第七章 犬
美咲は焦れていた。二十五番に頼んだ西園寺雫の調査は一向に進まない。西園寺について、特筆するべきことは彼女の父が既に事故死していることくらいだ。それ以外は極めて一般的な女子高生といえる。父親の保険金のおかけで金は有り余っているそうだが、母親は専業主婦に収まる気はなかったらしくパートで働いている。母親の仕事はスーパーの会計。ちなみに、死んだ父親は製薬会社で働いていたらしい。
そこで、美咲は西園寺雫を学校以外のところに誘い、西園寺の情報を集めようとした。学校で見せなかった顔を見せるかもしれない。
「え、っと。杉野さんは行きたいところとかありますか?」
「いや、特にはない。西園寺さんに任せる」
「え、えー」
美咲は西園寺雫についてこう考えていた。西園寺は十三番の祖国の工作活動を目撃してしまったのではないか。例えば、要人を暗殺したときに車を見られたとか。しかしそれなら、殺してしまえばいい。生け捕りにしたり、学校に潜入したりする理由は説明がつかない。
「あの、映画でいいですか」
「いい」
「私、見たい映画があるんです」
西園寺が目撃したもの。わざわざ生け捕りまでする理由。大いに気になる。恐らく、些細なことだろう。西園寺はもう忘れてしまっているかもしれない。実際、人の記憶と言うものは曖昧だ。だから話しているうちにひょっこり思い出し、口にするかもしれない。西園寺の記憶だけでは全体の情景が見えてこないかもしれない。しかしエージェントである十三番の知識というパズルのピースをぴたりとあてはめれば、見えてくる景色があるかもしれない。
「あの、杉野さん?」
「何?」
我にかえった。そうだ。今は食堂で美咲は西園寺と昼食をとりながら話し込んでいたのだ。
「何が見たいの?」
自分から誘ったくせに、心ここにあらずといった状態の美咲を西園寺は訝しげに見てくる。慌てて話題をそらす。
「子犬のジョンです。誘拐されたわんちゃんが飼い主の元に帰るまでの感動作です」
「…それ、ネタバレじゃないか?」
「ネ、ネタバレじゃないです。様式美ってやつです」
「オチが分かっている映画って見て楽しい?」
「少女漫画だって最後ヒロインとヒーローが結ばれるって分かっているのに見るじゃないですか。少年漫画だって最後は主人公が勝つって分かってて見るものです」
「様式美か」
しゅんと落ち込む西園寺。
「もしかして、嫌ですか」
今のところ、西園寺の不興を買うのは得策ではない。美咲はすかさずフォローする。
「いや、それがいい。私も犬好きだし」
「え、わんちゃん好きなんですか」
美咲は言わなくてもいいところまで言ってしまったと後悔した。
「いや、そんな好きっていうかなんというか。まぁ、嫌いじゃない」
実は美咲は犬が大好きだった。しかし好きだと公言するのは、硬派を気どっている美咲にとっては恥ずかしい。生温かい眼で見てくる西園寺に初めて苛立ちを覚えた。軽く顔を赤くしながら、テレビを見る。
私立和桜高校には、食堂にテレビがある。これ規律に厳しい和桜にしては珍しい。食事中にテレビなんて行儀が悪いと怒られそうなものだ。しかし著名な卒業生が百周年の祝いか何かで買ってくれたもので、どこかに置かないと角がたつとか。
それで全校生徒が使うこの学生食堂にテレビが置かれたのだ。そのテレビは今、コマーシャルを流している。
「もしかして今のやつ?」
「はい、それです」
なるほど、主役はゴールデンレトリバーらしい。演技派と言われる子役が飼い主役で泣いていた。ダイジェストのコマーシャルでもだいたいの内容が分かる。
コマーシャルが終わると、ニュースが流れ始めた。そのニュースではまた薬物中毒者による殺人事件が起きたと伝えられていた。
とりおさえられ、尚も暴れる犯人の映像が流れている。その様子は異常だった。唾液をたらし、眼を血走らせ、何事か唸りながら手足をバタバタ動かして暴れている。美咲は狂犬病みたいだなと思った。警察官が五人がかりでおさえつけ、なんとかパトカーにいれた。
美咲は西園寺の様子を何の気なしに見た。西園寺は唖然としていた。口をあけ、眼も大きく見開いている。
「どうした?」
思わず声をかけた。
声を上ずらせなが、西園寺は答えた。心なしか顔も青ざめている気瓦する。
「私、知っています。この人、見たことがあります」