よくある貴族のお見合い風景
◇その後の旦那視点
「今、戻った」
「お帰りなさいませ、旦那様」
……あぁ、まただ。
結婚から半年以上が経過した今でも、彼女は挨拶代わりの口付けに慣れないらしい。
どうも、あちらの国にはそういった習慣が無かったようで、軽く触れる程度だと言うのに彼女はいつも薄く頬を染めるのだ。
何とか照れを隠そうと努力する姿は、中々可愛らしいのではないかと思う。
直下の筋肉にさえ目を瞑れば……だが。
「コート、お預かりいたします」
「あぁ。
私が留守の間に何か変わったことは無かったかな」
「そうですね。
先日、お義母様にお送りしたバルア骨の杖ですが……。
かなり気に入っていただけたようで、礼状と共にコフナク酒が一ケース贈られて来ております」
「なるほど。では、さっそく本日の夕食にでも……」
「はい。そうおっしゃると思って、すでに厨房に伝えておきました」
「そうか。ありがとう」
結婚後に分かったのだが、グィンネヒア嬢は思いの外貞淑な女性だった。
見目と趣味を除けば、彼女は実に公爵令嬢然としており、育ちの良さを嫌でも感じさせられた。
常に控えめで、私の隣に並ぶことはけして無く、淑やかで、気配りに長けており、社交的で、芸術方面にも明るい。
屋敷の使用人たちも短期間の内に完全に掌握されてしまった。
あの逞しすぎる肉体を除けば、完璧かつ理想的な女主人であるように思う。
しかし、無駄で隙だらけだとばかり思っていた貴族作法も、彼女にかかれば総じて攻撃の予備動作に見えてくるのだから不思議だ。
「他には何かあったかい」
「はい。ラッケルマン伯爵様より晩餐会の招待状が届いております。
こちら、カイゲムの繁殖期と重なっているようですが、いかがいたしましょう」
「あぁ、ラッケルマン殿か。
彼の招待ならば、出来れば受けたいところだね。
そうだなぁ。
君もいることだし……今年は早めに狩りに出ようか」
「……かしこまりました」
瞬間。妻の身体から圧倒される程のオーラが迸った。
令嬢に使うには少々躊躇われるが、彼女は今にも獲物を食い千切らんとする獣のような、ひどく獰猛な笑みを浮かべていた。
常に夫としての自分を立ててくれる妻だが、たったひとつ。戦場では、互いの立場が逆転してしまう。
彼女の指揮能力、気配察知能力、咄嗟の判断力に戦術知識。
それらが抜きんでているために、そして、その身に纏う圧倒的百戦錬磨オーラのために、たかが女と侮り、それを将として頂くことに疑問を抱くような兵は一人も現れなかった。
そもそも、グィンネヒアは武器を持つと性格が変わってしまうタイプのようで、さながら存在そのものが凶器と化したかのような彼女に対し、正面から楯突こうなどという命知らずが出るはずもなかったのだ。
「二時の方向に伏兵! 数は約十体!
第二、第五部隊は蹴散らして来い!!」
『ザィッ!!』
「群れのボスは我ら夫婦が引き受ける!
雑魚共は左右から囲み込んで徹底的に叩け!
一体たりとも逃がしてはならん!」
『ザィッ!!』
「第七部隊がヤツらの背後に回り込むまであと十! 九! 八!
ッ今だ! 突撃ぃーーーーーーーッ!!!」
『ォオオオオオオオオオオオォオオオ!!』
「ジぃール!」
「甲、筋二段階低下残り四十!
反応強化残り三!
かけ直次第、光弾支援に入る!!」
「上等!!」
ニヒルに笑い、それから獣のように駆け出した妻の背を、見失わぬよう追いかける。
楚々と控えられるよりも、実はこうしてその広い背を追っている方が落ち着けるのだと知れば、彼女は何と思うだろうか。
趣味を除けば、一般的な令嬢とそう変わらない感覚の持ち主でもあるから、案外傷つくこともあるかもしれない。
だとすれば、やはりこれは墓まで持っていくべき秘密であるのだろう。
一際大きな魔獣の血しぶきを浴びながら高笑いを上げる妻を、目を細めながら見つめる。
見合いに始まり、利害の一致でまとまった夫婦ではあるが、私は今ここに確かな愛情が育まれていることを感じていた……。