ディ沼尊い
ディック視点
俺の妻は色々とおかしい。
結婚してすでに三年以上になるが、未だ彼女の奇行癖は落ち着く気配がない。
新婚時代は、すぐに口に手を当て俯き全身を小刻みに震わせたり、唐突に自らの顔を激しく叩き出したり、前触れ無く膝から崩れ落ちて蹲ったりといった行動をよく取っていた。
クスリをキメているわけでもない全くの正気の状態でありながら、そんなことを一日に何度もやってのけるのだから、中々クレイジーな女だと思う。
これでまだ大分我慢していたのだと聞いた時は、それはもう盛大に驚いたものだ。
現在は以前の奇行にプラスして、「SAIKOUKAYO」「KAWAISUGIKA」などと怒鳴りながら机や床や壁に拳や頭を打ち付けたり、特に意味の無い単語を叫びながら床を転がり回ったり、額に手をやり天を仰ぎながら「SHIKOI」と搾り出すような声を出したり、号泣しながら「TOUTOI、TOUTOI」とよく分からない呪文をブツブツ唱え続けたりしている。
まぁ、悪化したのは彼女が不審な行動を取る度に半ば強制的に理由を吐かせ続け、また、こちらが不快に思うこともないと根気強く教え続けて言動を我慢しないよう躾けてやった結果なのだから、全く不満はない。
そもそも、外では無理をして普通の人間を装っているくせに、完全なプライベート空間でまで己を偽る方が間違っているのだ。
ただ、彼女の奇行は俺に対する深すぎる愛情から来ているものらしく、ならばそのうちに沈静化するだろうと考えていたものだから、こんなに長くこの状況が続いているのは予想外ではあった。
彼女から言わせれば、毎日新しく燃料が投下される環境で鎮まる火などあるわけがない、ということらしいが理解できない。
そのくせ、俺の妻の立場は分不相応だと言って、しょちゅう頭を抱えて悩んでいるのがまた分からなかった。
本当は彼女以外の女を妻として迎え幸せな生活を送る俺の周囲を空気の精霊にでもなって四六時中漂っていたいらしい。
やはりクレイジーだ。
では、あの彼女の異常な熱が治まって欲しいのかと問われれば、正直あの全力で俺に狂っている様をとても好ましいものとして受け止めているので、可能なら一生このままで良いと思っている。
結局は俺もイカレてるんだ、似合いの夫婦じゃあないか。
そもそも、俺のような気の利かないテメェ勝手な男を文字通り命がけで惚れ込んでくれるような女なんか、彼女以外にいるわけもないのだから考えるだけ無駄というものだ。
アレでこちらの意思をないがしろにして自分の判断のみで勝手に動いたりなどは絶対にしない女だから、そう心配することもないだろう。
ソファに寝転がり雑誌に視線を落としながらダラダラと詮無いことを考えていると、リビングのドアが開いた。
先ほどここを離れた妻が戻って来たのだろう。
タバコが切れたと思った時には、すでに正面のクッションに腰掛けていたはずの彼女がカートン単位で在庫の置いてある寝室へと駆け出していた。
この俺が、止める間も無かった。
一応、妻の姿を横目でチラリと確認して、再び雑誌に意識を戻す。
夫の態度として少々不遜かとも思うが、注目しながら待っていると、最悪気絶されてしまうことすらあるのだから仕方がない。
さすがに昔はここまで酷くは無かったように思うんだが、考え違いか……。
部屋に入ってきた妻は、手にした一箱のタバコを見せ付けるように腕を伸ばしながら俺に視線を寄越して、瞬間、呻きながら倒れた。
あぁ、またか。
うつ伏せで正確な状態は分からないが、海洋生物のようにオウオウ鳴いているからには、意識はあるようだ。
「今度は何だ」
「……ディ様が、あのディ様が周囲を警戒もせずノンビリくつろいでいる姿を見て、感極まりました。
今、愛しすぎて吐きそうになってます」
「…………そうか」
「っう。プライスレス、尊さプライスレスぅ。おぅっふ」
およそ理解不能な言葉を呟きながら、彼女は匍匐前進にも似た動きで床を這い近付いてくる。
身悶えるにしろ、とりあえず、タバコは渡しておかなければとでも思っているのだろう。
いつかの「迷惑をかけたくない」という台詞通り、妻はよくよく俺の気持ちを汲み取り、さながら赤子を相手にするかのように、ひたすら甘やかしていた。
コレだって動きは不気味だが、その心内は可愛らしいものだ。
構い倒してやりたくもなるが、それをすると処理しきれない感情を持て余した彼女が自傷行為に走りかねない。
以前は怪鳥のごとき雄叫びを上げながら、がむしゃらに壁に体当たりを繰り返していた。
心臓に悪いから止めて欲しいのだが、白目を向き泡でもふきそうな顔で無理だと宣言されてしまえば、返す言葉も見つからない。
ようやくソファの下まで辿り着いた彼女からタバコを受け取り、少々離れた位置のテーブルへと放り投げる。
その手で、今度は彼女の服の一部をひっ掴んで自身の体の上へと引っ張り上げた。
相変わらず軽い。
俺の行動が予想外だったのか、妻は目を皿のように丸くさせた状態で固まっている。
それから、正気に戻って暴走されるより先にと、薄く開いた彼女の唇の内側に素早く舌を捻じ込んだ。
ま、気絶させてしまえば自傷のしようも無いだろう。
妻にとっては死刑宣告にも等しいことを考えながら、俺は彼女に逃げ出されないよう右腕を細腰に回し、折れない程度に力を込めていった。