醜悪ツガイ
夫婦二人の子育て話……と、おまけ?
「こら、ヤンチャ坊主。またエダハを困らせているな?」
「やぁーーーーっ」
ドッド・ズーの腕の中で、釣り上げた魚のように激しく跳ねる幼児。
獣人はニンゲンよりも成長が早いらしく、夫婦二人の子であるグゥイは、一歳児にしてすでに二歳児半並みの体格と知恵を獲得しているようだった。
ホルフ族寄りの狼に近い見た目だが、母の血を継いだか、毛色は茶に近い黒。
側頭には一族とも両親とも異なる羊のごとき巻き角が生えている。
また、ドッド・ズー同様に尾がなく、背には蝙蝠似の翼が生えていた。
しかし、彼の翼は父のソレより大きく、教えてもいないのに羽ばたき行為を覚えた幼子は、少し前から興奮すると同時に危険飛行を繰り返している。
宙に逃げられれば、か弱い人の身であるエダハに捕まえる術はない。
縦横無尽に暴れて回る息子に、彼女は日々ほとほと手を焼かされていた。
「……トンビに鷹の育て方は分からぬ」
ドッド・ズーがぶすくれる息子を抱えて床に足をつけば、フラフラと椅子に腰かけたエダハが、テーブルに上半身を突っ伏して呟く。
「エダハ、あの、そう落ち込むな」
「うぅ、成長の過程におけるイヤイヤ期。
理屈では知ってたけど、まさかこれ程とは……」
グロッキー、エダハ。
基本的には育児による心身の疲れなのだが、危険生物の多さで趣味の独り登山も封印され、物理的距離の問題で友人と愚痴大会を開けるような機会もなく、よって、彼女のストレスは発散されず溜まっていく一方なのだった。
これで、ドッド・ズーが気遣いに長けた夫でなければ、エダハはとっくに限界の時を迎えていただろう。
「良ければだが、明日の見回りついでに一緒に例の花畑まで行かないか」
「はなぁしてぇーーーーグゥとぶのぉーーーーーっ」
「大丈夫だ、泣こうが喚こうがこのヤンチャ坊主の面倒は俺が見るから」
「ドッド・ズー」
ツガイの優しさが沁みる、と目を潤ませるエダハ。
「これでも、人間の子と比べると楽なんだろうけどもねぇ。
授乳間隔も早々に延びたし、鳴きはするけど泣くってことがとにかく少ないし、やたら頑丈で病気もあんまりしなければ、毛皮があるからいっそ全裸で放ってても問題なくて、外出の時だって靴もいらない、離乳食もドッド・ズーの食事と同じ果物や木の実を擦ったり煮て潰したりするだけでいいし。
何より、山の中だからご近所を気にしたり、妙なちょっかいかけられたり、口出しされたりってこともない。
でも、急に四足で駆け出されたり空なんか飛ばれたら、この子に何か危険があったところで助けてもあげられない。
一人で気を揉みすぎだって、頭では分かってるんだけどねぇ。
つい、悪い想像ばっかりしちゃって」
小さく苦笑する彼女は、夫の腕に囚われたまま不機嫌に頬を膨らませている息子の額をこしょこしょと指で擽った。
やがて暴れ疲れたのか、グゥイはほんの数秒前の様子が嘘であったかのように、うとうとと船を漕ぎ出す。
そんな我が子を慎重に抱え直してから、ドッド・ズーは頭部を俯かせて、酷く沈んだ声を発した。
「……すまない、エダハ」
「えっ何?」
エダハが驚いて夫を見上げれば、続きとなる言葉が緩やかに降ってくる。
「醜い俺が相手でさえなければ、もっと乳母なり家政士なり頼んで楽をさせてやれただろう。
医師や薬師から遠い山奥で、憂いと共に暮らすこともなかっただろう。
貴女の苦労は俺のせいだ」
「ええっ、そんなこと考えてたの?」
この辺りは、仮にも彼が族長の息子という立場に生まれた存在であるからこその発想だ。
使用人がいて当たり前の家庭に育ったドッド・ズーは、全てを己で行わなければならない過酷な環境に最愛の妻を置いているという事実を、ずっと負い目に感じていた。
「もう、バカ。
生活面の不便とか、そもそも最初から全部込みでドッド・ズーのツガイになりに来たっていうのに。
というか、その乳母なり家政士なりの仕事は貴方が率先してやってくれてるでしょう?
いつの間にか私の食事まで作れるようになっちゃってさ。
医師や薬師にしたって、必要な時は文字通り飛んで連れて行ってくれるじゃない。
ドッド・ズーとツガイになって後悔したこと、私、今まで一度だってないんだからね?
むしろ、毎日毎日、感謝しかしてないって言った方が正しいかな。
だから、ホラ、ね? そんな暗い顔しないで」
優しく語りかけながら、エダハは両腕を伸ばして、広げた手のひらで醜い夫の頬を包む。
「エダハ……」
ツガイの慈悲を受けて、彼はじわじわと黄の瞳に涙を溜めていった。
やがてポロリと一粒滴が零れると同時に、醜悪な己の身に余る望外の僥倖を噛み締めたドッド・ズーが小さく小さく呟く。
「愛してる」
かすかに震える声で吐き出された告白を、エダハはただ幸福そうな微笑みと共に受け止めていた。
おわり
◇おまけのセリフ集
グゥイ三歳(人間なら六歳相当)の頃の夫婦の会話
「里の学び舎に通わせるにあたって、本格的に手加減を覚えさせないとね」
「そうだな。グゥイは俺に似たか、妙に身体能力が高い。
万一、誰ぞに大怪我でも負わせれば、互いの心も深く傷付くことになるだろう」
「ということで、私がグゥイにわざと怪我をさせられるように動いて、大げさに痛がってみせることで、あの子の心に軽いトラウマを植え付け、自然と力の行使を躊躇うようになるよう仕向けたいと思います」
「はぁ!?
なんっ、待ってくれ、何故その様な極端な方法を!」
「ただダメだって教えるだけじゃ、ちょっと何かに夢中になっただけですぐ加減なんか忘れちゃう。
それに、例え、グゥイが良い子で言いつけをしっかり守ってくれたとしても、何で自分だけこんなに我慢しなくちゃいけないんだって不満が溜まって、いつか爆発しちゃうかもしれない。
だから、自らの意思で、心から、それが必要なんだと考えられるようになって欲しいわけ」
「しかし、何もエダハが怪我など負わずとも!」
「先回りで言うけど、ドッド・ズーには無理だからね。
あの子だって、バカじゃない。父親の頑丈さなんて、とっくに知ってる。
私しか適任がいないんだから、悪いけど我慢してくれないかな」
「俺にツガイの危険を見逃せと言うのかっ」
「あーあー。そんな、泣きそうな顔しないでよ。
じゃあ、ほら、アレ。もしもに備えて、隠れて見守ってたらいいじゃない。
ドッド・ズーが傍にいてくれるなら、想定外の事態にも対応できるでしょう?」
「エダハ、エダハ、頼む。他の方法を考えよう。
そう効率ばかり重視するものじゃあない。
それに、慕う母を傷付けるなど、グゥイも可哀想だ」
「えええー。もぉ、しょうがないなぁ。
一度こうなると、本当に頑固なんだから。
今回は折れてあげるけど、過保護すぎても人はダメになっちゃうんだからね?」
グゥイ六歳(人間なら十歳相当)の頃の母と子の会話
「皆、醜い父上を嫌ってる。
僕はもっと、ホルフの族長様みたいな自慢できる人の子に生まれたかった。
ねぇ、母上はどうして父上とツガイになったの。
ニンゲンは獣人みたいに運命なんて感じないんでしょ」
「どうしてって……そんなの、ドッド・ズーが世界で一番いい男だったからに決まってるじゃないの」
「なにソレ」
「そりゃあ、私もアナタの父上の容姿が醜いものだと知ってはいるけれどもね。
自分に責任のないことで小さな頃から他人に散々虐げられておいて、誰一人恨みも憎みもせずに、その経験を弱者への優しさに変えられる……そんな強くて綺麗な心を持った人なんて、ドッド・ズー以外どこにもいないでしょう?」
「…………」
「それに彼は知的で頭の回転が早くて気が利いて、性格は誠実で真面目だけど硬すぎず柔軟な思考を持ってて、そのくせ身体能力も高いから一緒にいると安心できて、あと、いつだって自分より私の気持ち優先で動いてくれて、普段は冷静沈着でカッコいいのに、やたら純情ですぐ赤くなるところなんか凄く可愛いし……あ、そういえば知ってる?
いつもの花畑とか川とかホルフの里なんかに続く家の前から延びてる小道、あれドッド・ズーが私とアナタのために作ってくれたんだよ。
というか、そもそもの話、見慣れてしまえば、あの顔だって愛嬌があって悪くないと思う」
「ウソだぁ」
「ホント、ホント。
出会って最初の頃は、異種族だからお互いそういう相手としては対象外だろうと思ってたけど、実は運命のツガイなんだって知って、それで考えたら余裕で有りだって結論になったし、彼みたいな綺麗な存在が生まれ持った姿かたちのせいで孤独のままっていうのも忍びなかったから、私から求婚したんだよ。
で、グゥイは父上のこと嫌いなの?」
「…………ううん」
「そっか。
ま、気持ちは理解できなくもないけどね。
自己承認欲求の高まってくる年齢で、自分という個の非でもないのに他人に悪意をぶつけられる、その要因となる存在を疎ましく思っちゃうのはさ。
人は人、自分は自分と完全に切り離す程には、まだ精神が確立されきっていない段階なんだろうねぇ」
「難しいこと言って一人で納得するの、母上の悪い癖だと思う」
「おっと、ごめんごめん。
ただねぇ、グゥイ。
さっきの自慢できる親が良いっていうのは、できれば父上の前では言わないであげてくれる?
アナタの言う通り、ドッド・ズーは醜くて、皆から嫌われてる。
それだけでも辛いことなのに、自分の子どもで大好きなグゥイにまで酷いこと言われちゃったら、きっとあの人は悲しくて泣いちゃうだろうからさ。
ね。父上のこと嫌いじゃないなら、お願い」
「……わかった。父上には言わない」
「うん、ありがと」
グゥイ十三歳(人間なら十八歳相当)の頃の親子の会話
「父上、母上。長らくお世話になりました」
「うむ。良い風に恵まれるよう祈っているぞ」
「お相手が見つかっても見つからなくても、一度ぐらい帰ってきなさいね。
それと、もし何らかの事情で落ちぶれちゃった時も、合わせる顔がないだの思わず戻って来ること」
「ええと、母上。我が子をもっと信用して欲しいんですけど?」
「もちろん、アナタが立派に育ったことは知ってる。
でも、人の悪意には限りがないから……どうか絶望だけはしないでね」
「エダハ、あまり脅すようなことばかり言うのは良くない」
「ん、そうだね。ごめんね、グゥイ。
あっ。旅をするにあたって、これだけは守って欲しいんだけど……聖都ドラグィロードとココッカの里に行く時は絶対にエダハの子だってバレないようにしなさい」
「は?」
「えっ」
「十年ちょっとしか経ってないんじゃ、まだホトボリも冷めてないかもしれないから。
くだらないイザコザで時間を無駄にしたくなかったら、絶対、余計なことを言わないように」
「待って。一体何をやらかしたの、母上」
「エ、エダハ?」
「ちょっと、二人とも変な目を向けて来ないでよ。
言っておくけど、私が妙な問題を起こしたとか、罪を犯したとか、そんな話じゃないからね。
つまらない厄介ごとに巻き込まれて、その結果、関わりたくない存在が出来たってだけ」
「……貴女がそう口にするからには、相当な迷惑を被ったのだな」
「えっと、とりあえず、よく分からないけど分かった。
ドラグィロードとココッカね」
「そう。忘れないでよ」
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「あーぁ、本当に行っちゃった。
いくら成人したって言っても、十三で親離れは早すぎるわ」
「俺とエダハの子だ。立派に生き抜いてくれるだろう」
「そうだといいけれどねぇ、ドッド・ズー」




