蛮族モンスターは疑心暗鬼な愛妻家
女薬師と仮称ドラゴリラの子どもたち(十兄弟)の、それぞれの未来の花嫁とのファーストコンタクト小話
○長男の場合
「ひっ、ご、ゴリゴン!?
いやああぁっ、さらわれる! 穢されるぅぅ!
殿方の間で出回っている不潔な本のように! 不潔な本のようにぃーーっ!」
縄張りの一角から発生する不穏な空気を感じ取り、山の主である長男が様子を見に来てみれば、扉の開いた馬車の中、一人の少女が屈強な男二人がかりでの暴行を受けそうになっていた。
咄嗟の判断で男を殴り飛ばして気絶させてやったは良いものの、今度はその娘が蛮族モンスターを見つけて騒ぎ出す。
それがあまりにも甲高く耳障りであったため、また、弟たちに怒鳴りまくっていた癖もあり、長男は少女相手に大人げなく声を荒げた。
「誰が貴様のような姦しい小娘なんぞ嫁にするかっ!
俺の理想は母のような理知的で聡明で物静かな女性だ……思い上がるなッ!」
「ひっ、マザコン! モンスターのくせに!
女であれば見境のないゴリゴンの眼中にも入らないだなんて屈辱だわぁーー!
わーーーああああああんまりよーーーーーっ!」
黙らせるための一喝が完全に逆効果となり、長男のイライラ指数が更に溜まっていく。
「ぃやっかましい!
まぁったく、たまたま蛮行を目にしたからと、助けに入ろうなどと考えたのが間違いだった!」
彼がそう吐き捨てると、途端、少女は叫びを止めて、マジマジとモンスターを見やった。
「えっ? 助けに?
モンスターの貴方が、人間の私を?
連れ去り目的でもなく純粋な気持ちで?
え? なぜ? どうして?」
音量は下がっても、口数は減らないらしい。
ただ、一応なりと娘が大人しくなったのなら、それで長男としても吠えて返す必要はなくなったようだ。
「……ふん、母の教育が優れていたものでな」
マザコンが根深い。
しかし、そこにはもうツッコミを入れず、少女は頬に手を当て、頷いてみせた。
「ま、まぁ、そんなことがあるものなのですね。
でしたら、どうか最後まで責任をもって助けてくださいな」
「は?」
予想外の方向から浴びせかけられた言葉を理解しきれず、モンスターの眉間に皺が寄る。
「私は、コンキーユ男爵家の娘ナナドナ。
家の恥をさらすようですが、実は、父の借金の形にと、四十も年嵩のロリコンスケベ脂親父ペロン子爵に無理やり嫁がされるところだったのです。
父は飲む打つ買うの三拍子揃った最低の男で、大人しく売られてやる義理もなく、けれど、逃げようにも当てはないし、とても困っていたのです。
高潔なお母様に育てられた貴方が、まさか、乙女の危機を知りながら放って去るなどなさいませんよね?」
両手を祈る形に組み、上目遣いで懇願してくる少女へ、長男は怪訝に顔を歪めながら口を開いた。
「はぁ? モンスター相手に正気か貴様……?」
対して、案外図太い貴族娘は、拳を握り、力強く宣言する。
「溺れる乙女はゴリゴンをも掴むのです!」
「開き直るな、痴れ者がっ!」
これが、後に騒々しいケンカップルとなる、長男とその花嫁の出会い。
○次男の場合
「ここは……?」
妙に空気の淀む薄暗闇の中、一人の女が目を覚ます。
「気が付いたようだな」
「ひっ、だ、誰っ!?」
突如としてかけられた男のものらしき低い声に、彼女は怯える顔を気配のある方向へやりつつ、仰向けに寝転がっていた体勢から慌てて身を起こした。
警戒心を露わにする女の意識は確かに男を捉えているようであるのに、けして、二人の視線が交わることはない。
やがて、男は何かを察したように息を飲む。
「……お前……目が見えぬのか」
「っあ、その」
事実を指摘された途端、彼女はなぜか表情に罪悪感を滲ませて、口をモゴつかせていた。
「生憎と、名乗る名など持ち合わせてはおらん」
「え?」
彼の急な発言が数秒前の己の問いに対する答えだと、そう女が気が付くまでに少しの時が必要だった。
彼女の戸惑いに興味がないのか、男はそのまま一方的な語りを始める。
「妙な勘ぐりは止しておけよ。
迷惑千万にも、お前が俺の縄張りで倒れていたからな。
見つけた以上は獣に食われても寝覚めが悪いと、ただ、運んで、転がしていただけだ」
説明を聞き終えた女は、座り込んだ姿勢のまま、おどおどとした口調とは対照的に、妙に洗練された仕草で謝意を示した。
「それは、あの、どこのどなたか存じませんが、ありがとうございます」
「礼などいらん。俺の都合だ」
「そんな……」
送り出した言葉を跳ね除けられて、女の眉尻が僅かに下がる。
「さぁ、起きたのなら、その足で勝手に出ていけ……と、言いたいところだが、盲いた女には非情が過ぎるか。
元居た場所へ送ってやるから、ついて来い」
再び一方的に己の都合を突き付けて、男が身を翻し、一歩二歩と足を動かした。
「……どうした、なぜ立ち上がらない」
しかし、女は顔を俯かせて、その場から動こうとしない。
しばらく無言で男が待っていると、その内、彼女がこんなことを言い出した。
「御方様……あの、ご迷惑を承知で、しばらく置いていただくわけにはいきませんか」
「なに?」
告げて直後、女は決意を秘めた表情で男を見上げる。
「私、実は追われる身で、詳しい事情は申し上げられませんが、少々の間、こちらに匿っていただきたく……っあ、悪事などは働いておりませんっ!
いえ、お疑いも当然のこととは存じますが、その、なんっ、なんでも、いたしますから、どうか」
濁る目玉で必死に懇願する彼女へと、間もなく、いかにも不機嫌を滲ませる男の声が落とされた。
「何を勘違いしているのか知らんが、俺は、お前の思い描いているような男ではない。
目の見えぬ女一人ごとき、手込めにするも容易いのだぞ」
だが、脅しを受けても、女の主張は変わらない。
「お望みなら、それでも構いません。
今、アレらに捕まってしまう訳にはいかないのです。
どうかお願いします」
「……愚かな」
必要に駆られて性能の増した盲いの耳に、男の顔面の歪む音が聞こえたような気がした。
「テコでも動かんつもりか……くそっ」
悔し気な悪態が狭い空間に反響する。
もはや、勝敗は決した。
「居座るのなら、己のことは全て己でどうにかしろ。
目が見えぬから、女だからと、俺は甘やかしはせんぞ」
「っはい! ありがとうございます!」
儚げな顔に一気に喜色を浮かべて、彼女は感激に両手を組む。
「住処を滅茶苦茶にされては敵わんから、最初に案内ぐらいはしてやる。
今度こそ、ちゃんとついて来いよ」
踵を返し、男が彼女の前方を早足で通りぬけようとした瞬間、白い手が反射的にそこへ伸ばされた。
「あっ。御方様、お待ちを」
「っ触れるな!」
「きゃっ!」
接触の瞬間、男は巨体を大げさに飛び退かせ、女は行き場のなくなった腕を追って、細い身を地に転がせる。
「も、申し訳ありませんっ」
宿主の不況を買ったのではないかと恐れて、彼女は憐れに伏せた体もそのままに、震えながら不作法を詫びた。
「いや、今のはこちらが悪かった。謝る必要はない。
だが、言っておく。
必要以上に俺に近付くな、けして、触れてくれるな。
これが守れぬなら、お前を置いてやることは出来ない」
「……は、はい、かしこまりました。
以後、気を付けます」
女は知らない。
目の前に立つ男が、人間ですらない、凶悪な蛮族モンスターであることを。
青褪め倒れる彼女に一目惚れをしていながら、高貴な身なりから、己とつり合いの取れる存在ではないと即座に愛を諦めてしまったことを。
そして、彼女に己の正体が露見し泣き叫ばれ厭われるような、最悪の結末に至る時を、彼が何よりも恐れ怯えているという事実を。
今後よりの苦悩と焦燥の日々を胸に思い描きながら、次男は両の拳を強く強く握り込むのだった。
○三男の場合
ぶつかり合う雄と雄。
「ソレ、俺ノ雌、渡サナイ!」
「ふんっ、同族ながら醜悪なものよな」
三男が縄張りとする地に突如として侵入してきたのは、彼と種を同じくする蛮族モンスターだった。
普段は人の通らぬ険しい山道を、一組の母子が歩いており、その気配を追ってきた、親離れしたばかりの若い個体が、手っ取り早く同族から獲物と住処を奪い盗ろうと、こうして蛮行に及んでいるのだ。
基本的には三男の方が実力は高いのだが、走る親子を背に庇うようにして戦っているため、自然とハンデがつく形となり、苦戦を余儀なくされていた。
「坊やッ!」
「ぬっ!?」
逃げる過程で幼児が転び、咄嗟に我が子を守らんと母が上から覆い被さる。
「邪魔ダ!」
「ぐぁっ!?」
その姿に一瞬気を取られ、三男は敵の爪攻撃で肩から胸にかけてをザックリと切り裂かれてしまった。
「雌! 雌! 俺ノ!」
怯んだ隙に横を通り抜け、女に襲いかかろうとする若き蛮族モンスター。
しかし、彼の魔の手が伸びきる前に、三男の怒りの拳がその後頭部へと炸裂した。
「っナメるな、このド低能がぁぁあああ!」
「メプッ!?」
爆発のような衝撃を受けて、若き蛮族は両の目玉を彼方へ飛ばし、顔面の穴という穴から血を垂らして前のめりに倒れ、死亡。
恐ろしいモンスター同士の争いの決着がついたとあって、次は我らかと母が息子を強く抱いて震える。
が、女の想像に反し、モンスターはそのまま母子に背を向け、少々フラつきながらも、無言でその場から立ち去ろうとした。
そんな彼の背に、オロオロとした弱い声がかけられる。
「あっ、あの、ち、血が……」
モンスター同士の会話や、三男の動きから、自身らを助けてくれたのではないかと、そのために無用な傷を負ってしまったのではないかと考え、気が付けば、女の口からそんな言葉が紡がれていた。
ゆっくりと足を止め、首を回して現れた横顔の片目だけで背後へ視線を合わせ、蛮族モンスターは静かに語る。
「……大した怪我ではない。寝れば治る。
何を急いているのかは知らんが、これに懲りたら、この様な寂れた山道、二度と通ろうなどとは思わぬことだ」
一方的に告げて、三男は再び前を向く。
するとその直後、剛健な右足に小さな何かがペチャリと貼り付いてきた。
見れば、モンスターのふくらはぎに、幼児が隙間なくしがみついているではないか。
「は? 何だ、坊主?」
「坊や!?」
悲鳴のような声を上げ、母親が子の愚行を止めようと走り寄った。
そんな彼女らを不用意に脅かさぬよう、三男は巨体を慎重に静止させる。
そして、母の努力虚しく頑なに足から離れようとしない幼児へ、彼は穏やかに話しかけた。
「もしや、一丁前に母を守ろうとでもしているのか?
だが、それは蛮勇というものだ。
お前の母が身を挺して庇い、守られた命、無駄に投げ捨てるような真似は感心せんぞ」
訳知り顔で忠告しているが、三男のソレは完全にお門違いである。
幼児の行動理由は、もっとずっと単純なところにあるのだから。
「パパ!」
「は?」
「え?」
瞬間、モンスターと女の目が限界まで見開かれた。
「パパーっ!」
しがみつく短い腕の力が強まる。
三男は混乱に喉を詰まらせた。
「え、いや、違……っ!
おっ、おぉ奥方?
特徴は見受けられんが、まさかコレはモンスターの子か?」
「あ、は、はい、いえ、この子の父親は、れっきとした人間です」
どもりながら答えるが、母親の方も息子の発言にかなり戸惑っているようだ。
「ならば、俺の姿とは似ても似つかぬだろうが。
どうした坊主、なぜ俺を父などと呼ぶ」
「パパぁーー!」
埒があかぬとはこのことだろう。
「…………参ったな」
「すみませんっ、すみませんっ、うちの子がっ」
呟きを零すモンスターへ、女が顔色を真っ青にして、謝罪に頭を幾度と下げる。
「あぁ、その、幼子のやることだ、気にしなくていい。
俺の弟たちも、それはまぁヤンチャなものだった。
比べれば、この程度は可愛いものだとも……なぁ、坊主?」
「パパぁっ! パパぁー!」
思った以上に人間臭くも情け深いセリフを聞いて、母親は地面を眺めたまま密かに安堵の息を吐いた。
「ええと、奥方。ちなみに、本物の父親はどこへ?」
「主人は、山の事故で亡くなりました……半年程前のことです。
暮らしていた村では女手のみで子を育てることは難しく、生家を頼って坊やと二人、故郷の都町へと戻る道すがらでした」
「…………失敬、こちらで察するべきだった」
「いえ、お気遣いなく」
辛い話をさせてしまったと反省する三男へ、女はゆるやかに首を振る。
彼女は敢えて語らなかったが、村を出た本当の理由は、未亡人となった彼女を手込めにしようと画策するゲスな男衆がいたからである。
醜悪な彼らと比べるのも烏滸がましいと、女は目前に立つ大きなモンスターの厳つい顔を見上げて、そう思った。
この後、日暮れが近く危険だからと、三男は母子を連れて山の住処へと帰還した。
翌日、知らず内に溜まっていた疲れが出たのか、女が体調を崩し寝込んでしまう。
自身も怪我に弱る中、三男は痛みを隠して、甲斐甲斐しく彼女を看病し続けた。
親子との生活が続く内、いつしか、三男と未亡人は互いに想い合うようになり、すったもんだありつつも、時に幼児のファインプレーに助けられ、やがて、彼らは一組の家族として暮らし始めるようになるのだが……それはまだ、今の彼らには知る由もない話である。
○四男の場合
「あぁ、なるほど。アレは奴隷商人だったのか」
荷馬車にかけられた大布を外して、四男はそう独り言ちた。
モンスター出現率の高い彼の縄張りの森へ、珍しく、少なくない数の人間が踏み入ってきたとあって、それらの目的を見定めようと主直々に偵察に来たのだ。
距離を縮めれば、漂う気配や臭気から、何と集団の約半数以上が雌であることが分かる。
意図せず本能が滾り、気が付けば、彼らの行く手を遮るように、四男は通りのド真ん中へと巨体を躍り出していた。
途端、彼を視認した男たちによる大絶叫が上がり、森の木々が揺れる。
その直後には、集団の長らしき壮年の男が、嫌だ嫌だと泣き叫ぶ護衛らに命令を下し、蛮族モンスターへと嗾けてきた。
四男とて人間の母に育てられた身ではあるが、刃を向けられて大人しくしているようでは、森の主としての面目も立たない。
自らも歩を進め、向かって来る順に走狗を解体して、彼は主犯の男の元へと迫った。
慌てた男は、単独逃走でもしようとしたのか、荷馬車に繋ぐ馬を解き放とうとして、しかし、恐ろしいモンスターの登場に恐慌状態に陥っていた馬の、無作為に暴れる脚に蹴られ、そのまま頭蓋を陥没させて、あっけなくも死亡してしまう。
さしもの四男も、このお粗末な結末には呆れて声も出ない有り様であった。
そうして、男連中のいなくなった所で、彼は雌の収納されているらしき荷台へと足を進め、「檻」を覆っていた幕を一気に引き外した。
大きな首輪をかけられ、床から延びる鎖に繋がれた、少女と呼んで差支えぬ年齢の娘たちが、蛮族モンスターの目前にさらされる。
当然、悲鳴は上がったが、長くは続かなかった。
ひぃひぃと喉を引き攣らせる者、必死に首輪を裂こうとする者、鎖を床から抜こうと引っ張る者、頭を抱えて小さく丸まり震える者、ひたすらモンスターから目の逸らせぬ者、逆に固く瞼を閉じ現実逃避に勤しむ者、諦めの境地で漫然と周囲に視線をやる者……反応は様々だが、そこに好意の色が混ざることだけは有り得ない。
無駄だろうと思いつつも、四男は奴隷娘たちへと、流暢な言葉を投げかける。
「お前たち、もう買い手はついているのか?
盗賊退治で得た金で足りるようなら、この中から誰か一人買わせてくれ」
瞬間、全ての女の動きが止まった。
「ちょうど俺の花嫁となる雌を探していたのだ。
場所はこの森の奥深く、元盗賊の根城であった地となるが、少なくとも、このまま人の世で売られるよりは、平穏な暮らしを約束しよう。
……どうだ、立候補者はいないか?」
尋ねれば、一斉に視線が逸らされる。
まるで、目が合えばその瞬間、怪物に見初められるとでも考えているかのように。
ちなみにだが、この地域の奴隷は買い取り時に腕や首へ焼き印を入れられるため、例え、首輪を外し商人の元から逃れたとしても、もはや一生、人間として扱われることはない。
特に、そうした逃亡奴隷は捕らえた市民の所有物と認められ、通常よりも過酷な労働を強いられる場合が多くある。
故にこそ、悲惨な未来の待っている彼女たちであれば、或いは……と一縷の望みを託してみたのだが、結果は彼の予想を外れてはくれなかった。
「まぁ、いないのであれば、無理強いはせんが……」
期待していなかったとはいえ、それでも、四男は残念な気持ちを抱いて肩を落とした。
深く一つ息を吐き出して、吸うと同時に身を翻す。
とりあえず、檻の鍵を探して解放だけでもしてやらねばと、奴隷商人の死体を漁るためにモンスターは足を踏み出した。
その時だ。
「待っ、アタシっ! アタシを買ってください!」
背後からの叫びに、四男はギョッとして巨体を反転させる。
彼と同じく驚いたような顔をした少女たちからの注目を浴びつつ、一人の娘が鉄格子を両手で掴んで、その隙間から蛮族モンスターを凝視していた。
「お前は?」
四男が問えば、彼女はゴクリと喉を大きく鳴らしてから、自らの事情を順序立てて語り始める。
「アタシは兎人のフワリィです。
不作の口減らしで、つい先日、両親に売られてしまいました。
でも、生まれつき耳が片方短くて、奴隷商の人にも欠陥品だって買い叩かれちゃって……このまま都に向かったとしても、まともな引き取り先があるとは思えません。
それなら、例えモンスターでも、こうして無理強いもせず奴隷の意思を確認してくれるアナタの方が、きっとずっと人として扱ってくださるって、花嫁となった女の不幸を望まずにいてくださるって、そう感じたんです」
強者に媚びへつらっているわけではない、確信に光る真っ直ぐな瞳で、フワリィは蛮族モンスターを見つめていた。
「……なるほど、賢い娘さんだ。
教えられずとも、自ら道理というものを考える頭があるらしい」
四男としては、彼女を対等の生物と置くからこそ出た感想なのだが、人を相手にモンスターが放つには、中々皮肉の効いたセリフだっただろう。
「では、他に名乗り出る者もいないようだし、お前……いや、フワリィを買わせてもらうとしよう」
彼が鱗と毛に覆われた手を差し出せば、兎人の少女は、檻の隙間から細い腕を伸ばして、小さく荒れた指先で必死にソレを掴んできた。
「はいっ、ありがとうございます!
よろしくお願いします!」
無邪気な彼女の笑みに、モンスターの口角も自然と上がる。
この後、奴隷商人の懐を無遠慮に漁った四男は、首輪の鍵は発見したものの、檻の扉の鍵を探しきれず、己の怪力で鉄棒を曲げ広げて、奴隷娘たちに悲鳴を上げられていた。
そして、花嫁となったフワリィの首輪だけは何故か野蛮に引きちぎり、その他の奴隷には、手の届く範囲に鍵と金を投げてやる。
少女を腕に優しく抱き上げ、モンスターが木々の向こうに巨体を消失させれば、たちまち奴隷同士の醜い争いの火ぶたが切って落とされ、甲高い諍いの声が森に木霊した。
しかし、すでに四男の意識の大半は花嫁に持っていかれており、また、この地の主としてコレ以上の異種への干渉は憚られたため、彼は踵を返すことなく己の住処へと歩を進めていくのだった。
○五男の場合
「妙な気配を感じて見回りに来てみれば、これはエルフ……いや、追放者か?」
「っな! ここは鱗猿の縄張りだったの!?」
突然、頭上の木々から声が落とされて、可憐な美少女が天を仰げば、その先に、一体の凶悪な蛮族モンスターが鎮座ましましていた。
「……ふむ。単独、か。
庇護者もなく成体まで育ちきった個体は珍しいな」
太い枝に腰掛けたまま、五男は侵入者を興味深そうに観察し、毛深い鱗指で顎を擦る。
エルフとは、森を住処とする魔の力に長けた妖精の一種で、類まれな美しさを持ち、しかし、見目と裏腹に非常に排他的かつ残忍な性格をしており、他種族をけして受け入れず、また、彼らは自らの種を貴ぶあまり、混血児を異常なまでに嫌悪し迫害する、といった特性を有していた。
半分とはいえエルフの血を引く美少女は、彼というモンスターがどのような生態であるのかを存分に知っているらしく、元より白い顔を更に白くさせて、震える足をジリジリと後退させながら、抵抗のために両手を突き上げる。
「ひっ、ひぃっ、風の聖霊よ、私を助けてっ!」
瞬間、鋭い風の刃が彼女の周囲に舞い踊り、次々と五男を襲った。
理不尽にも巻き込まれた木々が刻まれ、細切れの木の葉が一斉に宙を漂う。
荒い息を吐きながら、麗しの少女が自らの攻撃により阻まれた視界の先を見据えていると、やがて、枝葉と共に一つの巨体が墜ちて、土は跳ね、地震の如き激しさで森が揺れた。
喜びは刹那。
間もなく土埃が収まれば、そこには、五体満足で佇む蛮族モンスターの姿があった。
恐怖から少女の呼吸が止まり、合わぬ歯の根がカチカチと音を立てる。
彼の瞳に怒りの色は含まれないが、だからといって、女である彼女の安心材料にはなり得ない。
「……出会い頭に乱暴なお嬢さんだ。
もっとも、この程度のそよ風では、俺の鱗に掠り傷一つ負わせられんがね」
その場からは動かず、五男はゆっくりと両手を上げて、前から後ろへと自身の頭部の短毛を撫でつけた。
鱗は無事でも、さすがに毛まではそうもいかなかったのだ。
幾筋かの刈り込みが入っているが、それが何故かやたらと似合って、妙な迫力が増してしまっていた。
「あ、あ、や、やだっ」
彼の動きが刺激となったのか、いつの間にか地面にへたり込んでいた美少女が、必死にモンスターから遠ざかろうと、脱力した腕と脚で意味なく土を掻きながら、懸命に背を仰け反らせている。
「少し落ち着きなさい。
別に、同種のように誘拐してまで嫁を取ろうなどと、俺は思っていない。
そのつもりであれば、声を掛けるような非効率な真似はせず、とっくに連れ去っていただろう。
逃げたければそうすればいい、わざわざ追いかけはしない」
五男の言葉をそのまま信じたわけではないだろうが、追放者の少女は、ここで初めてモンスターから視線を外し、地面に両腕を突っ張って立ち上がろうと、もがき始めた。
が、何度繰り返しても、彼女の挑戦は失敗に終わってしまう。
「うぅっ、な、なんでっ、腰が……っ!」
「抜けたのか」
「やっ、うご、動いてぇっ!」
悲壮感を漂わせて自らの横腹を強く叩いている美少女を、憐みを含んだ五男の虹彩が見下ろしている。
「……こちらが先に消えても構わないが、そうなれば、おそらく見殺しになるのが困りものだな」
「えっ」
モンスターの呟きが長い耳に届き、直後、彼女はピタリと全身の動きを止めた。
少女の反応を受けて、聞かれてしまっては説明も必要かと、彼は努めて事務的に実情を口にしていく。
「ここは豊かな森だが、そうした地は、比例して凶悪なモンスターも多くなるものでな。
主である俺が傍にいる間は不用意に寄る者もいないだろうが、もちろん、立ち去ればその限りではない。
お嬢さんのような力なき追放者が、そもそも、ここまで五体無事で入り込めたことが奇跡なのだよ」
明かされた現状にショックを受けたようで、少女は目を見開いて、唇をパクつかせている。
「っ……そ、んな、私……私は、ただ……居場所を、さ、探して……」
呆然と言葉を零しながら、彼女は腰を責めていた細腕をダラリと下げ、溢れるままに幾筋も涙を落とし始めた。
これに困ったのは、あの精神図太い母の元で育ったせいで、か弱い女の存在を話でしか知らぬ五男だ。
「あぁ、お嬢さん、そう泣きなさんな。
今にも儚く消えゆきそうではないか。
ええと、そうだ。
お嬢さんが嫌でなければ、俺が森の外近くまで送ってやってもいい、見返りもいらない」
狼狽えるモンスターの提案に対し、追放者の美少女は、僅かに首を横に振る。
「違う、違う……」
「違う?」
「パパと、ママが、生きてって、だから、私、頑張って……頑張った、けど、でも、もう、駄目、もう、嫌……」
「っあー……ギリギリ張っていた精神の糸が切れた、というやつかな、コレは」
後頭部を掻く五男には、もはや為す術もなく、悲観に暮れる彼女をただ眺めるばかりだ。
「どの森のエルフも私を嫌うし、いない森はここのように危険ばかり、パパと同じ人種は私を見つけると奴隷にしようと躍起になって追ってくるし、私以外の追放者には会ったこともない……誰も私を助けてくれない、この世界は私に何ひとつ優しくない、生きていても辛いことしかないのに、どうしてっ……パパ……ママ……っ」
「ううむ。こう、世に寄る辺の一つもない者というのは、安易に慰めようもないものなのだな」
「もぅヤダよぉっ。
何で? 何で、私ばっかり……私が何をしたって言うの?」
「さて、困った。モンスターには些か荷が重い問題だぞ」
泣き濡れる美しき追放者とオタつく蛮族モンスターのシュールな図は続く。
その後、嘆き疲れて眠ってしまった儚い美少女を、五男は仕方なくも根城へと連れ帰った。
蛮族にさらわれたと、目覚めと同時に暴れ出すかと思いきや、実際の当人は、すっかり生きる気力を失って虚ろな様子で過ごしている。
反応の薄い彼女を、モンスターの彼が大いに持て余したことは、言うまでもない話である。
○六男の場合
「ばぁーっ!」
「うおっ、なんだ!?」
六男が縄張りの森をパトロールがてら散策していると、唐突に茂みから小さな何かが飛び出して来た。
「こんにちゃー!」
「は?」
「こんにちゃー!」
「あ、あぁ、こんにちは?」
獣じみた手を元気に上げて、猫耳と尾の生えた幼女が、蛮族モンスターに挨拶を繰り返している。
六男は困惑した。
「西方の猫人の村の子か?
こんなところに一人で、親はどうした?
まさか、迷子か?
あそこからは結構な距離があるはずなんだが……」
地に膝をつき、出来る限り身をかがめて彼が問いかければ、猫幼女はハッと何かに気付いたような顔をして、蛮族モンスターを指差し、こう叫ぶ。
「おサルさんっ!」
「……なかなか危機感に乏しい幼児だな」
侮辱的な言葉に口の端を引きつらせて、六男は苛つきの発露を震えながら堪える。
彼の種族は、誰に教えられずとも皆、何故か一様にして、猿扱い蜥蜴扱いを大層嫌うのだ。
「しっぽ!」
脈絡もなく、幼女は彼の太い尾に突撃し、全身で巻き付いた。
「あぁこら、尾に抱きつくな、牙を立てるな。
俺の鱗は硬いんだ、生えたばかりの大事な歯が折れでもしたらどうする」
「うぇー、かたぁい」
「だから、今そう言ったばかりだろうが」
理屈で物事を考える大人には、斯くも理解し難き生物である。
「それで、お前は……」
「おまえじゃないのっ、ニャンミャーよ!」
「あ、あぁ、悪かった。
しかし、色んな意味で呼びにくい名だな」
発音の難しさもあるが、とにかく、厳つい蛮族モンスターが口にするには、響きが甘ったるすぎるのだ。
まして、ちゃん付けなどしようものなら、世界線を超えての通報すら有り得るだろう。
「で、その、にゃ……んんっ、ニャンミャーは、何でここにいるんだ?」
しかし、幼児から催促されて、己が恥ずかしいからと名のひとつも呼んでやれぬというのは、少々大人げない話だ。
そう考えた六男は、自らの羞恥心に蓋をして、改めて猫幼女へと、似合わぬ猫なで声で質問を投げかける。
「ニャンミャーね、ぼうけんかなの!」
「お、おう」
苦労の甲斐あって、彼女はそこから次々と彼の欲しい情報を口にしてくれた。
「でね、でね、モリにね、ママのおクスリをとりにきたのよ」
「薬? 母親は病気なのか?」
「コシがね、いたーいって」
「何だ、ただの腰痛か……いや、猫人にとっては深刻な問題なのか?」
種族差があるゆえに、判断のつかぬ六男である。
「まぁ、そういう事情ならウチに塗り薬があるから、それを持ち帰ってやるといい。
俺の母に習ったものでな、その辺の草を適当に貼るよりは効果を保証するぞ」
「ほんと!」
途端、大きな猫目を更に大きくさせて、幼女はキラキラと輝く尊敬の眼差しを蛮族モンスターへ送った。
「もちろん、本当だとも。
さ、薬を取りに戻るから、俺について来い」
「やったぁー!」
事案である。
「そうしたら、ニャンミャーは今日はもう冒険を止めて、大人しくお母さんのいるお家へ帰るんだぞ……いいな?」
「はぁーい!」
元気に返事をしたと思えば、猫らしい瞬発力で、彼女は六男の豊満な胸元にビタリと貼りついた。
「おわっ!?
こら、急に飛びつくな、そして、よじ登るんじゃあないっ。
身軽な猫人とはいえ危ないだろう」
器用に巨体を這って、最終的に肩車の形で身を落ち着けた怖いもの知らずの猫幼女は、彼の頭の天辺を無遠慮に叩きながら、感謝の気持ちをそのまま声に乗せる。
「おじちゃん、ありがとー!」
「その呼ばれ方は、いささか沽券に関わる」
こうして、優しい蛮族モンスターの存在を知った幼子は、窘める六男本人の言葉をガン無視して、何度も何度も彼の縄張りに侵入を果たし、終日、飽きもせず遊んでいくようになるのであった。
通報!
○七男の場合
「げえっ、ご、ゴリゴン!?
チクショウ、何でこんなトコにこんな凶悪モンスターが!」
七男が縄張りの山の一角にある気に入りの花畑で寛いでいると、そこに、小柄ながら逞しい筋肉を携えた隻腕のドワーフ女が迷い込んできた。
彼女の存在は早々に察知していたが、彼はわざわざ己が行動を起こさずとも蛮族モンスターを見ればすぐに逃げていくだろうと高を括って、その場から動かずにいたのだ。
ナメプである。
「くそっ、こうなりゃ破れかぶれだ!
食らえ! チェエエーーーイ!」
が、女は七男の予想に反して、彼女の背丈程もあるヤリを構え、猪のように真っ直ぐと突撃して来たではないか。
あまり速くもない足でひたすら直進してくるので、回避も容易に可能であったが、彼は敢えて自身の手のひらでその刃を受け止めた。
重ねてのナメプである。
「ほぅ、この俺に僅かとはいえ血を流させるとは……中々の業物だな」
例えソレが小指の爪ほどもない小さなものであっても、七男は素直に感心してみせた。
ドワーフ女の攻撃技術自体は特に目を見張るものもなかったため、彼としては、まさか傷の一つも負うものとは思ってはいなかったのだが、意外に武器が鋭かったらしい。
これは、少しばかりヤル気を出してやるべきかと、そう考えた七男はゆっくりと花畑から立ち上がる。
が、次の瞬間、彼の出鼻はバッサリとくじかれてしまった。
「分かるかい!?
このヤリはアタイの最高傑作でね!」
「んん?」
警戒から一転、女が満面の笑みを浮かべて、興奮混じりのお喋りを始めたからだ。
「とはいえ、師匠の作品には遠く及ばない。
もっともっと腕を磨いて、いつかアレを越える武器を作ってみせるって、そう、思ってたんだけど……」
「何か一人で語り始めたぞ」
七男の戸惑いの声は、拳を握って熱く口を動かし続ける彼女には届かない。
「騙されたんだ、アタイは。
そんで、大事な片腕を、ドワーフが命より大事にしてる鍛冶能力を、失っちまった。
くそったれ!」
叫ぶと同時に、手にしていたヤリを勢い良く地面に突き刺す隻腕のドワーフ女。
「この女、完全にモンスターの前だと忘れているな」
あまりの無防備さに、彼もドン引きである。
「犯人は同僚だった岩族の男さ。
アタイの優秀な腕を妬んで、蹴落とすタイミングをずっと狙ってやがったんだ」
「全く興味がないんだが……これ、最後まで聞かなきゃいけない流れ?」
ため息を吐いて、七男は再び花畑に腰を下ろした。
女の愚痴は続く。
ホワンホワンと、まるで漫画のように背景に映像が浮かび上がった。
岩族と思わしき男と、ドワーフ女本人だ。
もちろん、これはギャグ的表現である。
『そういや、センパイ』
『あ? なんだい?』
『領主のバカ息子のペットいるじゃないスか』
『あー、あの無駄に図体デカいヘルハウンドな。
散歩だか何だか知らないが、毎朝毎朝、大通り占拠してくれちゃって、アタイもいい迷惑してんだよ』
『オレ、噂で聞いたんスけど……アイツのノドチンコ触ると、すっげー金持ちのイケメンと結婚できるらしいスよ』
『…………へー』
回想終了。
「そんで、巧みな話術にすっかり騙されちまったアタイはバカ犬に腕を喰われ、ついでにペットに無礼を働いたってんで、怒ったバカ息子から、その場で追放を言い渡された……と、いうワケさ」
へー等と興味のない素振りを見せておきながらの、翌朝の速攻が、彼女の性根のいやらしさを物語っていた。
「お前は阿呆の概念から産まれた娘か何かか?」
秒で辛辣なツッコミを入れられて、アホの子が激怒する。
「こっコノヤロ!
モンスターのくせに賢そうなセリフでバカにしてきやがってぇ!
アタイに意味の分かる言葉だけ使え!」
女の脳の軽さが天井知らずだ。
七男は、ヒジから先の失われた痛ましい腕へ、心底呆れた瞳を向けた。
「……つける薬もないな、コレは。
お前を騙した男も、さぞ成功を驚いたことだろう」
「おいっ、言っただろが!
アイツのしゃべりが巧妙だったんだよ!」
「巧妙の意味を帝都の図書集積所で調べて来い、そうすれば己の発言を土下座で謝りたくなるぞ」
「ムキィーーっ!」
「おいおい、人であることすら辞めるな。
ただでさえ、知性的にギリギリだというのに」
いちいちイヤミなモンスターに、ドワーフ女は言葉にならぬ雄叫びと共に大仰に地団駄を践む。
反対に、打てば必ず倍以上になって響いてくる彼女の言動が段々と面白くなってきた七男は、このアホ可愛い娘を自分の手元に置いておきたいと、頭の中で良からぬ考えを巡らせ始めた。
「そんなことより、お前、肉でも食って行かないか。
今日の狩りで大物を仕留めたはいいが、俺だけでは片付けきれなくてな」
「えっ肉!? やった、食う食う!」
驚きのチョロさで女が釣れる。
住処まで連れ込めばこっちのものと、七男は以後、あの手この手で引き止め工作を続けた。
そして、最終的に、再び鍛冶をやってみたくはないかと、そんな誘惑で彼は彼女の長期滞在の意思を勝ち取る。
己の吐く炎は鋼鉄を溶かす温度を持っており炉がいらず、また、己の手はその熱さに耐えうるため素材を直に掴むことが出来る、お前は残った利き手で鎚を振るうだけで良いのだと、素人のモンスターと息を合わせての作業は時間も根気も必要となるだろうが、努力を続ければいつかはそのヤリ以上の作品も完成するだろうと、そうした提案を投げかけたのだ。
女は迷わなかった。
彼女の中のドワーフの血が、頷く以外の返答を許さなかった。
こうして、無期の同居と至った後、七男は作業後の娘にマッサージと称してセクハラを働いたり、沐浴介助と称してセクハラを働いたり、とにかく事あるごとに理由をつけてセクハラを働いたりと、充実した日々を送った。
ちなみに、ドワーフ女が状況に違和感を抱いたのは、彼との赤子を出産し、乳をやっている瞬間のことだったと言うのだから、実に神がかった阿呆さであろう。
もちろん、そこから一悶着はあったが、子の存在や今までの七男の献身もあって、彼らは無事、相思相愛の夫婦と相成ったという話である。
○ハ男の場合
「……んん」
大きな大きな岩の下で、背に翼持つ人、天翼族の娘が独り、深い眠りから目を覚ます。
「あっ、起きたか?」
「っ誰かいるの!?」
途端、岩の裏から見知らぬ男の声が響いて、彼女は身を竦めつつも、飛翔準備のため己の羽を広げた。
「待て、そこから動くな!」
すると、その音が聞こえたのか、男が異様なまでの必死さで娘に制止を求めてくる。
怒鳴るに近いソレに驚いて彼女が華奢な体をビクつかせれば、隙を逃さず、彼がかなりの早口で状況説明を始めた。
「別に怪しい者じゃない、アンタが空から落ちてきて、偶然真下に俺がいたから、受け止めることになっちまっただけだ!
そんで、アンタ気絶してたから、この大岩の影に寝かせて……ただ、無防備なとこをモンスターに襲われても悪いって、残ってただけで、悪意も何もねぇし、その、信じてくれねぇかな」
娘の反応を気にしてか、そこまで告げて、男は自身の言葉を一度切る。
「えっ、あ……じゃあ、私……貴方に、助けられて……?」
語られる内に墜落の事実を思い出して、天翼族の女は、大岩の向こうの恩人が居るであろう場所へと両の目を凝らした。
「でしたら、あの、お礼を……」
「いいからソコを動かないでくれ!」
小さな足音に慌てた男が、再び彼女の動きを止めんと叫びを上げる。
そう言われてしまえば、彼を不快にさせたいわけではないと、娘は素直に頷いてやった。
「わ、分かりました、ここにいます。
けれど、どうして?」
続け様に当然の疑問を唇で紡げば、数秒後、男が躊躇いがちな声で答えを返してくる。
「おれ、俺は、アンタみたいなキレイな天女と違って、み、醜いんだ……怖がられたくねぇ、頼むから俺を見ないでくれっ」
「てんにょ?」
場に沈黙が落ちる。
次に女が口を開いた時、そこには明らかな怒りの感情が含まれていた。
「私のような醜女を捕まえて、冗談は止めて下さい。
見られたくない、じゃなくて、見たくないの間違いでしょう?
その様に気など遣われては、私、余計に惨めです」
思いも寄らぬセリフを受け、男も怪訝に顔面を顰める。
「はあ? ソレ、本気で言っているのか?
アンタみたいな美しい娘、俺ぁ一度だって見たこともないってのに」
「ウソですっ、醜い灰翼だって、集落じゃ皆……!」
「はいよく? あぁ、羽のことか。
全体にこう艶々光り輝いて、先っちょがほんのり青みがかってて、夜明けが来る少し前の空みたいでさ、綺麗だよなぁ」
「え……っ!」
そこまで二人でやり取りして、ふと、男はある事実に気が付いた。
それを伝えてやろうと、彼は慎重に岩向こうへと語りかける。
「なぁ、多分さ、アンタの持ってる基準は、アンタの集落だけのスッゲェ狭いモンだと思う。
実際、世の中には色んな価値観ってのがあってな?
角が立派なほど美人とか、太ってるほど美人とか、尾が長いほど美人とか、そりゃもう条件色々千差万別。
ってなワケで、俺の目からしたら、アンタぁとびっきりの美女に映ってんのさ」
阻まれる視線の先で、娘の絶句している気配が漂ってきた。
「……し、信じられない」
「うん、まぁ、いきなり見ず知らずの男に調子のいいセリフ吐かれて、すぐ信じますっつーワケにゃあいかんよな」
彼女としては、全く未知の話に戸惑っているだけなのだが、彼は相手が詐欺を疑っているものと考えたらしい。
「っあ、ごめんなさい。そんなつもりじゃ。
助けてもらったのに、失礼な態度で、私……」
落ち込む天翼族の娘へ、焦ったような男の声が矢継ぎ早に捲くし立てられる。
「いや、いいんだいいんだ、んなこたぁ。
俺が勝手に浮かれて、ベラベラといらねぇこと言っちまただけだ。
ただ、そのぉ、な?
あんま悲観的になるなよって、うん、それだけだから。
じゃあ、俺、もう行くし」
「っえ!? 待って! 待って下さい!」
宣言と同時に駆け出す音が耳に届いて、最初とは逆に、女が慌てて男の離脱を引き止めた。
「どうした?」
彼女の必死な様子が気になったのか、あっさりと彼の踵が返される。
「あのっ、また会えませんか!」
「っほ?」
「貴方のお話を、もっともっと聞きたいんです。
私、何にも知らないから、村以外の世界のこと。
翼の色だって、キレイだって、そんなこと言われたの初めてで……だから……教えて欲しくて……」
もちろん、天女と称した美しい娘に頼み事をされて、醜い蛮族モンスターに断る選択肢などあるわけもない。
こうして、八男は定期的に彼女と大岩を挟んで言葉を交わすようになり、彼らは時間をかけて、少しずつ互いの心の距離を縮めていくのであった。
最終的に、天翼族の娘が村での扱いに耐えかねて、彼の胸に飛び込む愛の逃避行エンドを迎えるのだが、そこに辿り着くにはまだ、少々の月日を要することとなる。
○九男の場合
「いきなり集団で縄張りに侵入してきたから、まぁ、様子見してたんだけどさ。
アイツらが言ってた貢ぎ物って君?」
「ひぃっ」
粗末な御輿に無遠慮に近付きながら、九男はそこに座す貧相な村娘に語りかけた。
いかにも凶悪そうなモンスターの登場に、彼女は小さく悲鳴を上げて、木で出来たヘリに縋りつく。
「あ、そうそう。一応、この森の主なら俺なんだけど」
「へ?」
「ってことは、俺が君を貰っていいってことになるのかな?」
「ええっ!?」
数十分程前にあった村長らしき男の口上によれば、これは三年に一度、当該の村で行われている大事な儀式なのだそうだ。
定期的に主に生け贄を捧げることで、彼らは森の豊かな恵みを安全に分けて貰っていたらしい。
約半年前にこの地に君臨したばかりの九男であるからして、その様な取り決めが成されていたことなど、まさか既知であるはずもない。
また、聞き及んでいた主の姿と似ても似つかぬ蛮族モンスターを、村娘も青褪めた顔の裏で訝しんでいた。
「なーんか疑ってるみたいだけど、俺がここの主になったのって最近だし、前の奴との約束事なんて持ち出されても困るんだよねぇ」
「っえ……そんな、だったら、私、む、無駄死に……?」
「いや別に、帰りたいなら止めないけど?
ただ、さっきの話から考えるに、ノコノコ集落に戻ったところで皆に怒られるんじゃない?」
「っう」
彼の推測は正しい。
そもそも、孤児の少女を村人らが見捨てず育てあげたのは、全てこの日のためであり、元より彼女に居場所などあったわけではない。
例え、モンスターの都合で取り決めが反故になったとしても、娘に帰還という選択肢は残されていなかった。
「うぅ……」
己の人生を悲観して御輿の上でうなだれる貧相な少女へ、九男は後頭部を掻きながら、一つの案を口に乗せる。
「あー、まぁ、本当に君を貰っちゃうかどうかはともかく、帰る場所がないなら俺の住処で匿ってもいいよ。
健気にこんなとこ居続けたって、その辺のモンスターに襲われて、それこそ無駄死にになるだけだろうし?」
「え……ぁ……それ、は……」
反論は浮かばないが、殺戮を趣味としていそうな醜悪な見目のモンスターの甘言に頷くなど、彼女には恐ろしくて、とても出来たものではなかった。
姿に似合わぬ妙に流暢な言葉遣いも、少女にいっそうの疑心を抱かせる。
しかし、だからといって、大した知識を持たない孤児の彼女には、他に自らが助かる道など到底考えつくはずもない。
答えに困窮し、俯いたまま黙りこくる生贄娘に、待ち飽きたらしいモンスターの呆れた声がかけられた。
「煮え切らないなぁ、来るの、来ないの?
残りたいなら好きにしなよ、別に俺だって、君が欲しいわけじゃない。
いかにも可哀相な子に対する、ほんの少しの気まぐれな同情なんだ。
……まぁ、ついて来るなら、俺も拾った責任取って、最低限の世話ぐらい焼かせてもらうけどね?」
大嘘である。
棚ぼたで花嫁が手に入りそうとあって、九男は内心大興奮だ。
だが、この蛮族モンスターはそれを巧妙に隠して、時間をかけて彼女を絆し、両想いにまで持っていこうとしている。
十兄弟一の腹黒と言えば、間違いなく彼のことだ。
今にも去りそうな仕草を見せる九男のハッタリに追い詰められて、ついに少女は、モンスターの姑息な罠に陥落してしまう。
「わ……かり、ました。行きます。
私を一緒に連れて行って下さい」
「ん、了解。俺、素直な子は好きだよ?」
「ひっ」
これから共に暮らす少女へ友好的態度を示してみせたつもりの彼だったが、当の相手から返ってきたのは怯えの感情のみであった。
九男の目に浮かぶ慈悲の色が、養鶏場の世話係が食肉用の鳥たちに向けるものとソックリで、とても気を許す心持ちになどなれなかった、というのが後の彼女の証言である。
憐れ、下心モロバレの蛮族モンスター。
彼が生贄娘の愛を得る日は、語るまでもなく遥か遠い。
○十男の場合
それは、とある鬼人の女戦士が、傭兵ギルドで依頼のあった高ランク害獣モンスターを狩り終えた瞬間のことだった。
「ひゅうーっ! お姉さんやるね!」
彼女が数日かけて目当ての獲物が生息地とする山を捜索、発見した三位一体の厄介な大イタチを好機が巡るまで淡々と追跡し、交戦、連携技をかい潜り、愛用武器の大斧で順番に首を跳ね飛ばして、ようやく息を吐いたところ……頭上から場違いにも陽気な声が降ってきたのだ。
「誰だ!」
全く気配を感じなかったと、女戦士が警戒心も露わに天に茂る枝葉に身を溶け込ませている謎の存在を睨み付ける。
すると、特に正体を隠そうと思っていなかったのか、一体の蛮族モンスターが派手に回転をかけながら木から飛び降りて、着地と同時に両手を高く空へと掲げる奇妙なポーズを決めた。
「俺だあーーーっ!」
十男は、あの理屈屋な両親の血を継いでいるのが不思議なレベルの、明るく脳天気な性格をしていた。
「……ゴリゴンか。
随分とユニークな個体のようだが。
お前、私をさらって子を孕ませるつもりか?」
隙なく斧を構え、目を細めて殺気を向けてくる女戦士へ、彼はヘラヘラと締まりのない笑顔を浮かべて、緊張感のカケラもない返答を垂れ流す。
「うーん。
無理強いは趣味じゃないけどぉ、俺、お姉さんの技巧に一目惚れしちゃったし?
最後に許してくれるなら、さらっちゃうのも良いかもネ!」
直後、きゃあ言っちゃったぁ等と本気の見えぬ照れの演技を入れてくる十男。
彼の軽いノリには付き合わず、彼女は放つ殺気をますます強くして、腰を低く落とし、本格的な攻撃体勢に移行した。
「ふんっ、私は私より軟弱な旦那など認めるつもりはない。
山岳鬼族が戦士、ダライア……欲しけりゃあ、力づくで奪ってみな!」
「いいね、俺そういう分かりやすいの大好きっ!」
刹那、一人の女と一体の雄は、互いを目掛けて弾丸の如く跳ぶ。
「はぁぁああああああ!」
「ぃいいいいやっはぁあああああ!」
決着は数秒だった。
力、技、スピード、精神、全てにおいての歴然とした隔たりが、上下関係が、一撃の交わりでハッキリと示されたからだ。
「…………参った。私の負けだ。
ここまで実力に差があると、悔しいという気すら起こらない」
そう呟くと、女戦士は己の背に武器を収め、蛮族モンスターの方へと向き直る。
途端、十男はそこそこ巨体な鬼人の彼女を軽々抱き上げて、そのまま珍妙なダンスを踊り始めた。
「やったー! お嫁さんだーっ!」
「うわ、ちょっ!
バカ止めろ、姫抱きなんぞ私の柄じゃないっ!」
恥ずかしさから頬を染め抗議をぶつける女戦士だったが、モンスターは己の喜びに夢中で嫁の様子には気が付かない。
「わーい、わーい! おーれのっ、お嫁さーん!」
「ああもうっ、人の話を聞かん奴め!」
そう叫ぶ彼女は、先行きの不安に顔を顰めつつも、逞しい首に両腕を回し、旦那となった男にシッカリとしがみついてやるのだった。
おまけの設定メモ
○貴族の娘(重度マザコン長男の嫁)
一応、知識階級かつ「少々偏った趣味」を持っていたので、女をさらい犯す最低のモンスター、ゴリゴン(人間からの正式呼称)を知っていた。
が、いかんせん世間知らずの娘なので、疑うということをせず、モンスターの話でもあっさり信じてしまう。
○盲目の女(朴念仁な次男の嫁)
知識階級ではあったが、教えられる情報を限定されており、ゴリゴンを知らない。
あまりに流暢にしゃべるので、最初は次男がモンスターだとも分からなかった。
彼の動く際に立つ音で人外の者と気付いたが、自己保身と相手への気遣いで黙っていた。
○コブつき未亡人(ええ格好しい三男の嫁)
ゴリゴンを知らない。
自分たち親子を助けるために大怪我を負った上で見返りもなく去ろうとするモンスターに対して、本能的恐怖は抱きつつも警戒心は薄かった。
前夫は妊娠期間中から浮気を始めたが、気弱な彼女は気付かない振りをしていた。
○未亡人のコブ(三男の義息子)
母と自身が実の父から愛されていないことに薄々気が付いていた。
母と自身を幸せにしてくれる父親を欲しがっており、自分たちを守ってくれた三男の姿に理想の家族像を見た。
○奴隷兎人(生真面目な四男の嫁)
ゴリゴンを知らない。
モンスターは怖いが、四男の話しぶりが今まで聴いたこともないくらい理知的かつ穏やかだったので、人生最大の賭けに出ることにし、そして勝った。
彼女以外の女奴隷たちが、二人の去った十数分後に森の獣に襲われて全滅したという事実を、四男は遠くに居ながら察知したが、余計な心労を負うことはないと敢えて教えなかったので、嫁はソレを知らないまま。
○ハーフエルフ(知識人気取り五男の嫁)
鱗猿(エルフからの呼称)は、同じく森の奥深くを住処とするエルフたちにとって最低最悪の天敵扱いで、小さい子なんかは悪いコトをすると「鱗猿が来るよ」とよく脅される。
しかし、ハーフエルフである自分に偏見も欲望もなく接してくれる生物は初めてで、己でも無意識に五男を頼りに思うようになっており、住処での無気力な態度は、ある種、彼への甘えの現れでもあった。
○猫ロリ(世話焼き六男の嫁)
ゴリゴンがモンスターであることすら分かっていない。
非常に勘が鋭く、本能で悪意や殺意を嗅ぎ分ける能力を持っているので、森の中でも危険なモンスターのいる方には近寄らなかったし、見た目で六男を怖がらなかった。
同種の男子より優しくて強くて美味しそうな臭いのする彼に対し、恋心を抱くまでにあまり時間はかからなかった。
○隻腕ドワーフ(皮肉屋七男の嫁)
鍛冶師として傭兵等と関わっていた関係でモンスターについては詳しく、ゴリゴンを知っている。
が、頭があまり良くないので、七男相手でも警戒心すぐどっか行った。
六男の嫁のような察知能力もない、底抜けのアホの子なので、とにかく危なっかしく、基本的に世話の焼ける人物。
○天翼族(純朴八男の嫁)
岩場や切り立った崖の辺りが主な住処で、生息域が異なる関係上、ゴリゴンを知らない。
集落で虐げられていたので、八男に初めて褒められ優しくされて即懐いた。
互いの顔が見えない状況だからこそ、彼女はいつもより自らの心を吐き出すことができている。
○生贄娘(腹黒九男の嫁)
ゴリゴンを知らない。
旅人が産み捨てていった孤児で、最初から生贄要員として育てられていた。
だからといって、死にたくはないので、疑いつつも九男についていく決断をする。
十兄弟の花嫁たちの中で、最も長期間、蛮族モンスターの本性を疑い続けた娘。(腹黒ざまぁ)
○鬼女戦士(ハッピーバトルジャンキー十男の嫁)
ゴリゴンを知っているし、実際に単独で倒したこともある。
実力至上主義の鬼族なので、蛮族モンスターに対しての悪感情はそれほど持っていない。
強者に望まれるのは雌の誉れ、というのが鬼族の女の感覚。




