第壱拾五話
姿見に映し出されたのは、頭を下げた、着物姿の女性、その後姿、のはずであった。
だが、雨谷の目には……全身から、無数の羽が飛び出た、人のようなナニカが映し出されていた。
赤い着物から無秩序に飛び出した、黒く大きな羽。女性の、塗れ羽のような髪からも、それが飛び出し、無残な姿を映し出している。
鏡から目を離せば、頭を下げたままの、着物姿の女性が。
鏡に目を向ければ、全身から黒い羽が突き出た異形の女性が。
どちらが本当の姿なのか。
「…けれど……あなたは…もう…」
雨谷と同じモノが見えているのか、いないのか。
「………」
変わらぬ采華の静かな声に、かすかな声が返ってくる。
うめき声のような、すすり泣く声のような。
尋常ではない異形の姿を前に、驚いていた雨谷も、その声を耳にし、一転して哀れむように女性を見やる。
「…もう…なりかけて……なりかけで…」
再度の、采華の声。一層、女性の、声にならない声が強くなる。
そして、胸が痛むような音を出しながら、女性は、ゆっくりと、黒い、長い、髪を、顔を、持ち上げていく。
「ああ……」
「……」
二人が見た像では、黒く塗りつぶされていた女性の顔。それが、二人の前にさらされた。
無数の羽が、突き刺さったようにしか見えない、顔が。
目も鼻も、耳も、口も。何もかもが大きな黒い羽に覆われ、元の姿など想像も出来ない。
それでも、女性は動き、肩を震わせ、声を上げる。悲しみと悔恨と、助けを請う声を。
「………」
「……」
雨谷も、采華も、何も返せない。深い想いを宿した声に、何の言葉も返せない。
異形と化していた女性は、恐怖ではない感情を持った二人の反応を前に、音を止める。
次いで、すっと立ち上がったかと思えば、空間の奥へと向かう。
そこに現れたのは鉄扉。
黒々とした重厚な、鋼鉄の扉。それに手を掛け、押し開いていく。
「あ、有難う…」
「………」
黒く艶のある扉が、鈍い音を立てて開かれていく。開けた空間は、更に薄暗く、長く続いている。
扉を開き着きった女性は、動かない。
采華と雨谷はそれぞれの表情で女性に礼をいい……采華は、女性に歩み寄ると、自らの手を、黒い羽が飛び出た手へと重ねる。
「あなたは……」
じっと、顔を見つめ。強い光を湛えた目を、黒羽に侵食された顔に向け、小さく、けれど強く言葉を続ける。
「………」
かすかな声に合わせ、采華の背後で、雨谷も強く、頷く。
すれば、着物の女性は身を震わせ。
「…と……う……」
かすかな声が聞こえたと思えば、直後、その顔が崩れていく。
砂が流れていくような音と共に、顔が、首が、肩が、胴が……采華が握り締めていた手が、足が。
全てが黒い羽となり、床へ積もっていった。
「…………」
全ては一瞬のこと。
手を下ろし、女性の成れの果てである羽の山を、じっと見つめる采華。そっと、雨谷がその腕を掴む。
「雨谷さん…」
「………行こう」
振り返った采華に頷いてみせ、雨谷は、広がる闇に足を向けた。




