肝据彼女が動じない
「坂森さん、色々相談に乗ってもらってありがとうございましたっ。
おかげさまで、僕、そよちゃんと無事に結婚できることになりました」
人間世界とは少しばかり層のずれた場所に存在する喫茶店内で、妖怪ちょいたし男こと大助は時代錯誤にも着流し姿をした無精ヒゲの壮年男性に向かい頭を下げた。
それを受けて、坂森と呼ばれた男は、運ばれてきたばかりの緑茶に手をのばしつつ口を開く。
「おう、そうかそうか。そりゃ、おめでとさん。
で、だ。そうと決まったんならぁ早めに長のとこ連れて行っとけよ。
いくら新参のお前でも、そんぐらいのルール分かってんだろ?」
行儀悪く音を立て茶をすすりながら、坂森は目を細めて大助をじっと見据えた。
「あ、う……はい」
そんな男を前に、大助はいかにも煮え切らないといった態度で視線を逸らす。
「何だ、自信ねぇのか?」
「じ、自信、も、そうなんですけど、そ、そよちゃんが僕以外の男にジロジロ見られたり触られたりしたらって思うと……うぅっ」
震える声で心情を吐露した彼の目には、薄っすらと涙の膜が張っていた。
内心でまたか鬱陶しいなどと考えつつも、意外と面倒見の悪く無い坂森は、ため息と共に慰めにもならない言葉を吐き出す。
「あー、まぁ、嫉妬深ぇのは妖怪の性みてぇなモンだからなぁ」
「それに、そよちゃんを騙すみたいなこと、僕……」
続けられたセリフに、男は分かりやすく眉を顰めた。
いくら相手が若造だからといって、彼にも許容できることとできないことはある。
「何言ってんだ、これでも昔よりはかなりゆるい条件になってんだぞ。
最低限それっくらい乗り越えられもしねぇで、異種族間での婚姻が上手くいくと思わねぇことだ」
「うぅぅぅ……」
呻きながらテーブルに突っ伏す大助を尻目に、坂森は茶を飲み下して席を立った。
己自身の悩みに夢中になっていた彼は、男が伝票を持って行ったという事実にも、「ま、せいぜい頑張りな」と小声で激励を送られた事実にも、最後まで気が付くことはなかった。
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坂森と別れたその足で、大助は恋人であるそよのマンションに乗り込んでいた。
婚約後に渡された合鍵を使い勝手知ったる室内へと足を踏み入れてみれば、彼女は2人掛けのソファの片側に座り雑誌を読んでいるようだった。
彼の存在に気付いているのか否か、そよは反応を示さない。
どちらにしろ常のことなので、大助は気にするそぶりを見せず、無言で彼女の隣の空いたスペースに腰を下ろした。
それから体を倒して彼女の足と腕の隙間へと強引に自らの頭をねじ込み、無理やり膝枕の体勢を取る。
彼の行動を一切気に留めず、そよは膝上に現れた恋人の側頭部に雑誌の背表紙を乗せ読書を続けた。
乗せた瞬間、「痛っ」と小声が上がった事実は無視された。
しばらくの沈黙の後、やがてボソボソと何事か語り出した大助に、そよはページを捲る手を止めて耳を傾ける。
「あ、あの、そよちゃん。
非常に申し訳無いんだけど、近々一緒に長に会いに行って欲しいんだ」
それを聞いて、予想より大事な話が始まったようだと感じたそよは、雑誌を閉じソファ横のミニテーブルへと雑に放った。
「おさ……って、妖怪の長ってこと?
もしかして、かの有名なぬらりひょんとか?」
「ぬらりひょん様は総大将だから違うよぉ。
えっとね、会社で例えるなら社長とか会長って役職の人かな。
とにかくトップポジションだし、企業最底辺の平社員の結婚にいちいち関心なんか示さないと思う」
「大助にしては分かりやすい例えじゃん、すごいすごい」
「うぅ、明らかに貶されて落ち込む気持ちと撫でられて嬉しい気持ちが複雑に拮抗し合って僕の心は今さながら魔獣ムーとヒノトリのように激しく身を……」
「そういうのいいから、続き話してくれない?」
「あ、はい」
重要な話の最中であるはずなのに頑なに視線を合わせようとしない恋人に思うところがないわけでもないが、ただでさえ普段から数秒見つめるだけで恥ずかしがって顔を逸らす彼にそれを強要するのは、特に会話を成立させたい今は得策ではないということをそよは知っている。
ゆえに、彼女が彼のこの無作法な体勢を咎めることはない。
「僕が言ってる長っていうのは、さっきの例えでいうと課長くらいのポジションの人で……」
「その課長に2人揃って結婚の挨拶に行かなきゃいけない、と」
「そうなんだ。
事前に色々相談してた係長相当の人にも改めて釘を刺されちゃったんだけど、人間と結婚する時は、その地域の長に認めて貰わないとダメっていうルールがあって……人間の戸籍とかも全部上層部に用意してもらってるから、守らないわけにいかなくて……」
言いつつ、微妙に体を縮め強張らせていく彼の様子に、そよは器用に片眉を上げ尋ねた。
「何でそんなに気乗りしない感じなの?
妖怪のこと言いふらすとか、大助を裏切ったらどうなるか~って脅されたり、変な呪いかけられたり、もしくは物理的に殺されたりするわけ?」
「えっ!?」
途端、大助はギョッとした表情で首を僅かに回し、分かりやすく動揺に震える瞳でそよを見上げる。
「まさかっ、さすがにソレは、無い、とは、思うけど……あ、で、でも、僕も初めてだし、細かいこと、わ、分からない。
ああああの、けど、もし万が一にも、そよちゃんが危ない目に合いそうになったら、僕はちゃんと、あ、いや、ぼ、僕は弱いから、ちゃんとは無理かもしれないけど、あの、全力で、ま、守るから、僕」
「あ、大丈夫。そんなこと気にしないで?」
「へっ?」
強い決意を滲ませた瞳を向けてくる恋人の、その必死の言葉を、彼女はあっさりバッサリ切り捨てた。
「大助にそっち方面のこと最初から期待してないから、失望して嫌いになるとか絶対ないから、だから私を守ろうとか思わなくて全っ然大丈夫…………ね?」
「うわぁん! そよちゃんの残酷天使!」
やたらと慈悲深さを感じさせる聖母のような微笑みを浮かべるそよ。
そんな彼女の柔らかな膝に、彼は涙目で突っ伏し両足をバタつかせていた。
~~~~~~~~~~
数日後。
「メールに添付されてた地図の通りだとそろそろ……あ、あったYKビルっ」
「ふーん、普通のテナントビルに見えるけど」
「なんか、会社の事務所とかしか入ってないっぽいねぇ?」
電子メールで連絡を取り合った長より「今週土曜14時YKビル4階415貸し会議室に来られたし、なお服装は自由で、時間は30分程度を想定している」などといった会社の採用面接じみた指定を受け、彼ら2人は現在、20分程度の余裕を持ってその目的の場所へと足を踏み入れていた。
「ああー、お、落ち着かない。
僕こういうオフィス系の雰囲気苦手っていうか、場違い感で恐縮しちゃうっていうか」
「大丈夫大丈夫、スーツ着てるじゃん。ちゃんと溶け込んでるよ」
「そ……そうかなぁ……」
情けない顔を寄せてボソボソと話しかけてくる大助の背を、そよは軽く数度叩いて慰める。
土曜日であるからか電気の落ちているテナントもいくつかあり、ビル内部は小声すら反響してしまう程度にはしんと静まり返っていた。
「エレベーターあっちだね」
「う、き、緊張してきた。
ちょっと、僕、あの、先に、は、花を摘みに行ってきてもいいですか」
通路の壁に貼り付けられた案内図を確認して、向かう先を指差す彼女に対し、彼は腹をゆるく摩りながら言う。
「ん? 花摘み? 女子便入るの?」
「入らないよっ!?」
「冗談冗談。まだ時間あるし、ゆっくり出しといで」
「もおおっ言い方ぁっ!」
「はいはい」
デリカシーのない恋人のからかいに、大助は小声で叫ぶという器用な真似で返した。
彼も、そよが彼女なりに緊張を解そうとしていることは分かっていたが、それでも今時珍しいピュアボーイとしては恥ずかしいものは恥ずかしいという心理なのである。
「じゃ、じゃあ、行ってくるけど、あ、あのっ、先に行っちゃわないでね?」
「大丈夫、分かってるって。
これから長と会うのに、アンタを泣かせるわけにいかないでしょ」
「そんないくら僕でも置いていかれたくらいで泣かないしっ」
「はいはいはいはい」
おざなりな返事と共に背を押され、大助はしぶしぶビル内部の共用トイレへと足を向けた。
曲がり角でチラと彼女の様子を窺えば、さっさと行けと言わんばかりに手を揺らされ、微妙にショックを受けて彼の歩調が無意識によろめく。
チワワもビックリの極めつけに軟弱な精神性だった。
そして、それから数分後。
「お待たせー。ゴメンね、そよちゃん」
「……あっ」
笑顔で戻ってきた大助を前に、そよは一瞬、思わずといった体で声を発した。
そんな彼女に、彼は瞼を2度ほどまたたかせてから首を傾げる。
「えっ? なぁに、どうかした?」
「いや、何でもない」
「そう? じゃあ、行こっか。
エレベーター、あっちだったよね」
そう言いながら、大助は至極自然な動作でそよの手を取り、ゆっくりと歩き出した。
対して、彼女はひとつ小さなため息を吐いてから、何も言わず彼の先導に従い動き出す。
ほどなく乗りこんだエレベーター内で、目を瞑り深呼吸を繰り返すそよへと、大助は肩を抱き寄せ安心させるような笑みを湛えて告げた。
「そよちゃん、緊張してるの?
大丈夫、長様はお優しい方だし、挨拶なんてあっという間だよ」
「…………そう」
発した気遣いはあまり通じなかったようで、相変わらず瞳を閉じたまま言葉少なに返答する彼女に、彼は僅かに眉尻を下げ、それきり口を噤んだ。
やがて辿り着いた指定の会議室、3度のノック音を響かせてから扉を躊躇なく開けた大助は、そのまま中に3歩ほど進んだところで足を止め、振り返る。
そよが扉の前で動きを止めていることに気付いたからだ。
「えっと、どうしたの? 入らないの?」
「……アナタ、覚悟して来てる人ですよね」
「え?」
冷め切った眼差しで大助を見据えるそよは、不穏な空気を撒き散らしながら1歩分だけ部屋の中に足を進めて、器用にも後ろ手に扉を閉じ、内鍵をかけた。
理解できない彼女の行動に、彼はただただ困惑する。
「あ、あの……そよちゃん?」
「どういう意図があるのかと思って黙ってたけど……もう我慢できない。
身勝手に人を騙そうとするって事は、ボコボコに報復されるかもしれないという危険を常に覚悟して来ている人ってわけですよね」
「えっ、な、何をっ……」
およそ穏やかでないセリフに、大助は額から汗を流してたじろいだ。
途端、そよはカッと目を見開く。
「しらばっくれてんじゃねぇぞゴラァッ!!」
「ひっ!? ちょっ、そよちゃ……ッ!?」
窓を割らんとする勢いで激しく咆哮する彼女。
脅える大助。
名を呼ぼうとした彼に対し、そよは一瞬で距離を詰め、華奢な右手で胸倉を掴みねじり上げた。
そして、再び吠える。
「大助以外の男にその呼び名を許した覚えはねェーーーッ!
初対面のレディ相手にベっタベタ触りまくりやがって……骨の1本2本は覚悟しろやクソ野郎ぉッ!」
「ひっ、ひえあああああああ!?」
握りこんだ拳を振りかぶる猛獣に、大助、いや、男は恐怖に慌てふためき絶叫を響かせた。
今にも暴虐の限りが尽くされんとする刹那、会議室奥側から焦りを全開にした救世主が舞い降りる。
「だだだダメそよちゃん待ってぇーーーーッ!!」
「あっ大助っ!」
「ぐえっ!」
本物の大助の登場により、そよは掴んでいた男をぞんざいに投げ捨て、ついでに腹をひと踏みしてから駆け出す。
そうして辿り着いた先で、彼女は自らの愛しい婚約者の身を強く引き寄せかき抱いた。
数秒ののち、腕を離したそよは、今度は顔面蒼白になっている大助の頬を両手で挟みこむようにして憂い顔で安否を問う。
「大丈夫だった!?
緊縛プレイとかされてない!? エネマ穴は無事!?
あぁ、こんなに血の気の引いた顔して可哀相にっ!」
「待って何の心配されてるの僕っ!?」
彼女に叩き付けられた言葉のあまりにも予想外すぎる内容に仰天して、一気に真っ赤になり叫ぶピュアボーイ。
結局、彼が顔を真っ青にしていた本当の理由が「自分に化けた上司を情け容赦なく殴り飛ばそうとしていた短気で暴力的な恋人のせい」だなどとは、骨無しチキン野郎大助に言えるはずもなかった。
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「で、部屋を出るまでに偽者に気付けば合格、気付かなければ不合格。
あとは記憶を消して、それまでって寸法だ」
騒動も収束し、変化を解いて素朴な少年の姿に戻った長が、ぶすくれた表情で事の顛末を語る。
「ご、ごめんなさい、そよちゃん。
僕、妖怪と人間が結婚するのに絶対必要な試練だって言われて……それで……」
そよの隣のパイプ椅子に腰掛けた大助が、顔面のあちこちに皺を寄せた今にも泣き出しそうな状態で、声を震わせながら謝罪した。
対して、そよは優しく微笑んで自身の柔らかな胸に彼の頭をゆっくりと抱き寄せて、髪を梳くように繰り返し撫でてやる。
「分かってる、アンタは進んで私を騙そうとするようなタマじゃあない。
やりたくもない嫌なことさせられて大変だったねぇ傷ついたよねぇ。よしよし」
「うっ……そ、そよちゃぁああああんッ! わぁぁぁあん!」
「どんだけ甘やかしてんだよ……」
うげっと舌を出して、目の前でイチャつくバカップルに悪態をつく長。
しばらくして大助の気分も落ち着いた頃、彼から体を離したそよは、机を挟んで正面に座る態度のデカイ少年に向かいガンを飛ばした。
「なっ、なんだよっ」
微妙にトラウマになっているのか、反射的に肩をビクつかせながら少年は女にそう答えて返す。
「……とりあえず、これで私達の結婚を認めてもらえるんですよね」
「そりゃ、まぁ。最初からバレてたんなら、そういうことになるだろうよ」
「それはどうも、ありがとうございます」
言って軽く頭を下げつつも、いつまでも鋭い目つきで己を見据えてくるモンペのごとき彼女に、長は1度ブルリと細い体を震わせて、上擦る声を発した。
「っお、おい。オレだって掟だから仕方なくやってんだぞっ。
だから、う、恨むのはお門違いだからなっ?」
息を荒くしながらそう宣言する長へ、そよは呆れたような表情をつくり深くため息をつく。
「気に入らないやり方だとは思いますけど、別にあなたを恨んでなんかいませんよ」
「な、なら……」
「ただ、ちょっと言わせてもらうとすれば……騙す気があるのか甚だ疑問なくらい微塵も真似できてませんでしたけどアレなんなんですかナメてるんですか仕方ないとかいっちゃって掟に手ぇ抜くとかそれが仮にも長と呼ばれる者のやることですかキチンと本気出して役目果たすのが当たり前じゃないんですか?」
「はぁあ!? アホ言うな誰がいつ手ぇ抜いたよ!
見た目も声も仕草だって完璧トレスしてただろうがっ!」
彼女の言い分に、カッと憤慨した長がすかさず噛み付いた。
けれど、彼の放つ怒気に少しも堪えていない様子のそよは、小さく鼻で笑って返す。
「じゃあ、足りないのは長としての自覚じゃなくて頭ってことですかねぇ。
私と2人きりの時の大助の態度が、あなたたちの知ってる他の女の子に対するソレと全く同じだと何で思うんですか?
下調べが足りていないにも程があるでしょう?
そんな体たらくで、どうして自分がしっかり役割を果たせているなんて思えるんです」
「ぅぐっ……」
調査不足に関しては紛れもない事実であったがゆえに、それを言い当てられてしまった長が悔しげに呻いた。
その様子に今回の様々な事柄に対する溜飲を下げることにして、彼女は自身の纏う邪気を払い苦笑いを浮かべる。
「まぁ、仮に完璧に大助を演じられたとしても、絶対騙されなかったでしょうけどね」
「……何でだよ」
「だって、あなた私のこと愛してないでしょう」
「は?」
そよの口から発された想定外の返答に、長は目を丸く見開いて固まった。
彼女も自分の言葉が足りていないことには気が付いていたので、重ねて説明をしようと再び舌を動かし出す。
「えーっと、要は、常に目の中にも周囲にもハート浮かべて全開好き好きオーラ出しまくってる大助の真似を、私を1ミリも愛してないあなたに再現できるわけない、ってことですよ。
例えば、こうして……」
「えっ、そ、そよちゃん? んななななに急に!?」
蚊帳の外で完全に意識を他所に飛ばしていた大助は、唐突にそよに顎を掴まれ強制的に見つめ合う形を取らされて、動揺に喘いだ。
そんな彼の顔を、彼女はまたも強引に動かし長の正面に来る位置に向け直す。
「ホラ、私が3秒間見つめるだけで頬をリンゴ色に染めて目ぇ潤ませるような大助の演技を、『ももももしかしてキキキキッス!? えっ、ま、まさかそんな突然、しししかも、こんな人前で!? やっ、は、恥ずかしいよぉぉ! で、でも、そよちゃんが望むなら僕っ、そ、それに、僕も、ほ、本当はちょっぴり……』なんて羞恥と期待を滲ませた表情を、あなた本当に出来ますか?」
「ぴゃあああッやめて心読まないでぇぇぇぇッ!!!!」
「あ、うん。無理」
「でしょ?」
真顔で頷き合う長とそよ、椅子から崩れ落ちて悶え苦しむ大助。
直後、真顔のままの長に「お前ら割と本気でキモイから帰れ」とつれなく言い放たれ、カオス過ぎる試練はあっけなく幕を閉じたのだった。
そんな誰一人得をしない悲しい出来事より少しばかり時が過ぎた頃、とある地域を数百年に渡り守ってきたとされる長の地位にある者が唐突に辞表を提出したなどという眉唾物の噂が妖の世界に急速に広まることとなったが、それはまた全く別の話である……。