのか、鈴木さんはイカスミカレーを注文してくれた。
ちなみに、マンゴーラッシーは、新メニューである。
染さんと楓は、料理とドリンクを出すためにキッチンへ戻った。
この日のカレーは、白ワインやバターを加えた、いつもと少し違う味わい。
すぐに、店の中にバターとスパイスの香りが漂い始める。
「おまたせしました! イカスミカレーとマンゴーラッシーです」
「すごく、いい香り」
鈴木さんは、さっそくカレーを口に運ぶ。
「おいしい、食べやすい……」
あっという間にカレーを完食した彼女は、仕事の話を再開する。
「そうしましたら、後日撮影に伺いますね。写真で押し出したいカレーをご用意いただけますでしょうか」
「わかりました。よろしくお願いします」
鈴木さんは、お会計を済ませて帰って行く。
雑誌の人が訪れるなんて、染さんのカレーは、やはりすごいと思う楓だった。
別の日に再来した鈴木さんは、新しく考案された「四色カレー(イカスミプラス)」を撮影し、そのカレーは「本日のカレー」だけだった洋燈堂の「定番メニュー」になった。
※
そして、寒さのピークが過ぎ、温かくなってきた頃――
夜、ヘメンに餌をあげている楓のもとへ、染さんがやって来た。
彼はいつもと違い、困った表情を浮かべている。珍しいことだ。
「どうかしましたか?」
「え、うん。もうすぐ、春になるなと思って」
なんとなく歯切れの悪い染さんを前に、楓は首を傾げた。
足下では、ヘメンが熱心にキャベツを頬張っている。食い意地の張った兎は顔を上げ、次のキャベツを楓に強請った。
新しいキャベツを与えながら、楓は彼に答える。
「そうですね。春のメニューは桜えびやキャベツを使ったカレーはどうでしょう? ホタルイカのカレーも、おいしそうです」
「ではなくて……」
視線を彷徨わせた染さんは黙り込み、意を決した様子で楓に質問した。
「その、楓ちゃんは、将来はどうするのかなと思って。店に誘ったのは僕だけど、春に向けて新しい正社員の求人も出始めたし、ずるずると君を束縛するのは良くないかと」
染さんは、楓を心配し、今後の希望を確認してくれたらしい。
けれど、楓の心は、もう決まっている。
「実は、私も、そろそろ染さんに話さなければと考えていたんです」
「えっ……?」
染さんの顔に不安がよぎった。
「お誘いを受けたときは、洋燈堂を一時的な繋ぎの職場にするつもりでした。いずれは、正社員として自立しなければって考えが、頭を離れなくて」
「…………」
「でも、働いているうちに気づいたんです。自分がここまで打ち込める仕事、楽しいと思える仕事に巡り会えるのは奇跡じゃないかなって。私、洋燈堂も染さんのカレーも大好きです。だから……」
楓は彼の目を見て、しっかりと自分の意見を告げる。
普段は弱気だけれど、今日はきちんと伝えなければならない。
「私を、この先も、洋燈堂で働かせてください! 店の一階を出て行けと言うなら、新しい部屋を探しに行きます。節約すれば、アルバイトの給料でも、やりくりできるとわかりましたから。もちろん、染さんが良ければですけれど……」
染さんはパチパチと瞬きしたあと、がくりとその場に崩れ落ちた。
「わあっ、染さん!? 大丈夫ですか!?」
慌てて、助け起こそうと動く楓だが、彼は左右に首を振って「平気だ」と告げる。
「てっきり、最後通告を突きつけられるかなあと思っていたから、安心して……気が抜けちゃった」
染さんは、「ああ、良かった」と床に座り込んでしまう。
「いつの間にか、楓ちゃんがいて当たり前になっていたから、いなくなってしまったらどうしようかと心配だったんだ。もちろん、そのときは快く送り出そうと決めていたけれど。やっぱり、辞めて欲しくなかったし」
自分が染さんから必要と思われていることに、楓は嬉しさを噛みしめた。
「大丈夫ですよ。仮にそうでも、次の人に、仕事の引き継ぎはちゃんとする予定でしたし」
「仕事の件じゃないよ。僕は、楓ちゃんがいなくなってしまうのが寂しくて。楓ちゃん以外のバイトなんて考えられなくて……!」
つい語気を荒らげてしまったとでも言うように、染さんは両手で口元を押さえる。
自分で自分の行動に驚いているようで、そんな彼の顔は傍目にもわかるほど、赤く染まっていた。




