ストーカー彼氏マジガチ系
二人が結婚後の小話です。
「イッくん」
ヒロナがノックなしに夫の部屋のドアを開ければ、薄暗い室内に光が射して、壁や天井一面にビッシリと貼られた自身の写真が彼女を出迎えた。
ここはイスケがヒロナを監視盗聴するため又は気まぐれに仕事をこなすための機材が揃った彼専用のコンピュータルームだ。
ちなみに、常に動向を見守られている新妻であるので、入室の際、わざわざ部屋の主に都合の確認を取る必要がない。
何台ものモニターに囲まれた彼は、右手をキーボードの一つから離さずタイピングを続けたまま、生ヒロナへと目を向けた。
「い、いってらっしゃい。
外は、危険がいっぱい、だから、き、気を付けてねぇ」
特に要件を告げられずとも新妻の全てを把握しているイスケは、確信をもって彼女の求める言葉を吐き出し与える。
もちろん、年季の入ったストーカーの予測が外れるわけもなく、ヒロナは微笑みを浮かべて夫の元へ歩み寄り、彼の薄い唇へキスを贈ると同時に至近距離で瞳を見つめたまま返答を口にした。
「うん、ありがと。いってきます」
「ヴォッ!」
愛の過剰供給により心臓を抑えて蹲るイスケ。
この程度の反応はいつものことなので、ヒロナは一切狼狽えず、仕事へ向かうために踵を返した。
日によっては、以前のように彼女の後を距離を開けてつけ回すこともあるイスケだが、今日は画面越しに見守る気分らしい。
さて、二人の新居である二階建て一軒家には、室内から玄関先まで敷地内に一切の死角を作らぬよう執拗に監視カメラが設置されている。
そして、その映像は、夫婦の所持するスマホやタブレットでも簡単に確認することが出来るようになっていた。
通勤の合間や仕事の休憩時間には、リアルタイムの夫の姿を映して眺めるのが、二人暮らしを始めてからの彼女の習慣となっている。
昼休みなど、いっそ電話のひとつでも掛けてやれば良いものを、互いに互いの姿をただ黙って見つめているだけというのだから、中々に歪な夫婦であった。
一応、自宅に設置されたカメラの映像のみを視聴するヒロナはまだ合法範囲に収まるのだが、彼女の通勤路や勤務先ビルに侵入し、至る所に隠しカメラや盗聴器を仕掛け、更にビルのコンピュータをクラッキングし自室モニターへ監視カメラの映像を横流しまでしているイスケは、完全に違法行為に足を踏み入れており、かなり悪質な犯罪者といえるだろう。
ついでに言えば、妻自身にもカメラと盗聴器を仕掛けているし、彼女のスマホを遠隔操作で好きに動かすことも彼には可能だった。
プロストーカーに死角はないのである。
被害届が出ない以上、ストーカー規制法側からの把握やアプローチは難しいだろうが、とりあえず、サイバー警察はもっと仕事をして欲しい。
「あれ?」
本日の業務も終わり、帰宅準備をする過程でヒロナがストーカー部屋の様子を映し出せば、常と違い、そこに目的の人物は存在していなかった。
トイレや飲料摂取など軽い用事で席を立っているのかと画面を切り替えるも、彼女の思い当たる場所のどこにもイスケは見つからない。
少し焦り気味にタップを繰り返し、家中のカメラを順番に選んで探すが、それらを三巡しても、やはり彼の姿はないようだった。
「イッくん?
どこに行っちゃったの?」
小さく呟いて夫からの連絡を待ってみるが、それから一分が経過しても、スマホが返答を受信する気配はない。
これは、速レスの鬼であるはずのストーカー旦那からすれば有り得ない、異常な事態である。
ヒロナは血の気の抜けた青白い顔で鞄を掴み、廊下へと駆けて出た。
浮気、離婚、逮捕などといった心臓に悪い妄想が、絶え間なく彼女の頭を巡っている。
その時だ。
ピロン、と左手に握っていたスマホが耳慣れた通知音を鳴らした。
反射的速度で勢いのついた足を急停止させて画面を開けば、そこに、夫から送られたであろう短い文章が表示される。
『僕、イスケ。今、ヒロナちゃんの職場があるテナントビルの前にいるの』
なぜか都市伝説メリーさんの電話に寄せた場違いな文言を目にして、杞憂を確信したヒロナの張っていた気が萎み、同時に全身が脱力する。
ヨロめく体をすぐ右側の壁に寄りかからせて、彼女は深く深くため息を吐いた。
間を置かず、再び左手から機械音が漏れる。
『僕、イスケ。今、テナントビルのエントランスにいるの』
当たり前というべきか、彼の目的地はヒロナに設定されているようだったので、新妻は夫の訪れを近くのベンチに腰掛けて待っていることにした。
いくつかの通知を受け取った後、程なくしてユラユラと歩いてきたイスケが彼女の眼前に立つ。
「ご、ごめんねぇ。なんだか、し、心配、させたみたい」
ヒロナと違い常時マイハニー監視状態のストーカーは、正確に現状を把握していたようで、開口一番、彼は眉尻を下げて妻に謝罪の言葉を捧げた。
すると、彼女は眉間にギュッと深く皺を寄せた後、ベンチから飛び上がるようにしてイスケに力強く抱き着いていく。
己の肩に顔を埋めて小さく震える新妻に対し、彼は細い背に手を回して、慰めるように撫でさすった。
いつものイスケであれば、赤面して汚い呻き声でも発していたかもしれない状況だが、ヒロナが本気で傷ついている場面で自分本位に騒げるほど彼の視野は狭くはない。
いたいけな少女相手に大人げなく唾をつけていた妻ガチ勢は伊達ではないのだ。
「あ、雨が降りそうだったからねぇ。
ヒロナちゃん、その靴、おろしたてだったでしょぉ。
汚したくないかもって、思って、く、車で、お迎えに来たんだよぉ」
数分が経ち彼女の感情が落ち着いて、密着状態から少し体が離れたところで、彼は拙く説明を施した。
運転中はカーテレビにヒロナの姿を映しているので、ガッツリわき見の常習者であるが、一応、それ以上のながら運転については自重しているイスケであるので、妻からの問いかけに応えることが出来なかったのだ。
ついでに、わき見の言い分としては、普段から複数画面を同時に視聴しているので、この程度は危険でも何でもない、ということらしい。
さすがストーカーなどという犯罪を長年に渡り堂々犯し続ける人間は良識の欠如も甚だしいものである。
更に言えば、過去、仕事中の彼女に大量のメッセージを送りつけて、やんわり邪魔だと注意されたことがあり、イスケはその際に受けたショックから、ヒロナが勤務に従事している時にだけは絶対に連絡も何も一切入れなくなった。
反応が極端過ぎるが、これまで散々甘やかされてきた分、妻に対してのみ心の弱さがとんでもないことになっていたのである。
そうした現状から起きた不幸なすれ違いだったが、夫の話を聞いたヒロナは、さっと頬に朱を走らせて、再び彼に勢いよく抱きついた。
「イッくん、優しい!
すごーく嬉しい、大好きっ!」
「でゅほっ! ひゅほほっ!」
最愛の妻からの感謝のハグに、イスケは顔面をいやらしく崩して口から粘着質な笑い声を零す。
まぁ、そんなこんなで、今日も今日とて、頭のおかしな新婚夫婦は、幸せいっぱい夢いっぱい共依存ラブイチャ生活をめいっぱい堪能しているのであった。
ご近所さん逃げて超逃げて。




