第壱拾八話
「いい加減目を覚ませ! 破入!」
「…あま…がい……?」
「ああ、僕だよ破入」
「………ああ…ってえ……」
雨谷の必死な呼びかけ。その何度目かに瞬きを返し、破入が友人の名を呟く。
その小さくも確かな声に、雨谷と采華は共に安堵し、雨谷は汗ばんでいた手を破入の肩から離す。
「なんだ、この匂い……待て、雨谷、おい。どこだ、ここ」
「それは僕にも分からないけれど…君がここにいるって、采華さんが」
「采華? どこだ?」
「後ろ…破入さんの…」
「…驚かせるなよ」
囁く声に、肩を震わせ、破入は怒ったように振り返る。
姿形は変わらぬも、先ほどまでとは打って変わっての態度を前にし、雨谷と采華は今まで張り詰めていたものを緩める。
「二人してどうした…? それに、この状況はなんだって…」
「僕も…分からないよ」
「分からねえ?」
「うん…ごめん」
「いや、お前が謝ってもな…」
雨谷の煮え切らない返答に苛立ちを隠さない破入。
首を振りつつ、正座していたことに気付き、その足を崩すと、頭を掻き…心辺りのない、湿った感触に、自らの手をまじまじと見つめ。
「…おい。これ、まさか血、なのか…?」
「……破入、まさか何も覚えていないのかい?」
赤く染まった手を前に、動きが止まる破入へ、雨谷はどこか確信を持って問いかける。
すれば、慌てたような頷きが返ってくる。
「覚えてるも何も、そもそも……ああ…くそっ」
静寂が支配していた空間に、破入の叫びが響き渡る。
そのまま、破入は腕組をし…そこすら濡れていたことに気付くと、眉を寄せ、舌打ちをする。
「全くもって、わけが分からねえ。そもそも、ここはどこだってんだ」
「それは…」
「それに、どうして俺は……血塗れなんだよ。頭も痛えし、胸焼けもしてくる…」
最後の台詞に、雨谷と采華二人が顔を見合わせ、視線だけでやりとりをする。
押し黙った二人も気付かず、破入は苛立ち混じりの声を上げ続ける。
「くそっ。最近おかしなことばかり起きやがる。それもこれも、あの音が聞こえ……そう、だ…音……」
ボォォォゥ ボォォォゥ
ボォォォゥ ボォォォゥ
破入の声にかぶさるように、近くから音が響き渡る。それは、低く長く、聞けば耳から離れない音で…
「雨谷、どけ!」
「えっ…うわっ」
「雨谷さん…っ」
途端、弾かれたように破入が動く。
眼前の、中腰で立っていた雨谷を押しのける。容赦なく突き飛ばされた雨谷を、采華が咄嗟に支える。
「雨谷さん…大丈夫…?」
「う、うん…有難う」
「そこか………うるせえんだよ…止んだと思えばまた…聞こえて…」
「うるさい? 破入、君は何を…」
耳を押さえ、頭を押さえ。
破入は何かを振り払うように、何かから逃れるように、全力で首を振り、前方を睨みつける。
粘り気のある空気を漂わせた空間で、突き飛ばされた雨谷は不審と共に見上げる。
…破入の叫びだけが響く、空間を。
「…そう……破入さんにだけ…聞こえる…」
「聞こえる? なに、が……」
「……黒い…声…」
「ここか……こいつか…」
眉を寄せ、社へと手を伸ばす破入。開かれた小さな扉へ、手が伸びていく。
そこには。
「あれは……っ」
破入に憑いていた黒い、大きな、鳥が。
それが、逆さに吊られ。
首が半ばまで切られ、赤い赤い血を流していた…
「……っ」
采華は目を伏せ、立ち上がった雨谷は、そんな采華の視線を遮るように、前へ出る。
同時に、破入が口にしたものの正体を正確に理解し、顔から血の気が引いていく。
雨谷と破入、二人が見ている前で、鳥から流れ出た血は、途切れることなく、置かれた杯へと滴り、溜まっていく。
生暖かい風が吹き、独特の臭気が一層強く、風に乗ってやってくる。
「いい加減……黙れ…っ」
恐れる二人とは逆に、頭を押さえた破入は、迷うことなく社へ、そこに吊るされたモノへと手を伸ばし。
ボォォォォォォゥ
三人の耳に、音が、響き渡った。
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……締めのような後書きですが、本編は、まだ続きますので、興味を引いた方、根性がある方、引き続きよろしくお願いします。




