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FLAT LINE PROTOCOL  作者: のがみん
第1章 どうしてこうなった
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act.02

 なんでもいいから歌え。


 ――って簡単に言ってくれるけど、誰もいないはずの公園で思いっきり声を出して歌っていたところを盗撮された挙句、その動画をネタに強請られているようなこの状況下で、いったい何をどう歌えというのか。

 目の前のマイクを睨みつけたまま、真尋が思考の海に沈んでいると、ヘッドホンからやや雰囲気を和らげた眼鏡男――確か児嶋といったか――の声が聞こえてきた。


『UKロックとUSロック、どっちが好き?』

「自分はどっちも聞きますね……でも父はどちらかというと、アメリカのバンドが好きだったみたいで」

『ああなるほどね、それでさっきあれを歌ってたわけだ。若いのに珍しいなって思ったけど』

「――父の好きな歌だったので、つい」

『邦楽はあまり聞かない?』

「そうですね、父のコレクションばかり聞いてたもので、日本の音楽は疎いです」

『ははっ、日本もいいバンドいっぱいあるんだけどね』

「興味はあるんだけどどこから手をつければいいのか、ちょっとわからなくて」


 そこまで話してテンポが途切れ、沈黙が訪れる。

 むしろ決して好印象とはいえない初対面の不審人物相手に、ここまで普通の会話が成立したことに驚いた。

 だが雑談のおかげで、少しだけ気持ちがほぐれてきた。


(さっさと歌って終わらせよう)


 とりあえずそんな気分になったので、軽く唇を舐め、細く息を吐く。

 身体はまだ充分に温まっているし、喉のコンディションも悪くない……むしろ公園でしっかり声を出したので、調子がいいくらいだ。

 何度か深呼吸を繰り返し、公園で聞いていた旋律を頭の中に呼び起こす。

 その旋律にあわせてテンポをとりながら、真尋は目の前のマイクに意識を集中させ、ゆったりとしたバラードを歌いだした。


     ※     ※     ※


 それからはひたすら無の境地で幾つかの楽曲を歌いあげ、気がつけばあっという間に三十分近く経っていた。

 バラードだけでなく、十五年近く前に解散したアメリカの男性アイドルグループの曲や、ボーカルが二十七歳でショットガン自殺したバンドの代表曲、さらにはそのバンドに所属していた元ドラマーが結成したバンドの楽曲など、自然と出てきたメロディはどれも、父親が好んで聴いていたものばかりだった。

 子供の頃から、たとえば習い事の送り迎えの車の中で何度も聞いたそれらの曲は、歌詞を見ずとも歌える程度には覚えている。

 しかしさすがにそれ以上は不可能で、四曲目を歌い終わったところで、真尋はとうとう根をあげた。


「すみません……これ以上はちょっと、あやふやかも」

『うんわかった、長々と付き合わせて悪かったね』

「じゃあ失礼します!」


 ヘッドホンを外してそそくさと録音ブースから脱出し、通用口めがけて一気にダッシュする。

 背後で「あーっちょっと待って!いてっ!」という叫び声と防音ドアの重たい開閉音がしたが、構わず通用口のドアノブに手をかけた。

 やった、ロックはかかってない。

 もしかしたら出入りにはカードキーが必要なんじゃないかと思っていたが、運は真尋に味方した。

 ほとんど体当たりする勢いで通用口を押しあけて外に出た瞬間、眼鏡男の悲痛な声が微かに聞こえてきた。


「月曜日!月曜日もう一回来て!何時間でも待ってるから!」


 残念、月曜日は特別講義とバイトです。

 声には出さずにそう呟くと、真尋はあらん限りのスピードでスタジオを後にした。

 だが念のため大きく遠回りしたので、帰宅するまで二十分以上かかってしまった。


     ※     ※     ※


 早朝からとんでもない目に遭った土曜日はしかし、その後大きなトラブルに見舞われることもなく日が暮れた。

 夕方になって、バイト先の店長から「悪い、体調崩して出られなくなった子がいるから今から出られるか?」という電話がかかってきたくらいである。

 予定外のシフトだが、スケジュールは空いている。

 二つ返事で出勤を引き受けて自転車にまたがると、真尋は二駅ほど離れたバイト先の居酒屋へと向かった。


「お疲れ様です、お願いします」

「おー悪いな森崎。皆に断られてもう、お前が駄目だったらどうしようって思ってたとこだったわ」

「とりあえずラストまででいいんですよね?」

「おう、二十一時からは小野田が来るから。その時に賄い休憩とれよ」

「やった!ありがとうございます!」


 学生にとって、食費が浮くのは大助かりである。

 閉店時間の二十四時まで入るとなると、その後の閉店業務もこなさなければならないが、今日の予約状況や混み具合を見たところ、締め作業が大幅に遅れることはなさそうだった。


「つうか森崎お前、明日と明後日もシフト入ってっけど大丈夫か?」

「明日は昼過ぎから二十一時までですし、月曜は河東さんに頼まれて午後にちょっと出るだけなので、問題ないです。特別講義も二限で終わりますから」

「マジか助かるわー……最近昼過ぎの中途半端な時間も、なんか妙に忙しいんだよな」

「テレビでお店が取りあげられたからじゃないですかね」

「うち居酒屋なのになんでスイーツ特集で取り上げられるんだよって話だよな」

「えっここ居酒屋だったんですか?バルとかカフェじゃないんですか?」

「店長の俺が居酒屋つってんだから居酒屋なんだよ!」


 ちなみに真尋がバイトしているこの店は、世間一般からは「居酒屋」ではなく「こじゃれたバル」だと認識されている。 

 ただし店長はどういうわけか「バル」と呼びたがらず「居酒屋」という呼称を貫き通していた。

 まあそもそもスペインやイタリアにおける「居酒屋」が「バル」もしくは「バール」なので、間違いというわけではないのだが。

 ちなみにホールや厨房スタッフのユニフォームも、和服ではなく洋風だ。

 七分袖のボタンダウンシャツにストレッチパンツは男女共通だが、女性は胸当てエプロンとキャスケット、男性は腰下エプロンにハンチングという組み合わせになっている。

 

「うっし、じゃあ今日も頼むぞイケメン森崎」

「……あの、そのイケメンっていうの、ほんとにやめてください」


 店長の言葉にげんなりしながらタイムカードを押し、鏡の前で制服に乱れがないかチェックを済ませてホールに出る。

 時刻はそろそろ十八時になろうかという頃合いで、店内はほぼ満席だった。


     ※     ※     ※


 都内にあるこの店は、ごくたまにだが芸能人が利用することもある。

 先程真尋が席に案内した三人組もどことなく華やかな雰囲気を纏っており(何しろ一人はギターケースを抱えていた)、もしかしたら音楽業界の関係者なんだろうか、なんて思いが一瞬、真尋の脳裏をよぎった。


(音楽業界……うっ、やなこと思い出した)


 仕事をしているすちにすっかり薄れていた早朝の記憶が甦り、真尋は軽く唇を噛んだ。

 そういえば不審人物・児嶋某も、あれは業界人ということになるのだろうか……まあそうなんだろう、レコーディングスタジオのカードキーを持ってたくらいだし。

 月曜日は黙ってぶっちぎる一択だったが、公園での熱唱動画を握られていたことも思い出してしまった。

 あれを「ネットに流して探し出す」と言われた以上、逃げだすわけにもいかないだろう。

 何より真尋自身が、歌のレコーディングと引き換えに動画を削除してもらうことをすっかり忘れていたのだ、これではどうしようもない。


(うわぁ……憂鬱になってきた)


 表面は営業スマイルを振りまきながら客席に誘導し、注文をとっては料理を運んでいた真尋だが、気分はどんよりと沈み始めた。

 最悪だ、こんな気分のまま、月曜日まで過ごさねばならないとは。

 真尋が周囲に悟られないよう溜息をついたその時、不意に「すいません失礼します!」という声と共に、ガラスの割れる音が響いた。


「あっちょっと待てよユウキ!!ってくそ、あいつ……」

「すみません……連れが失礼を」


 喧騒の元は、20分ほど前に真尋が案内した三人組のテーブルだった。

 三人のうちの一人が急に席を立ち、申し訳程度に頭を下げて、店から飛び出していったのだ。

 その際に腕があたったか何かでテーブルの上のコップを薙ぎ払い、床に落ちて割れたらしい。

 真尋はすぐに片付けセットを手にすると、そのテーブルへと向かった。


「失礼します」

「あっ……すみません、割っちゃって」

「いえ、お気になさらず。すぐに片付けますね」


 仕事仲間から「爽やか」と評される営業スマイルを浮かべ、真尋は手早く片付けにとりかかった。

 コップの中身はほぼ空だったようで、どこも濡れてはいない。

 それに音が派手だったわりにガラスの破片もほとんど飛び散っておらず、ざっと掃いただけで、怪我をしそうな欠片はほとんど回収することができた。

 あとは閉店後の清掃をしっかりすれば、まあ大丈夫だろう。

 食事を楽しむ周囲の客の迷惑にならないよう、最小限の動きで手早く片づける真尋の耳が「くっそ、ボーカルうちの後輩の線もアウトかよ」という呟きを拾う。

 呟いたのは三人連れ――今は二人連れになってしまったが――の客の内、ギターケースを足元に置いた、アイドルも顔負けの可愛らしいルックスの若い男だった。


「なんか……ごめんね、近藤ちゃん。最初に話した時は、あの子も乗り気だったのに」

「いや江波さん悪くないっす、どうせあいつらが圧力かけてきたんでしょ。あとはコジマさんに期待するしかないかなー。関西の知り合いに声かけてみるつってたし」


(――コジマって)


 再び今朝のことを思い出した真尋が微妙な心持ちになっていると「今の店員さんイケメンだった……」「このお店イケメンと可愛い子しか採用しないって噂っすよ」という、二人の会話が聞こえてきた。

 そんな採用基準はないし、自分をイケメン枠に入れないでください、と訂正したい気持ちを堪えつつ、真尋は爽やか営業スマイルを張りつけたまま、バックヤードに引っ込んだ。


     ※     ※     ※


 それからはひたすら、バイトに明け暮れる日々だった。

 日課となっている早朝のランニングも継続しているが、あれから公園周辺のルートは利用していない。

 そして運命の月曜日――というのは些か大げさだが、真尋は重たい気持ちを抱えながら、大学の講義に出席した。

 本来であれば二月の上旬から春季休業になっているのだが、資格関係の特別講義の日程がずれ込み、もうしばらくの間何かと学校に顔を出さねばならない。

 四月からは晴れて大学二年生、一年の間に頑張って単位をとりまくったので、二年からは少し余裕があるはずだ。

 ちなみに春季休業の間はずっとこちらでバイトをするつもりなので、地元に戻る気は全くなかった。

 

「あっおはよーヒロくん」

「森やんおはよ」

「真尋ちゃんおはよー」


 同じ学科で一緒に講義を受けることの多い友人三人が、真尋を見つけて手を振ってきた。

 同じように手を振って三人の傍に行き、席に着く。


「ねー、真尋ちゃんのバイト先って、ランチタイムとかあったっけ?」

「うん、あるよ。十一時から十四時までがランチタイムで、そこから休みなしで深夜零時まで営業ね。まあ……予約で貸切とかになったら、もうちょっと遅くまでやることもあるみたいだけど」

「うわなんか大変そう」

「厨房は大変だなって思うけど、オーナーがとにかく『料理作って食べて貰うのが幸せ』って人だからね。なんていうか、すっごいエネルギッシュって感じ」

「オーナーシェフと店長が兄弟なんだっけ?しかもどっちも独身イケメン」

「どっちも彼女いるけどね」


 なんて会話を交わしているうちに講義が始まり、二限目も無事終了した。

 そのまま学食で昼を食べようという流れになり、バイトまで時間が空いていた真尋も参加した。


「うちの学食美味しいけど、量が多すぎ……」

「男子学生仕様だよね」

「森やんはバイト先の賄いがめちゃめちゃ美味しい言うてたよね。今人気あるもんな、あのお店」

「それなのに全然太ってないヒロくんが憎い!」


 友人たちとの会話は楽しかったが、それでもふとした瞬間、底に溜まっていた澱がふわりと浮きあがってくるかのように、児嶋と名乗った男の声が耳の奥にこだまする。


 ――月曜日!月曜日もう一回来て!何時間でも待ってるから!


 何時間でも待ってる、なんて……ぶっちゃけものすごいプレッシャーである。

 昼までは講義だし、昼食が済んだらバイト先に向かわねばならない。

 それからは十八時までバイトだし、そもそも何故自分が、相手の身勝手な要求に従わなければならないのだろうか……まあ、無断で撮影された動画をネットに流すと言われたからなんだけど。

 いやしかし冷静に考えたら、これ警察に相談してもいい案件じゃないだろうか。


 ……そんな思考に沈んでいると、気が付いたら友人達が心配そうな顔で真尋を見つめていた。


「あ――ごめん、ちょっと考えごとしてて」

「せやなー、森やん声かけても全然気ィつかへんかったし」

「うん、ごめん」

「大丈夫?何か悩みでもあるの?おっぱい揉む?私じゃなくてみさぴょんの」

「そこは自分のを揉ませなアカンやろ!」

「……間に合ってるからいいよ」


 友人達に苦笑してみせると、真尋は「じゃあそろそろバイトに行くね」と断り、席を立った。

 その後ろ姿を見送る友人達が「今日の森やんなんか絶対おかしいわ」「真尋ちゃん自分のこと話さないタイプだもんねー」「もしかしてまたストーカー案件発生した?」……と心配げな顔で囁き交わしていたのだが、当の本人は知る由もなかった。


     ※     ※     ※


 そして本日も客で賑わうバルのバイトは忙しく過ぎていき、気がつけば退勤時間になっていた。

 代打を頼んでいた同僚も無事やってきて交代し、真尋はバックヤードへと引っ込んだ。


「じゃあ、お先に失礼します」

「おーう、三日間悪かったな、忙しい時ばっかりでよ」


 デスクでパソコンとにらめっこしていた店長に声をかけると、ひらひらと手を振った――と思った瞬間、椅子ごとくるりと真尋の方を向いた。


「森崎、お前今日あんま調子良くなさそうだったけど、体調悪いなら早めに言えよ?」

「体調――は、別に大丈夫ですけど」

「じゃあなんか悩みでもあんのか。まあ煩いこと言う気はねーけどよ」


 うわ、鋭い。

 一瞬、店長になら児嶋某について相談してもいいかもしれないなんて考えが脳裏をよぎったが、やはり気が引けた。

 そもそもどの時点から話せばいいのか……駄目だ、やっぱり今の知り合いに相談するのは、ハードルが高すぎる。

 

「ちょっと、難しいテーマのレポートがありまして……提出期限迫ってたもので、気になってたみたいです。すみません」

「そっか、まあ学業疎かにしちゃいかんわな。頑張れよ」

「はい、ありがとうございます」


 ぺこりと一礼してバックヤードから出ていく真尋の背中を見送りながら、店長が「……あいつ見た目はクールっぽいけど、嘘つくの下手くそだよな」と呟いたが、これまた本人は知るよしもなかった。


     ※     ※     ※


 自転車に乗って大通りを抜け、線路沿いで二駅ほど走らせる。

 いつもの習慣で街灯が明るい道を通った時、熱唱動画を撮られた公園の傍まで来ていたことに気がついた。


 ――月曜日!月曜日もう一回来て!何時間でも待ってるから!


 思わず自転車を停めてしまったのは、児嶋某のどこか必死な叫び声が、今までになく鮮明に脳裏に蘇ったからだ。

 スマホを取り出して時刻を確認する――現在、十八時四十二分。

 このままどこにも寄らずに帰宅して夕飯を作り、レポートを済ませて風呂に入って寝てしまえば、とりあえず今日という日は確実に過ぎてゆく……しかし。


(熱唱動画、ネットにばら撒かれるかもしれないんだよなぁ……)


 何がどうしてこうなった。

 真尋は大きな溜息をつくと、先日連れ込まれたレコーディングスタジオへと自転車を走らせた。

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