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FLAT LINE PROTOCOL  作者: のがみん
第1章 どうしてこうなった
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act.04

 戸川響が抜けて――否、前身も含めれば五年かけて作りあげてきた「Trash the wall」を奪われてから、約二ヶ月。

 新生を誓った元Trash the wallの新しいボーカル探しは、完全に行き詰っていた。

 大手レコード会社が期待の新人として正式なデビューを発表した「Trash the wall」への遠慮や気兼ね、あるいはそれこそ「TTWと音楽性が被る可能性がある、脅威となるバンドが生まれかねないのを防ぐための裏工作」とでもいうべきか。

 最初は乗り気でも、二度目、三度目に顔を合わせた時にはすげなく断られる――もしくは非常に気まずげに断られるということが続けばさすがに、児嶋達も色々と察せざるを得なかった。


「なんだろ、オレらが戸川さんと張り合うとでも思われてるんですかね?」


 などと近藤爽太がぼやいたが、戸川自身はそんなこと、考えてもいないはずだ。

 戸川響は良くも悪くも自己中心的かつ自分が最高! というタイプである。

 だからおそらく戸川本人ではなく、彼に心酔した所属事務所やレコード会社のスタッフが、独自の判断で動いているのだと思われた。

 

「過去に覚えがあるパターンだな」


 と、笹山諒平が溜息をついたのも無理はない。

 俺様な言動やプライドの高さゆえ、他のバンドや関係者から「王子様」というあだ名を奉られていた戸川だが、そんな彼に心酔したファンがトラブルを引き起こしたことも珍しくない。

 中でも「王子信者」などと揶揄される戸川ファンは特に、対バンライブの時のマナーの悪さで有名だった。

 しかしファンはともかく、所属事務所やレコード会社の人間までもが戸川のカリスマに魅了されているとなると、少々厄介である。

 メンバーは新たなボーカルを迎えた再始動を諦めてはいなかったが、それでも徐々に疲れが見え始めていた。


     ※     ※     ※


「あー……くそっ」


 児嶋和由季はそう吐き捨てると、まだ暗い一月の空を見上げた。

 夜明けまではまだ遠く、冬の大三角が空の端にひっかかっている。

 バンドとしての活動ができない今、ボーカル探しと並行して、児嶋は知り合いのレコーディングスタジオでエンジニアとして働いていた。

 スタジオのオーナーからは「児嶋ちゃーん、このままうちのスタッフになってよ」などと冗談交じりに言われたが、あれは結構本気の目だった。


 正直いって、ここまで望み薄だとは思っていなかった。

 和由季達が声をかけたボーカル候補に密かに接触して、大手レコード会社の人間がやんわりと……時には脅しともとれる態度でもって「その話は受けないほうがいい」とやってくれるのだから、そりゃ皆断るに決まっている。

 本日もレコーディングスタジオでがっつり業務をこなした後、知り合いに会って色々と相談をしていたのだが、関東圏はもう望み薄なのでは、と言われてしまった。

 すっかりやさぐれた和由季はスタジオの近くにある知り合いのワインバーへと足を運び、閉店時間ぎりぎりの朝の四時半まで居座った。

 だがいくら飲んでもちっとも酔えず、しまいには「もったいない飲み方をするならワインは出せない」とまで言われてしまう始末だ。

 それでも愚痴に付き合ってくれただけ、ワインバーのマスターには感謝しなければならない。

 今日はもう休業します!というLINEをレコーディングスタジオのオーナーに送りつけ「んもーしょうがないなぁ」という返信とともになんとも微妙なスタンプがついたのを確認すると、和由季はスマホをコートの内側にしまい込んだ。


 ああまったく――今更こんなことを言ってもどうにもならないが、雄吾の喉に腫瘍が出来さえしなければ。

 アイドル的な人気を誇る戸川とは異なり、雄吾はワイルドかつ「大人の男」の魅力を持ったボーカリストだった。

 歌唱力だけでなくMCのスキルも高く、ライブの時はステージ中を駆け回るような、エネルギッシュな男だった。

 音楽雑誌のライターからは「攻撃的なステージ」とも称されたTRASHのライブは毎回ごっそりエネルギーを持っていかれるしんどさがあったが、だがそれが最高に熱かった。

 そういえば雄吾が抜けた後のボーカル探しも、かなり難航した記憶がある。

 声をかけたボーカルには片っ端から、あの山本雄吾の後任を務めるなんて無理だ!と断られ続け、もういっそのこと解散すべきか、という話がメンバー内で持ちあがった時に、戸川を紹介されたのだ。


 ――わりーけどオレ、前のボーカルとまったく同じことやるつもりねーから。メインのボーカルが交代すんだから、色々変わるのは当たり前だろ?


 聞けば戸川は、TRASHのライブを生で見たことはないと言う。

 だからこそのビッグマウスだったのか、なんてのは今になって思うことだが、その時は戸川のその言葉に、皆が可能性を感じてしまったのだ。


 二代目ボーカルに雄吾とは異なるタイプの戸川を迎えたことにより「TRASH」は「Trash the wall」として、生まれ変わることになった。

 それは確かにメンバー皆が納得したうえでのことだったが……それがいつの間にか「新しいボーカルをTRASHの音楽と融合させる」から「ボーカルの魅力を最大限に引き出す」に、すり替わってしまった。

 戸川を活かそうとするあまり、それまで作りあげてきたものを否定するかのような形になってしまった時点で、このバンドはもう駄目になっていたのかもしれない。

 そうだ、いったい何時から「Trash the wall」のライブに、TRASH時代のような熱気と、心地よい疲労感を覚えなくなってしまったのだろう。

 雄吾とともに作りあげたものを失うわけにはいかないと思って続けていたバンドなのに、手元に残ったのはボーカル以外の仲間と三曲だけ――皆の前では強がってみせたものの、やはりバンドの名前を持っていかれたのはかなりきつかった。


(TRASHの名前は残ってるのに見知ったメンバーがいないのを見たら、雄吾さんびっくりするだろうな)


 治療に専念するからという理由で雄吾が故郷に戻ってから、約二年半。

 メールや電話のやり取りが途絶えたわけではないが、今回のことを伝えるのは躊躇われた。

 事情を説明するにしても、せめて新しいボーカルを迎え、再始動の体勢が整った報告を添えたいものだ。


(でなければ、余計な心配かけちゃうだろ)


 あなたが残したものをちゃんと受け継いでいるのだと、そう伝えたいのに。

 和由季は再び「くそっ」と呟き、足元の小石を蹴りあげた。

 始発まではまだ少し時間があるし、アルコールで火照った身体を冷ましたくて、人気のない公園へと足を運ぶ。

 公園の中まで入る気にはなれず、入口付近のベンチに腰を下ろした。

 かなり冷え込む一月の、しかも日の出前の早朝である。

 犬を連れた飼い主もいなければ、ジョガーも見かけないような時間帯だ。

 そりゃそうだろう、この暗さじゃ犬が粗相をしてもどこに落ちたのかわからない。

 そんなどうでもいいことやバンドのこれからに思いを馳せながら、さてどれくらい座りこんでいただろうか。

 いつの間にか東の空は夜明けの色を滲ませており、かなり長い間ぼんやりしていたことに気がついた。


(やばい、体調管理気をつけないと)


 コートの内ポケットからスマホを取り出し、時間を確認する。

 時刻は既に六時半を過ぎていた。

 自宅まではどうせ二駅程度だし、いっそのこと歩いて帰ろうか。

 さすがに眠気でとろけてきた頭でそんなことを考えつつ、ベンチからのろりと立ち上がる――その瞬間。


 冬の冷たい大気を貫くように、艶のある歌声が響いてきた。

 有名な曲だ……Aerosmithの「I Don't Want To Miss A Thing」、それもちょうど一番のAメロの終わりの部分。

 こんな早朝から公園で何やってるんだとか、また随分と懐かしい曲だとか、そんな思いが浮かんでは消え――立ち上がった姿勢のまま、和由季は歌声に聞き惚れた。


(――アカペラで歌ってるのか、これ)


 サビの部分を耳にして、ようやくそのことに気付く。

 おそらくはスマホとかウォークマンで歌を聞きながら、一緒になってついつい熱唱してしまったというところだろうが……それにしても。


(なんて声だよ……!)


 歌声に引き寄せられるように公園の中へと足を踏み入れ、歌声の主を探して遊歩道を駆けていく。

 酔いも眠気もどこかに吹っ飛び、全身をめぐるアドレナリンで頭と心臓が唸っているような錯覚に陥った。

 裏声を駆使したシャウトを得意とし、男性にしては高音域を出せるのを売りにした、どこかしつこい甘さが耳の奥に残る戸川の声とは全然違う。

 癖を強調するような歌い方で誤魔化さずとも感情が伝わる、抜群の歌唱力だ。

 戸川の声ほど高くはないが、しっかりと芯のある、それでいてクリアで艶のある歌声とでも言えばいいのだろうか。

 しかしシャウトの時にはディスト―ションの効いた声になり、二つの声を使い分けている。

 この二ヶ月で聞いたどのデモ音源のボーカルよりも魅力的な、一度耳にしたら魂を掴んで離さない、まさに唯一無二の声だ。

 メロディを追いかけて辿り着いたそこは芝生が広がるスペースで、少し奥まったところにある自販機のすぐ傍のベンチに腰掛けた誰かが、歌っていた。

 思わずスマホを取り出し、興奮で震える指先で画面をタップする。

 歌だけ録りたかったが、動画撮影になってしまった――スマホの画面の中で、朝焼けの空をバックに横顔のシルエットを浮かびあがらせた声の主の姿は、妙に絵になっていた。


(雄吾さんとも戸川とも違う個性を持った、新しいボーカルはこいつしかいない!)


 それは既に、和由季の中で確信となっていた。

 歌い終わったら捕まえる。

 そう心に決めると和由季はスマホを再びしまい、声をかけるタイミングを窺った。

 ラストまで歌いきり、アウトロのリズムにのって余韻にひたっている歌い手に後ろから近づくと「ちょっと君」と、肩に触れて呼びかける。

 呼びかけた瞬間、相手が「ファッ!?」と間抜けな声をあげて勢いよく振りかえったので、和由季のほうが驚いた。


     ※     ※     ※


 録音ブースで途方にくれたような顔で立ちつくしている若い男――たぶん男で間違いない、一七六センチある和由季と目線がほとんど変わらなかったし、こんな早朝からいかにもランニングしてますといった恰好で公園内にいたのだから――を見ながら、和由季は「歌って。なんでもいいから。君の得意なやつ」と、声をかけた。

 正直言ってものすごく無茶苦茶なやり方でレコーディングスタジオに連れ込んだ自覚はあるのだが、とにかくこの逸材を逃がすわけにはいかない。

 もっとしっかり歌を聞いてどこまで歌えるのか確認して、ああそれからできればストックしてある曲を渡して、彼の歌声が自分達の音に合うのかどうかも確かめないと。


 と、ここまで思考を飛ばして、和由季はようやく自分がちょっと……いや、かなり興奮していたことに気がついた。

 ボーカリスト候補はマイクを睨みつけたまま、完全に固まっている。

 しまった、これじゃ彼は実力を発揮できないに決まってる――少しリラックスさせないと。


「UKロックとUSロック、どっちが好き?」


 とりあえずそう問いかけてみた。

 公園で歌っていたのはAerosmithだった、もしかしたらああいう系統が好きなんだろうか。


『自分はどっちも聞きますね……でも父はどちらかというと、アメリカのバンドが好きだったみたいで』


 ああなるほど、Aerosmithは父親の好みというわけか。

 子供の頃に音楽関係の習い事をしていたと言ってたし、ならば楽譜も読めそうだ。

 父親に関する表現が全て過去形なのが少し気になったが、彼を音楽好きに育てたと思われる父親には、とりあえず感謝しておこう。

 雑談がとっかかりになったのか、しばらくするとボーカル候補が軽く唇を舐めて深呼吸し、集中するような表情を見せた。

 そしてもう一度――「I Don't Want To Miss A Thing」が、今度はマイクを通して響き渡った。


(すごい、ほぼ完璧だ)


 ボーカル候補はどうやら、マイクを通した歌い方に慣れているらしかった。

 腹式呼吸もできているし、地声と裏声もスムーズに繋がっている。

 カラオケでちょっと上手いとか、そういうレベルではない……音楽関係の習い事というのはもしかしたら、ボーカルのレッスンだったのかもしれない。


 それからボーカル候補が歌ったのは、なんとNSYNCの「It Makes Me ill」だった。

 かなり意外な選曲だが、これも「父親のコレクション」のひとつなんだろうか。

 一曲目よりはやや高めのキーで歌っているが、歌声の安定感は揺るがない。

 バラードの時とは異なるニュアンスで、おそらくは無意識のうちに、本家の歌い方に寄せているのだろう。

 日本人にはかなり厳しい早口の英詞だが、とりあえず不自然な印象は受けない……だがやっぱり、ポップよりもロック系のほうがしっくりくる気がした。


 少し間を置いた三曲目は(おそらく何の曲を歌うのか、少し迷ったんだろう)Nirvanaの「Smells Like Teen Spirit」で、これはみごとにはまっていた。

 原曲そのものの歌い方も悪くないが、アレンジをきかせたカバーで歌ったら、かなり個性が出てくるに違いない。

 

 そして三曲目が連想を呼んだのか、四曲目はFoo Fightersの「My Hero」だった。

 曲がリリースされた年を考えるとやはり、これも「父親のコレクション」なのだろう。

 しかしこれではっきりした。

 このボーカル候補の声や歌い方は、戸川よりも「TRASH」との親和性が高い。

 まさに、新生TRASHに相応しいボーカルだ。

 

 さて五曲目は何なんだろう、とわくわくしながら見守っていると、ボーカル候補が「ふう」と大きく息を吐いた。


『すみません……これ以上はちょっと、あやふやかも』


 さすがに、歌詞もカラオケもなしに歌うのは限界がきたらしい。

 ボーカル候補の端正な面差しに疲労の色が浮いていることに気がついて、和由季は慌てて椅子から立ち上がった。


「うんわかった、長々と付き合わせて悪かったね」


 じゃあちょっとこっちに来て――と続けようとした時、ボーカル候補が光の早さでヘッドホンを外し、録音ブースから飛び出した。

 元の位置に戻されたヘッドホンが微かに「じゃあ失礼します!」という声を拾う。


「あーっちょっと待って!いてっ!」


 ボーカル候補を追いかけようとして、和由季は盛大にすっ転んだ。

 床のコードに足をとられて、おまけに靴が半脱げ状態になる。

 しかも転んだ瞬間椅子にぶつかり、したたかに頭をうちつけた挙句眼鏡がふっ飛んだ。

 それでもなんとかドアを開け、廊下に出る――が、眼鏡がないので何も見えない。

 通用口をがちゃりと開ける音だけは聞こえたので、必死になって声を張り上げた。


「月曜日! 月曜日もう一回来て! 何時間でも待ってるから!」


 しかしボーカル候補からの返事はなく、通用口のドアがばたんと閉まる無情な音だけが響いた。

 今日はええと土曜日だ、すぐにでもメンバーを集めて話をしたいが、あいにく笹山諒平はアメリカに行っている。

 彼には古着の通販サイトとショップの経営者という顔もあり、時々アメリカまで仕入れに出かけるのだ。

 今回も「ボーカル探しできなくて悪いけど、カズさん頼む」と言い残して渡米し、戻ってくるのは確か明日のはずだ。

 それまで今録った歌にカラオケを合わせてみて、ええとそれから……


 ……ちなみにこの時の和由季は興奮のあまり、ボーカル候補が公園で熱唱していたところを無断で撮影して脅したということは、すっかり忘れていた。

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