第八話
「黒い羽…大きな、黒い羽」
「雨谷さんも…見たのね」
小雨降りしきる風景を、雨谷と采華は並んで見ていた。窓に映る二人の虚像に視線を合わせ、雨谷は小さく頷く。
「あの日、采華さんに言われて…鏡に…映っていたんだ。大きな、黒い羽が」
「ええ…」
「鏡から目を離したら…何もなかった。何も、見えなかったんだ」
「……ええ」
ここ最近、明らかに様子がおかしい破入。
今日は雨の中、修理した品を依頼人へ届けるために外出している。
若干やつれた様子の彼を心配する二人に、破入は大したことはない、と、そこだけはいつものように笑い、出かけていった。
「だから」
窓越しの会話。二人は直接目を合わすことなく、会話を続ける。入り口にかけられた準備中の札が、雨風を受け、時折音を立てる。
二人は、静かな雨音を立てる外へ、時折雨粒が流れていくガラス窓へ話かける。
「だからさ…見てみた。鏡越しに……破入を」
「………」
「采華さん…君は…あれを見ていたんだね」
「……そう。ええ、そう」
鏡越しにソレを目の当たりにした雨谷は、思い出してか、身を震わせる。
若干青ざめた顔を、こわばった顔を、外に向けて、先に気付いていた采華へと問う。
「いつから…いたの?」
「私にも…でも、最近だと…思う…」
首を振る采華。沈黙が二人の間を流れる。目を伏せた雨谷が、口を開く。
「破入は……」
「分からない…あの…黒い大きな鳥…私には、分からないの」
「…ごめん」
「………」
見えるだけ。
ただ見えるだけの二人に、破入に憑いた存在が、なんであるのか、分かるはずもない。善いものか、悪いものか。それすらも判断できない。
雨が徐々に強くなり、窓ガラスに映る二人の像が、崩れ、歪んでいく。
「けれど」
「………」
「けれど、破入さんは…気付いていないわ」
「うん…」
二人の前では、普段どおりに振舞っている破入。だからこそ、日増しに疲弊していくのを、雨谷と采華は黙ってみるしかない。
…黙らざるを得ない。
下手に手を出して、破入の状態が悪くなる可能性を、考え。
過去、自らに起きた事象と、重ねてしまい。
「………」
「………」
再度の沈黙。
「…でも」
微かな声。ガラスに映る雨谷が、両手を強く握り締める。
「でも…僕は…これ以上…悪くなっていく破入を見ていられない…」
「……どうするというの…」
「聞いてみるよ。僕が、破入に。それでなにか…分かるかも、しれない」
激しくなってきた雨が、ガラスを叩く。采華はそこから視線をはずすと、直接、雨谷の顔を見つめる。
「……私も、一緒に。雨谷さん、私も」
「有難う…」
雨がいよいよ激しくなる。ガラス窓に雨粒が叩きつけられ、濡れ、落ちていく。
…破入は、まだ、戻らない。