第壱拾九話
数日後。
「最近、雨ばかり。憂鬱ですわあ」
「ええ、ええ」
「お洋服が濡れて大変よ、奥様」
「そうねえ。また、よろしくねえ」
「有難うございました…」
カウンタで曖昧に頷いた雨谷に気付く様子もなく、常連であるご婦人方が、会計を済ませて、店を出て行く。
小さくベルが鳴り、扉が閉まる。すれ違うように、采華の小柄な体が、現れる。
「おかえり、采華さん」
「雨谷さん、ただいま」
周囲の視線が制服姿の采華を捉え、一瞬だけざわめく。
けども、采華はそれらの注目に顔色一つ変えず、雨谷へ挨拶すると、いつものように階上へと姿を消す。
途端、諦念混じりの溜息が所々から聞こえ、雨谷は少しだけ口元を緩める。
いつもいつも、よくも皆、飽きないものだ、と。
「いらっしゃいませ…ああ」
再度ベルが鳴り、雨谷は音がした方へ声をかける。
そこに現れたのは、大きな包みを提げた白髪豊かな男性。
ある意味で、このカフェの常連客である老人に、雨谷の雰囲気が和らぐ。
「注文はまた後で頼むよ、雨谷君。破入君はいるかね?」
「はい。いつもの場所に」
老人の問いかけに、手で店の奥を示す雨谷。
仕切り板で区切られた区画へ目を向け、老人は嬉しそうに頷き、悠々と歩いていく。
「なんだ邪魔…また爺さんか」
「ほら、破入君、頼むよ。いつものようにな」
「…また時計かよ…勘弁してくれ…俺は直せないんだと…」
すぐさま、嬉しそうな老人と、うんざりとした男の声が聞こえてくる。
これまた、いつものやり取りに、今度は小さく笑うと、雨谷はそちらへ目を向け、耳を澄ませる。
「この間のあれだがな、どうも直してくれた上に磨いてくれたようじゃあないか。ご隠居が購入当時のことを思い出したと、喜んでな、また私に頼んできおった」
「……爺さんも十分……どっか田舎にでも引っ込んでくれ…」
「お陰で、私は仲介役でもないというのに、こうして日々君のところに…」
そして、いつものやり取りに、客の何人かが小さく肩を震わせる。
老人の身元を知っている人間もいて、それは呆れたような表情で部屋の奥へ目を向けている。
「そうかいそうかい…近くに時計の店が…」
「ほう、そりゃあいいことを……ご隠居も喜ぶ…」
「違う……俺が言いたいのは…」
しばらくのやり取りの後、仕切り板から、うんざりとした顔をした男、破入と、その背中を叩く老人が向き合って出てくる。
「そういうわけだ、また頼むぞ、破入君」
「……はあ」
「君、君。注文を頼むよ」
「はい…」
溜息交じりの返事も気にせず、老人は機嫌よく、やってきた給仕服姿の采華へと近寄っていく。
楽しそうな老人と、普段より幾分柔らかい表情をした采華を横目に、溜息をつきながら、破入は雨谷が立つカウンタまでやってくる。




