第四話
翌日。
「そう。そんなことがあったの…」
小さく呟いたのは、雨谷の肩ほどの、小柄な少女。感情の薄い顔が、カウンタに寄りかかっている雨谷を見上げれば、色素が薄く長い髪が流れる。
破入と同じく、雨谷のカフェ、その階上で暮らしている少女、采華。
「幸い、小火ですんだらしいよ。ただ、この辺りは、まだ焦げ臭いけれど」
「ええ。だから不思議に思っていて…お店は平気そう」
通っている女学校が休みということで、朝から采華を交えて、カフェを開いている。
一般的な給仕服とは、少し違う服を着た采華を目当てにか、彼女が店にいる日は、あからさまに男性客が増える。
親友である泉が作製した、という給仕服を着ている采華は、開店直後の慌しさから、ひと段落すると、いつものように、雨谷との会話に興じていた。
「…雨谷さん」
「なんだい?」
会話が途切れたところで、人形めいた、感情の起伏が乏しい采華の顔が、店の片隅にある大きな空白へと向かう。
言わんとしたことを察した雨谷は、一つ頷くと、階上へと目を向けて応じる。
「破入、まだ寝ているみたいなんだ」
「そう…」
主に小物や家電の修理を請け負っている破入。
間仕切りで仕切られた作業場には、持ち主の見た目とは裏腹に、手入れされ、整頓された道具が並んでいる。
特に休みなどを設けていない破入は、大抵抱えている依頼が終わるまで、休むことはない。
からして、今日のように、昼近くまで定位置の作業場が空、というのは、かなり珍しい。
「…台の上…大きな、黒い羽…」
「えっ?」
物思いに沈んでいた、雨谷が、ふと我に返る。
突然放たれた、呪文めいた言葉の羅列。
聞き返そうとした雨谷を、見上げた采華は、目を伏せる。
「雨谷さん……見えないのね」
「それはどういう…」
「破入さんを、起こしてくるわ」
「え? ああ…」
前後に脈絡がない展開に、雨谷は疑問に思いつつも。
ふと、目を向けた時計の文字盤が、昼を指していることに気付くと、納得した様子で采華の背を見送る。
雨谷が視線を店内へと戻すと、采華の背を追っていた幾人かの男性客が、気まずそうにそっぽを向いて、揃って新聞や珈琲に手をつける。
露骨な態度に小さく笑うと、雨谷は視線をふと背後へ、どうしても撤去できず、置かれたままの鏡へ目をむけ…顔を強張らせた。
「…大きな…黒い羽…」
曇り一つない鏡に映し出されたのは、カフェ内部と、その奥に存在する、破入の作業台。
けども、その作業台上には、工具などなく、巨大な黒い羽が一枚だけ、置かれていた。
ここまで目を通していただき、有難うございます。