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FLAT LINE PROTOCOL  作者: のがみん
第1章 どうしてこうなった
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act.01

『歌って。なんでもいいから。君の得意なやつ』


 ろくな説明もなしに録音ブースに放り込まれ、マイクの前に立たされて。

 防音ガラス窓の向こうからは、公園で突然声をかけてきた不審人物――もとい、黙って微笑んでいれば物腰穏やかで理知的なイケメンに見えなくもない男が、眼鏡のレンズを光らせながら、鬼気迫る表情でこちらを睨みつけている。


 ――怖い。どうしよう。助けてお姉ちゃんお兄ちゃん。


 時刻は午前七時を少しばかり過ぎたあたりだろうか。

 何故自分は土曜日の早朝からこんなプロ仕様の録音スタジオにいるんだろう……ああそうだ、防音ガラス窓の向こうで某アニメの特務機関総司令ばりのポーズをきめている不審人物に拉致されたんだった。

 わあおっかない、今にも「乗るなら早くしろ、でなければ帰れ」とか言いそうだ。

 っていうかむしろ帰りたい。


 ……そんな森崎真尋の胸中なんぞ知るはずもなく、総司令――もとい、児嶋と名乗った眼鏡男が、焦れたような声で再び『音源用意出来なくて悪いけど、アカペラでいいから』と言葉を重ねてきた。

 ほぼ初対面の男の前で、プロ仕様の録音スタジオでアカペラで歌えとか、それいったいどんな罰ゲームなんだろうか。

 真尋は泣きたい気持ちでがっくりと肩を落としつつ、ほんの気まぐれでランニングルートを変えた一時間前の自分を心底恨めしく思った。


     ※     ※     ※


 中学・高校とそれなりに部活動が盛んだった学校でバスケ部に所属していた真尋にとって、規則正しい生活はもはや骨身に染みついた習慣である。

 特に真尋が入部してからは、精神論を振りかざす前時代的な顧問から、理論的かつ丁寧な指導を行う指導者へと代わったこともあり、バスケ部は県大会上位入賞の強豪校へと成長した。

 天性の運動能力と長身を活かしてシューターとして活躍した真尋だが、スポーツ推薦ではなく一般入試で合格した大学に在籍し、現在バスケとは縁のない学生生活を送っている。

 高校時代、率先して朝練に取り組み、個人練習に励んだ姿を見ている者からすると、大学でもバスケを続ける――ひいてはプロを目指すことを諦めたように見える真尋の選択は、どうにも信じ難くうつるらしい。

 しかしインターハイに出場した時に己の限界を悟った真尋としては、あれ以上頑張るのは苦痛でしかなかった。

 とはいえさすがに、そんな本音は誰にも漏らしたことがない。

 ただ十一才年上の姉は何やら察していたようで「まぁちゃんの本当にやりたいことが見つかるといいんだけどね」と言われたことがある。


 そんなこんなで、講義とせいぜいバイトに明け暮れる、まあまあ緩いカレッジライフを満喫している真尋だが、中学高校の六年間で身についた朝五時起きの習慣だけは、どうにも抜けきらなかった。

 しかし早起きにもそれなりにメリットはあるもので、身体が慣れているせいか、試験勉強などは早朝のほうが頭に入りやすかったりする。

 そしてよほどの悪天候や体調不良でなければ、体力維持のためのトレーニングも欠かさない。

 その日の気分によってランニングのルートを変え、ストレッチを行う……大学の友人からは「めちゃくちゃストイックだよね」などと言われるが、単にルーティンを崩すのが気持ち悪いだけだ。


 なので何も予定がないこの平凡な土曜日の朝も、スマホのアラームをセットすることなく真尋は午前五時少し前に目を覚ました。

 部屋で軽くストレッチをして身体をほぐし、高校時代から愛用しているウィンドブレーカーの上下に身を包む。

 天気予報アプリを見ると気温がかなり低めだったので、ネックウォーマーとターバンタイプのヘアバンドも装備した。

 高校時代はベリーショートだったが、部活動を引退してからは髪を伸ばしたため、ランニングの時には必ずヘアバンドをつけている――髪の毛の量が多いので、ぴったりフィットするニット帽だと逆に、鬱陶しく感じるのだ。

 最後にスマホの音楽アプリを起動してランダム再生をタップし、ワイヤレスイヤホンを耳にひっかけて首の後ろのコードをネックウォーマーの中に押し込むと、なるべく物音をたてないよう注意しながら、まだ暗い午前五時半過ぎの住宅街へと足を踏み出した。


「……さっむ」


 今朝は街灯がともっていて明るいからという理由で川沿いのコースを選んでみたが、正直いって失敗だった。

 何しろ寒い。

 川の上を吹く風は冷たく、吐く息が白く流れてゆく。

 これが春や夏なら、そのまま河川敷に下りてストレッチをするところだが、さすがに真冬の二月のこの時間帯では、いつも見かけるランニング仲間もいやしない。

 それにもう少し行った先にある橋の下は、数ヶ月前からホームレスが何人か棲みついているため、できればあまり近寄りたくないポイントだった。

 気がつけば、時刻は朝の六時を少しばかり過ぎている。

 夜明けにはまだ遠いが、それでも東の空にじんわりと朝焼けが滲んでいた。


「このまま公園に行くかな――あそこなら警察も近いし」


 川沿いのルートをかなり引き返さないといけないが、それでもストレッチと休憩にはもってこいの公園を思い出し、真尋はくるりと向きを変えた。

 そうやって十五分ほどかけてややゆっくりめのペースで走り、スポーツ公園と自然公園を足して三で割ったような、微妙な造りの公園へと向かう。

 噂によると一時期、節電の為園内は消灯していたらしいが、治安が悪いし犯罪が起こったら危険だということで、再び点灯するようになったという話だ。


「やっぱこんだけ寒いと、誰もいないもんだなぁ」


 遊歩道に沿って走りながら、真尋は思わずそう呟いた。

 季候のいい時期であれば、早朝からそれなりに人がいる公園だが、今日みたいに寒いとさすがにほとんど人気がない。

 そういえば公園の入り口付近のベンチに誰か腰かけていたが、気味が悪かったのでほとんどそちらには視線を向けずに通り過ぎた。

 そのまま「ピクニック広場」と呼ばれている芝生のエリアまで走り抜け、ランニングからジョグ、そしてウォーキングへと徐々にペースを落とす。

 心拍数が完全に落ち着いたところでストレッチを開始し、十五分ほどで切り上げた。

 それからピクニック広場の片隅に設置された自販機でスポーツドリンクを購入し、ゆっくりとのどを潤す。

 学生の身分には正直もったいない出費だが、今日はいつもより長めの距離を走ったので、自宅に戻るまでに水分補給が必要だと判断した。


「川沿いのほうが走りやすいんだけど、公園の方が家から近いんだよなぁ……」


 そういえばしばらくこの公園に近寄らなかったのは、某有名アプリゲームのせいだった。

 真尋はDLしなかったので詳しいことは知らないのだが、一時期「レアモンスターを捕まえやすい」とかで、公園内に設置されたジョギングルートを通れないくらい、スマホやタブレットを掲げた人々でごった返していたからだ。


 しかし――今朝は本当に、人がいない。

 一番冷え込みがきつい一月下旬の早朝ともなると、風よけになりそうな遮蔽物がない公園の芝生スペースで過ごすのは、確かにちょっとした罰ゲームである。

 だが適度な運動で身体が温まった真尋からすると、その寒さもクールダウンに一役かっていた。


 ――今朝はなんだか、いつもよりいい気分だ


 スマホを操作して音量を上げると、父親が好んで聞いていた海外のロックバンドのバラードが耳に飛び込んできた。

 真尋が生まれた年にリリースされたこの曲は父のお気に入りで、有名俳優が主演をつとめた映画のテーマ曲にもなっている。

 そういえばあの映画では、父親が仲間と共に宇宙へと飛び立ち、小惑星を爆破するための起爆スイッチを押していた。

 父親を喪ったヒロインと自らの境遇が一瞬重なって胸が詰まったが、その息苦しさを押し出すように、真尋はバラードの旋律にあわせて声を張り上げた。


 ……そして園内に誰もいないのをいいことに声を出しまくり、本当に久々に心の底から「歌った」という充足感に浸っていたその時である。


「ちょっと君!」


 腰かけていたベンチの背もたれ越しに突然肩を掴まれた真尋は「ファッ!?」と間抜けな悲鳴を上げながら、勢いよく振りかえった。

 何しろかなりのボリュームで音楽を聞き、尚且つ気持ちよく歌っていたせいで、後ろからの接近にまったく気付かなかった。

 時間が時間だし、一応誰もいないのを確認したうえで歌っていたのだが――しかしよくよく考えてみると、こいつはかなりこっ恥ずかしいシチュエーションである。

 人気のない公園で音楽に浸りきって大声張り上げて歌っちゃうとか何それ!と、思い出すたびに布団に潜ってじたばたしたくなる黒歴史が、人生の一ページに追加されてしまった。

 っていうか夜明けの公園で大声出して歌ってるなんて不審者丸出しなんだから、声かけずに放置してくれればいいのに何故、何故話しかけてくるのか。

 すいません煩くしてごめんなさいだからさようなら!!


 ……と謝り倒して一目散に逃げ去りたかったのだが、ベンチに腰を下ろし、しかも背もたれにがっつり背中を預けていた状態で肩を掴まれたため、首を捻じ曲げて背後を仰ぎ見るのが精いっぱいだ。

 そして肩を掴んでいたはずの手はいつの間にか、真尋の上腕を捉えている。

 何これ怖い、不審者丸出しなのは自分ではなく声をかけてきたこの男のほうだ。

 っていうかこれ、大声出せば相手は逃げていくんじゃないだろうか。

 ほんの少しだけ冷静さを取り戻した真尋は、やや息を弾ませながら自分の上腕を掴んでいる男の姿を見て、ふとそんなことを考えた。

 くしゃくしゃの髪の毛と目の下のどす黒い隈さえなければ、まあおそらくはそこそこ二枚目だ。

 スクエアタイプのメタルフレームの眼鏡はよく見ればかなり個性的なデザインで、なんていうか普通の会社員が身につけるような雰囲気ではない。

 服装は落ち着いたカジュアル系といったところか、少なくとも真尋のようにランニング目的で公園にやってきたとは思えなかった。


 結論:すごく怪しい。


 やっぱり相手をぶん殴ってでも逃げだそう、と意識を切り替えた真尋だったが、ふと男が首に巻いているマフラーに目がいった。


 ――あ、これお兄ちゃんにあげたのと同じマフラーだ


 去年の十一月、兄の誕生日プレゼントに選んだのと同じ、イギリスの有名ブランドのカシミヤのマフラーだ。

 グレーの濃淡に薄い青が入ったチェックの柄が爽やかな印象で、兄にぴったりだと思って選んだマフラーと同じものを、赤の他人が身につけているのがちょっと面白かった。

 そういえば突然声をかけてきた不審人物……もとい、目の前の男性も、兄と同年代くらいに見える。

 そして今思い出したがこの男性、確か公園の入り口付近のベンチに腰かけていたような気がするっていうか、多分そうだ。

 先程ちらりと見た時は何やらがっくりと項垂れてベンチに腰をおろしていたので「うわ気味悪いな」としか思わなかったのだが、もしかしたら何やら重大な悩み事でも抱えていたのかもしれない。

 わざわざ人気のない早朝の公園で物思いにふけっていたところを、真尋の歌声がブチ壊したのだとしたら、むしろこちらが謝るべきではないだろうか。


「あの――朝から煩くしてすみませんでした。もう行きますんで」


 ひきつった愛想笑いを浮かべて立ち上がろうとした真尋の目の前に、男がすっと自分のスマホを差し出した。

 画面のどこかをタップした次の瞬間、男のスマホから先程の真尋の熱唱が動画再生される。

 思わず絶句して固まっていると、再生を止めた男がにっこり笑ってこう言った。


「悪いけど、ちょっと付き合ってくれないかな」


 どこに、とか、何のために、という言葉が真尋の脳裏をぐるぐる回るが、うまく言葉が出てこない。

 真尋の上腕を掴んでいた男の腕がいつのまにか外れていたので、やっぱり逃げだそうと思って腰を浮かせた瞬間――


「逃げてもいいけど探すから。今録ったやつネットに流すからね」


 ……やばいこの人頭おかしい。

 真尋は直感的にそう悟ったが、逃げるのはもっとまずい気がした。

 そもそも、早朝で人気がなかったとはいえ、公共の場で大声を出していたのは事実である。

 がっくりと肩を落としながらベンチから立ち上がり「どこに行けばいいんですか」と尋ねると「知り合いのスタジオ。すぐそこだから」との答えが返ってきた。

 うわ最悪だ、もうこの公園ランニングルートに使えない。

 そんなことを考える真尋の目の前で、男が誰かに電話をかけていた。


「ああ木谷さんすみません、朝早くから。うんいや、どうせ起きてたでしょ?今から公園側のスタジオ使わせてもらいますんで。わかってますよ、そんな時間かかりませんから――はい、じゃあ」


 手短に通話を終わらせた男がくるりと振りかえり、片頬だけで笑ってみせた。


「あ、俺は児嶋ね。君の歌声、ちょっとだけ録らせてほしいんだ」

「……はあ」


 こんな歌声録ってどうするんですか、勘弁してください――そう言って突っぱねることができなかったのは、知っている人間が見れば真尋だと気が付く程度には判別できる動画を撮られてしまったからに他ならない。

 早朝の薄暗い公園とはいえ、真尋が座っていたのは街灯に照らされたベンチである。

 少なくとも大学の友人あたりが見れば一発で「あっこれヒロだよね?」と判る距離で横顔を撮られていたのに、全く気がつかずに熱唱していた自分が恥ずかしい。


 今更――こんな、自分が「歌っている」ところを、特に身内や古い知り合いに見られでもしたら。

 そう考えると、全身の毛孔が開いてそこから冷や汗が吹き出すような思いにとらわれた。


「……あの、動画、後で消してくれませんか」


 意を決してそう切り出した真尋の言葉に、男は「歌を録らせてくれたらね」と返してきた。


 ――歌は録らないといけないのか。


 でもいったい、何のために。

 そのあたり、児嶋と名乗った男はいっさい説明する気はないらしい。

 真尋はまさに市場に連れていかれる子牛の気持ちを噛みしめながら、男の後をついて行った。


     ※     ※     ※


 生まれて初めて訪れたレコーディングスタジオは、思っていたよりも大きな建物だった。

 というか、音楽業界には縁がないものだとばかり思っていたので、どんなところなのか想像すらしたことがない、というべきか。

 表玄関は閉まっていたが、児嶋と名乗った不審人物はカードキーを取り出し、スタッフ専用の通用口を開けると「ほら、こっち」と、真尋に向かって手招きした。

 

 ――カードキー持ってるってことは、この人スタジオの関係者なんだ


 真尋のその印象は間違っていなかったようで、眼鏡男は勝手知ったるなんとやらでさっさとオフィスの明かりをつけ、キャビネットのキーボックスから幾つか鍵を取り出すと「ついてきて」と言った。


「スタジオは初めて?」

「はい、まあ」

「何か音楽関係の習いごととか、やってた?」

「……子供の頃に、少しだけ」

「ふうん」


 動画をネタにスタジオまで強引に連れてきたくせに、真尋自身のことは案外どうでもいいらしい。

 この人本当に歌だけ録れればいいんだ、いやでも録音したものをどうするんだろう。

 そんなことを考えながら、男についてロビーを抜け――なんだかちょっと豪華なホテルのラウンジみたいな雰囲気だ――防音ドアを開けた室内へと通される。

 通された部屋は4畳ほどの広さで、壁はまさにテレビなどで見たことのある録音ブースそのものだった。

 吸音材に覆われた室内の中で、扉とは反対側の壁に防音ガラス窓が設けられていて、そこからはミキシングルームの様子が見える。

 設置されたマイクはいかにもプロ仕様で、それを目にした瞬間、一気に緊張感が喉の奥からせりあがってきた。


「ヘッドホンしといて。でないとミキシングルームから何言っても全然聞こえないからね」


 そう言われて、慌ててヘッドホンを着用する。

 真尋がヘッドホンを着けたのを見ると、眼鏡男はさっさと部屋を出てミキシングルームへと移動していった。


『よし――じゃあ、始めようか』


 不意にヘッドホンから男の声が響き、真尋は思わずびくりと肩を震わせた。


『歌って。なんでもいいから。君の得意なやつ』

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