第弐話
ボォォゥ ボォォゥ
「………ん?」
前触れもなく、突然耳元に響いた重低音。気付き、破入の顔が上がっていく。
「………」
左右を見渡し。
「…気のせい、か」
呟く。
すぐ横に置かれた、仕切り板の隙間から確認できるのは、カフェで時間を過ごす客のみ。
破入が聞いた、重低音。それを出すような、楽器を持った客、仕草をした客は、いない。
なれば空耳、と結論付け、破入は顔を下げると、工具を手に、ラジオの修理に戻る。
「………」
けども、数秒せず作業に戻った顔が持ち上がる。眉を顰め、頭を大きく振る。
「………」
顔を下げる。
「………」
顔が、持ち上がる。何かを振り払うように、大きく左右に動く。
「…破入? どうしたんだい?」
「いや…」
その、違和感ある動作を繰り返す男に気付き、雨谷がやってきて、問いかける。
一時期よりは随分ましになった顔色で、人間らしい表情をした男。
破入が厄介になっている、このカフェの所有者で、経営者。薄幸そうな顔に、給仕服という姿からは、想像もつかない。
「気になることでもあるのかい?」
加えて、顔に似つかわしい、消え入りそうな、こちらが不安になりそうな声。
「…なあ雨谷、変な音が聞こえねえか?」
「変な音? どういう音だい?」
付き合いがそれなりに長い破入は、そんな男を前に、一度は、なんでもない、と首を振りつつ、気が変わったように、質問する。
「こう…なんつうか、やけに低くてやたらと響く…そうだな、汽笛が低く…なった…」
自らの喩えに、言葉は途切れ、顔が凍りついていく破入。
一方、雨谷はその変化に気付かなかった様子で、その青白い首を傾けて、すぐ横に振る。
「いいや。そんな音は聞こえなかったよ」
「……そう…そうか。俺の気のせいだな…」
「破入?」
「気のせい…偶々だ…」
動揺を誤魔化すように呟く男へ、雨谷は訝しげな視線を向ける。けども、友人の、破入の顔は、既に手元のラジオへ落とされている。
「悪いな、雨谷。詰まらないことで、邪魔した」
「え? いや、別に…」
会話のきっかけは、雨谷。だというのに、まるで自分が悪いかのような言い草に、雨谷の顔が困惑に染まる。
それに対し、何か言いかけた口も、破入が仕事に集中し始めたのを前に、自然、閉じていく。
何となく離れ難く、しばらく、友人の作業風景を見ていたものの。
「兄さん、お会計。頼むよ」
「あ、はい」
客からの呼びかけに、雨谷は、弾かれたようにカウンタに向かった。