act.07
先ほどのミーティングルームに戻ると、いつの間にか木谷は退室していて、諒平がぐったりと仰け反っていた。
「なんていうか……お疲れ様です、笹山さん」
「ああ――すまないな、近藤。彼女の忘れものを届けに行ってたんだって? 間に合ったのか?」
「ギリギリセーフっした。 木谷さんは?」
「『あーもったいない』と言いながら帰っていった」
「はあ……」
そういえばメンバーの中で彼女の――森崎真尋の――デモテープを聞いたのは、和由季と誠の二人だけだ。
自分も彼女の歌声を聞いていたら、もしかしたら「もったいない」と思ったんだろうか。
そういえば誠はわざわざ「Trash the wall」のアルバムを渡していたようだが、何を考えてそんなことをしたんだろうか。
そのあたりつっこんでみようと爽太が口を開きかけた瞬間、誠が自分の荷物の中からタブレットを引っ張り出し、何やらごそごそやり始めた。
「……新しい曲の構想でも浮かびました?」
「いや、調べ物」
そう言うと誠は顔を上げ、真正面から爽太を見た。
「『森崎真尋』だったよね、学生証の名前」
「はあああああああああああ!? ちょっと何やってんすか小野寺さん!」
「相手を知るための基本じゃん、さすがに若い女の子だから本名でSNSやってるとは思わないけど」
「いやいやいやいや辞めましょうよ、それちょっと洒落になんないっすよ」
「小野寺お前……何考えてるんだ……」
「色々気になったから、ちょっと」
「誰かこの人にプライバシーの概念教えてあげて!」
よく言えばクール、悪く言うなら他人に対して無関心なタイプだと思っていた誠の思わぬ行動力に、爽太と諒平は顔を見合わせた。
止めて聞くようなタイプじゃないマイペース男だということはここ二年ほどの付き合いで薄々察していたが、これではこと音楽が絡むと暴走する和由季と同類だ。
しかもうっかりポンコツな和由季と違って、どこか底が知れないところのある誠がアクセル全開で突っ込むなど、予測不能のアクション映画も真っ青な展開である。
「あ、ヒットしたかも」
「もうやめときましょうよ……」
「高校の時はバスケやってたっぽい。動画サイトに試合がアップされててコメントついてる」
「名前晒しちゃった奴いるのかよ……コメント削除しとけよもう……」
「『森崎先輩やっぱり格好いい』『真尋先輩バスケやめたって超ショック』『スラダン実写するならミッチー役は二番だな』『スリーポイント上手いな』『えっ二番って女なの?』って。名前出したコメントにはさすがに批判コメントついてるけど。たぶん二番がさっきの彼女で間違いない。出場した大会でMVPだったって」
そう言うと、誠はこちらにタブレットを向けた。
少し画質は粗いものの、じゅうぶんに顔が判別できる動画である。
そして誠の言うとおり……ベリーショートでスリーポイントを決めまくる二番の選手が、高校時代の森崎真尋で間違いないと思われた。
ああそうかバスケやってたから背が高いんだ、うわーすごい上手いなー……と、半ば現実逃避に入りながら爽太が動画を眺めていると、誠がぼそりと呟いた。
「高校の頃はバスケに集中してたってことは、この頃は民謡やってなかったのかな」
「小野寺本当にそのあたりでやめておけよ――こっちが一方的に迷惑かけたんだし、そもそも彼女は歌をやる気はなさそうだったぞ。だいたい何時の間に名前をチェックしたんだ」
「忘れものの学生証に書いてあったし」
「あの一瞬で名前がっつり見たんすか……」
「さすがに住所まではわからなかったけど。でも運動神経だけじゃなく頭も良いみたいだよね」
「大学名までチェックしたんすか! オレさすがにそこまでは見なかったですよ!」
ほんとにちらりとしか学生証を見てないはずなのに、いったいどういう視力をしてるんだか。
ミーティングルームでは彼女は一切名乗らなかったし、こちらもあえて尋ねなかったのは、お互いなんとなくこれで終わらせよう、という暗黙の了解のはずだった。
それがどうしてこうなった。
爽太はがっくりと肩を落とした。
「あ、これだ」
タブレットを回収した誠が今度はどういう組み合わせで検索をかけたのか、しばらくしてから声をあげた。
指先で額を押さえる諒平の表情に、本物の苛立ちが滲んでいる。
あらためて制止の言葉をかけようと諒平が口を開いたタイミングを見計らったかのように、タブレットから旋律が聞こえてきた。
最初に聞こえてきたのは、おそらく尺八である。
続いて子供の声で合いの手が入り、それを追うように、透き通った歌声が流れてきた。
――民謡か、これ
音楽好きとはいえ、正直言って民謡はまったく興味がなかった。
だが、そんな爽太が聞いても「あ、すっげー上手い」と判る歌い方である。
民謡独特の節回しや表現は、普段爽太が聞き慣れている音楽からするとまったく馴染みがないはずなのに、どういうわけかすっと入りこんでくる……その理由のひとつは間違いなく、このややこしい曲を歌っている、少女の歌声にあった。
なにしろ、とんでもなく澄みきっているのだ。
よく「クリスタルボイス」などという表現が使われるが、爽太の脳裏に浮かんだのは、川底を泳ぐ魚の鱗や、小石のひとつひとつがくっきりと見えるような清流のイメージだった。
確かな歌唱力に裏打ちされた、どこまでも透明に伸びてゆく声を聴いていると「この歌い手は近い将来、絶対有名になるに違いない」という期待と確信を抱かずにはいられない、そんな清冽な歌声だった。
「……えっ、ちょっと待ってください、それ誰が歌ってるんですか」
「だからさっきの彼女、森崎さん。小学校四年生の時に歌った映像みたい。投稿されたのが十年前だから……ああ、彼女、今年で二十歳になるのかな」
「えええええええっマジっすか! めちゃくちゃ上手いんですけど! しかも声半端ない! それほんとに小学校四年生の歌声なんですか?」
「何の大会かはよくわかんないけど、少年の部準優勝だって。ほら、動画」
「マジでえええええこれで準優勝なの!? 優勝した奴どんだけ上手いの! あとこの頃普通に美少女じゃん、髪の毛長いし!」
「この時優勝したのは……ああほらあれだ、今テレビに時々出演してる、イケメン若手演歌歌手。日本酒のCMの」
「あー知ってる! 名前出てこないけど知ってる! えっそんな現在プロで活躍してる歌手と同じ大会に出て、小学校四年で準優勝って……」
確かにこう、演歌とか民謡を習っているのであれば、若い頃からものすごく上手い印象はある――あるのだが。
「……でも今、民謡はやってないんですよね?」
小学生でこれだけ歌えるなら、多少ブランクがあったとしてもそうそう衰えるものではないだろう。
だが誠は無言のままどことなく暗い顔で動画再生を終了すると、今度は音楽データファイルを再生した。
流れてきたのはNirvanaの「Smells Like Teen Spirit」――カート・コバーンの、どこかアンニュイな錆を纏った声とは異なる、どちらかといえばクリアな歌声だ。
しかしそれでいてサビの部分はディスト―ションがきいていて、そのせいで歌詞やメロディが崩れるということもない。
この曲はカバーされることが多い名曲だが、物真似にならず歌い手の個性をちゃんと感じるという意味でも、今まで聞いた中ではかなり「上手い」ほうだ。
「これが、今の森崎さんの歌声」
「えええええええええええええ!?」
爽太は、本日何度目になるかわからない叫び声をあげた。
まったく、全然、別人の歌声としか思えない。
そもそも「Smells Like Teen Spirit」のほうは、男性が歌っているとばかり思っていた。
言われてみればシャウトの時の声の伸び方に、民謡を歌っていた時と同じような癖があるような気もするが、それにしても信じられなかった。
「もしかして、声変わりしたのか? 民謡を止めたのもそれが原因とか」
いつの間にか歌に聞き入っていた諒平が、ぽつりと呟く。
思春期の頃に一気に声変わりする男性と異なり、女性は通常であれば、一生かけてゆっくりと声が低くなっていくと言われている。
そもそも男性と女性では声変わりをした際の音程にかなり差があり、一般的には男性のほうが低くなりやすい。
しかしたまにだが、女性でも男性と同じような声変わりになるタイプがいる。
十年前の、小学生の頃の歌声と今の歌声がまるで別人としか思えない理由は、おそらくそのせいだろう。
「だから『昔の知り合いに見られたくない』なんだ……」
確かに、あの印象的なクリスタルボイスを知っている人間が今の彼女の声を聞けば、その違いに衝撃を受けるだろう――中には「あの声が出なくなったなんて、もったいない」なんてことを言うものもいるかもしれない。
「児嶋さんが事情を知らなかったとはいえ――ネットに歌声流すって、彼女からするとかなりアレな脅迫ですよね」
「ったくあの人は……」
諒平が頭を抱え、和由季への恨み事を呟く。
それにしても、彼女――森崎真尋も、こんな目に遭いながら警察に駆け込んだりせず、しかもスタジオにやってくるだなんて、なんていうかちょっとズレているんじゃなかろうか。
だがそのおかげで、バンドの再始動どころか警察沙汰……なんて不祥事にならずに済んだのだから、皮肉なものである。
「そういや小野寺さん、なんで彼女にTTWのアルバム渡したんですか」
「一種の保険かな」
「……保険って?」
「曲気に入ってくれたら、今後も繋がりができるかと思って。アルバムには俺達の名前も載ってるし」
「……」
爽太と諒平は無言で顔を見合わせた。
ここまでくると、いっそ理解不能な宇宙人である。
思わず「何で……」と爽太が呟くと、誠がすっと真顔になった。
「常識って点から言えば確かに、今回の件は児嶋さんが全面的に悪いし、ボーカル頼むのが非常識ってのは、充分理解できるよ」
「理解できなかったら、そっちのほうが問題だ」
苦々しい顔で吐き捨てる諒平をちらりと見て、誠は言葉をつづけた。
「でも、彼女のボーカルを諦めるかどうかは、少なくとも俺にとっては別問題」
「マジっすか」
いったいどんな俺様理論だよ!
……と突っ込む気力もなく、爽太はぐったりとソファに沈んだ。
諒平はというと「嘘だろ……カズさんと違ってまともだと思ってたのに……」と、がっくり項垂れている。
オレ達こんな調子で上手くやっていけるのかな――戸川響脱退の時ですら抱くことのなかった不安感をおぼえて、爽太は大きな溜息をついた。
※ ※ ※
それからほどなくして、本日は解散となった。
森崎真尋が帰った後も、一時間ほどミキシングルームに籠もっていた和由季と研介がようやく出てきたのをきっかけに、誰からともなく「今日は帰るか」となった。
和由季はまだ用事があるからということでスタジオに残り、誠もいつの間にか姿を消していた。
残された三人で「……夕飯でも食いにいくか」という流れになり、とりあえず研介の知り合いが経営している和風居酒屋へと足を運ぶ。
気がつけば、夜の九時半を過ぎていた。
「なんかもう……今日は色々ありましたね」
「……俺は小野寺のことがわからなくなった」
お通しにも手をつけずに頭を抱えている諒平は、気の毒の一言に尽きた。
そういえば笹山さん、小野寺さんのこと価値観が近いみたいなこと言ってたっけなー、なんて記憶が、爽太の脳裏によみがえる。
長い付き合いの諒平と研介をもってしても制御が難しい音楽馬鹿・児嶋和由季の、第三のストッパーとして期待するところがあったのだろう。
しかしなんのことはない、誠も別方向に振りきれていたということが、本日判明したのだ。
そりゃまあ疲れるだろうな――と、爽太は半ば他人事のように考えた。
「わからないっつうか、俺小野寺さんちょっと怖いなって思いました」
「誠はなぁ……うん、前からちょっと、そういうところはあったぞ。怒らせるとおっかないっつうか」
「マジすか全然気がつかなかったです」
それからしばらくの間、三人は運ばれてきた料理を平らげることに集中した。
この居酒屋は日本酒の品ぞろえがいいことで有名だが、今日みたいな日は気持ちよく酔えないのがわかっているので、誰も酒は頼まない。
研介と爽太は時折会話を交わしたが、諒平はほとんど喋らなかった。
「……しかし、複雑だな」
絶品の卵雑炊を啜りながら、研介がぽつりと呟いた。
「ミキシングルームで、カズにあの女の子の歌聞かされたんだよ。アカペラとカラオケ合わせた奴、両方な。お前らも聞いたか?」
「ニルヴァーナの伴奏ありは聞きました」
「どう思った?」
「……めちゃめちゃ上手かったです」
「だよなぁ。しかもカズが言うには、アカペラバージョンにカラオケ合わせた時、ピッチやタイミングはほとんど修正する必要がなかったらしい。何歌うか判らんから、クリックなしで歌った状態でだ」
「えっ――ってことはあれ、生歌であんだけ上手いってことなんですか? しかもクリックなしで完璧に歌えるって……リズム感もばっちりってことですよね。意味わかんないっす」
「それだけ聞きこんで覚えてたってことなんだろうけどな」
そこで盛大な溜息をつき、研介は土鍋からもう一杯分の卵雑炊をよそった。
「ものすごく正直に言うとだな」
「はい」
「喉から手がでるくらい、あのボーカルは欲しい」
「……ナベさん」
「怒るなよ諒平。あのボーカル聞いてフリーだと知ったら、欲しくないわけないだろうが」
ただなぁ……と、研介は再び盛大な溜息をついた。
「なんつうか、出会いが悪すぎた」
「ですね……」
「彼女に声かけた時点で、せめて俺か諒平に連絡してくれりゃ良かったんだがなあ」
「カズさんにそんな冷静さを期待するのは無理ってもんですよ」
辛辣な口調でそう言い放った諒平だが、ふと表情を変えると「こっちが勝手に話を進めたんで、あの人ごねるかと思ってたけど、そうでもなかったですね」と言った。
「そりゃお前が本気で腹立ててたからだろ」
「カズさんにそんな分別があったとは」
「さすがにそのあたりの判断がつかないほど馬鹿じゃないぞ、あいつも」
付き合いが長い分、あの和由季に振り回されてきたことも多々あるのだろう。
それでも和由季を見離したり喧嘩別れにならなかったのは、なんだかんだいって仲が良いのと、あと二人が和由季の音楽の才能に惚れ込んでいるからだ。
ただし面倒見のいい研介と諒平が手を貸すので、和由季の駄目っぷりが加速しているともいえるのだが。
だめ男製造機、というワードが爽太の脳裏に浮かんだが、その件については深く考えないことにした。
※ ※ ※
――今日はなんだか疲れた。
アパートの駐輪場に愛用の自転車を止めて階段を上がり、自室に戻って玄関の鍵をかけると、真尋は思わずその場にへたりこんだ。
正直言って、スタジオに足を踏み入れる直前まで、迷いはあった。
都内に住んでいる姉か兄、あるいは警察に相談すべきかとも思ったのだが(よくよく考えれば脅迫されたようなものである)、なんとなく躊躇われた。
結論としては「警察沙汰にしなくて正解だった」
という心境である。
スタジオで児嶋某のバンド仲間から説明を受けて、何故あそこまで必死になっていたのかも納得できたし、年長の男性から土下座せんばかりの勢いで頭を下げられたので、逆にこちらが恐縮してしまった。
もし警察沙汰にしていたら、児嶋某のせいでバンドのメンバーに大迷惑がかかるところだった。
被害者である真尋がそれを気に病む必要はないのだが、後味の悪い思いをするのもごめんである。
――それに男だと勘違いされてるんだろうなって気はしてたし
何しろ、メイクをして女性らしい格好をしていなければ、高確率で男と間違われるのだ。
児嶋某のあの強引さと距離感も、ランニングスタイルの真尋を男だと思いこんでいたがゆえだろう。
動画の削除を目の前で確認しなかったのは甘いかもしれないが、児嶋の代理で頭を下げてくれたあの男性は、信用できる気がした。
「……そうだ、アルバム貰ったんだっけ」
先にシャワーを済ませて、夕食はレトルトのソースのパスタとサラダで手っ取り早く済ませる。
レポートを仕上げようとバックパックを開けた時、一番上に入れたCDが目についた。
――今日はゆっくりしよう、レポートの期限はまだ先だし
プリントや教材ではなくCDを引っ張り出すと、真尋はあらためてジャケットを眺めた。
アルバムのタイトルは「brilliant」……ボブカットと特徴的なメイクの女芸人の背後に控えているイケメン二人のお笑いユニットを連想して、思わずくすりと笑ってしまった。
ジャケ写を飾っているのはたった一人、おそらくはこの人物こそが、プロデビューするため脱退したというボーカルなのだろう。
男性だがどことなく人形を思わせる可愛らしい顔立ちで、なるほど確かにこれなら人気が出そうだ、と納得した。
――っていうかこのボーカルの人、私よりも可愛い顔してる
まあ、真尋の好みではないのだが。
ジャケ写から判断するに、V系っぽい雰囲気なんだろうか。
V系は趣味ではないのだが、せっかく貰ったアルバムなのだ、ちょっとだけ聞いてみよう。
……それに真尋をボーカルにしたいと言った児嶋某が所属しているバンドの作る音には、純粋に興味があった。
――私の声とか歌い方って、こういうタイプの音楽好きそうな人には受けないと思うんだけどな
真尋は小学校時代、祖父の影響で民謡をやっていた。
祖父が通っていた民謡教室にくっついて行って、真似をして歌ったら褒められたのがきっかけである。
流行りの歌には疎かったが、だからといってそれでクラスメイトと話が合わないからと苛められることもなかったし、のびのびと民謡を楽しんだ。
小学校四年の時にはかなり有名な大会で準優勝して、ローカルニュースで取り上げられたこともある。
だから中学になって、傍目にもはっきりと判るような変声期が訪れたのは、かなりショックだった。
息が続かないし高音がでない……無理をして歌うと、声がひっくり返ってコントロールがきかなくなる。
周囲は「何年かすれば落ち着くから」と慰めてくれたが、その数年を待つのが耐えられなかった。
歌声だけでなく、普段喋る時の声まで低く掠れてしまったので、中学校時代はどちらかといえば無口なほうだった。
真尋の声を聞いて「うわっ男が喋ってる!」などとからかう者もいたので、あの頃は本当に、人前に出るのが嫌だった。
得意だったはずの音楽の授業も苦痛でしかなく、文化祭のクラス対抗合唱コンクールでは、祖母に頼み込んでピアノを習い、歌ではなく伴奏で乗りきったこともある。
そういった過程を経て、高校でなんとか変声期も終了したのだが――今度は、声変わりする以前の声と、今の声とのギャップに悩まされた。
祖父は「変声期が終わって落ち着いたら、また民謡をやってみるといい」と励ましてくれたのだが、何より真尋が、自身の声の変化を受け入れられなかった。
そんな時に父親のコレクションのCDを聞くようになり、気がつけば今度は、洋楽にどっぷり嵌っていた。
ただ、歌うことに対する恐怖感は拭えなかった。
だから友人との付き合いでカラオケに行ったことはほとんどないし(大学に入ってから一度だけLady GagaのJudasを歌ったら、皆が無言になったのでよほど酷かったのだと察せざるを得なかった)、そもそも皆には音楽が好きだということも黙っている。
音楽は嫌いじゃない、むしろ大好きだ。
結構本気で「No Music,No Life」だと思ってるし、大学に入ってからすぐに始めた居酒屋……もといバルのバイトだって、海外のミュージシャンが多数来日する有名なFESに行くための資金稼ぎである。
ただ、自分でもう一度歌うとか、そんなことは全く考えず諦めていただけで。
だから――
――君の歌声、ちょっとだけ録らせてほしいんだ
――歌って。なんでもいいから。君の得意なやつ
真正面からそう言われて、何故だか逃げだせなかった。
マイクを前にして、今となっては民謡よりもずっと馴染んでしまった洋楽の旋律が自然と出てきたことにも驚いたし、何より歌うことそのものが心地いいという感覚も、本当に久々だった。
だから、警察に駆け込んで相談する気になれなかったのだ。
――自分でもなんだかなって思うけど。
思わず深々と溜息をつきながら、真尋はノートPCにCDを放り込み、メディアプレイヤーをクリックした。