第五章 勉強
「お、おはようございます」
西園寺の朝の挨拶はぎこちなかった。美咲は考え事をしながら、素っ気なく「おはよう」と返した。隣の席同士ということもあり、二人が会話することに違和感はない。美咲はある決心をして西園寺に自分から話しかける。
「あの、西園寺さん、教えてほしいことがあるんだけど…」
「は、はい。私に分かることであれば…」
「西園寺さんって日本史得意?」
「苦手ではないですけど…」
「じゃあ、教えてくれない?」
昨日二十五番にからかわれてから、ずっと考えていたことだった。美咲は学校の授業についていけてなかった。この学校はどうやら生徒に指名して解かせることもあるらしい。昨日は転校生ということで遠慮されていたが、これからは当てられることもあるだろう。その時に答えられないのは恥ずかしい。別に任務には何の影響もしないが、もともと美咲はかなりプライドが高いタイプなのだ。
それに西園寺に勉強を教えてもらうのは監視対象を手元におくという意味でも有効だ。そんな打算込みの美咲の提案だったにも関わらず、西園寺は明るい顔をした。
「もちろん、いいですよ」
美咲は面食らった。西園寺にこの提案はデメリットしかないはずである。なのになぜそんなうれしそうな顔をするのか。美咲には理解出来ない。まぁ、美咲にとって悪い話ではないので前言撤回されないうちに「ありがとう」と返した。
放課後に図書館の隣のグループ会議室という場所で、と決まった。この学校にはグループ会議室と言われる四畳あまりの部屋があるらしい。グループ会議室は20室近くあり、ここは生徒が許可をとれば個室として使えるのだ、と美咲は西園寺に説明された。本来は部活や委員会、文化祭の集まりで使われるのだか、先生と仲よくなって使えるようになったといって照れたように西園寺は笑った。
昨日と同じような授業が終わり、昼休みは二人で黙々とご飯を食べ、放課後になった。
美咲と西園寺は二人でグループ会議室のなかに入った。少し手狭に感じるが、美咲は無駄に広々した空間が苦手なので丁度良かった。グループ会議室には小さなテーブルが一つあり椅子は4つあった。二人で使う分には充分たりる。
「私、ここ誰かと入ったの初めてです」
「いつも一人で使っているの?」
「はい、自習しているんです」
「偉いね」
「そうしないと授業についていけないですからね」
そういえば、と西園寺は話題をかえる。
「日本史苦手何ですか?」
「ああ。数学は得意なんだけどね」
つい、負け惜しみがでてしまった。数学はあまり言語が関係ないので得意なのは事実だ。
「私も文系科目は苦手です。暗記科目の日本史はできるんですけど」
「へぇ、理系なの?」
「はい、生物に興味がありまして」
「生物って、例えば?」
「鳥が好きです。去年も自由研究は鳥の集団ヒステリーについて書きました」
「ふぅーん」
「人間以外の生物って、利害関係で動いているじゃないですか。分かりやすくて好きなんですよね」
「ひねくれてるな」
くすっと美咲は笑った。すると西園寺は目をしばたかせて言った。
「笑った…」
「え?」
「初めて見ました。杉野さんが笑ったところ」
「そうか?」
「そうです」
「というか、私が人間関係は有益か有害かとか話したから友達になろうって言ってきたのか?」
「す、すみません」
「まぁ、価値観が一致するということは人間関係の基本だな」
西園寺は美咲の言葉の意味を考えるようにして黙り込む。少し考えてから口を開く。
「人たらしって言われた豊臣秀吉、いるじゃないですか」
「ああ。知ってる」
「私にはむしろ人に嫌われる才能があるみたいなんですよね」
「…」
「佐藤さんに嫌われているのは私が佐藤さんの友達を傷つけたからなんです。でも、私はどうしてその子が傷ついたのかいまでもよく分からないんです」
「価値観の不一致のせいだと?なるほどな。だから私に友達になろうって言ってきたのか。でも価値観が一致しているから理解しあえるわけではないだろう。実際に私は君にだって、私の最も重要なものを理解してもらえるなんて思っていないさ」
「杉野さんの最も重要なものって?」
「復讐」
「え?」
「なんてね。冗談はここまでにして勉強をしようか」
戸惑った西園寺に、美咲はにこりともぜすにそう言った。