第拾壱話
「………ここ、は」
「………」
気付けば、二人の耳に入ってくるのは、草が風に煽られてなびく音。虫の、かすかなざわめき。
足にかかるのは、草の感触。全身にまとわりつくのは…粘ついた暖かい空気。
月明かりに煌々と照らされたのは、どこか腐った匂いを漂わせる、日本家屋の玄関。
「破入の部屋に、いたはずなのに…」
「いるわ…破入さん…ここに」
眼前に広がる光景を前に、呆然と呟く雨谷に対し、采華は人形めいた容貌を前方に固定する。
確信めいた呟きを耳にして嫌な予感に震えた雨谷は、強張った顔を采華に向ける。
「こんなところに? どうしてそんなことが…」
「奥よ……行きましょう」
「奥…」
「雨が…降ってくるわ……」
一方的に言い、雨谷の返事も待たず、采華は恐れることなく廃屋へと足を踏み入れる。
残された雨谷は躊躇い、帰り道はと振り返るも、夜の森が広がっているのを目の当たりにし、慌てて続く。
完全に灯りが落ちた屋内。とはいえ、ところどころ月明かりで照らされ、最低限の視界は確保されている。
薄明かりの中、二人は土足のまま、どことも知れない場所へあがりこむ。
「采華さん、ここがどこだか…知っているのかい?」
「いいえ…けど……破入さんは、ここに」
所々朽ちていて、そして所々真新しい屋敷。その、ちぐはぐさに、雨谷は眉を寄せ、采華の背についていく。
床が軋み、鈍い音を立てる。穴が開いた襖は汚れ、障子紙は剥がれ、床に伸びている。畳は所々が剥げ、中には穴が開いているものさえある。
一方で、建てられたばかりのような綺麗な廊下が続き、壁もまた、綺麗な木目を晒している。
「………」
「………」
無言で、二人はゆっくりと進む。静かな空間に、二人が立てる雑音が、混じる。
しばらくして、ふと、青白い二人の顔が外へと向く。
「雨…降ってきた…」
「ええ…」
足音に、細かい音が、加わる。幸いにして、天井は痛んでない様子で、雨漏りする気配はない。
風もなく、開け放たれた縁側だけは少し濡れているものの、屋内には吹き込んでこない。
雨音に侵食された、月明かりに照らされた廃屋。
慎重に、慎重に歩く二人の視界に、時折入るのは、崩れかけた家屋や家財だけではない。
「……」
「……羽だ…僕らが見た…」
ある部屋には、無数の黒い羽が積み重なり。またある部屋には、点々と黒い羽が落ちている。
廊下にも、箪笥や棚の上にも、あらゆるところに存在する、黒い、大きな、羽。
「鏡もないのに…見える」
「………」
雨谷は呟くと腰を屈めて、落ちていた羽の一つを取り上げる。
確かに実体を持ったそれを手に、表を見、裏を見。手近な棚へ、戻す。
「本物だ。でも…どうして」
「……分からない…」
二人して首を振り、先へ進む。
すれば、細く長く続いた廊下、その突き当たりに、扉と、脇に上へと続く階段が、現れる。
「……真っ直ぐ…行きましょう」
「うん…」
階段に目を向けた雨谷は、采華の、その言葉に頷くと、階段を通り過ぎ、突き当たりにある、金属製の引き戸に手をかけ。
がたり、と音が。
背後から聞こえた。
「っ」
「………なに…」
即座に雨谷と采華、四つの目が、背後に向かう。
じいっと、息を潜めた二人の視線の先。
「………」
「………」
何もない。
ただ、階段があり、通路が暗闇へと伸びている。
音を立てるような物は、二人の視界内には、存在しない。
「…気のせいみたいだ……行こう」
「…ええ……」
冷や汗に、うるさいほど鳴り響く心音。嫌でも緊張が増していく。
血の気が引いた顔の雨谷が、自らに言い聞かせ、再度引き戸に手をかける。自然と、采華は、背後にある階段を注視する。
采華の背後で、鈍い音を立て、重厚な金属製の引き戸がずれ動いていく。
「開いた…行こう、采華さん」
「……ええ…」
音がやみ、しばらくしても二人は動けない。
さらにしばらくして、ようやく、二人は引き戸の先へと、開かれた空間へ足を伸ばし。
二人の姿が消えてすぐ、雨谷の手によって、扉が閉ざされていく。
…その、耳障りな音に重なるように、階上から。
がたり、がたり、と音が。




