第十一章 校長室
西園寺が呼び出されたため、私立和桜女子高校の校長室の前に美咲は立っていた。ドアの前に立つと、どこか懐かしい匂い。美咲は鼻の良さに自信があるわけではない。それでも、この匂いは知っている。何の匂いだろうかと思い出そうとしてする美咲に頓着せず、西園寺はノックをして入ろうとする。「どうぞ」やけに若々しい声がする。ここの校長はこんなに若かっただろうか?
「ひっ」
ドアを開けた瞬間、西園寺が咽をならした。悲鳴をだそうとして失敗したのだろう。西園寺はそのまま、慌てて校長の元に駆け寄る。
胸元から血を流している白髪の男性。糊のきいた高そうなスーツを着ている。恐らく、何らかのブランド物なのだろうと感じさせる。しかしそのスーツは彼自身の血で汚れ、もう着ることはできそうにない。そもそも彼自身が、もうスーツを着れる状態ではないが。
「こ、校長先生…」
西園寺は校長に声をかける。校長は見開かれた眼が虚ろで、明らかに生きている状態ではない。椅子に座ったままだが、死んでいるとはっきりわかる。しかし西園寺はそれに気がつかないのだろうか、もしくは気がついた上で現状を受け入れられていないのか。そろりそろりと校長の側に近づき、彼の肩を揺らす。
美咲はそんな西園寺を後ろから押した。
「危ない」
「きゃぁ」
西園寺が美咲に押された衝撃で倒れた。柔らかそうカーペットの上に倒れたので怪我はないだろう。美咲はそう考え、西園寺を無視してゆっくりと男と向き合った。
「えっ」
美咲に押された衝撃から立ち直り、後ろを振り返ってようやく西園寺はこの部屋に自分と美咲と物言わぬ校長以外の存在を発見したらしい。
若い男。年齢は20代から30代くらいだろう。人畜無害そうな笑顔を浮かべている。髪をワックスで固めスーツを着ている様子は、この場所が学校であることもふまえると新人教師にも見える。
ただし彼がその手にスタンガンを持っていなければ。まだその機械はバチバチと音をたてている。
美咲は西園寺の男の間に割り込むように立った。
「普通、死体に目がいってこっち気がつくの遅れるはずなんだけどねぇ」
男は至極呑気そうに言った。
美咲の陰に隠れる形になっている西園寺は頭が働いてきたらしく、
「あ、あなたが先生を…」
と言った。しかし声も小さく、歯がガチガチと音をたてているため男には聞こえなかったらしい。
「ん?何?」
「お前が殺したのかと聞いているぞ」
時間稼ぎの意味も込め、美咲が改めて問い直す。
「うん」
晴れやかな笑みを浮かべて、男は頷いた。
「こういう風になりたくなかったら、どいてよ。お嬢さん」
男は変わらぬ笑顔を浮かべたまま美咲にそう告げた。
「…素直に言うこと聞いたら、殺さないでくれるのか」
「もちろんだよ」
「嘘つき」
美咲はそう吐き捨てて制服の中に隠し持っていたナイフを、後ろに投げつけた。校長室の机から這い出てきた男に当たりそうになる。すんでのところでその男は避けた。男は拳銃を美咲に向けていた。
しかしナイフを避けたことで、拳銃の焦点が美咲からそれる。
美咲はそれを確認すると、煙幕弾を投げた。そして、美咲は西園寺の腕を掴む。
「立て。走るぞ」
西園寺に向かって美咲は言った。
校長室の前で嗅いだ匂いが何の匂いか思い出した。血と硝煙の匂いだ。