act.06
「えーととりあえず座ろっか? 君がその、児嶋ちゃんが声かけたっていうボーカルの子なんだよね」
なんとはなしに木谷が場を仕切る流れになったのは、研介が再び、無言で和由季をミキシングルームに引っ張っていったからである。
当事者の片方が離席しちゃうってどうなんだろう、と爽太は考えたが、口に出すのは控えておいた。
さっきの研介はおっかなかったし、何より件のボーカルが登場したことによって、一気にテンションが振りきれそうになった和由季をクールダウンさせるためにも、仁王様……もとい、雷神・研介の説教タイムはたぶん必要だ。
「歌を録らせてほしい、と声をかけられたので……理由などは聞いてないんですけど」
「えっ……あの、事情説明なしってこと?」
「はあ、まあ、そうですね」
「こう言っちゃなんだけど、よく同意したね?」
言外に「君ちょっと不用心じゃないの?」というニュアンスを滲ませた木谷の言葉に、クール美人はなんともいえない顔をした。
困ったような顔でミキシングルームのほうを窺い、どうやら詳しい事情を知る者がいないと悟ったのか、重たい口を開いた。
「――動画を撮られて、逃げたらそれをネットに流して探すと言われたので」
ミーティングルームを、なんともいえない沈黙が支配した。
「あっあの、動画といってもたぶん人から見たら、そんな大変なものじゃないと思うんです! ただ私がちょっと恥ずかしいっていうか、昔の知り合いに見られたくないだけで!」
フォローのつもりなのか、クール美人が慌てて言葉をつないだ。
彼女なりの気づかいなのだろうが、ものすごい逆効果だ。
児嶋和由季、お前は一体何をした。
「その……早朝にランニングしてて、立ちよった公園でついつい、スマホで聞いてた曲を歌っちゃって」
「っあー……その公園で歌ってたところを、児嶋ちゃんが聞いたわけね」
「はい、まあ、そんなところです」
そもそも人がいない時間帯とはいえ、公園みたいなところで歌ってた私も悪いので……とクール美人は呟いたが、たぶん彼女は全然悪くない。
迷惑になってたならともかく、早朝の誰もいないような時間帯なら、鼻歌のひとつやふたつ出てもおかしくない……いやまあ、鼻歌というレベルではなかったのかもしれないが。
「かなり強引なことしたんだねぇ、児嶋ちゃん」
「ええまあ、ちょっとびっくりしましたね」
「女の子相手になぁ……」
「――あの、たぶん、声かけた時点で、児嶋さんは私が女だと気付いてなかったんじゃないかと思います」
「えーそりゃさすがにないでしょ、児嶋ちゃんかなりうっかりなとこあるけど、さすがに君みたいな美人を男だと勘違いはしないと思うよ?」
結構本気な木谷の言葉に、しかしクール美人はものすごく微妙な笑みとともに首を横に振った。
「ランニングしてる時の格好は、なんていうか女子力ゼロだったので」
「女子力ゼロ」
「木谷さんそこオウム返しするのどうかと思うっす」
年頃の女の子に対するデリカシーのない木谷の言葉に呆れて、爽太は思わずつっこんだ。
「前にも……その、ランニングしてる時に、女子高生に男と間違われて告白されたこととかあるんで。普段もメイクしてないと結構勘違いされるっていうか」
「うん、ごめん、俺が悪かった」
ああなるほど、と納得した空気をかもし出さないようにするため、少なくとも爽太はかなりの精神力を費やした。
爽太の位置からはクール美人の横顔がよく見えるが、整った輪郭はどことなくシャープで「美人」というよりは「イケメン」と言った方がしっくりきそうだ。
同じ「中性的」であってもTrash the wallの戸川響の「男性でありながらどこか人形めいた可愛らしさ」とは、対極に位置するルックスである。
やっぱり普通にモデルやってもいけそうだ――と思いつつも、爽太の中で何かがひっかかった。
「――あっ! 思いだした、君あのバルのイケメン……」
店員、という言葉を爽太は呑み込んだが、口に出さない方がよかったのはその前の「イケメン」発言である。
爽太の発言にぱっと顔をあげてまともにこちらを見たクール美人の表情には「気付かれたか」とでもいいたげな色が浮かんでいた。
どうやら彼女のほうは、爽太の顔を覚えていたらしい。
まあ無理もないだろう、爽太達が来店した時、コップが割れるという損害が発生したのだ。
おまけに連れはいかにも訳ありな感じで店を飛び出していったんだし、印象に残らないわけがない。
「えーと、あの時はご来店ありがとうございました」
「いやこっちこそ、連れがコップ割っちゃって申し訳ないっていうか」
「いえ、よくあることですから」
「でもなんで男物の制服着てたの? あのお店どっちもパンツルックだけど、男と女でデザイン違うよね」
「……店長命令ですかね。お前こっちのほうが似合うから着とけ、みたいな」
「――それ普通にセクハラ案件じゃね?」
「はあ……でも男の先輩でやっぱり『お前似合うから女物着とけ』って言われた人がいて、その人は喜んで女物着てたし実際可愛かったので、ちょっと拒否しづらかったというか」
「ええー……児嶋さんに押し切られた件といいその制服の件といい、君結構流されちゃうタイプじゃね?」
「そう……なんですかね?」
「自覚ないってあぶねーな!」
思わず盛大に突っ込んだ爽太は、他のメンバーが自分たち二人のやり取りを見ていることに気がついて口をつぐんだ。
「すんません、横道に逸れました」
「いやそれはいいんだけどさ、近藤ちゃんもしかして彼女と知り合いだったの?」
「――知り合いっつうか、まあたまたま」
なんだろう、彼女がバイトしている店のこととか、うっかり話さないほうがいいような気がする。
さっきから木谷ばっかり喋っていて、他のメンバーが一切口を開いていないのがちょっと怖い。
「んー、じゃあとにかく……その、君は全然事情を知らされないまま、児嶋ちゃんに脅されて歌の収録につきあったってことでいいんだよね」
「脅され……まあ、そうですね」
「じゃあなんで今日ここに――ってああそうか、公園で歌ってた動画をネットにばら撒くって児嶋ちゃんが脅したんだっけ……」
「私も事情を一切聞かずに逃げ出したのはちょっと悪かったかな、と思ったので」
「お人よしだね!?」
「いえ――あとできれば、ネットに流すと言われた動画の削除をしていただければと」
それまでずっと黙って、木谷や爽太と彼女のやり取りを眺めていた諒平がようやく口を開いた。
「とりあえずは……メンバーを代表して謝罪します、うちの児嶋が申し訳ない」
「いえ、あの、こちらこそ」
「ああ、失礼しました、自分は笹山といいます。俺達はインディーズで活動してるバンドなんですが、プロデビューが決まったボーカルが抜けてしまって――それで、新しいメンバーを探していたんですよ。だけどなかなか決まらなくて、それで児嶋も焦っていたところがあって……このままだと、解散も視野に入れざるを得ない状態です。まあ、だからと言って、言い訳していい理由にはならないんですが」
「はあ……まあ今日ここに来て、なんとなく理解できたといいますか」
そりゃまあそうだろう、と爽太は心の中で呟いた。
彼女のバイト先のバルで爽太がボーカル候補に逃げられた時のやり取りや、このミーティングルームでの会話などを見ていれば、おぼろげではあるが事情を察することはできるだろう。
しかしここから先、いったいどうすればいいのやら。
あらためて「ボーカルをやってくれませんか」と頼むのは、いささか――どころか、かなり非常識じゃないだろうか。
「他にも何か問題があるようなら――法的な手段に訴えられても構いません」
「え、警察に行けってことですか? いえ、そこまではさすがにちょっと。実際、私も不用心だったなと思いますし……」
お姉ちゃんとお兄ちゃんが聞いたら、逆に私がすっごく怒られると思います――クール美人はそう呟いた。
「……ありがとうございます。児嶋が撮った動画は、こちらが責任を持って削除します」
「お願いします」
クール美人がぺこりと頭を下げて、とりあえず一件落着かと思われた。
が――
「んで結局、ボーカルの件はどうすんの?」
よりにもよって、バンド的には部外者の木谷が話を蒸し返した。
いやここはむしろ、部外者だからこそあえて切りだしたのかもしれないが。
いずれにせよ、避けて通れない話題だった。
「あの……突然、ボーカルと言われても」
「うーん、俺も児嶋ちゃんからデモ聞かせて貰ったけど、正直言って君めちゃくちゃ上手いし、良い声してるよね。どっかでボーカルのレッスンでも受けてたか、あるいは既にバンド活動してるのかな? だったらまあ、引き受けられないのもわかるけど」
「……小学生の頃、ちょっとだけ民謡を」
「民謡! それであの声量か、納得したよ!」
どうやら木谷も既に、彼女の歌を聞いていたらしい。
なるほどだからこそ、あえてボーカルについて触れたのか……しかし誠が絶賛し、実はかなり厳しい批評眼を持つ木谷をして「めちゃくちゃ上手い」と言わせるだなんて、いったい彼女はどんな歌声の持ち主なんだろうか。
にわかに興味がわいてきた爽太だったが、意外なことに諒平が待ったをかけた。
「木谷さん、そこまでにしてください」
「えーなんでさ、児嶋ちゃんの味方するわけじゃないけど、せっかくの逸材なんだからチャンスは活かさないともったいないよ」
「ですが彼女はおそらく、バンドの経験はほとんどないんでしょう? 本人にやる気があるならともかく、今の状態で押しきるのは無理がありすぎる。何よりこちらが迷惑をかけたばかりなのに、そんな頼みごとをするなんて非常識もいいところだ」
諒平のその指摘は、冷静かつ常識的だった。
彼女の様子から察するに、おそらくはバンドでボーカルをやるなんて、今まで考えたこともないに違いない。
それに――
――ただ私がちょっと恥ずかしいっていうか、昔の知り合いに見られたくないだけで!
動画を撮られてネットに流すと脅された、という説明をした時の、彼女の焦ったような声音を思い出す。
あれが「歌っているところを知り合いに見られたくない」という意味なのだとしたら、バンドのボーカルなんて論外だろう。
「うーん……まあ、確かにそこは笹山ちゃんの言うとおりなんだけど」
でももったいないなぁ、と呟いた木谷の声には、本物の無念さが滲んでいた。
「――すみません」
クール美人が、目を伏せて謝罪の言葉を口にする。
ああほんとに、ここで彼女が謝らなければならない道理なんてないのに、なんていうかお人よしがすぎる。
「君が謝ることはないと思う。音楽のことになると、児嶋さん暴走するタイプだから」
それまで黙っていた誠が口を開いたが、その顔を見た爽太は衝撃を受けた。
めったに表情を変えない誠が――よく言えばクール、悪意のある表現をするならば無表情徹仮面の誠が――爽やかな笑顔を浮かべている。
あっこの人自分がイケメンだって知ってて、しかもそれを利用するタイミングもちゃんと把握してるんだ、タチが悪い!
……と爽太は思わずツッコミそうになったが、予想に反してクール美人は誠のイケメンスマイルに顔を赤らめたりせず「お気づかいいただきありがとうございます」と、淡々と受け流した。
「では……あの、そろそろ失礼します」
「ああ――申し訳ない、本人からもきちんと謝罪させたかったんだが……」
「あ、そうだ」
諒平の言葉で堅苦しい雰囲気になりかけたところへ、誠がのんびりとした声をあげた。
「お詫びといってはなんだけど、これボーカルが抜ける前の、うちのバンドのアルバム。良かったら聞いて」
「小野寺お前……」
「いいじゃん、もう存在しないバンドだし。このアルバムで歌ってるボーカルが、今度プロデビューするんだ。気に入ったら応援してやって」
「はあ……ありがとうございます」
半ば強制的にCDを受け取らされたクール美人が、バックパックを開けて中にしまいこむ。
そのまま立ちあがってぺこりと頭を下げると、彼女はミーティングルームを後にした。
「あーあ、ほんとにもったいない」
完全にドアが閉まったのを確認してから、木谷がいかにも残念そうな口ぶりでそう言った。
諒平の眉間に皺が寄る。
「少なくともあの経緯を聞いた後でボーカルを頼むなんて出来ませんよ、俺は」
「笹山ちゃんはまだデモテープ聞いてないんだっけ?」
「聞く暇がありませんでしたからね。でもどんなに上手かったとしても、ボーカルほぼ未経験の人間をバンドに迎えるのはリスクが高すぎますよ」
「彼女の歌聞いたら、考え変わると思うけどなぁ。逃がした魚は大きいよ?」
「だったら最初から、もっと真っ当な手段をとるべきでしたね」
「まあ焦ったのは確かに、児嶋ちゃんが悪いけどさ。でも勧誘した張本人の児嶋ちゃん抜きで話を進めちゃったのはどうかと思うよ? 彼女に断られるにしても、児嶋ちゃんだって直接聞いた方が納得できたんじゃないの」
ぴりぴりした空気を纏わせた諒平と、チャラい口調で意外と正論をぶちかます木谷が対峙する。
この二人もかなり長い付き合いのはずだが、どうにも気が合わないようだ。
その空気から逃げたくて――しかしあからさまに席を立つのも躊躇われる雰囲気だった――ふと顔をそむけた爽太の視線の先で、何かがきらりと光を反射した。
何だろう、と疑問に思いながら、先ほどまでクール美人が腰かけていたソファの上に手を伸ばす。
指先に触れたのは薄くて硬いプラスチックの感触で、拾い上げてみるとそれは学生証だった。
――げ、あのクール美人の学生証じゃん
先ほど誠から受け取ったCDをしまいこむ時に、バックパックから落ちたのだろう。
今ならまだそのあたりにいるかもしれない。
腰かけていたソファから立ち上がろうとした時、隣に座っていた誠がひょいと手元を覗きこんだ。
「何、それ」
「さっきの彼女の忘れものっす。今なら間に合うかもだから外見てきます!」
それを言い訳に、爽太はミーティングルームから飛び出した。
※ ※ ※
スタジオからダッシュで飛び出し、通りに出て左右を見回す。
なんとも幸運なことに、クール美人はまだスタジオの敷地内の駐輪場にいて、スマホで誰かと話していた。
爽太が彼女の姿を見つけると同時に通話が終わったらしく、スマホを耳から話したクール美人が画面をスライドさせる。
少し迷ってから、爽太は声を張り上げた。
「森崎さん!」
はっとした表情でクール美人……森崎真尋が爽太のほうを振り返る。
凛とした顔に警戒の色が浮かぶ前に、爽太は慌てて手にした学生証を掲げてみせた。
「はい、これ。ソファに落ちてたから。間に合って良かったよ。あ、確認したのは名前だけな! あと他のメンバーには見せてないし」
「気がつかなかったです……ありがとうございました」
ほっと表情を緩ませて学生証を受け取ると、真尋はバックパックの中にしまい込んだ。
「あの、ほんとごめんね? なんかいろいろ」
「いえ……実は久しぶりに思いっきり歌ったから、ちょっと楽しかった部分もあったというか」
「そっか」
そこで会話は途切れてしまった。
なんとなく微妙な空気が漂い、爽太は掌にじわりと汗が滲んだのを感じた。
「あ……っと、バイト先、また食事に行っても迷惑じゃないかな? いやあの、ストーキングとかそういうんじゃないから! すっげ美味しかったし」
爽太のその言葉に、真尋がぷっと吹きだした。
「ぜひまたご来店ください、私も毎日入ってるわけじゃないですし」
「あ、ありがと」
「じゃあ、失礼します」
控えめな微笑とともに、爽太に向かって一礼すると、真尋は側に停めてあった自転車にひらりと跨った。
お高いロードバイクじゃなく、いわゆるファッションサイクルというタイプだが、まるで映画のワンシーンのように、絵になっている。
そのまま颯爽と自転車を走らせる真尋の背中が通りの角へと消えるまで見送ってから、爽太は再びスタジオへと戻っていった。