第九話
破入の部屋。
「………」
随分前から寝台に上体を起こしていた破入が、灯りに照らされた室内を、見るともなく見ていた。
「………」
静かな室内。静か過ぎる室内。
それもそのはず、破入を悩ませていた幻聴が、汽笛の音を低く、長くしたような音が、なくなっていた。
最近途切れなく続いた音が消えたこと、それ自体は歓迎すべきである。
けども今度は。
「…あの時の、夢か」
するりと零れ出た言葉に、違うと首を振る。破入の閉じた目、その下は黒ずみ、今まで就寝していたとは思えないほど、疲弊していた。
額から流れ落ちた汗を、冷や汗を拭い、気だるげな溜息をつく破入。
「本気で、笑えなくなってきたな」
呟き、連日見続ける夢を反芻し始める。
「廃れた屋敷に…黒い髪の女……あの音…あの屋敷とは違う…」
目を閉じれば、廃棄されて久しい屋敷が、そして濡れ羽色の髪を流した、着物の女が現れる。
微かに異臭漂う空間は、明暗繰り返すいくつもの橙の灯りに照らされ、明滅を繰り返している。薄暗い視界に、屏風を背負い、正座をした女が映る。
灯りのせいか顔が確認できない女は、床へ指を突くと、前方へ、破入へと頭を垂れ…
「……っ」
びくり、と肩を震わせ、目を開く。あまりにも生々しい光景に、動悸が速まる。
静まり返った室内で、破入は恐る恐る、顔を動かし、静かに時を刻む時計へ目を向け。
「な……」
短針が一つ、動いていた。
ほんの一瞬、刹那、浮かんだ映像のはず、であった。見間違えでは、と再度確認しても、動いていたのは長針ではなく、短針。
思わず時計が止まっているのか、故障しているのかと疑うも、調整したのは、それ専門の店で、日も経っていない。
……少なくとも、刻まれた時刻に、間違いは、ない。
「一体、どうしたってんだ…」
時間感覚を失うという恐怖に身を震わせ、破入は急いで寝台から降りると、大きく頭を振る。
少しでも現実を感じていたいがために、窓の外へ目を向け。
「………」
……完全に、その動きが止まった。微かに開いた口も、見開かれた目も、窓枠に置かれた手も、何もかも。
「………」
数十秒後、ようやく動いた目が、目だけが、ゆっくりと、時計へ、向かう。
「………」
短針は一つだけ、動いていた。
確かに、一つ、動いていた。
短針が一つ、動く。つまり、一時間が経過した。そういうことである。
「………」
けれど。もし。
短針が、十三回動いたとすれば、どうなるのか。その短針は、どこを示すのか。
…その、結果は。
「………俺は…」
震える破入の声が、窓に当たって消える。
短針から日中だと思い、陽光を探して目を向けた窓の外。
「そん、な…」
その先は、暗闇に包まれていた。